第二章 ~『オークの軍勢』~
人を襲う魔物問題を解決するため、リグゼは森に足を踏み入れていた。木の枝を踏みつける音を聞きながら、茂みを掻き分けて進む。
(狩人は多い。すぐに発見できるだろう)
契約している魔物は、遠隔からの指示もできる。十体を超える召喚獣がリグゼの手足となり、異変がないかを捜索していた。
さらに魔物の主であるシルバータイガーを経由することで、間接的に支配下の魔物たちにも命令も下せる。人海戦術によって結果はすぐに出るはずだ。
(さっそく来たか)
召喚獣の一体、レッサーウルフが壊滅したオークの巣を発見する。彼らは人間のように木材から家を建てる。それがすべて倒壊していたのだ。
(台風などの自然災害ではない。人を襲う魔物と関係があるかもな)
レッサーウルフの居場所は魔力パスを辿ることで把握できる。その場へ急行すると同時に、レッサーウルフにその場を離れるように指示する。
(相手はオークの巣を壊滅させた怪物だ。手持ちの駒を失うリスクはなるべく取りたくないからな)
特にリグゼの契約しているレッサーウルフは、同種族の他の個体と比較しても優れた能力を秘めている。保険をかける意味でも危険に晒したくなかった。
(ここがオークの巣か。酷い有様だな)
巣に辿り着いたリグゼは、手掛かりを求めて探索を開始する。破壊された材木が転がるばかりで、目新しい発見はない。
(いや、待てよ。逆に変だぞ)
住処が破壊されたのに住人であるオークの死体がないことに気づいたのだ。無抵抗で巣を明け渡すとも思えない。
(まさか……)
犯人の正体が頭に過った瞬間、背後に立つオークに気づく。豚顔の怪物は理性を失ったように唸り声をあげながら、拳を振り下ろす。
(今更オークに後れを取るものか)
サテラから教わった格闘術で、オークの拳の軌道を掌底で横にずらす。そのまま地面に叩きつけられた拳は、一撃で大地を砕いた。
(ただのオークではない。このパワーは《強化》の魔術だ)
オーク自身は魔術を使えない。そこから導き出される答えは一つだ。
「オークを従える黒幕の魔術師がいるな……巣を襲ったのも、自分の手駒を増やすためか……」
主であるシルバータイガーの命令より、《使役》の魔術契約が優先される。魔物が人を襲ったのも、魔術師の指示によるものだったのだ。
「どこの誰だか知らないが、俺を敵に回したんだ。覚悟はできているだろうな⁉」
腰から刀を抜き、上段からオークの肉体を袈裟斬りにする。鋼の肉体が切り裂かれ、血を吹き出す。そのまま意識を失って、膝から崩れ落ちた。
「手持ちの召喚獣がやられたぞ。近くにいるなら出て来いよ」
契約している魔物の異変を術者は察知できる。オークが敗れた理由を知るために、傍にいてもおかしくはない。
少し待つと、森の奥から人影が近づいてくる。パチパチと拍手を鳴らすのは、黒の外套を羽織った彫りの深い顔をした男だった。
「子供なのに素晴らしい腕前ですね」
「お前は?」
「私はイグニス。察しているとは思いますが、オークと契約していた魔術師です」
「それで、帝国の魔術師がエルド領に何の用だ?」
「はて? どうして私が帝国の人間だと?」
「召喚系の魔術はお家芸だろ」
「我が国の事情にお詳しいようですね」
「以前、こっぴどくやられたからな」
「ふふ、ご愁傷さまです」
イグニスの嘲笑に怒りが湧く。だがまだ襲い掛かることはしない。訊ねるべきことがあるからだ。
「質問だが、ドラゴンを従えるパノラという名の術師を知っているか?」
「その人に敗れたのですか?」
「まぁな」
「ふふ、なら答えは一つです。知っていても教える義理はありません」
「尋問は苦手なんだがな……まぁいい。なら質問を変える。オークを暴れさせた理由を教えろ」
「そちらであれば構いませんよ。どうせ手遅れですから」
イグニスは喉を鳴らして笑うと、背後にオークの軍勢を召喚する。すぐにでも暴れだしそうなほど目が血走り、殺気立っていた。
「これから私のオークたちが街道で暴れます。強化されたオークを止めるため、街は討伐隊を派遣するでしょう」
「…………」
「並行して、戦力が手薄になった街を我々の別働体が強襲し、銀髪の聖女を狙います。シルバータイガーを倒すほどの術者とのことですが、こちらには数の利がある。勝利の女神は我らに微笑むでしょうね」
イグニスは哄笑する。その自信の根拠は背後に控えるオークたちの軍勢だ。だが対するリグゼの余裕は崩れる様子がない。
「この程度の戦力で手遅れか。舐められたものだな……俺の前に手札を晒したことを後悔しろ」
リグゼは腰から刀を抜刀する。サテラから教わった居合の術だ。加速された剣先から風の刃が奔り、オークたちの身体を切り裂いていく。
ただの一刀で血を吹き出して倒れるオークたち。イグニスの背後には血と肉塊だけが転がっていた。
「オークの軍勢を一撃で……」
イグニスの背筋が凍る。眼前の少年が怪物だと理解したのだ。
「あなたはいったい……」
「エルド領の領主、リグゼだ」
「あなたが噂の……お飾りだと聞いていましたが、やはり噂は当てになりませんね」
イグニスは深呼吸して恐怖を振り払うと、怪鳥の魔物を召喚する。
「できるだけ遠くへ逃げなさい! いますぐにです!」
恐怖が伝播したのか、イグニスを爪で掴むと、美しい翼を羽ばたかせながら大空へと飛び立つ。雲一つない空へと舞い上がっていく姿を、リグゼは不敵な笑みを浮かべながら見上げる。
「逃がすかよ!」
上空に向けて、刀を振るう。風が吹き、空さえ切り裂く魔力の一閃がイグニスへと迫る。
「保険は残しておくものですね」
だが風の刃が命中する寸前に、イグニスは盾とするためのオークを召喚する。《強化》の魔力を集中させた肉壁は鋼よりも強固であった。
風の刃がオークを切り裂くが、距離が離れていることもあり、背後のイグニスまでは届かない。無事だったことに安堵し、彼は去っていく。
「さようなら、強き人よ。願わくは、二度と出会わぬことを祈ります」
捨て台詞を残して、遥か遠くの空へと消えていった。姿が見えなくては刃も届かない。リグゼは仕方ないと刀を鞘に納めた。
「やれやれ、だが問題はない」
敵の計画は崩れた。街には衛兵たちが残っており、コンキスタもいる。さらに修行によってアリア自身も大きく成長している。
簡単に敗れはしない。そう信じながら、街へ戻るために駆けだすのだった。
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