このゲームは性別《が》選べます

灰村

無性のこどもたち

 いよいよ性別を選ぶときがきた。

 俺は男と女、どちらになりたいのだろう?  そんなの、決まっている。

 俺は――。



 *


 こんな言い方をするとまるで年寄りのようだが、最近つくづく「子供の頃は良かったなぁ」と思う。

 男と女の区別なんてなくて、みんな同じように泥んこになって遊んでいた。一緒に凧揚げをしたりかくれんぼをしたり、毎日暗くなるまで。

 特にカエデの木がある公園は最高の遊び場だった。そこでならばずっと遊んでいられる気がした。しかし、いつも楽しい時間はあっという間だ。

 一日はすぐに終わってしまう。太陽が傾いてきたら、帰る時間だ。古ぼけたスピーカーから流れる、午後六時の物憂いメロディ。

 その音楽が鳴ると仕事を終えた母親たちが公園に迎えに来る。オレンジ色の夕焼け空に、どこかの家からただよってくる夕飯の香りをいまでも鮮烈に覚えている。気が付くといつもお腹はぺこぺこで、迎えに来た母親に「ねぇ今日の夕飯はなぁに」と訊ねるのが常だった。


 毎日楽しくて、まるで終わらない長い休みのような日々。

 そんな日がずっと続くと信じていた。


 *


「アトム。そろそろ帰りましょう。夕ご飯の時間よ」

 その日も俺は公園で遊んでいた。もう夜の帳が降りるころである。仕事を終えた母は、いつものように俺を迎えに来る。

 俺はまだ遊んでいたかった。今日はとびきり形の良い枝も見つけたし、砂の山だってまだトンネルが開通してない。でも、お腹も空いた。

 悩んだ末に俺は、渋々母のもとへ向かった。友達に手を振る。差し出された母の手を取った。母の手は暖かくて、水仕事で荒れていて、いつもカサカサしていた。

「ネネー。もう帰る時間だよ」

 友達のネネも母親が迎えに来たようだ。ネネの母は、とても綺麗な人である。長い髪がツヤツヤしていて、いつも良い匂いがした。ネネとよく似ていた。でも、ネネはネネのお母さんと全然違う。無口でほとんど喋らないやつだった。

「………」

「まったく、この子は本当に無口ね。ほら、アトムにバイバイは?」

 そう母親に促されて、ネネはやっと俺に手を振った。

「バイバイ、ネネ。また明日な!」

 また明日ね。無口なネネは口の動きだけでそう返した。

 明日も、その次も。

 この先もずっとそうやって、毎日が過ぎていく。そう無邪気に信じていた。あのころは、本当に良かった。


 *


 いつも無邪気に公園で遊んでいた俺たちは、いつの間にか十二歳になっていた。そろそろ自分の将来の性別を意識するころである。学校でも頻繁に性別についての授業があった。

 そしていよいよ自分の性別の希望を出す日である。

「性別希望調査票だって」

「どうせアトムは男だろ」

「あったりめーだろ!」

 クラスのやつらとゲラゲラ笑いあった。俺は当たり前みたいに性別希望票の「男・女・わからない」のうち、「男」に大きく丸をつけた。


 ここは、宇宙にいくつかあるコロニーのひとつ、ツリーホロウの街。

 その名前の通り巨大樹の幹にできた樹洞(ツリーホロウ)の中にあり、蜂の巣のようにみっしりと樹洞の壁に沿って縦横に住居や学校、病院が作られている。

 俺はその中の小学校に通っていた。

 人類が生まれながらの性別を失くして早数百年。

 性が未分化で生まれる俺たちは、子供のうちに男女どちらかの性へ分化する。生まれたときは、完全に無性だ。

 それが環境や本人の意志で男女どちらかに変わっていく。どちらになるかはおおむね半々で、街の人口も約半分が男、半分が女だ。

「えー、ネネは『わからない』なのぉ? 意外ぃ」

 教室の後ろのほうから、そんな声が聞こえてきた。

 このクラスで一番【女らしい】シューイだ。

「女になろうよ。女でいいじゃん。絶対女のほうが楽しいよ」

「…………」

 シューイは早口でそうまくし立てる。前髪の奥で、ネネが困ったようにシューイを見上げていた。ネネの瞳は綺麗な琥珀色なのだが、普段は前髪に隠れていてほとんど見えない。

 ――隠さなきゃいいのに、と俺は思ってる。せっかく綺麗なんだから。

「おい、シューイ。やめろよ、そういうの」

 俺はでかめの声でそう言った。

「別にいいだろ、どっちになっても、そいつ本人の自由だ」

「えー? なにぃ、嫉妬ぉ? あたしの方がネネと仲良しだから?」

 シューイが嫌味っぽくクスクス笑った。こういうところが、こいつはすごく【女】っぽい。きっとこのままこいつは女らしく、女の良いところと悪いところを両方持った大人になるのだろう。

「ちげーよ。まだ俺だって本当に男になんのかわかんねーし、ひょっとしたら女になる可能性だってあるだろ」

 それを聞いて、俺の周りにいたやつらがドッと笑った。それはそうだ。俺は短く刈り込んだ髪型といい、粗野な話し方といい、どこからどう見ても【男】の側だ。まだちんこが生えていないのが不思議なくらいである。そんな俺が女になったら滑稽である。

 それを承知で俺は果敢にシューイみ挑みかかった。

「シューイだって、男になるかもしれないじゃん」

 そう言うと、シューイは毛虫でも踏んだような顔で「うげー」と言った。

「男なんて絶対イヤ。可愛い服も着れないし、体もごついし、毛深いし、サイテー」

「あっそ。ならお前はせいぜい頑張って女になれよ」

「あんたに言われなくてもなるわよ」

 ふふん、と鼻を鳴らす。シューイは頭のてっぺんで結んだ髪を意気揚々と揺らした。

「女のなかの女に、ね」


 *


 シューイにはああ言ったが、俺は実のところどうやって男や女になるのかさっぱりわかっていなかった。ある朝目が覚めると、体が男になっているのだろうか。それとも、徐々に声が低くなり、体がごつくなっていくのだろうか。

 学校ではまだ性分化について詳しく教えてくれていなかった。いつもそうだ。学校というところは、本当に知りたいことは教えてくれはしないのだ。


「アトム、お帰り」

「ただいま、母さん」

 その日、俺が家に帰ると母さんが夕飯の支度をしていた。

「何か手伝おうか」

「じゃあサラダ作ってくれる?」

「うん」

 俺は手を洗うと、煮込み料理のための野菜を切る母さんの横でサラダを作り始めた。サラダは火を使わないので簡単だ。味は適当につける。冷蔵庫にあった市販のドレッシングを適当にかけた。シーザーというかつて母星にいた皇帝の名前は、俺たちにとっては単なる記号でしかない。

「学校はどうだった?」

「普通。お母さんは?」

「そう、お母さんも普通」

 ふふ、と俺たちは声を揃えて笑った。俺たちは、仲の良い母子だと思う。

(でも、もし俺が『息子』にチェンジしたら変わるのかな)

 そんな不安が少しあった。母が女の子を欲しがっているのは、知っていたから。


 母星にも、男ばかり産まれる家系と女ばかり産まれる家系があったらしい。

 俺が産まれたのは、産まれた子供が男になりやすい家系だった。だから名前は、アトム。男名だ。

『あんたは強い男の子になるんだよ』

 父方の祖母は繰り返し俺にそう言っていた。彼女の孫は俺ひとりで、大層可愛がってもらったがそのぶん期待も重かった。

『この家はあんたが継ぐんだからね。女の子になんてならなくていいからね』

 その言葉は優しいようで強く、祖母がくれるお菓子のように時代遅れでねっとりしていた。

 母はそんな祖母とはソリが合わないみたいだった。女でも家は継げるし、男になるのが幸せとは限らないと言っていた。

『アトムは好きなほうになって良いんだよ』

 母はよくそう言った。

 母は性別に縛られた考え方が好きじゃない。そして、女になることを選んだ。きっと何か理由があるのだろう。

(でも俺は――女の子にはなりたくないんだ)


 俺は男になりたい。


 ネネはきっと、女になるだろうから。



 ネネ。美しくて無口な、俺の幼馴染。ネネは俺と似ていた。

 男ばかりの家に産まれて、上には歳の離れた兄が七人いる。でも俺と違って、次こそは女の子だと期待されて育った。熱望されていた、と言ってもいい。

 両親と七人の兄にまるで手中の珠のごとく可愛がられ、女らしい名前をつけられ、ぬいぐるみや着せ替え人形ばかり与えられ、ひたすら『可愛いらしく』なるようにと育てられた。それはまるで、真珠貝が長い時間をかけて砂粒から丸くて美しい真珠を作るのに似ていた。

 ネネは可愛い子供だった。

 ピンクブロンドの髪に、瞳は琥珀色。肌は青みがかって見えるほど白くて、手足が長くて、鼻が高くて、幼さのなかに凛とした貴族的な顔立ちをしている。

 でも男兄弟と育ったせいか大胆なやつで、木登りや探検のときに一番率先して動くのがネネだった。

「ネネはさ、女になりたい?」

 小さいときに、ネネにそう聞いたことがある。たぶん俺たちは、五歳か六歳くらいだった。

 ネネはキョトンとしていた。

「なんで?」

「いや、だっていつもお前のお母さんがそう言ってるし」


「アトムはさ、ひとに言われたら女になるの?」


 ハッとした。

 ネネは時々、ものすごく大人びたことを言う。

「あ、いや……」

 口ごもった俺は、そのあとなんと答えたのか覚えていない。きっと、何も言えなかったのだろう。今だって、ちゃんと言えるかわからない。


『アトムはさ、ひとに言われたら女になるの?』


 その言葉は、今でも俺の心の深いところにすっと刺さった。


 *


 先生が黒板の前に立っていた。

 たくさんの子供たちに対して先生はいつもひとりだから、なんだか淋しげに見える。子供たちはそんな先生を眺めながらそれぞれお行儀良く自分の席に座っていた。

 担任のヨシダ先生は独身だ。

 野暮ったいシャツを着て、度の強い眼鏡をかけている。男なのか女なのかよくわからない人だ。

 縮れた髪をポリポリ掻きながら、ヨシダ先生は言った。

「えーと、このまえ配った性別希望調査だけど、あれはあくまで調査だからそんなに気にしなくて良いです。これに男って書いたから男になるわけではないし、女って書いたから女になるわけでもないから」

 えー、という声が上がった。それはそうだろう。だったら、なんのために希望を取ったのだ。

 お調子者のカズがすっと手を上げた。先日俺に「アトムは男になるんだろう」と言ってきたやつだ。

「じゃあ、いつどうやって俺たち男になるか女になるか決まるんですかー?」

「あー、うん……。それねぇ、先生もよくわからないんだけど、環境因子とか遺伝子とか、あと『選択肢』って言う人もいるねぇ」

「選択肢?」

 ナニソレ、と子供たちは首を傾げる。

「そう、選択肢。例えば今日はりんごを食べるかぶどうを食べるか、みたいな」

「はぁ? そんなんで性別って決まるのかよ」

「いや、これは例えだよ。食べ物が性分化を促すと決まったわけじゃない。でも男らしく行動していたら男になっていた、女らしく行動したら女らしくなったっていう話は聞くから、早めに自分がどっちになりたいか考えておくことは決して悪いことじゃないよ」

 ヨシダ先生が、くい、と眼鏡を上げた。

「こうすれば絶対男になれるとか、女になれるとかはない。自分の希望した性別にならないこともあるし」

「先生ぇー」

「はい、シューイさん」

 今度は手を上げたシューイだ。今日は長い髪を、エメラルド色のリボンで結んでいる。

「あたし、甘い物を食べると女の子になるって聞いたんですけど」

「あー……、それはお年寄りがよく言うやつだね。迷信みたいな物だけど」

 実際に、とヨシダ先生は続けた。

「食べ物で性別が決まる生き物もいる。代表的なのが蜂で、ローヤルゼリーを与えられた幼虫は女王蜂になる」

 教室がどよめいた。

「いいかい、蜂はほとんどがメスだ。幼虫は卵から孵った時点では女王蜂になるか働き蜂になるか決まっておらず、与えられる餌によって卵を産む女王蜂になるか働き蜂になるか決まるんだけど、生まれたときにはどっちになるか決まっていないんだ。蜂や蟻の場合は受精卵からメスが生まれて無精卵からオスが生まれる半倍数性という特殊な生殖方法をとっているからね」

 急に生き生きしはじめたヨシダ先生は、一気にそこまで喋ると急に我に返ったようだった。

「ま、詳しくは今度理科の時間にやろうかー」

 先生がそう言った時、ちょうど鐘がなった。

「じゃあ今日はおしまい。みんな気をつけて帰りなよ」



「なぁ、さっきの先生の話、本当かな」

「どうだかなー。でも蜂が食べ物で女王蜂になったり働き蜂になったりするのは本当らしいぜ。本で読んだ」

「マジか」

 俺はカズと一緒に帰り道を歩きながら、先程のヨシダ先生の話を思い返していた。

 カズも性別は男が希望だ。女になんて絶対なりたくないと言っていた。母親が妹を産むときに亡くなっているからだ。妊娠や出産なんて絶対に無理だと言っていた。

「でもさ、どっちになるか分からないんだろ? じゃあ俺たちがどっちになりたいって言っても、勝手に決まるんじゃどうしようもないじゃん。俺てっきり男になりたい! って言えば絶対男になれるんだと思ってた」

 やだなぁ、とカズが呟く。

「そんなことなら、最初から男と女どっちか決まってればよかったのに」

「でもそれじゃ面白くないんだろ」

「えー、なんだよそれ」

 コツン、とカズが俺の肩を小突く。

「じゃあお前は女になっても良いのかよ」

「よくねぇよ。だから俺、これから男らしくするわ」

 そうヨシダ先生も言っていた。

 行動によって性別が決まることもあると。

 だったら、男になるように動け良いのだ。うん、この考え方、男らしいと思う。

「俺、早く男になりたい」

 性分化はだいたい十三歳から十六歳の間で起こる。もっと早い場合と遅い場合もあるらしいが、国の調査では九十八パーセントの人間がその期間に性が決定するらしい。

 俺は今、十二歳。だから今がチャンスだった。

「よーし、頑張るぞ」

 それから俺は、男らしくなるべく行動した。誰よりも積極的に活動して、人の嫌がることだって率先してやった。人には優しく。自分に厳しく。

 俺はますます【男らしく】なっていった。

(シューイが言っていたことを気にしたわけではないが、なるべく甘い物は食べないようにした。だって、本当に女になったら困るから)

 しかしそれが裏目に出るとは、知るよしもなかった。


 *


 季節は巡り、春になった。

「アトムー。ネネちゃん来てくれたわよ」

 今日は中学校の始業式。それを俺は、欠席した。

「アトムー?」

 自慢じゃないが俺は小学校は皆勤賞だった。それなのに初日から休むなんてと母は言ったが、ごねたら結局休ませてくれた。

 だって、行きたくなかったのだ。

 中学校は、小学校からの持ち上がりだ。ほとんどメンバーの入れ替えはない。人口の少ないツリーホロウでは一学年は一クラスしかなく、ネネとも同じクラスのはずである。


 俺のことをよく知るクラスメイト。それに、ひそかに想いを寄せるネネ。

 誰とも顔を合わせたくなかった。


「ごめんなさい、アトムったら」

 母親がネネに謝っている声が聞こえてくる。玄関は階段のすぐ下で、俺の部屋は二階に上がったところなので階下の声は筒抜けだった。

「今日はどうしても学校に行きたくないって言うのよ」

 ネネの声は聞こえなかった。なにか言ったのかもしれないし、言っていないのかもしれない。ネネは極端に無口なやつなのだ。

「それにしてもネネちゃん、髪切ったのね。似合うわ」

 ネネが髪を切った?

 俺は驚いてしまった。部屋で膝を抱えなから、ふっと顔を上げる。

 ネネの髪は今まで一度も切ったことがないのかと思うほど長くて、いつも綺麗に手入れされていたのに。なにかあったのだろうか。

「良かった、上がっていって。アトムもネネちゃんなら話してくれるかもしれないわ。部屋に籠もったっきり、何も私には何も教えてくれないの」

 母はそう言って、ネネを家に上げた。靴を脱いで、誰かが階段を登ってくる。母はキッチンに行ったようだ。俺は気配に体を固くする。

(嫌だ、帰ってくれ!)

 トントンと階段を上がる軽い足音。まるで殺人鬼に追い詰められてるみたいに、俺は毛布を被ってガタガタ震えた。


 足音がドアの前で止まった。ノックが三回。

「アトム」

 ネネの声は、しゃがれたおばあさんみたいな声だった。

 え、と思う。

「プリント持ってきたよ」

「……」

「ここ、置いておくね」

「ネネ?」

「うん」

「ネネ、どうしたんだよ! その声!」

 俺は思わず扉を開けそうになった。だって、ネネは声だって誰より澄んで綺麗だったのに。

「なんでもないよ。ただの声変わりだから」

「声、変わり……?」

 それってつまり……?


「うん。僕、男の子になったんだ」


 弾んだ声。表情は見えないはずなのに、扉の向こうでネネが確かにほほ笑んだ気がした。


「え……?」

 俺は混乱した。だってネネは誰よりも可愛くて、男の子ばかりの家で女の子になるべく育てられていたのに。

「うん、びっくりするよね。でも、僕はずっと自分が男になると思ってたよ」

「僕って……ネネ! いいのかよ、お前、お父さんとお母さんは」

「ああ」

 梅干しみたいにしわしわの声で、ネネはこともなげに言い放った。

「そんなの、関係ないよ。それとも、アトムはまだ親の言う通りの性別になる気なの」

「うっ」

 俺は言葉に詰まった。

「でも、やっぱり、俺は」

 おばあちゃんの期待を、両親のかけてくれた愛情を、裏切れない。


 コンコン、と再びネネが扉を叩いた。

「アトム。ここ開けてくれない?」

「や、やだ!」

「どうして? 」

「だって」

「ひょっとしてさ」

 ネネはいたいけな鼠をいたぶる猫の残酷さで、俺に言った。


「女になった?」


 その瞬間、熱風にでも当たったみたいにカッと顔が熱くなった。同時に、脂肪のつき始めた俺の二の腕が揺れた。

「ねぇ、見せて。見たい。アトム」

 コン、コン、と扉が叩かれる。扉の先にはネネがいる。男になったネネが。

「俺も見せるから」

 普段寡黙なネネがこんなに喋るのは珍しい。

 それだけネネが本気なのがわかった。長い付き合いだが、こんなに熱心なネネは見たことがない。

「見たくない? 僕ちんこあるよ」

「〰〰〰〰っ! ばかっ」

 俺はネネをひっぱたくために扉を開けた。なんてことを言うのだ、こいつは。

「やっと開けてくれた」

 ネネは俺と目が合うとふわっと柔らかく微笑んだ。春風のように。

 そのピンクブロンドの前髪から覗く琥珀色の瞳が綺麗で、男くさくて、大好きで、俺は何も言えなくなってしまった。


 *


 俺たちは子供部屋の床に、まるで道端の露天商人のように座りこんだ。すぐそこにはベッドがあるが、そこに座る気にはなれなかった。

 気持ちが落ち込んでいるときは、床に近いほうが落ち着くのだ。

「ネネ、本当に髪切ったんだな」

 俺は改めてネネを観察した。腰まで伸ばされた髪はばっさりと切られ、目を覆っていた前髪も切られている。ネネの整った顔立ちがよくわかった。

「うん。もういいかなって」

 髪が短くなったことによって、ネネはうなじが丸見えになっていた。首も記憶にあるものよりも、幾分太くなっている。

 何よりつるんとしていた喉の中央が出っ張って、【男】の特徴である喉仏が出始めていた。

 俺が焦がれて、手に入れられなかったものだ。

 ネネは老人のようにしゃがれた声で言った。

「アトムは可愛くなったね」

「可愛くなんかねぇよ」

 俺はぶすっとして膝を抱える。

「ふふ、可愛い可愛い」

 ほわほわと花を飛ばしながらそんなことを言うので、俺はますます惨めな気持ちになった。

 可愛くなんてなりたくなかった。

 男らしくて、かっこよくなりたかった。

 なのに、体はどんどん餅のようにふっくらと柔らかく、丸みを帯びてくる。

 勝手に自分の体が作り変えられていくのは不快だった。まるで蛹を破った成虫が最初に見た己の変化に戸惑うように、俺は自分の体が【女】になっていくことに耐えられなかった。

 俺は自分の体が、嫌でたまらない。

「畜生。なんだって俺は女になっちまったんだ」

 ギリギリと奥歯を噛んで悪態をついた。今日一日、ずっとその調子である。

 今朝急に女になっていた俺には、そうすることしかできなかったのだ。

「そんなの、『選択肢』を間違ったからだよ」

 ネネはこともなげに言った。俺は「はぁ?」と首を傾げる。

 選択肢。

 そんなもの、どこにあったというのだ。

「あったよ。僕らの生活のいたるところ、選択肢だらけだ。例えば今日は青い服を着るのか、赤い服を着るのかもそう」

「そんなの、関係あるわけないだろ」

「あるよ。周りから良いやつと思われたいのか、誰に好かれたいのか、困ってる人がいたら扶けるのか助けないのか。僕たちは社会的な動物だから、周囲との関わり方で社会の構成員としての役割が決まる。巣の中で王様蜂には王様蜂の、女王蜂には女王蜂の役割が、働き蜂には働き蜂の役割があるようにね」

 そうだなぁ、とネネは自分の顎に手を当てた。

「さしずめ、アトムの場合は男になろうとして過剰に気配りしすぎたのが『好感度』を高めちゃったのかな」

「だから、なんだよその『好感度』って」

「性別を決めるパロメーターみたいなやつ。って言っても、僕も親の研究の話を聞きかじっただけだけど」

「ネネの親って確か、どっかの研究者で働いてるっていう?」

「そう。性分化の研究者。最近ね、やっとわかってきたんだって。僕らの性別がどうやって決まるのか」

「なんだよ……じゃあネネは知ってたんじゃねぇかよ。どうすれば男になるのか」

「うん、本当に自分が男になるまでは半信半疑だったけどね」

 そう言って、ネネは俺の顔をじっと見た。顔が薄っすら赤くなっていて、目がきらきらしていた。


「そっか」

 なんだかよからぬ雰囲気に、俺は尻がむずむずした。ただでさえ、昨日までの俺たちではないのだ。俺は女で、ネネは男。部屋にふたりっきり。

 あれ、これってひょっとして、少しまずいのではないか?

「僕はアトムが女の子になってくれて嬉しいよ。だって僕は男の子になりたかったし」

「えっ、そうだったのかよ」

「うん」

「アトムが女の子になったら、結婚してずっと一緒にいたかった」

「はぁ?!」

「男同士だったら兄弟みたいにずっと一緒にいるのも良いかなって思ってたんだけど」

「なんだそりゃ」

「だって兄貴たちのこと見てたら男同士って楽しそうだし」

「それは俺もそう思う」

「でもね、男と女だったら付き合ったり結婚したりできるでしょう?」

 それを聞いて俺は頭を抱えた。いきなりそれはさすがに飛躍しすぎではないだろうか?

「アトムは嫌? 僕、結構お買い得だと思うんだけど」

 うぐ、と言葉に詰まる。確かにネネは顔は綺麗だし、浮気とか絶対しなそうだし、なにより小さい頃から側にいて誰より俺のことを理解している。

 それに、俺だってネネのことを憎からず思っていた。

 だからそんなことを聞かれたら、答えは決まっている。

「い、嫌じゃない……」

「!」

 ネネの瞳がくわっと見開かれた。いつもの二倍くらいの大きさになる。

 びっくりした時の猫みたいなその表情に、俺はおかしくなって笑ってしまった。



「それにしても、母さんになんて言おうかな。俺、昔から散々男になるって言ってたし」

「あ、それならお母さん知ってると思うよ。アトムが女になったこと」

「えっ!? なんで?」

 どういうことだ? 俺はそんなこと、一言も言ってないのに。

「さっきお赤飯の用意するって言ってたし」

「ちょっと、お母さんー!? 恥ずかしいからやめてー!」

 げに恐ろしきは女の勘というやつだろうか。

 俺はネネと一緒に階段をバタバタと駆け下りた。



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