第二章 ~『命を捨てた強敵』~


「これほどの怪物とは……」

「怖いなら逃げたらどうだ?」

「先ほどとは状況が違います。ここでの逃走は計画の失敗を意味しますから」


 予想を上回る実力に恐怖しながらも、イグニスは退かない。彼も上級魔術師の端くれである。負けられない状況で簡単に撤退することはない。


「それにこちらにはリッチロードがいます。勝負はまだ分かりませんよ」


 シルバータイガーよりも上位の力を持つ魔物だ。その脅威を前にしても、リグゼから余裕は消えない。


「リッチロードが恐ろしくないのですか?」

「雑魚に怯える理由がどこにある?」

「リッチロードが雑魚ですか……」

「疑っているのなら、証明してやるさ」


 腰に差した刀に手を添えると、リグゼは助走なしで距離を詰める。一瞬で近づき、放たれた抜刀は、リッチロードの首を宙に飛ばしていた。


「たった一撃で……」

「この魔物の強さは盾となるリッチソルジャーがいてこそ発揮される。接近さえしてしまえば、個体としての強さはシルバータイガーに劣るからな」


 向き直ったリグゼは刀を上段に構える。その構えに隙は微塵もなかった。


「降参するつもりは?」

「ありませんよ」

「俺なりの優しさのつもりなんだがな」


 刀が振り下ろされ、風の魔術による刃が放たれる。イグニスは準備していたのか、合わせるようにオークを召喚する。


 盾となったオークの肉壁が袈裟斬りとなる。血を吹き出して倒れるオーク、その影にリグゼの姿があった。


「二度も同じ手を食らうかよ」


 イグニスにはオークの盾で一度逃げられている。その反省を糧に、彼は追撃の刀を振るう。白銀の刃が振り下ろされ、イグニスの腕が飛んだ。


「うぐっ……」


 腕が飛んだ痛みに、イグニスは奥歯を噛み締める。失った腕からの出血で顔色が青ざめていた。


「チェックメイトだな」


 リグゼは刀をイグニスに向けながら、《回復》の魔術で治療してやる。彼にはまだ聞きたいことがあるからだ。


「これで痛みは消えたはずだ。会話もできるな?」

「治療の感謝はしませんよ……」

「望んでない。それよりもドラゴンを使役する魔術師――パノラについて知っていることを聞かせろ」

「ふふ、よほど知りたいのですね……」


 その笑みには含みが隠されていた。


「あなたは強い。私よりも遥かに上です。しかし、あの人には到底及びませんよ」

「…………」


 パノラは全盛期のアリアでさえも互角の相手だ。言われなくとも、実力差は自覚していた。


「だからこそ情報を集めている。勝算を少しでも高めるためにな」

「私は何も教えませんよ」

「命を無駄にするつもりか?」

「無駄にはしません。帝国の魔術師は最後まで抗うのです」


 イグニスの目はまだ死んでいない。奥の手を隠しているとでも言わんばかりだ。


(ここからどうやって逆転する?)


 その方法を思案していると、入場門の扉が開き、丸々と太った男が馬に跨り駆けてくる。領主の座を奪おうと画策していたパンクである。


「民たちよ、怪物の討伐はこの私に任せろ!」


 物見櫓の上から様子を伺っている衛兵たちに、聞こえるような大声で叫ぶ。その一言で、リグゼはすべての筋書きを理解した。


「パンクを英雄にする算段だったのか?」

「聖女を亡き者にしたリッチロードを討伐すれば、その勇名を引き継げますからね」

「計画が失敗した気分はどうだ?」

「悪くありませんよ。将来、帝国の障害となる、あなたをここで倒せるのですから」


 イグニスが舌を噛む。口から血を吐き、命を落とした。


 勝てないと諦めた自害ではない。魔術師は命を犠牲にすることで、魔術の糧とすることが可能だからだ。


(いったい何が起きる……)


 膨大な魔力がイグニスの肉体から放出される。事前に設定してある魔術が、彼の死をトリガーにして発動するはずだ。


「おい、まさか私の出番はないのか⁉」


 リグゼの元まで辿り着いたパンクは、リッチロードの死体を一瞥する。計画が崩れたことを知ったのか、焦りが表情に現れている。


「どういうことなのだ、教えろ。イグニス⁉」


 その呼びかけに死体は応えない。だがリグゼは気づいていた。自らの命を犠牲にして発生させた魔力が、パンクへと集まっていることに。


「私の命令を……うぐぇ……ッ……」


 顔色を悪くしたパンクは意識を失い落馬する。白目を剥いたまま、ブクブクと泡を吹き、肉体を痙攣させていた。


(来るぞ!)


 魔術が起動し、パンクが骸骨の化物へと変貌を始める。大剣と鎧で武装し、体格は二回りほど大きくなっていた。


 魔術師の命は希少だ。それを犠牲にして発動した《使役》の魔術が、リッチロードよりもさらに上位種――リッチジェネラルを呼び出したのだ。


(ランクBに位置する力はあるか)


 ランクD以下とは文字通り強さの次元が違う。これだけの怪物を《召喚》の下位互換である《使役》で契約できたのは命を賭けたからだろう。


(支配権を上書きして俺のものにするか?)


 だが相手はランクCだ。リグゼといえども、確実に勝てる相手ではないし、貴重な実戦経験を得るチャンスでもある。


 強敵と巡り合わせてくれたことに、亡くなったイグニスに感謝する。リッチロードも、シルバータイガーも全力を出すほどの実力ではなかった。本気になれる相手の登場に、胸を高鳴らせながら刀を構える。


 リグゼとリッチジェネラルは息を合わせるように、刀を交差させる。力と力のぶつかり合いに火花が散る。


「あれがお兄様の力……」

「さすがは私の主人ですね」


 怪物との剣戟を繰り返す。音速を超えた刀と大剣の交わりは、常人では辿り着けない境地であった。


「本気で戦えるのがこんなにも楽しいとはな」


 サテラとの修行ともまた違う。命の奪い合いは戦場にいた頃を想起させた。ちょっとした失敗が命を落とすことに繋がる。その緊張感が彼を強くした。


「いつまでも戦っていたい。だが……」


 剣戟の数が千を超えたところで、徐々にリグゼが押し始める。魔物にはなくて人にはあるもの。それは学習能力だ。


 太刀筋を記憶し、行動を先読みすることで、リグゼに勝利の天秤が傾き始めたのだ。


「名残惜しいが、これで終わりだ」


 リッチジェネラルが大剣を振り下ろす。それをギリギリで躱すと、カウンター気味の横薙ぎの一閃で首を刎ねた。宙を舞う骸骨が決着を知らせる。


「やりましたね、お兄様!」


 駆け寄ってきたアリアが、リグゼに抱き着く。その光景を称えるように拍手が鳴った。コンキスタと物見櫓の上から闘いを見届けていた衛兵たちが拍手を送ったのだ。


「これで一件落着だな」


 リグゼは妹の無事を確かめるように、彼女の頭をゆっくりと撫でる。嬉しさを伝えるため、彼女は抱き着く腕に力を込めるのだった。


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