魔女さん喰らえ!

@ryuu-ron

魔女さん喰らえ!

一人の少女が、台所で立ち竦んでいた。

少女の名前はグレーテル。目を一杯に見開いて、恐ろしい魔女と相対していた。

飢饉に襲われた夏、継母の計略によって森に置き去りにされた、二人の兄妹。親に棄てられたばかりか、魔法の森に囚われて、お菓子の家に誘い込まれた。そこで待ち受けていたのは、恐ろしい魔女だったのだ。

彼女を支え、助けてくれる筈の兄は、頑丈な檻に押し込められている。

「何をするんだ、出せ! くそっ、グレーテル、なんとかしてお前だけでも逃げるんだよ!!」

魔女がけたたましく嗤う。魔女は小柄で、醜かった。老いて皺だらけだったが、ややふくよかな体系で、頬の上だけがぷっくりと肌が張り、艶やかに見えるのが、ひとしおに気味悪い。

「お菓子の家に釣られた、馬鹿なガキ! さあ、うんと御馳走を作って、兄さんに食わせてやるんだよ。この坊主に、脂が乗りに乗ったところで、おばあさんが食っちまうんだからな!」

「なによ! お菓子の家を作り出せるんだから、そんなこと自分でやったら良いんだわ!」

グレーテルは咄嗟に言い返した。恐怖に震える足をなんとか踏ん張って、魔女の思惑通りにはなるまいと、最後の抵抗を試みたのだった。

魔女はわなわなと肩を震わせた。

「あたしはお菓子しか作り出せないんだ」

「それで構わないんじゃなくって?」

グレーテルは、魔女を言い負かせられたかに見えた。けれどそれは大きな間違いで、魔女は目を吊り上げて杖を振り回した。

「この――とんでもない、図々しい、愚か者め! ずうっとお菓子ばかり食べればいいなんて、お前もそんなふしだらなことを考えるガキか。お菓子ばかりで太ったガキがどんなに不味いか、グズには分かりっこないんだ!」

「ひいっ。やめて、ぶたないで」

魔女の杖で打たれるグレーテルに、兄ヘンゼルは、もどかしく訴えた。

「グレーテル、言われたとおりにするんだ。グレーテル!」

ヘンゼルは泣きながら水を汲み、料理の準備を整えた。

魔女の家の食糧庫には、ジャガイモに塩漬け肉、それからパンがあるっきり。これでどうやって”うんと御馳走”を作ってやれと言うのだろう?

グレーテルは、産みの母が存命だった頃、まだ国が飢饉に襲われる前、食卓に並んだ御馳走を思い出す。新鮮なレタスのサラダ。お豆のシチュー。鶏肉のローストはハーブの香りがして、パンにはバターをつけて食べた。デザートには果物の蜂蜜煮が出た。

「ああ、可哀想な兄さん。これからきっと残酷な目に遭うのに、ほんとの”御馳走”を食べることは叶わないんだわ!」

グレーテルは鼻をすすりながら、泥付きのジャガイモを洗った。泥水を捨てるために外へ出たとき、井戸の裏の茂みが目に入った。

「まあ、クレソンだわ」

グレーテルは、夢中でそれを摘んで、エプロンに包んだ。ふと顔を上げると、魔女の家の屋根の上に、一羽のカラスがとまっているのが目に入る。片足で掴んださやの中から、くちばしで豆を取り出そうとしているようだった。

「わっ」

グレーテルは、思い切って大声を出した。カラスは驚いて飛び去り、手放された豆のさやが、こつんと地面に落ちる。グレーテルが駆け寄って拾い上げると、それは茶色く枯れたインゲン豆で、ひとさやに7粒も入っていた。

「やかましい! 何をしているんだい」

家の中から、魔女が出てきて怒鳴りつける。グレーテルはもごもごと謝って、盗み食いがばれた猫のような気持ちで台所に戻る。

「グレーテル、大丈夫かい? 外で怖いことがあったのか?」

「ううん、その逆よ。兄さん、きっと御馳走を作るから、待っててね」

台所のことは、産みの母から何もかも仕込まれていた。グレーテルは物置からはかりを引っ張り出して、材料を計量する。

塩漬け肉の塩分2%くらいだろうか。一日の食塩摂取目安量は9g未満。今日はまだ何も食べていないから、大まけにまけて塩分当量5g分くらい摂っても良いだろうか。100gを切り出す。これは厚切りのままソテーにする分で、これとは別に、スープに入れる分も20gだけそぎ落す。

じゃがいもは大きいのを1つ、インゲン豆は7粒全部。クレソンはうんとたっぷり、80g。最後にお水を130g。

さあ、お料理を始めよう。グレーテルは、何よりもイの一に、インゲン豆を水に浸した。「あらあ、このお鍋ったら焦げが付いてるわ」などと言っては時間を稼ぎ、十分にインゲン豆がふやけたら、ようやく、スープ作りに取り掛かった。

お鍋にふやけたインゲン豆と、ジャガイモ、お水を入れて火にかける。同時に熱し始めたフライパンには、塩漬け肉の脂をこすり付けて、100gの大きな一切れを焼いていく。スープが煮立ってきたら、塩漬け肉の切れ端を加える。そうしているうちにフライパンのお肉が良い具合に焼けてくるから、ひっくり返して両面焼きに。お肉が焼けたらお皿に取り出して、そのままのフライパンでクレソンをさっと炒める。

お肉のソテーに炒めたクレソンを添えて、お椀に具沢山のスープを盛って、丸パンをふたつ、小皿に取った。食べ盛りの兄さんのための、久しぶりの、ほんとの御馳走が出来上がった。

「お待たせ、兄さん。あがってちょうだい」

ヘンゼルは檻の中で涙ぐんだ。お腹を空かせて彷徨う森の中、何度も思い焦がれたものが目の前にあるのだ。

「ああ……なんてことだろう。これは夢じゃないだろうか。ここは地獄のような場所のはずなのに、なんて素晴らしい御馳走だろうか。グレーテル、お前も半分、おあがりよ」

「このガキめ、肥えるのはヘンゼルだけで十分だよ!」

魔女ががなり立てるので、グレーテルは肩をすくめた。

「あがってちょうだい、兄さん。私は檻に入れられていないってことだけで、お腹いっぱいに幸せだわ」

すまない、と言ってヘーゼルは食事に手を付けた。次第に、貪る様に食べ進めた。グレーテルは強がったものの、空きっ腹がきゅうきゅう鳴った、そしてなんと――魔女の腹まで!

「んん……随分、うまそうじゃないかい」

魔女は、ヘンゼルに指を差し出すように命じた。檻の隙間から差し出されたそれを、魔女はさっと掴んだ。

「何をしている?」

ヘンゼルが気分を害した風に訪ねると、魔女は答える。

「お前が肥えたかどうか、確かめているんだよ。あたしは目がぼやけるからね」

グレーテルは鼻で笑った。

「どんな御馳走を食べたって、すぐさま太るものじゃないわ」

「残念だねえ。ああ、腹が減ってもう仕方がない。ヘンゼルが肥えるにはまだ当分かかるようだし、グレーテル、同じものをこのおばあさんにも作んなさい」

魔女は、目を半分閉じて誤魔化していたが、瞼の奥ではらんらんと、飢えの眼差しが光っていた。前歯と犬歯の間から、涎が一筋つうっと垂れて、魔女のつま先の間に銀色の糸を引いた。グレーテルは思わず息を呑む。魔女がお菓子しか作り出せないのは、きっと本当に本当なのだ。自分自身の食事にさえも。

「作るのは構わないけど、もうお豆が無いわ」

「なんだって?」

「スープには、カラスが運んできたお豆を入れたの。だけど全部使ってしまったわ」

「そんなこと。この森の動物はみんなあたしの使い魔さ。そうら、カラスよ来い、豆持って来い」

魔女が呼ばわると、一羽のカラスが窓から飛び込んできて、インゲン豆のさやをひとつ、落とした。

「さあ、作んな」

「ええ、作るわ。おんなじのを」

グレーテルは呟くように答えた。塩漬け肉を100gと20g、丸パンもふたつ。魔女は大喜びでそれを平らげた。

「褒美に、グレーテルにもパンを食わせてやろう。明日も作れ。あたしの分も作れ。ヘンゼルに食わすのとおんなじ御馳走を!」

「ええ、ええ、でも色んな材料が必要だわ」

「森の動物たちに持って来させよう。いいか、グレーテル、作るんだ!」

「わかった、作るわ」

魔女は知らないのだ。食べ盛りの兄さんのためにあつらえた御馳走を、よぼよぼの魔女が食べ続けたら、しまいにはどうなるかってことを。お菓子しか作り出せない魔女には加減が分からないのだ。肥えていくのは魔女が先だ。そうして、魔女が太り過ぎて死ぬのを待って、ヘンゼルとグレーテルはまんまと逃げ出すだろう!

「兄さん、体操が好きだったわよね。檻の中でも体操はできるわ。きっと心が慰められるわよ」

檻の中でじっとしていては、ヘンゼルが太りすぎてしまう。グレーテルは、兄に釘を刺すのを忘れなかった


翌朝。グレーテルは魔女に言った。

「今日は卵とトマトを炒めて、セロリのスープ、それからお魚のフライなんてどうかしら?」

魔女は目を剥いて、イライラと杖を振った。

「図々しい、本当にとんでもないガキだね! 材料を増やすのは一日につき一種類ずつだけだよ!」

「どうして? 御馳走のためよ」

「うるさい、うるさい!」

魔女はキイキイと甲高い声を出した。魔女って、案外、できないことも多いんだわ、とグレーテルは考えた。

「どうしましょう、考えたものが丸つぶれだわ。昨日とおんなじ献立じゃ、食が進まないし……」

困り切ったグレーテルに、檻の中から、ヘンゼルが言う。

「一種類だけと言うけれど、じゃあ、バターは手に入るか?」

「もちろんだとも。あたしのネズミが牛舎に出掛けて行って、上手くやるさ」

「小麦粉も、きっと、あるね」

「そうとも。お菓子の家を作るのに、いつでもたっぷり使うさね」

「グレーテル。クロケットはどうかな?」

「クロケット?」

グレーテルは聞き返す。初めて聞く料理だった。

「ジャガイモを茹でて潰したら、薄く削いだ塩漬け肉でそれを包んで、パン粉をまぶしたら、バターで揚げ焼きにするんだよ」

それを聞いた魔女は、欲望に目を輝かせた。グレーテルは手を叩いて喜んだ。

「わあ、目先が変わって良いわね。凄いわ、兄さん」

「僕はグレーテルより年上の分だけ、母さんが作ってくれた料理を色々知っているんだよ。口を出すことしか、できないけれど」

ヘンゼルははにかんだ。グレーテルは檻の隙間から手を差し伸べて、兄の頬に触れる。

「百人力だわ、兄さん」

それから、ちらっと魔女を見て、「メイン料理のお肉が少ない分は、スープに多めの塩漬け肉を入れましょう」と付け加えた。

今日はゆっくり準備する暇があったので、グレーテルはしっかり計算した。

まずは材料を一人前当たり量る。クロケットは塩漬け肉を40g、ジャガイモを正味110g、衣にする小麦粉は7.2g、パン粉を6g。スープに入れる塩漬け肉も40g、クレソンを25g、お水を130g。食パンを1枚つけたら、摂取カロリーは634Kcal、塩分当量は5.5gになる。魔女の推定エネルギー必要量は1.450Kcalだから、太らせるには良い具合のカロリーだ。塩漬け肉のせいで、しょっぱすぎるのが悩みどころではある。


また明くる朝。グレーテルはまずヘンゼルに相談することにした。

「今日は魔女にレタスを用意させようと思うの。パンにレタスと塩漬け肉を挟んで、ジャガイモはバターで黄金色に揚げるのよ」

「それもいいけど」

ヘンゼルは思案していた。

「骨付きの鶏肉が必要だ。骨付きのやつがね」

兄の目配せを受けて、グレーテルはすぐさま、聞き耳をそば立てていた魔女に、骨付きの鶏肉を要求した。

グレーテルは、骨付きの鶏肉を塩漬け肉で巻いて、オーブン焼きにした。ジャガイモとクレソンは肉の付け合わせ。食パンにはバターをたっぷり塗った。

鶏もも肉が骨付きで200g、塩漬け肉は20g。ジャガイモは正味で39g、クレソンは8g。食パンは一切れ60g、バターは8g。しめて650Kcal、塩分当量は3.7g。グレーテルは密かに、兄に出すパンのバターは、ごく薄く塗った。

ヘンゼルは、魔女と同じ献立を平らげた後、指の代わりに鶏の骨を差し出した。

魔女は気付かず、骨を握って太さを確かめ、首を振った。

「まだまだ、道のりは遠いね。グレーテルの料理も悪くないけれど、よく肥えた人間を早く食べたいものだよ」

「あなたの心が凌げるように、私、頑張るわ」

グレーテルはぽつりと呟いた。


グレーテルは、魔女が安楽椅子の上から動かないように、できるだけのことをした。掃除もしたし、洗濯もしたし、使い魔のカラスのフンも片付けた。毎日一つずつ食材の増えるお料理は、どんどん豪華になっていく。ヘンゼルも万事心得ていて、檻の中から、魔女に子守唄を歌ってやった。

魔女は少しずつ、少しずつ、確実に太っていき、体のどこもかしかもぷっくりと肌が張って、脂ぎった照りを光らせた。ふくよかな体をまあるく包んでいた衣服は、上衣と下衣の間から贅肉をはみ出させ、マントは首元の留め金がはまらなくなり、肩に引っ掛けるのがやっと。顎下には水風船のような脂肪の塊が垂れ下がり、曲げるのも窮屈なだらしなくも柔らかい指先で、その皺の裏をボリボリ掻くのだった。その小指には、外せなくなった緑石の指輪。いましめられる指の第二関節から先は、いつも紫色に膨れ上がっている。魔女がヘンゼルとグレーテルを捕まえたあの日、鋭く飢えていた眼光は、今や脂ぎった霞に濁されて、どろんと皿の中を覗き込む。

最後の晩餐となったのは、ベビーリーフのサラダ、ソラマメのポタージュ、タラのムニエルにスコッチエッグ、それにフランスパンを一切れ添えたものだった。

サラダはベビーリーフ15g、オリーブ油とレモン汁小さじ2/3、塩0.1g。ポタージュはそら豆66g、玉ねぎ16g、ブイヨン66g、牛乳66g、生クリーム16g、バター4g、小麦粉小さじ1/2、塩0.3g。ムニエルはタラ60g、バター4g、塩0.25g。付け合わせにジャガイモ20g、ブロッコリー20g、塩0.12g。スコッチエッグは合いびき肉50g、玉ねぎ15g、玉ねぎの炒め油が0.4g、つなぎの卵4.6g、塩0.5g、中に入れるゆで卵が39g、衣の小麦粉7.5gに卵9gにパン粉6g、衣による揚げ油の吸油量は17g。付け合わせにキャベツ10g、ケチャップ小さじ2。フランスパンは1切れ30g。

しめて867Kcal、塩分当量は4.9g。一食当たりとしてはかなりのカロリーオーバーだ。兄にも無理を強いてしまったが、グレーテルは最後の追い込みとばかりに張り切ってしまった。

運命の時は夜中のこと。

檻の中で体操に勤しんでしたヘンゼルの前で、魔女は鼾をかいていた。空の鍋をやたらめったに掻き回したような酷い鼾で、時々、ふっと途切れては、またがなりだす、魔女はここのところずっとそういう風だった。ヘンゼルとグレーテルはあんまりに魔女の鼾が喧しいので、夜に眠るのを諦めて、昼間にうとうとする程だ。

その鼾が、いつものようにふっと途切れて、それきり、魔女はもう息をしなかった。

グレーテルが爪先立ち歩きで魔女に近づき、ポケットの中の鍵を探り出すと、檻はいとも簡単に開いた。

ヘンゼルとグレーテルは、固く抱き締め合った。ヘンゼルはすっかりふくよかになっていて、グレーテルは痩せっぽちのまま。二人は互いに、腕の中の身体を確かめ合う。

「魔女を魅了するだなんて、グレーテルの料理はとんでもないな!」

「ええ兄さん、私、やってやったわ」

賢い兄妹は、朝になるのをきちんと待って、魔法の解けた森に駆け出していく。国は貧しく、継母は冷たく、父は弱くとも、二人でどこまでも助け合って生きていくことだろう。

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