The 2nds

杜松の実

  


 ――困ったときの神頼み――。


 それが彼女の口癖でした。

 去年の暮れの頃。僕は資格試験の勉強をしていました。朝から晩まで働き、それから夜遅くまで机に向かっていました。その資格は仕事で使うもので、会社から取るようにと言われました。会社は仕事の量を調整することはせず、おかげ僕は毎日残業をし、満員電車に揺られていました。

 その頃の楽しみと言えば、ひとつだけ。彼女が作って待ってくれていた晩ご飯でした。もし一人暮らしでしたら、僕は満足な食事を取ろうともせず、衰弱していたでしょう。冷めてしまった生姜焼き、温め直したお味噌汁、彼女の実家から送られた梅干しは塩っ辛くて酸っぱくて、左手にご飯をいっぱいよそったお茶碗が、手のひらをじんわりほぐしてくれました。

 僕は資格試験に一所懸命でした。僕だけではありません。同僚のほとんどがそうでした。先輩も後輩もみんな遅くまで共に働き、誰も呑みに行きません。家に帰って勉強しなければいけませんでしたから。朝、出社して来るみんなの顔を見ると、僕も同じように削られた顔になっているのだろうと思いました。職場で試験の話はしません。してもしなくても同じです。その顔を見れば同士であることは十分わかりました。それにしたくありませんでした。働いているときくらいは忘れたかったのです。

 反対に勉強しているときは仕事のことが常に思い出されます。参考書に書かれていることが今身に付いていれば、とか。この前のあれはもっと良く出来た、とか。今まではこうやっていたけど違う方法があったのか、とか。そうだ、今日のあれは明日やり直さなければ、とか。今度、似たような仕事が来たら、とか。

 また、試験に合格して出世した未来も考えました。給料が上がる。そしたらこの狭い家から引っ越してしまおう。試験勉強をしなくて済むから余暇が得られる。そしたらあれをやろう。他にも色々やろう。何をしよう――。卑しいですけど、あの嫌な先輩の上司になれると思うのが一等痛快でした。もちろん、彼女との将来についても考えていました。

 ただ、そのためには誰よりも努力して勉強して、試験に合格しなければいけませんでした。去年、僕たちの中から合格した人は出ていません。試験は三月末にあり、結果が出るのは四月の初旬です。結果が返ってくると僕たちは成績を上司に報告します。上司はすぐに僕たちの順位を発表しました。

 僕は同僚たちの中で六位でした。とっても嬉しかったです。その前は十一位でしたから、一年で五人を抜かしたことになります。誰がその五人なのか、僕の上に居るあと五人は誰なのか、気になって仕方ありませんでした。でも、そんなことを聞いて回ることはできません。職場で試験が話題に上がるのは成績発表の時ばかりです。その夜から僕らはまた勉強を続ける日々に帰ります。

 いえ、本当は試験を受けたその翌日から来年の試験に向けて勉強は始めていました。何年も合格者は出ていませんでしたから、僕らは落ちたことを想定して勉強を続けなければ、来年の合格はもっと遠ざかると知っています。それでも、一縷の受かっているかも知れないという淡い期待が僕の中を過ぎり、本腰を入れない理由をつくっていました。不合格通知はよたよたと走る僕たちの尻を鞭打つ号砲でした。そうやって四月からまた勉強漬けの日々を乗りこなす一年が幕開けし、年の瀬になりました。


 ――困ったときの神頼み――。


 僕は相当追い詰められていたのでしょう。彼女にはそう見えていたようです。土曜日、朝から一人部屋に籠って勉強し、昼食も部屋で取って。夜になってようやく部屋から姿を現し、彼女とひとときの夕飯を食べるんです。彼女は僕に休むように声を掛けましたが、僕には休んではいけないことが分かっていましたから、彼女を諭すようにできないと伝えました。

 部屋に帰って勉強していると、彼女がそっとノックをして扉を開けました。彼女の手にはダウンジャケットとマフラー、防寒具が抱えられて、彼女もそうした物を身に着けていました。僕は彼女に言われるままに着替えました。僕が抵抗を示さなかったのは疲れていたからでしょう。何も言う気が起きませんでした。

 とぼとぼと歩く僕を彼女が手を引いて連れて行ったのは神社でした。遅くでしたから門は閉じられていました。明かりは一つも無く、ぼんやりとした影のようにその中の様子は見えました。門のすぐ先に鳥居があって、その鳥居は暗闇の中でも朱に染まっていることはなんとなく見えました。その先を参道が続き、両脇には木立がありました。木立はほとんど夜と一体になっていて、どこまでが木で枝葉で、どこからが無の闇なのか見分けがつきませんでした。奥にあるのはお社です。お社もまた夜にすっぽり覆われている訳ですが、それでも殿として建っていました。

 神社に行ったことは、初詣なんかでそれまでも何度もあります。無宗教の僕だから思うことなのか、無宗教の中でも取り分け合理的な僕だから思っていたのか、そうして陽の光の下で見た社はどことなく玩具のようでした。無用の長物だと言いたいのではありません。でも、お社があの形である必然性はなくて、実用性もなくて、何だかハリボテのようにも見えました。それに赤や緑といったカラフルな装飾は幼少期にねだった戦隊ヒーローの合体ロボットを思い出させます。

 だけど、その夜に見た神社は何か怖かったです。恐怖というより恐れと言った方が適しているような。見られているって感じました。それで、夜にこそ起きているんだなって思いました。神様を信じていない僕が神社を擬人化して話すのは可笑しく聴こえると思います。僕も何であの時そのように感じたのか不思議です。暗がりの中にたっているだけの建物に、すごく近寄り難かったのです。門は閉まっていたので近寄れないんですけどね。

 出かける時にお参りに行こうと言われていましたから、神社に行くのは分かっていましたけど、閉まっている神社に連れて行かれるとは思っていませんでした。彼女にとっても予想外なことらしかったです。夜道歩いて神社が見え始めたとき、「あれ? 閉まっていない?」って。それでも、どうしようもないですからとりあえず近くまで寄って、二人並んで門の前に立って、「やっぱり閉まってるね」って。彼女は落胆していました。僕はさっきも話したように参道の先に佇んでいるお社を見つめていました。それから彼女の方を向いて、「帰ろう」と言いますと、彼女は「待って」と何か考えているようでした。

 それから彼女は「ここでお参りしよう」って言ったんです。彼女は財布から五円玉を出して僕に渡して来て。僕は手袋をしていましたから、それを抓むのに苦戦しました。僕は彼女の見よう見まねで、五円玉を門柱の足元にそっと置いてから、暗がりの先にあるお社に向けて二礼二拍手一拝して、それで帰りました。

 それは僕たちの中で習慣になりました。毎週土曜日の夜に二人であの神社に行って、門の前でお参りをしました。これも不思議なのですが、二回目に夜にお社を見たときは怖くありませんでした。昼に見たときと同じように、ただの建物としか思えず、特別な感じは何もありませんでした。僕たちはいつも神社に着くとまず最初に、門柱の足元に先週置いたお賽銭が残っていないか確認しました。そして決まってありませんでした。彼女は「良かった」と言って、それを神主が預かってくれて、願い事が神様の元にまで届けられたと信じているようでした。僕は、置いた五円玉は浮浪者に拾われた可能性もあるだろうな、と考えましたが彼女には言いませんでした。

 彼女は僕から見ると随分と信心深い人です。彼女は毎晩、風呂から上がって寝巻に着替えると首に白い正方形したお守りを提げて懐に入れます。そうしてからベッドの上で正座して、手を合掌造りのように三角の窓を作ると、それを顔のやや上の方に掲げて、祝詞のりとのようなものを唱えます。同棲する以前から彼女が宗教に、それも新興宗教と呼ばれる類のものを信仰しているのは知っていましたから驚きはありませんでした。興味もありませんから、祝詞の中身については聞き耳を立てていませんけど、聴こえる言葉に〝ミコト〟とありましたから、スサノオノミコトなどのミコトだろうと思っていました。

 ただ、彼女はそれを首に提げるとセックスをしてくれませんでした。そのお守りは他の人の手に触れてはいけないと言うのです。なので、隣り合って眠っているときにいちゃつこうと彼女のお腹に手を回すと、きっぱりと断られました。

 彼女に言わせれば、僕も無宗教ではないらしいです。宗教に関して些細な口論をしたことがあります。原因は覚えていませんが、もしかしたらセックスをさせてくれないことだったのかもしれません。その時、まだ僕の両親は健在ですけど、もし死んだら葬式を行うでしょうし、お墓にも入れる。結婚すれば結婚式を教会か神社でやる。それは宗教でしょう。と、彼女は言うのです。

 確かにその通りではあるのですが、それはあくまで様式として行われるだけであり、死んだら当然遺体があって、それは家庭で処理することができないのですから、社会に既存しているシステムを使っているだけだとも言えて、そこに信仰心がないのですから、釈然としませんでした。葬式や結婚式が宗教だとしたら、いただきますだって宗教になるでしょう。結論としては、僕は無宗教を自認している、としています。



 深夜参拝は年を越してからも続けられましたから、僕の初詣はそれでした。

 三が日を終えて出社しますと、上司から田舎に帰省したお土産として饅頭を手渡されました。僕たちに返せるお土産はありません。正月を帰省や旅行に当てられるのは上司だけです。僕たちの試験勉強は愈々佳境です。年明けからは昼休憩の合間を、おにぎりやパンを片手にみんな勉強に費やすようになります。但し、隣のデスクに座っている人であっても、彼がどんな参考書を使って何を勉強しているのかは分かりません。僕たちはお互いが共に勉強をしていることを知っていながら、その一切の状況だけは把握しないようにしていました。どうしてそうしなければいけないのか不思議でしょうけど、そうしなければいけないのです。私も一年目のときは戸惑いましたけど、従いました。すると、後輩もまた何も言わずに黙って一人きりで勉強しているのです。僕たちは隣り合う競争相手に違いませんが、ほとんど見えていない競争相手でもありました。

 こんなことを思い浮かべて下さい。マラソン大会。真っ暗闇を走っています。右も左も見えません。そして走る足音はあなた一人分の足音だけです。他の人の足音は聴こえません。でも、あなたは一人で走っているわけではありません。その証拠に、あなたの周りには絶えずはあはあと息づくうめき声が聴こえるのです。息づかいだけでは、その声が前から聴こえているのか、後ろから聴こえているのか、隣に居るのかは分かりません。ただ、そのまとわりつくような気配に急かされて、あなたは限界を迎えているその足でなおも速く走ろうとしなければいけません。それだけが暗く苦しい無限回廊から抜け出すたった一つの方法です。

 僕が深夜参拝に行かなくなってからも、彼女は一人で行っていました。部屋で勉強していると「行って来ます」の声と共に玄関の閉まる音がします。そしてしばらくすると「ただいま」と帰って来るのです。次第にその「行って来ます」も「ただいま」も聞こえなくなって、ただ玄関の開け閉めの音が二回するだけになりました。僕が「いってらっしゃい」「お帰りなさい」を言わなかったからですね。話をしていて、いま気付きました。でも、仕方なかったんです。あの時の僕には応えるだけの余裕はありませんでしたし、応えないことが普通でした。

 一月、二月の寒い時期にわざわざそんなことしなくてもよかったのに。彼女にとってはそうすることが僕の為で、僕たちの為で、必要不可欠の儀式だったようです。寒い思いをしてまで、僕たちの為にしてくれたのは嬉しいですし、感謝しています。でも、それがお参りとなると。寒い思いをしてご飯の準備をしてくれたとかパートに出てくれたとかなら、素直に感謝できるんですけどね。いえ、彼女なりの最大の応援だったときちんと理解しています。ありがたいことです。



 三月末に試験を受けました。今だから言うわけではないですけど、確かな手ごたえを感じていました。それまでに受けた四回の試験とは明らかに異なっていました。それでも僕は、その翌日から来年の試験の為の勉強を始めました。だって、合格したことが無いですから、その手ごたえが合格したものなのかどうかなんて分かりませんよ。それでも僕はその時に何かを既に感じ取っていたのかもしれないですね。どうしても勉強が手につかず、それで彼女と共にリビングで映画を見たりしていました。普段ならそんなことをしていると、勉強しなければと気が焦って仕方ないのですけど、その頃は何をしていても落ち着いていました。むしろ静かに勉強している時の方が、じっと座っていられなくなりました。

 試験結果が返って来る朝。この時ばかりは憂鬱でした。結果は不合格に決まっています。返って来たなら、再び勉強の二文字を刻んだロボットのようにならないといけません。ゆとりある数週間を手放すのも惜しかったですが、それ以上に、どうしてあれほどゆとりをもって時間を使ってしまったのか。これでは勉強が遅れてしまっている。遅れを取り戻すために削る体力と睡眠時間を考えるとぞっとして、はげしく後悔していました。なので、合格したと知ったときは呆気に取られましたね。「あれ? これって何? もしかして?」みたいな。

 合否はパソコンで見れます。十時になるとメールが届くんです。そこには合否と得点、合格最低点が書かれています。それを僕たちはコピー機で印刷して部長のデスクに持って行きます。

 メールに、合格と書かれていて、初めは驚きの余り実感はなかったです。でも、じわじわと、合格したんだ、終わったんだって気付いて。それは叫び出したくなるほど嬉しかったです。本当につらかったですから。でも、なんとか声を出すのは我慢しました。

 メール画面を印刷して、みんな同時に印刷していますからコピー機の前には列になっています。僕はあえてパソコンで〝印刷〟を押してから、列に並ぶのを遅らせました。たいてい、〝印刷〟を押して、すぐに列に並べば、印刷される順番と列の順番は同じになります。誰もわざわざ落第した結果を人に見せたがる人はいませんから、〝印刷〟を押してすぐに並ぶことで、自分の結果がちゃんと自分の手に入るということです。

 僕はあえて遅れて行きましたから、二三人前に並んでいた先輩が僕の紙を手にしました。先輩はすぐにそれが自分のではないと気付いて、僕を呼んで渡して来ました。想定外ですよ。目論見では、僕の紙を手にした人が僕が合格していることを、大声で振れ回ってくれることを期待していました。だったら何だということも無いのですけど、やってみたかった演出の一つだったんです。

 それで結局、部長に紙を渡して、部長が僕が合格したことを発表して、形ばかりの拍手を受けてお仕舞です。盛大なパーティーを求めている訳ではないですけど、あまりに拍子抜けでした。でも、みんなの気持ちも分かります。自分が逆の立場でも、とても祝福する気になれないですよ。

 普段通りの仕事をこなしていると昼休憩を知らせるチャイムが鳴ります。僕は颯爽と席を立って彼女に電話をかけに行きました。本当に颯爽とでした。自分で思い出しても見事な颯爽であったな、と。僕史上最高颯爽です。廊下の突き当りにある非常階段に出ました。風の強い日でしたね。それともビル風かなんかで、あそこはいつも強いのかもしれません。高所恐怖症なので非常階段に出たことはありませんでしたし、あの日以降も出ませんでしたから、どちらかは分かりません。誰にも聞かれたくありませんでしたから、階段を二三階ほど上がってからかけました。

「もしもし、莉麻。いま大丈夫?」

「うん」

 彼女はすぐに出ました。働かずにいつも家に居るだけなので、大丈夫と聞かなくたって大丈夫に決まっています。

「今日、返って来るって言ってたでしょ」

「え? うん。いつも帰って来てるじゃない?」

「違うよ。試験っ。試験の結果が返って来るって。話してたじゃん」

「あー。それで? どうだった?」と抑揚なくぶっきらぼうに。

 彼女には勘の悪いところがあります。それまでに四回試験を受けていましたが、一回も彼女に電話をしたことがありません。それでしたら気付きそうなものでしょう? わざわざ今回に限って電話をして来ている。それに電話口の僕の声は明らかに浮足立っているのですから。でも彼女は気付きません。それほど勘が鈍いんです。そこが可愛いところでもあるんですけど。

「受かってたよ。合格したっ」

「うそっ? ほんと?」

 言葉にならない驚嘆歓喜の叫び声が聞こえて来ました。愉快になりました。その動転ぶりは、本来僕がメール画面の合格の文字を見付けたときにしたはずの、すべきだったものに思えました。その点で僕らは繋がっていたのです。僕の合格をたがを外すほど喜び合ったのです。僕は隠してしまいましたが、電話の先で彼女は溢れんばかりに僕の喜びを彼女の喜びとして表現してくれていました。

 声はむせび泣きへと変わっていきました。

「よかったねえ。ほんとうに、よかったねえ。がんばっていたもんねえ。よかったねえ」

 それもまた愉快でしたし滑稽でもありました。それから気恥ずかしさもあったのでしょう。僕は声を出して笑っていました。

「おいおい。なんで莉麻が泣くんだよ」

「だってえ。ううぅ」

 彼女が泣くのに反比例して僕は笑いました。僕たちは幸福の中に居ました。そしてこれから先の幸福を見ていました。僕は確実に出世して昇給します。試験はありませんから時間も手に入ります。好きな所に行けます。好きに映画が見られます。土日は遅くまでベッドでまどろんでいてもいいんです。引っ越した2LDKのマンションから見る夕日は豊かさの象徴のように映るでしょう。ゆとりを手にすれば、僕たちは結婚について真剣に考えることができます。すべてが手に入るような、あるいはすべてが手に入ったような全能感に包まれていました。

「もう。なんで笑ってるのっ」と彼女はひとしきり泣くと、今度は僕が笑うのに釣られて、そうしてじゃれるように笑っていました。そして、

「はあ……。きちんとお参りしてよかった」

 と僕に聞かせる訳ではないように、全く独り言のように電話口で呟きました。

 その瞬間、僕は何も感じなくなっていました。いえ、瞬間的に喜びも幸福感も可笑しさも一気に全て失ってしまったために、虚無だけを持っているように錯覚しただけでした。途端にビルの非常階段に立っているのが恐ろしくなって、もたれかかっていた欄干を突き飛ばしてしゃがみ込みました。さっきも言ったように僕は高所恐怖症ですから、そもそもあれほどの興奮状態でなければ、あんな所に居れないのも無理はありません。

 しゃがみ込んで恐怖をやり過ごしていると、僕から喜びたちを奪ったものが怒りであることに気が付きました。すると、どうしてあんなに素晴らしいものを奪われなければいけないんだ、あんな幸福の感覚は二度と得られないのかもしれないのに、とさらに怒りがかぶさって来ました。

 合格はあらゆる苦悩のしがらみから解き放ってくれました。それは僕が努力したからです。確かに彼女も協力はしてくれましたよ。家事炊事を任せることができたし、僕が勉強に縛られている間、辛抱強く我慢してくれました。でも、だからといってこの合格は第一義的に僕の努力によるものです。それを彼女がサポートしてくれていただけです。なのに、彼女はまるでそれが神様のおかげかのように言ったのです。当然、頭に来ますよ。誰だってそうでしょう。

 嫉妬、と言えるのでしょうか。神様に嫉妬すると言うのも馬鹿らしいですけど、おそらくそれに近しい怒りだったのではないでしょうか。あの怒りを正確に噛み砕くのは難しいですが、あのとき発散することが出来ませんでしたから、僕にはあれと向き合う時間はありました。

 僕に帰せられるはずの手柄が神様と折半になっていました。折半というよりも、むしろ第一義的に神様に起因しているようでした。彼女がそのように評価したのが許せなかったのだと思います。それだけではありません。神様が救ってくれたのは、自分がお参りを欠かさなかったからだって。そう言っているようでした。

 努力したのは僕です。試験勉強だけではありません。あの会社に就職できたのは誰よりも就職活動に励んだからで、大学受験に勝ったからでした。僕は常に競争の中で、勝って今を手にしています。彼女は違います。競争に勝っていないどころか、競争にさえ参加していません。だからあんなに考えが甘いんです。

 怒り方の分からない僕は茫然として電話を終えました。僕らみたいなのを「怒れない最近の若者」なんて揶揄する人がいることも知っています。怒らないで済むのなら、その方が幸せでいいじゃないかなんて思っていましたけど、怒りたいときに本当に怒ることが出来ないことに気が付いて、情けないなって恥ずかしく思いました。



 後日、内示が出て五月一日付で係長となることが伝えられました。念願の出世です。合格した時点で出世は決定的でしたが、やはり実際に内示が出ると嬉しかったです。そのことは帰ってから彼女に伝えました。

 その晩は普段は行かないような所で外食して、三軒ハシゴして飲みました。そんな飲み方をしたのは付き合い始めた当初以来で、とても新鮮で楽しかったです。

 僕たちが出会ったのは大学のサークルでした。近隣六つの大学に跨るインカレで、彼女は僕が三回生のときに入ってきた一年でした。はっきりと誰も口にすることはありませんが、入試偏差値順でカーストがありました。僕は二番目の大学で、彼女は六番目の大学でした。分布はいわゆる壺型と呼ばれるもので、一位の大学の学生が少なくて、そこから二位、三位までは増えていき、四、五、六位になると反対に少なくなっていきます。

 カーストというのは在ってあまり気持ちのいいものではありません。高校にもありました。高校と大学のカーストの違いは上位の成り方でしょうか。高校でもやはり重視されていたのは勉強ができる人でしたけど、他にも運動ができる、ひょうきん者、顔がかっこいい、など、色々ありました。大学でも同じようにかっこいいとか運動ができるも重視されますけど、圧倒的なものが学歴でした。社会に出てから、という視点をよりリアルに持つので、プロの選手になるのなら別ですけど多少運動できるくらいは当てにされませんよ。ですから、高校で運動しかして来なかった人は辛かったと思います。今まで上位だったのに下位扱いを受けるのですから、我慢して慣れていくか、堪えられなくなって辞めていくか。サークルでそういう人を何人も見て来ました。

 カーストなんてものは無いに越したことはないのですから、僕たちも無くそうと試みました。バーベキューをやるときなんかは、いくつかの小グループに分かれますけど、あえて六位の大学の人たちを僕たちのテーブルに招き入れたりしていました。そうして彼女と出会いました。初めは、ただ二つ年下の、■■大学の女の子としか見ていませんでした。よく食べ、よく飲み、よく笑う子でした。何が僕にとってそんなに気に入ったのかは分かりません。僕はその後もサークルの飲み会など折に触れては、彼女を近くに呼びました。

 あからさまなようですけど、誰も僕が本気で彼女に入れ込んでいるとは思いませんでした。友人たちは僕が何か質の悪いいたずらでもしていると思ったのでしょう。中には意地の悪い顔をして「本気になるなよ」と笑いかけて来る人もいました。僕も全くそのつもりは無いような素振りで、彼女のことは軽くからかっているだけだと態度に表していました。

 それでも彼女には僕の本当の気持ちが伝わっていたのかもしれないです。彼女の方から告白してきました。彼女から見た僕は、あんな態度でしたから、あまり気持ちの良くない先輩だった筈です。なので、僕は呆気に取られて返答に困り、あろうことか「お願いします」と答えてしまいました。今でもあの時のことは僕たちの間で笑いぐさになっています。

 僕の卒業と同時に同棲を始めました。喧嘩は多かったです。でも、それは同棲を始めてから増えたのではなく、元から僕たちはよく喧嘩をするカップルでした。周りから見れば、どうしてまだ付き合っているんだ、と思っていたようです。彼女は喧嘩が上手いんです。口が達者とか言い包めるとか、そういう強さの所ではなくて――むしろ彼女はそういう強さは持ち合わせていません――、仲直りが上手いんです。喧嘩をするときは一気に沸点まで激昂して、三十分でも顔を合わせないでいると、次に会ったときにはけろりと機嫌が直っているんです。そうなると、僕の方で今更蒸し返す気にならなくなります。それでは問題は解決されていないように思えるかもしれませんけど、いちいちの喧嘩の原因が解決されなければならないような重要事でもありませんし、議論よりも各々が反省して次に活かす方が穏当な解決策だと思います。

 同棲してからは、僕が必然的に仕事に勉強に時間を取られますから、すれ違いによる喧嘩へと性質が移行していきました。でも暫くすればその生活にも慣れて喧嘩は減りました。

 なので、子どもを巡ってのあの喧嘩は久しぶりの大きなものでした。

 僕の出世が決まり、いよいよと結婚について話し合う機会を設けました。

 彼女もまた結婚の意志があると答えました。

 長い同棲生活を経てお互いの生活観は概ね共有されてきましたが、結婚となるとまだまだ事前に示し合わせて置かなければ、後々の課題となるような厄介はいくつかありました。

 その一つが子どもです。彼女に子どもが欲しいかと尋ねると「うん」と答えました。

「私たちがこうして生きて居られるのも、今まで先祖さまが脈々と受け継いで来てくれたおかげでしょ。私たちには次に繋げる責務がある。そりゃ、今では結婚しても子どもを授からない家庭もあるって聞くし、それは否定しないけど、ユンくんには稼ぎもあって、子どもを育てるだけの余裕があるのだから」

 だから、子どもを作るべきだ、と。彼女にとって子どもは義務であり、責務であり、だからこそ作りたいという意志になっているようです。

 僕も子どもを育てたいと思っていました。喫煙所なんかで上司と同室すると、決まって子どもの自慢をして来ます。それはとても楽しそうでした。苦労も大きいと必ずみな口にしますが、それでも子どもが居ると良いと言います。そうした姿に憧れを抱きました。それに子どもを育てるというのは、何か人生の中で大きな醍醐味の一つのようにも映りました。

 幸い僕たちの希望は一致していました。その源にある人生観は異なっていますが、僕は彼女のそれを否定しようとはしません。単なる個人差です。それ以上でもそれ以下でもなく、どちらが上等下等というものでもありません。言うなれば、どちらも尊重されるべき思想です。

 ここまで僕の予想通りです。僕がこの折衝の場をわざわざ設けた訳はこの先にありました。

 ゴールトン式妊娠法の話をしました。彼女が拒否反応を示すのは分かっていましたから、僕は努めて柔らかな口調で、彼女にも十分理解できるように噛んで含んで説明しました。

 ゴールトン式妊娠法は体外受精による選抜妊娠です。僕たちの精子と卵子をそれぞれ試験管で受精させて、受精後にDNA検査を行います。検査でその受精卵の獲得能力や遺伝形質による障碍の有無が分かります。そうした受精卵を複数作って、どれを子どもとして育てるか選ぶことが出来ます。その後は母体に戻して着床させて、通常の妊娠と同じ経過を辿って出産します。

 僕はこのゴールトン式妊娠法によって子どもを作りたいと考えていました。障碍の有無は子どもの一生を左右します。報道番組の中でよく障碍を持った子どもとその家族の話が特集されていますが、ああいうものを見ていると辛くなります。そして、子どもを持つことに怖さも感じました。もしも、自分の子どもが障碍児として生まれてきたらどうしよう、と。

 母親は涙を流して子どもに、「元気な体で生んであげられなくて」と謝っていました。父親は仕事を辞めて、子どもにより多くの時間を費やせるように低賃金の仕事へ転職していました。将来は明るくありません。両親は自分たちが死んだあと、この子はどうやって生きて行けばいいのでしょう、と絶望した表情でカメラに応えていました。

 子どもを生み、育てる以上、親は子どもを幸せにしなければいけません。できる限り最大限な教育を与えて、子どもが自由に仕事を選べて、自分で望んだ自分になれるだけの力を身に付けさせてあげる必要があります。

 だったら、障碍なく生んであげる方がいいでしょう? そのついでに、できるだけ能力の高い子どもとして生んであげる方がいいしょう?

 いいえ、彼女は烈火の如く怒りました。ひとつに、選ばれなかった受精卵を廃棄することは殺人だと言いました。それから、たとえどんな子どもであっても愛し育てるべきだ。能力の高い子どもしか欲しくない僕はひとでなしかのように罵って来ました。

 開いた口が塞がらないと言いますか。茫然としました。彼女が受精卵の廃棄に抵抗を示すのは予想していました。なので、ミスリードしないよう、医学や生物学が証明しているように受精卵に意思はまだ芽生えてはおらず、廃棄は倫理に反するものではないと、説明を尽くしたつもりでした。

 ましてや、僕が子どもを能力で選ぶ愛の無い人間であると言われたことには呆れてしまいました。僕は先にも言ったように、子どもの幸せを願っています。だからこそ、子どもにハンデは負わせたくないですし、ギフトも与えてやりたいんです。

 その喧嘩は普段よりはやや尾を引きましが、翌朝には何事も無かったかのように接していました。それでも、一度溢れたわだかまりは解消されていませんから、以降、子どもの話はしなくなりましたし、結婚についても進展しませんでした。



 ほどなくして五月となり、僕は係長に昇進しました。

 部長に呼ばれて言われたのは三つの資格を取れ、でした。三つ揃えない内に下から上がって来る者が居たら――つまり、僕がその先月に合格した試験に受かった者が部下から出たら――、僕は降格となりその者と入れ替わることになる、と。冗談のようですけど、全く冗談ではありません。大きな壁を乗り越えた先にはさらに大きな壁が。陳腐な言い回しですけど、現実を表わした適格な表現です。

 転職も考えました。しかし、ようやく資格試験の合格を手にしたばかりです。ここで逃げ出しては、それまで何の為に耐え忍んで来たのか分かりません。壁は進むごとに大きくなりますし、何枚もの壁を乗り越えて来ただけあって、壁に打ち当たって跳ね返されたとき、踵を返して壁に背を向けたとき、落ちる高さは一入ひとしおです。僕は自分をそう奮い立たせて、再び試験勉強に取り組みました。

 ひとまず、三つの資格試験を並行して勉強することにしました。直近の試験が八月にあり、次が十二月、翌年二月と続くスケジュールでした。

 係長となれば、当然仕事は増えます。試験の内容も一つひとつが難しくなっているように感じました。息が詰まるような疲労と不安を抱えていました。ただ、その反面どこか楽観視している所もありました。勉強の内容はこれまでのものとは異なっていましたが、それでも何年も試験勉強に取り組んできた経験が活きない筈はないと思っていました。独学の骨は掴んでいるだろう、と思っていました。何より、僕はあの試験を乗り越えて今ここに居るんだ、という自信を持っていました。

 それまでの試験勉強と圧倒的に異なっていたのは、孤独さでした。以前は、干渉し合ってはいませんでしたが、それでも同じ目標に挑む競争相手が居ました。係長同士の交流はほとんどありません。なので、他の係長が僕と一緒に試験に苦しんでいるのか、知る術はありません。身近にいるのは、僕が通り過ぎた試験に向き合っている部下だけでした。その部下の中から合格者が出れば、僕はそいつと交代して降格になります。彼らの不合格を願いましたし、合格するはずもないと考えていました。

 僕は彼らにとって良い上司であろうと努めました。優しい言葉をかけ、労いの言葉をかけ、よく褒め、感謝を伝えていました。それでいて、彼らの仕事を増やしました。ときおり見回り、就業時間内に試験勉強している者がいないか目を光らせました。彼らにしてみれば、僕がそのようにおびえて嫌がらせをしているとは夢にも思わなかったでしょう。彼らの前では、試験から解放され満足しきっている人物になりきっていましたから。

 再び試験勉強にかかりきりとなり、自然と結婚の話を遠ざける形になりました。彼女はよく堪えてくれました。家事、炊事を負担してくれて、文句も言いませんでした。寂しい思いをさせてしまっていた筈です。

 昼間、彼女は毎日のようにあの神社へお参りに行っているようでした。聞くと、それを何年も続けていると言いました。土曜の深夜参拝には僕もまた同行するようになりました。

 肌寒かった夜風は徐々に心地よいものへと季節が変わり、蒸し暑く汗をかかずにはいられなくなった七月末ごろから、深夜参拝に行かずに勉強に専念することにしました。

 お盆休暇の最終日が試験日でした。今年の夏は冷夏と言われ、何かと水不足や野菜、米の発育不足が叫ばれていましたが、その日は朝からの大雨でした。試験の日ばかりは十分睡眠をとって万全な体調で臨むつもりでしたが、気圧の影響か、目覚めたときから偏頭痛が酷かったです。

 試験を受けながら落ちたことを悟りました。答案は白紙ばかりで、かろうじて埋めているところも自信なく埋めているだけでした。頭痛から集中出来てないことは確かですけど、それ以前に勉強量が全く足りていなかったと気が付きました。これは一年や二年そこらで受かるものではないな、と他人事のように白い用紙を見ていました。



 結果が分かるのはその二週間後ですけど、それを悠長に待っている余裕はありません。早速、十二月の試験に向けた勉強に切り替えます。しかし、それだってどうせ落ちるのだろう、という諦観のもとでした。

 土曜の夜、そろそろ深夜参拝かと思っていると扉をノックされました。「ユンくん」と呼び掛ける彼女の声に覇気はなく、なんだか悪い予感を抱きました。彼女は何かを言いたそうで、それでいて何も言い出さないでいましたから、僕らはいつもの通り深夜参拝に出かけました。

 無言で歩き神社の門の前に着きました。門柱の足元にお賽銭の真似事をして、二礼二拍手一拝と参拝しました。帰ろうと体まわして後ろへ向き返っても、隣の彼女がお社を向いたままじっと立っていましたので、「どうしたの?」と声をかけました。言い出せずにいたことを、ここで言うつもりだと分かったので、僕は待ちました。別れ話をされるのだと思いました。別れたくないという強い気持ちと、身を引いてあげることが彼女の為なのだという正しさが葛藤していました。

「ごめん」

 と俯く彼女は小さく見えました。抱きしめてしまえば抑え込めてしまえるように。同時にエネルギーの塊にも見えました。次の一言で僕を爆ぜさせてしまう手榴弾のような繊細さに、僕は黙って近づけませんでした。恐ろしくて身動きが取れなかったんです。「いやだ」と言えるのか、「分かった」と受け入れるのか、自分でも全く予想できませんでした。

 しかし、杞憂でした。彼女の話は別れ話ではありませんでした。

「妊娠した」

 だからと言って、安堵で力が抜けるような話でもありませんでした。爆弾には違いなく、見事に僕の頭を吹き飛ばしました。まず襲って来たのは激しい困惑です。

「え? だって……」

 だって、僕らはきちんと避妊をしていました。避妊せずにしたことはありませんでした。子どもを作るのは結婚してからにしよう、と話し合ったのは同棲を初めてすぐの頃です。

 彼女は僕が困惑するのを知っていました。「ごめん」と言ったのはそういう意味でした。コンドームに切込みを入れたと言いました。そうしなければいけなかった、と。あの喧嘩のときそう思った、と。

「でもね、大丈夫だよ。私ね、毎日お祈りしてたの。元気な赤ちゃんを授かりますようにって。そしたら、ほら」

 この妊娠は聞き届けられた奇跡だ、と言いたげでした。あの喧嘩以降、一度しかセックスをしていません。一度のセックスで妊娠することは珍しいことではあるのでしょうが、聞く話ではあります。奇跡と呼べるほどのものではないでしょう? でも彼女の文脈ではそれは確固たる祝福に映っているようでした。

 僕は声を荒げていました。彼女の行いは明らかな裏切り行為でした。彼女は謝りながらも、大丈夫と繰り返していました。

 一息に発散してしまうと、カラッポになったように落ち着きました。残ったのは何をどうすればいいのか分からない、という何となくの軽い虚無感でした。

 彼女は僕を裏切った。だから、怒りに任せて、彼女を捨てても構わない、あるいは暴力や暴言で支配しても構わない、それだけの権利や資格がある、とは思いません。彼女のしたことは簡単に許されることではありませんが、それを僕が裁こうとするのも違うと思います。それにお腹の中の子どもは僕の子どもでもあります。僕にはその子を幸せにする責任があります。

 僕は彼女の手を引いて家に帰りました。冷静になって話をし、僕たちは結婚することに決めました。まず彼女の実家に挨拶へ行き、次は僕の両親の所へ、それから籍を入れようという段取りを決めました。話が終わる頃には、日の早い夏のことですから、閉め切られたカーテンの外側を薄く照らしていました。その薄明かりを見ると、なんだかほっとしました。その日は昼過ぎまで眠り、空腹に目覚めてインスタント麺を食べてはまた、日の暮れるまで眠りました。

 開けて月曜日、試験の結果が返って来ました。不合格でした。



 土曜の深夜参拝はなくなりました。代わりに、お昼を二人で食べてから、腹ごなしの散歩の要領で神社へ行き参拝することにしました。それも土曜、日曜二日とも、台風などの荒天でなければ欠かさず行いました。片道十分ほどですが、それでも汗だくになります。これで冷夏と呼ばれているとは信じられない暑さでした。

 帰ってすぐにシャワーを浴び、上がってクーラーのもとで涼むのがとても気持ち良かったです。学生の頃にも、学校から帰って真っ先にシャワーを浴びてすっきりしていたことを思い出しました。窓の外にはどこまでも澄んだ青が広がっていました。手には良く冷えた緑茶を持ち、上半身は裸で、どっかとソファに体を預けてしばしの休憩です。

 本当はそんなことをしている余裕はありませんでした。

 結婚する。責任が増える。子どもが生まれる。責任が増える。家計だって増えます。教育費も十分蓄えて置かなければいけません。できるだけ出世しておきたいですし、まして降格なんて絶対できません。

 なので、何をおいても勉強していないといけなかったんです。

 それでも僕がわざわざ参拝に出向いていたのは、神様を信じていたからではありません。

 先の面倒事を回避しておきたかったからです。

 彼女は神様を信じています。参拝することはいわばコストで、報酬として祝福を得る機関のようなものが神様であり神社です。これは逆の文脈を生みます。つまり、祈りを欠かした場合は罰が与えられるという思考になる訳です。僕はこの時点で、つまり神は居ないってことだな、と考え着きます。だって、祈りに対して祝福は理解できても、祈りを怠る者には罰、となるのなら、その神はよっぽど器の小さな短気な存在ということでしょう? それを神様と呼べるのでしょうか? 少なくとも尊い存在の思考様式とは思えません。それでも、彼女の中ではこの不可解な文脈が真実として居座っています。

 僕が入社した当初、今のように資格試験に集中していると、彼女はしきりにお参りに行こうと誘って来ました。忙しいと断り続けて、四月、結果が返って来て不合格だったと告げると、「ほら、言ったでしょ」と。不合格だったのは僕がお参りに行かなかったからだと、なじって来ました。信じていない僕からしてみれば、その論法はお門違いも甚だしく、一層参拝など行ってやるものか、と意地になりました。二年目に試験に不合格となったときは、前にも増してなじられました。

 彼女にはそういう所があるんです。

 もし僕がここで参拝を欠かして、生まれて来た子どもに何等かの障碍があったとき。一体僕は彼女にどれほどしつこく責められるか、分かったものではありません。障碍は治るものではありませんし、時が経つほど、成長するほど、手に入れるのを諦めなければいけないものが増えていきます。子どもをそれほどの不幸に見舞わした罪は何か。それは僕が参拝を怠ったからだ、と一生言われ続けることになるでしょう。

 だから、しぶしぶ付いて行くんです。

 信じてもいないのに、神社へ行くことを強制されるのは、信じることをも強制させられているように感じます。それは痒い所の分からないアレルギー反応のような不快感を催します。体の内側の奥の奥に、かびのような靄が捉えどころなく繫殖している気分になって、一刻も早くそれを掻き出したくなるんです。一秒でも早く神社をあとにしたくなるんです。

 でも、それはできません。神社では様式に則って参拝しなければいけません。それを省略しようとしたり、手早く済ませようとしては、参拝に来ないことよりも無礼な行為として意味づけられます。冷やかしに来たように神様から見られる、ということなのでしょう。僕はじっと堪えて彼女の真似をして参拝が終わるのを待ちました。

 土日参拝が習慣になって早四か月。思ったよりも長いですね。それもそうか。秋が終わって、もう冬ですから。概算で三十回ほど行ったことになりますか。何度通っても慣れないですね。開き直って信じてみようか、とも思いましたけど、信じようと思って信じられるものならとっくに信じていると思います。だからきっと、僕は信じたくないのでしょう。信じたって損はないのに。

 損はない。むしろ彼女のように信じることができたら、精神は安定するし、寄り処もできて、ポジティブ思考になって、と得の方が多いと思います。

 三日前、試験を受けて来ました。手ごたえはありません。多分、不合格です。多少落ち込んでいますけど、予想通りです。でも、その朝、出かける前に玄関で彼女が、「大丈夫よ。お守りは持った?」って言われたとき、緊張が解けてリラックスできたんです。受かる気がする、とまでは思えませんでしたけど、「よし!」とやる気が湧きました。神様を信じる彼女に救われている僕は、部分的には神様に救われているのかもしれませんね。だとしたら、神様にも感謝を伝えないと。なんて。冗談です。

 改めて言いますけど、僕は神様の存在を信じていません。なので、居ても居なくてもどちらでもいいです。ただ、神様を信じている人にとっては確かに存在しているんですよね。その人にとってはこの世界に神様は居て、僕にとっては神様を信じている人の中にだけ神様は居る。今はそのような理解をしています。神様は力とかエネルギーではなくて、この世界をどのように解釈するのか、というソフトウェアのようなものだって思っています。

 そうだ。最後に僕の気付いた思考遊びに付き合って下さい。

 神様は祈りには祝福を与えます。そして、裏を返せば、祈りを怠れば罰を与える、となります。これはさっきもお伝えしました。

 同じように、神様はきっと善行にも祝福を与えると思うんです。で、これを裏返すと、悪行には罪を与える、ということです。悪行と聞いて何を思い浮かぶでしょうか。殺人、なんていう重いものから、嘘、なんてものも思い浮かびますよね。

 例え話として、骨董屋をしている者が、一〇〇万はする絵を見付けます。持主は骨董に明るくなく、その絵の価値を正しく知らないようだった。すると骨董屋は「これは良い物だ。ぜひ一〇万で売ってくれ」と頼む。本当は一〇〇万する物を一〇万で買い取ろうと、いい加減な嘘を並べて、その絵の価値を本来よりも低い物として持主に信じ込ませる。そうやって一〇万で買い取ってしまう。さあ、神様はこの者にどんな罰を与えるでしょう?

 僕が真っ先に思い付いたのは、その絵は贋作で一文の価値もない、というオチでした。派手に雷が落ちる、としても良いのですが文脈から外れ過ぎていて納得がいかないでしょう。そうなるとやはり、絵が何等かの欠陥を抱えていて、骨董屋は一〇万払って損をした、となるのが道理に思えます。

 これは単なる作り話です。僕が本当にしたかった話は、彼女の妊娠した子どもの話です。

 彼女は破れたコンドームを僕に渡してセックスをしました。いわば僕に嘘をついたようなものです。そうして出来た子どもです。嘘はいけないことでしょう? なら、神様はこの嘘に、一体どんな罰を与えるのでしょう?

 僕は信じていませんけど、信じている彼女にしてみれば、この文脈は真実であり、当然そうなるべき摂理です。

 彼女はこの文脈にまだ気付いていません。僕も教えるつもりはありません。知れば罪悪感に苦しむだけで、何ひとつ得は無いですから。

 ただですね。あれだけ信心深い彼女のことです。もしかしたら既に気が付いているかもしれません。僕に見えない所で罪悪感に苛まれていて、それがプラシーボ効果のように作用して、本当にお腹の子どもに障碍を負わせてしまうのでは、というオカルトじみた妄想を始める僕もいるんです。なんて。これも冗談です。



 子どもが元気に生まれて来てくれれば、それだけで十分です。その子にどんな秀でた才能があるかを見付けてあげるのは、僕たち親の役割です。

 子どもが成功して楽しい人生を歩むことができるように、何でもしてあげるつもりです。才能を伸ばして、個性を活かして、やりたいことをやらせてあげたいし、なりたい者にならせてあげたいです。お金も惜しみません。そのために頑張って働くのは僕の役目です。

 この自由の時代に生まれて来る我が子にどんな幸せな未来が待っているかと想像すると、楽しみで仕方ありません。



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