第三章 ~『スクロールの販売』~


 イグニスの計画を打ち砕いてから月日が経過し、リグゼは八歳になった。エルド領は発展を重ね、領主邸にも人が増えた。


「おはようございます、リグゼ様」

「おはよう」


「今日も素敵ですね♪」

「ありがとな」


 メイドたちの愛らしい挨拶が届く。彼らは皆、職に溢れていた者たちであり、仕事を与えてくれたリグゼの事を心から尊敬していた。


(俺だけでなく、アリアの人望のおかげでもあるがな)


 リッチジェネラルを討伐したのはリグゼだが、衛兵たちに箝口令を敷いて、アリアが命懸けで倒したと風聞を広めた。


 アリアの人望は高まり、それに引きずられて、彼もまた英雄の兄として扱われるようになったのだ。


 このまま時が経てば、次の領主はアリアで満場一致は間違いない。


「坊や、ちょっといいかい?」


 廊下の先には懐かしい顔が待っていた。商人のエリシャである。彼女はビジネスの匂いを嗅ぎつけて、エルド領に移住してきたのである。


「新しいビジネスを始めたそうだね」

「スクロールのことだな」


 スクロールとは魔術を記憶できる紙媒体であり、リグゼの発明した魔道具である。一度限りの使い捨てだが、魔力がなくても記憶した魔術の発動を可能にしてくれる。


 一日の余った魔力の保存先として彼が個人的に活用していたのだが、エルド領の人脈や権威を高めるため、組織的な販売を開始したところ爆発的な人気を得たのだ。


 その結果、目敏い商人がエルド領に群がってきており、エリシャもその内の一人だった。


(スクロール作成には魔術師の協力が必要だ。領地の経済力を高めるだけでなく、優秀な魔術師を発掘する動機にもなる)


 リグゼは他者の魔術に触れ、それを《鑑定》により会得することで強くなってきた。魔術師との出会いが、彼の修行の一環にもなる。エルド領の利益だけでなく、自らの強さにも直結するため、一石二鳥の施策だった。


「大金で売れると聞いたよ。本当なのかい?」

「誰から聞いたんだ?」

「商人は顔が広いからねぇ」

「まぁ、隠す理由もないか……価格は込められた魔術次第だな。強力な魔術なら貴族でも躊躇うほどに高い」

「聞けば聞くほど面白いねぇ」

「ちなみに弱い魔術のスクロールも需要はあるぞ。世の中には魔力ゼロの奴も大勢いる。そういう奴らからすれば、使い切りのアイテムでも魔術が使えるだけで重宝するからな」


 領民の幸せも領主の務めである。強力な魔術はもしもの時の備えとして、易々と人に売る気はないが、低位の魔術なら配ることに躊躇いはない。


 さらに交友関係の拡大にも利用できる。領地の軍事力を強化したい貴族にとって、スクロールはお手軽な戦力アップの手段になるからだ。


「私もスクロールを商材として扱ってみたいねぇ」

「スクロールを上手く扱うアイデアがあるのか?」

「私なら価格を上げるよ……隣のタリー領では盗賊が暴れて、治安が悪化していると聞くし、護身用としての需要が高まるのは間違いないからねぇ」

「盗賊くらいで大袈裟だな。領地には軍がいる。すぐに討伐隊が捕まえるだろ」


 タリー領は男爵家だが、貴族の端くれでもある。組織化された暴力を前にしては、子悪党では太刀打ちできない。


「盗賊たちを侮って駄目だよ、坊や。あいつらの中には高名な武術家も混じっているからね」

「タリー領は武術が盛んな領地だと聞くが、盗賊にまで強い奴がいるんだな」

「あそこは経済力が弱いからねぇ。食うに困る奴も大勢いる分、強者も盗賊に堕ちるんだろうねぇ……まぁ、それもこれも、魔術師が差別される風潮が原因だからねぇ。当分は貧困から抜け出せないだろうねぇ」

「魔術の発展こそが領地の力となるのに……馬鹿な奴らだな」


 魔術の可能性は無限大だ。領内の魔道具の開発にも影響するため、経済力にも繋がってくる。それを敢えて切り捨てる理由はどこにもない。魔術も武術も有益なら両方尊重すべきなのだ。


「あ、お兄様! ここにいらしたのですね♪」


 ドレスのスカートを摘まみながら駆け寄ってくる銀髪の少女は、七歳に成長したアリアであった。妹であることを誇りたくなるような愛らしさだが、そう感じているのはリグゼだけで、エリシャの顔は引き攣っていた。


「お兄様、もしかしてお仕事中ですか?」

「坊やの妹さんだね?」

「は、はい」

「ただの雑談だから安心しな。それに話したいことは終わったからね。存分に坊やに甘えるんだねぇ……じゃあね、スクロールの話、考えといておくれよ」


 エリシャはそれだけ言い残して場を離れる。別れ際には、アリアにも友好的な笑みを向けていた。


(アリアに対する世間の風当たりが日増しに良くなっていくな)


 不貞の子や醜い子と育てられてきたアリアはもういない。聖女として尊重される存在になっていた。


(といっても、兄離れはできていないようだが……)


 いつの間にか、アリアがギュッとリグゼの服の裾を掴んでいた。彼女が独り立ちし、素敵な男性と幸せになるには、まだまだ時間がかかりそうだ。


「お兄様、もしお時間あるようなら、街に買い物でも行きませんか?」

「構わないが、欲しい物でもあるのか?」

「ふふ、ただお兄様と一緒にデートがしたいだけですよ♪」


 腕に抱き着かれたまま、領主邸から歩いてすぐのところにある目抜き通りへ向かう。大勢の人で賑わう街は、客引きの声が五月蠅いくらいに響いていた。


(アリアの実力なら心配無用だろうが、治安が悪化していると聞いたばかりだ。周囲を警戒しておこう)


 魔術師として立派に成長したアリアだが、精神的にはまだ子供だ。誘拐の危険もあるため、気を引き締める。


「お兄様、あれを見てください。とても可愛いですよ」

「クマの人形か。欲しいのなら買ってやろうか?」

「よいのですか⁉」

「子供が遠慮なんてするな」

「えへへ、お兄様からプレゼントを頂けるなんて、私は幸せ者です♪」


 店員に金貨を渡し、釣りはいらないと伝えると目を見開く。店員は格好からリグゼだと気づいたのか、素直に慈悲を受け取る。


(就職は上司の性格も大切だ。俺が優しい男だと噂が広まれば、優秀な人材が集まる可能性も高まる。魔術の研究も捗るというものだ)


 スクロールのおかげで資金には困っていない。多少の出費は惜しいとさえ思わなかった。


「このクマちゃん、大切にしますね♪」


 ギュッとクマの人形を抱きしめるアリア。彼女の喜ぶ顔が見られただけで、街にきて正解だった。


「お兄様、甘い匂いがしますね」

「りんご飴が売られているようだな……食べたことないのか?」

「食卓に出ませんでしたから」

「まぁ、貴族の食卓には縁のない食べ物だからな……よし、何事も経験だ。挑戦してみよう。りんご飴を二つくれ」


 注文すると、店員から棒に刺さったリンゴ飴を渡される。水飴でコーティングされた果実は食欲をかき立てるように、キラキラと輝いていた。


「初めて食べるのでワクワクしちゃいますね。お兄様も一緒に食べましょう」

「ああ……」

「歯切れが悪いですが、どうかしたのですか?」

「視線を感じてな」


 悪意ある誘拐犯かとも思ったが、視線の元をたどると、そこにいたのは子犬のように愛らしい茶髪の少年だった。


 リグゼが手に持つリンゴ飴を羨ましそうにジッと見つめている。何を求められているかをすぐに察する。


「この飴が欲しいのか?」

「い、いえ、別に……」


 遠慮とは対照的に、少年の腹の虫が鳴る。身体は正直だと、リンゴ飴を突き出すと、少年は恐る恐る受け取り、勢いよく頭を下げた。


「お兄様、どうして見ず知らずの子供に施しを?」

「ただの気まぐれさ」

「……お兄様のご寵愛は、私が独占したかったのに」


 嫉妬でムスッと頬を膨らませる。それが微笑ましくて、リグゼは笑みを零すのだった。

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