◆お誕生日◆

その日、私はキッチンに立っていた。

目の前には、食材が並んでいる。

リビングの時計に視線を向けると14時。タイムリミットはあと3時間を切っていた。

残された時間を考えると一刻も早く行動を開始しなきゃいけないのに・・・。

私はかなりの勢いで緊張していた。


その理由はただひとつ。今から私は料理をしようとしているから。

たかが料理でそんなに緊張しなくても…

そう言われれば確かにそうかもしれない。

だけど私は料理がとてつもなく苦手だったりする。

それがどれくらい苦手なのかと問われたら、私は速攻でこう答える。


『この世で一番苦手なのは数学。その次が料理。そして、その次がニンジン』だと・・・。


私にとって苦手ランキング2位の料理をしようとしているのにはちゃんと理由があった。


◆◆◆◆◆


それは遡ること3週間前の事だった。

その日、いつもと同じように夕食を蓮さんと食べていた私はいつもと同じようにその日の学校での出来事を話していた。


「それでね、海斗ったらね『来月は俺の誕生日だからちゃんとプレゼントを準備しとけよ』って言うんだよ」

「海斗らしいな」

「確かに海斗らしいっていえば、海斗らしいけど・・・普通はそういうのって催促とかしないものじゃない?」

「まぁ、それはそうかもしれねぇーな」

「でしょ?・・・っていうか、海斗にプレゼントなんて何をあげればいいのか全然分からないし」

「でも、なんかやるんだろ?」

「う~ん、そうだね。催促されてるのに何もあげないと本気でいじけそうだし」

「そうだな」

蓮さんは楽しそうに笑った。


「でも、何をあげればいいんだろ?」

「別にそんなに悩まなくてもいいんじゃねぇーか? 大事なのは気持ちだし」

「そうなんだけど・・・あっ!!」

「・・・?」

「良いこと思い付いた!!」

「良いこと?」

「うん、海斗の誕生日プレゼント!!」

「なににするんだ?」

「酢昆布!!」

満面の笑みで私が答えると、蓮さんは驚いたようにその漆黒の瞳を見開いた。


「なんで酢昆布なんだ?」

「なんでってなにが?」

「なんで誕生日プレゼントが酢昆布なんだ?」

「酢昆布をプレゼントしたらおかしい?」

「おかしいっていうか、海斗は酢昆布が好きなのか?」

「さぁ、好きかどうかはよく分からないんだけど」

「は?」

「でも『マシだ』って言ってた」

「マシ?」

「うん、この前新発売のチョコを麗奈と一緒に食べてたんだけどね」

「あぁ」

「そこに海斗とアユムが来たからそのチョコをお裾分けしてあげたのね」

「あぁ」

「そうしたら、アユムは『美味しい』って喜んでたべてくれたんだけど」

「あぁ」

「海斗は『こんなもん貰うより酢昆布貰った方がマシだ』って言ってたの」

「そう言えば、海斗は甘いモノが苦手だったな」

「うん。私なら酢昆布よりもチョコを貰った方が断然嬉しいんだけどね」

「それはお前が甘いモノが大好きだからだろ」

「それはそうなんだけど」

「てか、誕生日プレゼントに酢昆布って・・・それでいいのか?」

「え?だめ?ちゃんとリボンつけるよ」

「・・・いや・・・そういう問題じゃなくて」

「あっ!! 1つだと寂しいから箱で買っちゃおうかな」

「・・・」

「それを1つずつラッピングして海斗の机の中とか鞄の中とかに隠しておくの」

「・・・」

「教科書の中に挟んでおくのもいいかも。あと、ペンケースの中とか」

「・・・」

「うん、なんか楽しくなってきた」

「・・・それって別の意味でかなりのサプライズだな」

「うん!!」

蓮さんの目が多少、可哀想な子を見るような目だったけど海斗の誕生日サプライズで急激にテンションが上昇した私はそれどころではなかった。


それからしばらくの間、酢昆布を隠す場所を考えていた私は、ふとある疑問を抱いた。

「ねぇ、蓮さん」

「うん?」

「蓮さんのお誕生日っていつ?」

「俺の誕生日?」

「うん」

「11月5日」

「11月5日ってもうすぐじゃん!!」

「もうすぐって、まだ3週間もあるだろ」

「そ・・・それはそうだけど・・・でも」

「ん?」

「なんで教えてくれないの!?」

「いや、今教えただろ」

「それは私が聞いたからでしょ? もっと自分から大々的にアピールしてくれたらいいのに」

「誕生日なんてこの歳になるとそんなにアピールするようなもんじゃねぇーよ」

蓮さんはそう言うと、本当に自分の誕生日なんてどうでもいいというようにビールのグラスを口に運んだ。


「それに誕生日は催促して祝ってもらうようなものでもないだろ」

「・・・うっ・・・」

「別に俺はお前が傍にいてくれるだけでいい」

蓮さんはサラリと私を赤面させるような言葉を口にする。


「・・・いつも一緒にいるじゃん・・・」

赤くなった顔を隠すように、俯いて答えると

「いつも通りでいいんだ」

蓮さんの優しい声が耳に響いた。

「いつも通り?」

思わず顔を上げると

「あぁ、俺はお前と一緒にいれることが何よりも嬉しいんだ」

漆黒の瞳が私を見つめていた。

「・・・」

「だから誕生日だからって特別な何かなんていらねぇ」

射抜くような漆黒の瞳。

「・・・」

「いつもと同じでいいんだ」

その瞳に見つめられると私は捕らえられたように視線を逸らせなくなってしまう。


「うん」

私が頷くと蓮さんは満足そうに笑った。


◆◆◆◆◆


・・・とは言え、蓮さんのお誕生日になにもしないなんてありえない!!

いつもしてもらうばかりの私が蓮さんになにかしてあげられるのってこんな日ぐらいしかない。

それに付き合い始めて初めての蓮さんのお誕生日だし!!

だから気合いをいれて蓮さんのお誕生日をお祝いしなくちゃいけない!!


私は生まれて初めての大切な人のお誕生日を前に密かに闘志を燃やしていた。


・・・でも、一体私は何をすればいいんだろう?

お祝いしたい気持ちはとてつもなくある。

もっと欲を出せば、蓮さんに喜んで貰いたいって気持ちもある。

もっと言えば、蓮さんをびっくりさせたいって気持ちもある。


だけど、今まで人のお誕生日をお祝いした経験もなければ自分のお誕生日をお祝いしてもらったこともない私には、どうやってその日をお祝いすればいいのか全く分からなかった。

散々考えたにも関わらず、答えを見つけることが出来なかった私はある人に相談をしてみることにした。


「ねぇ、麗奈」

「なぁに?」

「お誕生日って何をすればいいのかな?」

「あっ!! もしかして海斗の!?それならカリカリ梅にリボン型のシールでも貼って投げつけてあげなよ」

「・・・なるほど、カリカリ梅もいいかも」

「でしょ?」

「うん。でも、私は酢昆布にしようと思ってるんだけど」

「酢昆布!? それかなりいいかも!! なんか無性にウケるし!!」

「でしょ?」

「うん、最高!! じゃあ、私がカリカリ梅をプレゼントしようっと!!」

「うん、そうしなよ・・・って違う!!」

「え?」

「私は海斗の誕生日の事で悩んでる訳じゃないの」

「え?そうなの?」

「うん」

「じゃあ、誕生日って誰の誕生日なの?」

「蓮さん」

「あっ、そうか。神宮先輩って11月生まれだもんね」

「え!?」

「美桜?どうしたの?」

「なんで知ってるの?」

「え?」

「何で麗奈が蓮さんの誕生日を知ってるの!?」

「何言ってんの?」

「・・・?」

「神宮先輩の誕生日だよ」

「・・・」

「この学校の生徒で知らない人なんていないって!!」

麗奈は爆笑しながら私の背中をバシバシと叩いた。


・・・痛いんですけど・・・。

・・・てか・・・

「知らない人はいないの?」

「何が?」

「蓮さんの誕生日」

「当たり前じゃん!! あの神宮先輩だよ!?数えきれない程の伝説を創った人だよ!?その伝説だって未だに語り継がれてるんだよ!?そんな人の誕生日をこの聖鈴で知らないなんて珍しい人がいたら是非会ってみたいわ」

「・・・」


・・・その珍しい人がここにいるんですけ・・・。

「まさか」

「・・・」

「美桜、知らなかったとか?」

「・・・」

「そんな筈ないか」

「・・・」

「いくら美桜だってそれはないよね?」

「・・・」

「一応、神宮先輩の彼女なんだし」

「・・・」

「さすがに、それは・・・」

「・・・なかった・・・」

「え?」

「・・・知らなかった」

「は?」

「蓮さんの誕生日を私、知らなかったの」

「はぁ!?」

麗奈はこれ以上ないってくらい吃驚した顔で私の顔を見つめていた。

でも、それは一瞬の事で・・・

「マジで!? それってかなりウケるんだけど!!」


次の瞬間、麗奈は派手に噴き出した。

「・・・」

「いや~、ずっと美桜は普通じゃないと思ってたけど、まさかここまでだとは思ってなかったし」

「・・・」

「だけど、ここまできたら逆に気持ちいいっていうか、清々しいっていうか・・・」

「それって褒めてるの?」

「当たり前じゃん!!」

「・・・」

「あっ!!その目は信じてないな?」

「・・・」

「私は思ってるよ」

「思ってる?何を?」

「美桜と友達になって良かったって」

「は?」

「そんな美桜だから神宮先輩も美桜に惚れたんだろうし」

「は?」

「とにかく美桜は私の自慢の友達だってこと!!」

きっぱりと言い放った麗奈になんだか私の方が恥ずかしくなってしまった。


「あれ?美桜、なんか顔が赤くない?」

「え!? そうかな!?」

「うん、なんか赤いような気がする」

「き・・・気のせいじゃないですか!?」

「う~ん、気のせいかな~」

不思議そうに首を傾げる麗奈。


どうやら、私の動揺は彼女にはバレていないらしい。

もし、相手が蓮さんだったら間違いなくバレてたと思うけど・・・。相手が蓮さんじゃなく、麗奈で良かった。

私はホッと胸を撫で下ろした。


「で?」

「え?」

「神宮先輩の誕生日がどうしたの?」

麗奈のその言葉に大きく話が脱線してしまっていたことに気付いた私はようやく本来の目的を思い出した。


「あのね、蓮さんのお誕生日になにかしたいんだけど」

「うん」

「なにをしたらいいのか全然分からなくて」

「うん」

「麗奈はアユムのお誕生日に何かしてる?」

「アユムの誕生日?」

「うん」

「う~ん、別に大したことはしてないけど・・・」

「うん」

「ファミレスでご飯奢ってあげたりとか」

「うん」

「ケーキを買って一緒に食べたりとか」

「うん」

「あっ!! あとはプレゼントをあげるかな」

「プレゼントか・・・なるほど」

「神宮先輩にもプレゼントあげるの?」

「そうだね。誕生日プレゼントはかなり重要な感じがする」

「うん、やっぱりプレゼントは重要だよ。なにをプレゼントするか決まったら、いつでも付き合うよ」

「付き合う?」

「うん、買い物だよ。ほら、美桜は1人じゃ繁華街を歩けないでしょ?」

「・・・あっ、そうか・・・」

「B-BRANDの人達に、護衛をしてもらうと神宮先輩に何を買ったかすぐに報告されちゃうだろうし」

「うん」

「だから、海斗とアユムも誘って遊ぶってことにすればいいじゃん」

「え?」

「海斗がいれば護衛は付けなくても大丈夫でしょ?」

「そっか」

「だから、買い物に行く時はいつでも誘ってね」

「うん!! 麗奈」

「うん?」

「ありがとう!!」

私の言葉に

「どういたしまして」

今度は麗奈の頬が赤く染まった。


◆◆◆◆◆


麗奈にいい提案をしてもらったその日から私は一生懸命考えた。

蓮さんへのプレゼントを・・・。

だけど、ここでも1つ問題が起きてしまった。

どんなに考えてみても私には蓮さんが何を欲しいのかが分からなかった。


どんなに考えても分からなかった私は葵さんやアユちゃんにも相談をしてみた。


「男の人がお誕生日に貰って嬉しいものってなに?」

B-BRANDの溜まり場のクラブ。

そこのビップルームで3人になったのを見計らって私は2人に尋ねてみた。

突然、話を切り出した私に葵さんとアユちゃんは顔を見合わせたけど、すぐに意味ありげな笑みを浮かべた。


「誕生日プレゼント?」

「う・・・うん」

「それって蓮くんに?」

「う・・・うん」

「そっか、蓮さんの誕生日ってもうすぐだもんね」

「う・・・うん」

なぜか無性に恥ずかしさが込み上げてきた私は、目の前にあったウーロン茶を一気に飲み干した。


そんな私を見て、葵さんとアユちゃんは大爆笑をした。

「美桜ちゃん、可愛い~!!」

お腹を抱えてソファの上で笑い転げる2人に最高に居心地が悪くなった頃


「蓮くんが喜ぶモノはちょっと分からないんだけど・・・」

目尻を細い指で拭いながら、葵さんはソファから身体を起こした。


「・・・」

「私はケンの誕生日にはお揃いのアクセサリーをプレゼントしてるよ」

「お揃いのアクセサリー?」

「うん、ピアスとかブレスとかネックレスとかあとはリングとか」

「だから葵さんとケンさんはいつもお揃いのアクセサリーを着けているんだね」

「うん、最初は私の誕生日にケンがペアリングをプレゼントしてくれたのが始まりなんだけどね」

「うん」

「ペアのものってプレゼントした方もされた方も・・・両方が嬉しいでしょ?」

「うん、そうだね」

「だから、それからずっとお互いの誕生日にはお揃いのモノを贈りあってるの」


「そっか~アユちゃんは?」

葵さんと私の会話をお姉ちゃんみたいに優しい瞳で見ていたアユちゃんに視線を向けた。

「私?」

「うん、アユちゃんはヒカルのお誕生日プレゼントどうしてるの?」

「私はヒカルが“あったら使うだろうな”って思えるモノをプレゼントしてるよ」

「あったら使うもの?」

「うん。ほら、ヒカルってチームの事以外には興味を示さないっていうか、無頓着っていうか・・・まぁ、そんな感じだから自分の持ち物にもあんまり拘りがないんだよね」

「そうなんだ」

「だから、欲しいと思うモノもあんまりないらしくて」

「欲しいモノがない?」

「うん、何度かそれとなく聞いてみたんだけど」

「うん」

「『別にない』ってしか言わないんだよ」


多分、アユちゃんはそんな話をしながらその時のことを思い出しているんだと思う。

ちょっとだけ困ったように苦笑いを浮かべているアユちゃんを見ながら私はそう思った。

「確かにヒカルはそう言いそうだね」

葵さんの言葉に

「でしょ!? だから本人に聞いても無駄だからヒカルをこっそり観察して、これだったら使うんじゃないかなって思うものをプレゼントするようにしてるんだ」

「例えば?」

「えっと、今年の誕生日にはジッポをプレゼントしたかな」

「ジッポか~、確かにタバコを吸う人にとっては必需品だね」

「うん。それに、去年はお財布でその前の年が腕時計だったと思う」

「・・・なるほど・・・」

葵さんとアユちゃんがあげてくれた品を頭の中にインプットして

「葵さんもアユちゃんもありがとう!!すごく参考に・・・」

お礼の言葉を述べながら深々と頭を下げているまさにその時

ビップルームのドアが勢いよく開き

「なんの参考?」

姿を現したのはケンさんだった。

男の子達に呼ばれてこの部屋を出ていった時の険しい表情とは打って変わって、すっきりと清々しい表情のケンさんは

「蓮とヒカルもすぐに戻ってくるからもうちょっと待っててね」

私とアユちゃんにそう告げてから、葵さんの隣にドッカリと腰を下ろした。


そして

「で?なんの話だ?」

葵さんの顔を覗き込んだ。

「もうすぐ蓮くんのお誕生日でしょ?」

「あぁ、そう言えばそうだな」

「だからその話」


「…」

葵さんの言葉を聞いて、しばらくの間何かを考え込んでいたケンさんは

「もしかして、蓮の誕生日プレゼントを考えていたのか?」

ズバリと言い当てた。


ケンさんってこういう所が本当にすごいと思う。

僅かなヒントしかないのに、それをうまく組み合わせてピタリと現状を言い当てる。


それが身近な人…例えば、彼女である葵さんの事だとかチームの人達の事とかになるとケンさんの推理は外れる事がない。

いつもはどこまでもマイペースな性格を発揮しているけど、本当は常に他人が置かれている状況を把握するためにアンテナを張っているんだと思う。


B-BRANDの現トップであるケンさんは大事な人達を守る為に、相当神経を使っているに違いない。

それを人に見せない所がまたすごいと思う。


「美桜ちんは、初めての蓮の誕生日だもんな」

「うん。だから、どんなものをプレゼントすればいいか分からなくて…」

「そんなの悩む必要ねぇ―じゃん」

「え?」


この時、私は微かに期待していた。

ケンさんなら、なにか的確なアドバイスをくれるんじゃないかって…。


「プレゼントって事は蓮が喜ぶものをやればいいんだろ?」

「う…うん」

「だったら、超簡単じゃん」

「簡単?」

「あぁ」

「…?」

…“難しい”の間違い2じゃなくて?


「蓮が貰って喜ぶものなんて1つしかねぇーじゃん」

「あっ!! 分かった」

急に大きな声を出したのは葵さんで

「私も分かったかもしれない」

アユちゃんまでもが嬉しそうに手を上げた。

「美桜ちんは、分からねぇ?」

「…うん、全然分からない」

「じゃあ、教えてやろうか?」

「うん、教えて」

ケンさんと葵さんとアユちゃんは3人で顔を見合わせると――…

一斉に私を指差した。


「…はい!?」

「蓮が貰って喜ぶものって言ったら美桜ちんしかねぇーだろ」

「…」

「あっ、そうだ。蓮の誕生日には、美桜ちんにリボン巻き付けて俺達全員からのプレゼントって事で渡そうぜ」

「それいいかも!!」

「賛成!!」


私は自分があげるプレゼントを相談していたはずなのに…。

いつの間にか私自身がプレゼントにされてしまった。

…そもそも、ケンさんに期待した私が馬鹿だった…。

お腹を抱えてゲラゲラと笑い転げるケンさんを横目で見ていると私の視線に気付いたらしいケンさんは、漸く笑いを押し殺し咳払いを1つすると


「まぁ、あれだ」

「…」

「要は、蓮は美桜ちんさえ傍にいてくれるなら、他のものは何も要らないってことだ」

「…」

「だから蓮の誕生日の日には笑顔で“おめでとう”って言ってやってくれよ」

「…」

「それだけで、蓮は十分嬉しいと思うぜ」

「うん」

ケンさんの言いたい事は何となく分かったけど、残念ながら蓮さんのプレゼントを決める事は結局できなかった。


◆◆◆◆◆


その後も私は綾さんやお父さんに相談を持ち掛けてみたけど、綾さんとお父さんも言う事はケンさんと同じような事で

結局、プレゼントを決めるような案を聞きだすことは出来なかった。


そうしている間にも時間だけはどんどん過ぎていき、とうとう蓮さんの誕生日まであと2日となってしまった。


「…どうしよう…」

私は、途方に暮れていた。

「おい、なんか顔がヤベェーぞ」

そんな失礼極まりない発言を平然とするのは、前の席の海斗だった。

「腹でも痛ぇーのか?それならさっさと便所に行って来いよ」「別にお腹なんて痛くないし」

「じゃあ、なんでそんな死にそうな顔してんだよ?」

「…」

「…」

無言の私に海斗はあからさまに顔を顰めた。


普段の私だったら間違っても海斗に相談を持ち掛けるようなことなんてしない。

だけど、この時の私は、自分で思う以上に切羽詰まっていて、藁にも縋るような思いだったんだと思う。


「…ねぇ、海斗」

「あ?」

「ちょっと聞きたいことがあるんだけど」

「んだよ?」

「誕生日に彼女から貰うとしたら何がいい?」

「誕生日?」

「うん」

「別に彼女から貰うならなんでも嬉しいけど」


…やっぱり、海斗に聞いたのが間違いだった…。

海斗なんかに真剣に相談した私がバカだった。

そう思い小さな溜息を零した時だった。


「でも、一番嬉しかったのは飯を作ってくれた時だな」

「飯って食事ってこと?」

「そう、マナって家事がすげぇ苦手なんだよ」

「そうなの?」

「あぁ、掃除や洗濯はもちろん料理も全くできないししようともしない。それなのに1度だけ俺の誕生日にカレーを作ってくれたんだ」

「うん」

「そん時はマジで感動した」

「へぇ~、それで美味しかったの?」

「…」

え?なんで無言?

…てか、なんで固まってんの!?


「海斗?」

「…味は関係ねぇ」

「は?」

「要は気持ちだ」

「気持ち?」

「苦手なのに俺の為に頑張ってくれたことと料理をしようと思ってくれたことが嬉しいんだよ」

「…なるほど」

その時の事を思い出しているのか、穏やかな表情を浮かべる海斗。


そんな海斗を見ていた私は…

「これだ!!」

思わず大きな声を発してしまった。

プレゼントっていうとなにか物をあげなきゃみたいに思っていたけど、何かをしてあげるっていうのも立派なプレゼントじゃない?

うん、いいかもしれない。

目の前に光が差したように気持ちが急浮上した私は

「ありがとう」

海斗にお礼を言った。

「は?」


突然、お礼を言われた海斗は訝しげに私を見つめていたけど、この際そんなことはどうだっていい。

私の頭の中はすでに蓮さんのお誕生日のことでいっぱいだった。


◆◆◆◆◆


ケーキは買ったし、シャンパンも冷やしている。

あとは蓮さんが帰って来るまでにお料理を作って、それをテーブルの上に並べれば完壁。


私は、キッチンに立っていた。

運良く学校が休みだった私は、一緒に綾さんとお父さんのお家に連れて行こうとする蓮さんのお誘いを丁重にお断りした。

いつもなら蓮さんのお誘い攻撃に呆気なく負ける私だけど今日だけは頑張った。

自分で言うのもなんだけど相当頑張った。


頑なに『今日は家にいる』と言い張る私を蓮さんは言葉巧みに連れ出そうとした。

それでも私は首を縦に振ることはなく、蓮さんは迎えに来てくれたマサトさんに連れられ『絶対、家からは出るなよ』と5回以上言って、渋々と出掛けて行った。


蓮さんを連れ出してくれたマサトさんには感謝してもしきれない。

実を言うとマサトさんはこの計画の協力者の1人だったりする。

家に残ることはなんとかできたけど、お料理の材料を一人で買いに行く事はできない。

前の日に買っておこうかとも思ったけど、冷蔵庫の中に食材が入っていたら蓮さんにバレてしまう恐れがある。

そう考えた私は、マサトさんに相談してみた。


運良く、昨日のお迎えは蓮さんじゃなくてマサトさんで、私は密かな計画があることを話し、スーパーで食材を買いたいということを伝えた。


するとマサトさんは『明日の午前中に1時間程時間が空くので持っていきます』と嫌な顔1つせず快く引き受けてくれた。


そして、約束通り午前中の内にマサトさんは渡していたリスト通りの食材を届けてくれたのだ。


『頭の喜ぶ顔が目に浮かびますね』

マサトさんはそう言ったけど、蓮さんが喜ぶほどの料理が作れるか不安な私は曖昧な笑みを浮かべることしかできなかった。


マサトさんが買ってきてくれた食材は全てカウンターの上に並んでいる。

手元には、付箋がたくさん貼られたレシピ本。

この付箋には綾さんがポイントを書き込み貼ってくれたもの。


本当は、綾さんに付き合ってもらって練習したかったけど残念ながら時間がなかった。

そこで事情を話し『レシピ本を貸してください!!』とお願いしたら、こうして付箋を貼ってマサトさんに預けてくれた。


それに一通り目を通した私は、小さく深呼吸をして

「よし」

苦手な料理に取りかかった。


◆◆◆◆◆


玄関のドアが開く音が聞こえると同時に

「美桜」

私の名前を呼ぶ声も聞こえた。


チラリと時計に視線を向けるといつもより少しだけ早い時間で急いで帰ってきてくれたのが分かった。

すぐにでも玄関まで走っていきたい衝動を抑えて、廊下からリビングへと続くドアの前に立つ。


もう一度、確認するように背後を振り返る。

そして、私は音を立てないように気を付けながら手に持っていたリモコンでリビングの電気を消した。

息を潜めてドアの脇に立つ。


テレビのついていない室内は静まり返っていて廊下を足早に近付いてくる足音が自棄に響いているような気がした。


ドキドキと高鳴る鼓動。

悪戯をする子どもの気持ちがなんとなく分かるようなワクワク感と蓮さんは喜んでくれるのだろうかという微かな不安感を抱えていると


「美桜、いねぇーのか?」

焦ったような蓮さんの言葉と同時にすぐ傍でドアが開いた。


こちらに近付いてくる時のペースを保ったまま蓮さんはリビングに入ると中央のテーブルの近くで足を止めた。

私の場所からじゃ蓮さんの表情は見えない。

微動だにしない身体。


だけど、その視線の先にあるのは仄かな蝋燭の光りに照らされたテーブルの上。


今すぐに声を掛けて、触れたい。

「おかえりなさい」って…。

「お誕生日おめでとう」って言いたい。

だけど、どのタイミングで出て行けばいいんだろう?

すっかりタイミングを逃してしまった私はその場から動けなくなってしまっていた。


「…美桜、いるんだろ? 出て来い」

突然、発せられた優しいその声に私は目の前にある大きな背中に抱きついていた。


「…おかえりなさい、蓮さん」

「ただいま」

「びっくりした?」

「あぁ、すげぇ驚いた。この料理、どうしたんだ?」

「作ったの」

「誰が?」

「私」

「は!?」

「蓮さん、ビックリし過ぎじゃない?」

予想通りの反応に吹き出しそうになってしまう。


「いや、普通驚くだろ」

「そう?」

「だってお前、料理苦手じゃん」

「うん、苦手なものベスト3に入るね」

「だよな?」

「いつもなら、絶対にしないと思う」

「じゃあ、今日はどういう風の吹きまわしだ?」

「今日は特別だから」

「特別?」

「うん、お誕生日おめでとう、蓮さん」

私のその言葉に蓮さんの身体がピクっと反応した。


「俺の誕生日だから料理を作ってくれたのか?」

「本当は、何かを買ってプレゼントしようと思ったんだけど、蓮さんの欲しいものが分からなくて」

「あぁ」

「ごめんね。こんなことしかできなくて」

「…」

「しかも見た目もこんなだし」

「…」

「味の保証も100%できないんだけど」

「…」

「あっ、やっぱりピザかなにか頼もうか?」

「…」

「お誕生日にお腹壊したらシャレになんないし…」

「美桜」

「え?」

「ありがとう。すげぇ嬉しい」

次の瞬間、素早く身体の向きを変えた蓮さんに私は抱きしめられていた。

「れ…蓮さん?」

「今日が一番だ」

「え?」

「今まで迎えた誕生日の中で今日が一番嬉しい」

「本当?」

「あぁ」

蓮さんのその一言に私は胸を撫で下ろした。


テーブルの上に並ぶお料理は、いつも蓮さんが連れて行ってくれるお店のお料理に比べれば自分で言うのもなんだけど雲泥の差があるような粗末なもの。


オムライスに唐揚げにサラダにスープ。

オムライスの玉子はところどころ破けちゃってるし

唐揚げは揚げる温度が高過ぎた所為かキツネ色っていうか、泥遊びをしたキツネの色って感じだし

サラダはレタスを千切って、ミニトマトを載せただけだから、これが一番安全かもしれない。

…料理したとは言い難いサラダが一番安全って…。

それってどうなんだろう…。

やっぱり、この計画は無謀だったのかもしれない。」

今更!?的なことに気付いた私のテンションは最高に下がりつつあった。


「美桜」

「…うん?」

「…とう…」

蓮さんの言葉が聞き取れなかった私は


「え?」

無意識のうちに蓮さんの顔に視線を向けていた。

テーブルの上から私へと視線を移した蓮さんの顔が

「ありがとう。すげぇ、嬉しい」

赤く染まっているような気がしたけど、それが照れている所為なのか…。

それとも蝋燭の光が生み出す赤みがかったオレンジ色の光の所為なのかは分からなかった。

「…どういたしまして」

蓮さんの言葉が社交辞令なんかじゃなくて、本心からの言葉だと気付いた私は頑張って良かったと心からそう思った。

「指、ケガしたのか?」

「え?…あぁ、ちょっと切っちゃって」

私は絆創膏を巻いている指先を隠すように手を背中に回した。

その手が素早く掴まれる。

「見せてみろ」

蓮さんはそう言ったけど、既に私の手は蓮さんの目の前に掲げられていた。

今日1日で私の手は随分傷付いてしまった。

包丁で切ったのは1箇所や2箇所じゃないし、手の甲や手首には不注意でできてしまった軽い火傷のあとがある。

元々、自分でも不器用だと認識していたけど、今日改めて自分が想像を上回る不器用さなんだってことを文字通り痛感した。

私の手をマジマジと眺めた蓮さんが小さな溜息を零す。

「…こんなに傷だらけになって…」

「用心していたつもりなんだけど…」

「けど?」

「私って…」

「ん?」

「相当、不器用らしい」

私は真剣に言ったつもりだったけど

「…今更かよ」

なぜか蓮さんには苦笑されてしまった。

私の手を掴んだ蓮さんは、まるで壊れ物を扱うような丁寧な仕草で唇を寄せた。

「折角、大事にしてんだから傷なんか作ってんじゃねぇーよ」

ぶっきらぼうな言葉の割に優しい口調。

なんだかその言葉が嬉しくて

「大丈夫」

私は自信満々で答えた。

「あ?」

当然の如く蓮さんの目が訝しげに私を見つめる。

その視線に向かって

「だって私がお料理をしたのは、今日が特別な日だからだもん」

「…」

「だから心配しなくても、普段はしないから大丈夫」

私は満面の笑みを浮かべた。

そんな私に蓮さんが複雑そうな表情を浮かべたのは言うまでもない。


◆◆◆◆◆


「大丈夫?」

「なにが?」

「お腹」

「あぁ、ちょっと食い過ぎたかもしれねぇーけど」

「じゃあ胃薬でも……」

「薬?」

「う……うん」

「必要ねぇ」

「で……でも」

「うん?」

「違う意味でお腹が痛くなるかもしれないし」

「違う意味?」

「……うん。だって作ったのが私だから……」

「腹を壊すって?」

「……うん」

「……バカか」

「……」

「腹なんて痛くなるはずねぇーだろ」

「……」

「普通に美味かったし」

「……」

「そんな心配なんてしなくていい」

「……」

「……てか、お前、料理できるじゃん」

蓮さんの優しいお世辞になんだか居た堪れない気持ちになった私は存在感をも消すように身体を小さくした。


蓮さんは私が作った料理をペロリと平らげてくれた。

しかも、私が残した分まで……。

お陰でテーブルの上に並ぶのは空っぽのお皿だけ。

それが嬉しくないと言えば、もちろん嘘になる。

だけどそれ以上に蓮さんのお腹の方が心配だった。


“急にお腹を押さえて苦しみだしたらどうしよう”とか

“もし、そうなったらすぐに救急車を呼ばなきゃ”とか

“そうなる前に胃薬を飲ませた方がいいんじゃないんだろうか?”とか

“普通に頼んでも絶対に飲みそうにないからこの際ケーキの中にさりげなく仕込んでみようか?”とか


そんな考えが脳裏を過ぎるからとてもじゃないけど素直に喜んでなんていられない。

こうなったら蓮さんがトイレに行ってる間にシャンパンに胃薬を溶かしちゃおうかな。

そんなサスペンスドラマのワンシーンみたいな計画まで頭の中で立ててしまった。


……あれ?

でも、胃薬ってお酒に混ぜて飲んでも大丈夫なのかな?

説明書にはお水で飲んでくださいって書いてあるけど……。お酒を飲んだ後に胃薬を飲むこともあるし……。

……ってことは、胃の中で混ざるから大丈夫なの!?


「美桜」

「え?」

「なに難しい顔してるんだ?」

「な……なんでもない。てか、ケーキ食べる?」

「今は腹一杯だから後ででいい。それより……」

言葉を言い終わる前に蓮さんは私を引き寄せた。

私がポスンと座ったのは蓮さんの膝の上だった。

……また……。

蓮さんはこうやって時間さえあれば私を膝の上に乗せる。

一見クールそうに見えるけど

外を歩く時は肩を抱くか手を繋いでいるし

平気で人前でキスをしたりするし

部屋の中いる時でも身体の一部が触れ合っていないとダメな人らしい

。別にそれが嫌だって訳じゃないけど……

こうして抱きかかえられた状態で至近距離で見つめられるのはなんだか恥ずかしい。

私は照れを隠すようにロを開いた。

「そ……そう言えば、ケンさんにも相談したんだよ」

「相談?」

「うん。蓮さんのお誕生日プレゼント」

「ケンはいいアドバイスをくれたか?」

「ううん、全然ダメだった」

「全然ダメ?」

「うん。ケンさんなら蓮さんのことをよく分かってるからすごく参考になるアドバイスをくれるかと思ったのに全然ダメだった」

「ケンはなんて言ったんだ?」

「蓮さんが一番喜ぶプレゼントは私だって」

「……」

「そんなはずないよね。だって毎日一緒にいるのに……てか、私にリボン付けてケンさん達みんなからのプレゼントって言って渡そうとか言い出すんだよ」

「……」

「あれ? 蓮さん、どうしたの?」

「……さすがだな」

「え? なにが?」

「そのアドバイスと提案はあながち間違いじゃねぇ」

「はい!?……んっ」

急に変なスイッチが入ってしまったらしい蓮さんに私は唇を塞がれた。

記念するべき蓮さんの誕生日にしたキスはほのかにシャンパンの味がした。


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