2節 フリバー・ライヘルド11


 話はまた、あの日まで遡る。

 リリーがブレイルとパルと別れて30分ほど経ったほどの事。

 彼女は結局心配になって、戻って来た。


 彼らは大丈夫かという一心で。

 そこで見たのはボロボロに壊れた広場と、倒れ込むブレイルとパル。

 そして、ブレイルの側に佇む“医術の神”アクスレオスの姿だった。


 「――なんだ、てめぇ……。アーノルドのとこの娘じゃねぇか」

 灰色の目にリリーを映して、彼は酷く怪訝そうに眉を顰めた。


 「あ、アクスレオス様。あ、あの二人は……?」

 「見て分んねぇのか。“死”の仕業だ。無茶苦茶にやりやがって」

 リリーの問いにアクスレオスは苛立った様子で答えた。

 その様子を見て不安になる、不安のままにブレイルに駆け寄る。


 ブレイルの服は切り裂かれていた。まるで鋭利な刃物に切り裂かれたようだ。でも、肌に傷はない。

 ただ、彼の足元に銀色の小さな金具が散らばっているだけ。


 「し、死んで――!」

 「死んでない。生きてる」

 リリーの不安を遮るようにアクスレオスが言う。

 慌てて、ブレイルに駆け寄って、首元に手を当てればブレイルは確かに暖かかった。

脈もあり、心臓も動いていた。

 その様子にリリーは心から、漸く安堵をした。

 しかしだ。リリーは当然に疑問に思う。

 あたりを見渡すが、あの恐ろしい“死”はいない。だが、ブレイルを此処まで叩きのめしたのは、どう考えても、あの邪神の仕業。どうして邪神がブレイルを見逃したのか分からない。ソレに彼のこの服の傷は。


 「――……そいつは一回死んだんだよ」

 その疑問に答えてくれたのは、アクスレオスだった。

 酷くつまらなさそうに、ため息交じりで答える。


 「いっかい……しんだ?」

 「ああ、死んだ。で、生き返った」

 我が耳を疑った。

 理解が追い付けず、困惑していると、僅かにブレイルが動く。

 彼が目を覚ましたのは一目で分かった。

 ぼんやりと金色の目を開けて、少し。ブレイルは飛び起きた。慌てたように、怒り狂ったような顔で膝の上の聖剣を手を伸ばそうとして、でもその身体は上手く動かずに倒れてしまう。


 身体を丸め、まるで痛みに耐える様子のブレイルに、アクスレオスが声を掛ける。


 「よお、調子どうだ?考えなし」

 悶絶するブレイルは僅かにアクスレオスを見上げる。

 ただ、視点がおかしい。定まっていない。


 「……視界がおかしくなっているのか。大丈夫だ、次期治る」

 瞬時に理解を示したアクスレオスの言葉。

 その言葉に必死に声を振り上げようとしているが、声はかすれた音しか出ない。どうやら声も出ないらしい。

 その様子を見て、アクスレオスは小さくため息を付いた。


 「安心しろよ。“死”はもういない。どっかへ行っちまった。――見ての通りパルって女も生きている」

 その答えに、ブレイルは目を大きく見開き、だんだんと安堵した者へと変わる。

まるで一番気にかけていたことを知れて安堵している様に。少なくとも耳は聞こえている様だ。


 「――……俺の言葉は理解できるみてぇだな」

 アクスレオスが続けて言う。ブレイルは小さく頷いた。

 小さなため息、そして彼が忠告するように口に出したのである。


 「じゃあ、手っ取り早く伝えるぞ。ブレイル・ホワイトスター。コレは俺からの忠告と思え」

 「――……?」

 「――お前は“死”に負けた。“死”に負けて死んだんだよ、お前は」

 ブレイルの金色の目が大きく見開かれるのが分かる。

 そんな、まさか。なにを、まるでそう言っている様だ。

 しかし、何かを思い出したように困惑の色に変わっていたのも次の瞬間。――彼は覚えていたのだ。あの戦いの事。“死”が容赦なく自分達を切り刻んでいき、あっさりと負けた事実。

 ああ、そうだ。あの時、あの瞬間、ブレイル自分は死んだのだ――。


 「先に言っておくぞ。生き返らせたのは俺じゃない。俺は“医術”だが、人を生き返らせる能力は持ち合わせていない」

 ブレイルが何かを問いかけてくる前に、アクスレオスが言い放つ。

 ぼんやりとした頭で、困惑した頭で、ブレイルが漸くゆっくりと体を起こした。

 そんな彼にアクスレオスは続ける。


 「お前らを生き返らせたのは、この“世界”だと思え」

 「せ、かい……?」

 ようやく声が出た。ブレイルの問いにアクスレオスが頷く。

 そして、簡単に、簡潔に言い放つのだ。


 「お前達『異世界人』は、この世界では不死だ。決して死ぬことは無い。いや、死んでも、死んだら生き返るんだよ。お前たちは――」


 信じられない事実を。有り得ない事実を。彼は静かに口にしたのである。


 


 ――この“異世界”では『異世界人』は死が無い。

 身体をバラバラにされ、どれだけ血を失っても、その身体が灰になるまで燃やされようとも、『異世界人』であると言うのなら、必ず生き返る。

 バラバラになった手足は元に戻り。失った血は器に戻る。灰になったなら、灰が形をとり、骨を作り、肉を作って、その姿を完全に再生させる。

 それが世界の恩恵である。


 ただし、それはただ『死』の恩恵。

 生き残ってしまったら『無くなった物』は元に戻らない。

 例えば、片腕を失ったまま生き残っても、無くなった腕は生えてこないし、くっ付くことも無い。もう一度腕が欲しいのなら、一度死ぬしかない。

 死ねば、身体は元通り。失ったものは生えてくる――と。


 ――それが、アクスレオスが説明してくれた、この世界での『異世界人』の死についてであった。

 ブレイルの話を、側で聞いていたリリーの補足を踏まえながら、フリバーは眉を顰めて聞いていた。

 そんな話、信じられるものじゃない。だって、どう考えても有り得ないからだ。


 「……有り得ないと思うか?」

 「――ああ、だが。お前の様子を見る限り、嘘を付いているようには見えない」


 苦虫を噛み潰したよう、フリバーが答える。

 信じがたい、しかし。今の話は恐らく事実。目の前の当事者たちの表情を見て、そう判断せざるを得ない。

 フリバーは顔を覆う。『死』の恩恵だと。聞こえはいいが、違う。見せかけが良いだけだ。

 もし、それが事実だとしたら、この世で一番最悪な事実。

 そんなの。

 死の恐怖を何度も味わう可能性が、あると言う事だ。


 人間が人生で、たった一回経験する、避けられない事象。

 人生の最後で経験する恐怖。――それに、『異世界人自分達』は何度も襲われるかもしれないと言う事実。想像もつかないのに、酷く恐ろしい。

 それなら、尚更、“死”と争うのは危険だ。危険が過ぎる。

 話を聞く限り“死”は、此方が敵対すれば殺す事を躊躇しない。恐らくそれは、こちらが『死なないから』


 「――邪魔をすれば殺すって事か…」

 「邪魔?」

 「……ああ、話を聞く限り。おまえは邪魔したんだろ?“死”を」

 「邪魔って。……俺はアイツを、倒そうとしただけで。それに……」

 ブレイルがリリーを見て口籠る。

 彼女の父親が関連するからだろう。フリバーも敢えてこれ以上聞かなかった。

 話を戻す。


 「――ああ、そうだな。邪魔じゃない。正確に言えば、“あの子”からすれば攻撃されたから攻撃し返しただけだ」

 「……それは」

 「“彼女”は正当防衛だったはずだ。正当防衛で、お前たちを殺した」

 「……」

 フリバーの出した事実にブレイルは眉を顰めたまま黙る。

 虎の尾を踏んだ、とは正にこの事だ。


 「じゃあ、なにか?俺達の行動は要らない事だったって言うのかよ!」

 ブレイルががなり立てる。

 フリバーは眉を顰めた。少しの間。小さく頷くしかない。

 

 「今回ばかりはそうだ。残念だが、な」

 「な――!!」

 「そうだろう。……“お嬢ちゃん”は標的を……“あの子”の仕事は、終わってたんだよ。言ったろ。あの子は恐らく寿命を迎えた人物の前に現れるって。――リリーちゃんは。今こうして生きている。だから――」

 この先は流石に言えない。お前たちは無駄死をしただけだ。なんて言えるはずがない。口を閉ざす。

 隣で、リリーも唇を噛みしめる。

 ブレイルは「でも」と声を荒げて、悔しそうに口を閉ざす。彼も頭では理解しているのだろう。

 自分達が死んだのは、どうしようもなく、正義感だけで“死”に切り掛かった自分達の責任。「虎の尾を踏んだ」とは正にこの事だ。

 それも、おそらく完全に「要らぬ尾」。

 でも、あの状況で、“彼女”を見過ごすことは、ブレイルには出来なかった事も確かだろう。

 彼らは、何も手にする事は出来なかったのだから。

 いいや。

 『異世界人自分達』には死が存在しない。

この事実だけでも、知れてよかったと思うべきなのか。

だが、そんな事、言えるはずも無い。

フリバーは小さく息を付いた。


 「――……なんにせよ、これから“お嬢ちゃん”と争うのは止めろ。少しは考えて行動するんだ」

 「――それは!!」

 「馬鹿か!お前の考えている行動は一番馬鹿だ!先に言っておいてやる!」

 「――っ!!」

 ブレイルを見て、放つ。ブレイルが眉を顰めて言い返そうとしたが、遮り怒鳴る。

 この男の考えていることは、嫌でも理解したからだ。

 ブレイルは一瞬ひるんだものの、直ぐに顔を顰める。その姿にフリバーは舌打ちを繰り出した。

 仕方が無いと。一度、唇を噛みしめ、声を張り上げる。


 「当ててやる。お前はこう考えているはずだ。――……自分達に死が無いなら、何度でも“死”に突っ込んでいく。ソレが今一番の“死”を倒すための最善策だってな!!」

 「――!」


 ブレイルの表情が、一瞬にして変わった。

 顔をこわばらせ、何か言いたげに口を開けてから、きつく唇を噛みしめる。

 その様子は「正解」であったに違いない。

 表情を変えたのは、隣にいたリリーも同じだ。

 彼女は、ブレイルの手に伸ばす。


 「――……そんなの……!私も、賛成だわ!危険よ、ブレイル!」

 フリバーの言葉にリリーも賛同する。

 恐怖に染まった顔で、必死になって彼の考えを改め直させる。

 ブレイルは何も言えなかった。静かに唇を噛んで、俯くだけ。

 だが、少しして、彼は口を開く。

 

 「――……じゃあ、どうしろ、ってんだよ……」

 まるで、もう限界だと言わんばかりに。肩を震わせ。歯を噛みしめる。

 その様子に、リリーは顔を伏せ、同時にフリバーは首を傾げた。

 彼の様子は少しおかしくも思えたのだ。

 昨日ブレイルは「“死”の存在理由」について知ったはずだ。倒す危険性も知った筈。

 それなのに、今日になって、彼の様子は出会った時と同じ。いや、それ以上なまでに余裕が無いように感じ取れる。何故、昨日以上に、ここまで感情を露わにするのか。

 いや、昨日も思えば、ブレイルは落ち着いていたように見えて酷く切羽詰まった様子を見せていた。


 ――そういえば、と。気が付く。

 昨日、彼が合わせたがっていた、仲間とやらは一体どこに居るのだろうか……?


 ――がたん……音がする。

 思わず顔を上げる。

 誰より先に動いたのは、ブレイルだ。


 「――おい、パル!」

 悲痛が混ざった声色で、奥の部屋。

 隣の部屋の入り口で倒れ込む、1人の少女へと駆け寄っていったのだ。

 薄いピンク色の髪の、あれが、ブレイルの言っていた仲間と言う存在か。

 

 「パル!」

 同じようにリリーも、パルと呼ぶ少女に駆け寄っていく。

 フリバーも立ち上がる。

 彼女は何処か体調でも悪いのか、そんな軽い気持ちで。近づいた。


 「――大丈夫か?」

 声を掛ける。

 ブレイルに支えられて、顔を上げた少女を見た時。

 フリバーが息を呑んだのはどうしようもない事だった――。


 「だ、だいじょうぶ、です……」

 目の前の少女が、弱々しく微笑む。

 白髪が所々に混ざった、ピンクの髪。

 げっそりとこけた頬。唇はカサカサになり、目元には凹むほどの隈。

 目は大きく飛び出しているのが分かり、顔中に血管が浮かび上がって脈を打つ。

 鼻から出る血を隠しながら、彼女は必死に笑みを湛えるのだ。


 「――……」

 「あ、あ、あの、わ、わわ、わらし、ぱ、ぱるって、いい、まふ……、わ、わらひも――」

 呂律が、全く回っていない。

 息が荒く、視点もあっていない。

フリバーは何か言おうとして、きつく唇を噛みしめる。

 いま、彼女に賭ける言葉は全て無意味だ。

 なんと声を掛けたらよいか分からず、口を噤む。


 「いいよパル!お前は休んで居ろ!」

 ブレイルがパルの腕を肩に回す。

 パルの表情が、大きくゆがんだのは、ブレイルの手が僅かにでも触れた、その瞬間の事だ。

 顔が酷くゆがみ、口から泡が零れ、目を大きく見開く。

 ブレイルの口元から、ちいさな謝罪の言葉。

 その時の、彼の表情は苦痛そのものだった。

 すこしして、落ち着きを取り戻した、パルと言う少女がもう一度、顔を上げる。


 「ご、ごごごめ、ごめん、なはい。き、きょ、は。た、たいちょ、わ、わるくれ、で、でも」

 「――……いいよ」

 フリバーが笑みを浮かべる。

 ちゃんとした笑みを浮かべているか、分からないけど。必死に、笑みを浮かべる。


 「今日はもうお開きにしよう。俺も用事があってね。――話の続きはあんたが元気になってからにしよう。だから、今日は休むべきだ」

 そう笑って、足早に、身体を玄関へ向けるのである。

 ――ちらりと、ブレイルに視線を飛ばして。


 「じゃあ、俺は帰る。家借りて悪かったな」

 「え、ええ」

 リリーに一言送って、扉に手を伸ばす。

 「――……外まで、送って言ってやるよ!」

 パルをベッドに寝かせて、ブレイルが彼の後を追ったのは直ぐの事だった。



 ◇



 家の中に残されたリリーは無言のまま二人を見送って、パルの側へ。


 「ごほっ…!!」

 リリーが近づくと同時、パルは大きく咳込んだ。

 咳込むパルの口からは大量の血。それも黄色く変色した、ドロドロとした液体が混ざり。

 その中に、うぞうぞとウジ虫が蠢く。

 「パル、それ!」

 その症状は初めて見るモノだった。あってはならない症状だった。

 しかし、パルはリリーに手を伸ばす。


 「だ、だえ!ぶ、ぶれ、いる…には、いわ、あいで」

 必死に、それでも弱々しく笑みを浮かべて。再び激しい咳が零れる。

 リリーは、何も言えない。

 ただ、激しく咳込む彼女の背を撫でながら、顔を歪ませるしか出来なかった。



 『――……ちりん、ちりん』





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