第十四話「スターなあの子(1)」

 八月は逃げるように去っていき、九月がやってきた。

 「アイドル・ランキング」トップ100へのランクインという快挙。

 そんな中での単独ミニライブの大成功。

 この二つをもって、「新人アイドル村上冬華」は、文字通りの新星として注目を集めていた。


 テレビやラジオの番組ではいくつかのレギュラー・準レギュラーを勝ち取った。

 事務所による公式の動画チャンネルも作られた。有名動画チャンネルへの出演もぐっと増えた。

 シングルはCD・配信ともに順調に売上を伸ばし続け、「早く新曲を」との声も日々高まっている。

 

 俺達は、もう少し先に発売予定だったミニアルバムの制作を、前倒しせざるを得なくなった。

 「ミカエル・グループ」本社からの圧力もあったが、何よりファンが切望しているのだ。応えなくてはならない。


 目が回るような忙しい日々が続いたが、一番大変なのは冬華本人だ。

 冬華は今のところ、学校を休まずに芸能活動を続けている。この多忙を極める中でも、それを死守していた。

 学校にきちんと通うことは、ご両親との約束らしい。それは「アイドル・ランキング」に滑り込んでも変わらないようだった。


「え~と、この後は夕方からラジオ番組に生出演。その後、テレビ局で音楽番組の収録、と。テレビの方は、夜遅くなりそう。冬華ちゃん、体調は大丈夫?」

「はい! 村上冬華、がんばります♪」


 千歳さんの運転するワゴン車の中。冬華が両手で元気にガッツポーズを作ってみせる。

 けれども、その顔には流石に疲れが出始めていた。

 いくら今が「攻め時」だとはいえ、当の冬華が潰れてしまっては本末転倒だ。

 「アークエンジェル」としては、ぼちぼち冬華の仕事を絞りたいと考えていた。が、本社が中々、首を縦に振ってくれない。


(最悪の場合、マイケルのオッサンに直談判しないとな)


 ちらりと、横に座った冬華の顔を盗み見る。

 おやつ代わりのゼリー飲料を飲みながらラジオ番組の資料に目を通す表情は、真剣そのものだ。やる気にも満ちている。

 冬華はまだ若い。だから無理が利くし、周囲も無理をさせる。本人も頑張れてしまう。

 ――だが、壊れる時はいとも簡単に壊れてしまうものだ。

 俺の知り合いにも、若い内に無理をし過ぎて仕事が出来なくなってしまった奴が、何人かいる。


(冬華本人も周りの連中も、少しハイになってるんだ。俺が冬華を守らないと)


 可愛らしくチュウチュウとゼリーを吸う冬華の横顔を盗み見ながら、俺は密かに決意した。


   ***


「はい、OKです! 村上さん、お疲れさまでした~」

「ありがとうございました。スタッフの皆さまも、お疲れ様です♪」


 テレビ局での収録は、予定よりも早く終わった。

 他の出演者の現場入りが遅れているというので、その人の分だけ、撮影を前倒しさせてもらったのだ。

 時刻はまだ9時を回ったところ。これならば、冬華も今日はゆっくりと眠れることだろう。


「お疲れさま、冬華」

「春……プロデューサーさん。今日の冬華は、どうでしたか……?」


 ちょっと甘えたような、それでいてどこか不安げな眼差しを俺に向ける冬華。

 売れっ子になっても、こういうところは変わらない。彼女は俺に感想を尋ねる時、いつもこんな感じなのだ。


「もちろん、今日も最高に可愛かったぞ! 特に、カメラ目線がいいな。スタッフさんの指示が良かったのもあるけど、映りはバッチリだったぞ」

「本当ですか?」

「ああ。多分、テレビの向こうで何人か確実に恋に落ちるぞ」

「……それは、プロデューサーさんも?」

「えっ。ああ、いや。俺は……」


 少し藪蛇やぶへびになるめ方をしてしまったらしい。思わず言葉に詰まる。

 冬華は、そんな俺の様子をどこか楽しむような、それでいてやはり少し不安混じりの笑顔を浮かべながら、答えを待っている。

 俺は――。


『江藤みのりさん、入ります!』


 その時、撮影スタジオにスタッフのそんな声が響いた。

 冬華と一緒に、反射的に出入り口の方を見やる。開け放たれた鉄扉から、「彼女」が姿を現していた。


 江藤みのり。押しも押されもせぬトップアイドルの一人だ。

 年齢は俺と同じ二十五歳――というか、高校の時の同級生。

 圧倒的歌唱力と神秘的な容貌で、常に「アイドル・ランキング」の上位に居座り続ける歌姫だ。


「あら……?」


 彼女の瞳が俺達を捉える。

 カツカツとハイヒールを鳴らしながら歩み寄ってくるその姿は、高校時代とあまり変わっていなかった。


 一六五センチほどの背丈。全体的なシルエットは、細く美しい。もう少し背が高ければモデルとして通用していたかもしれない。その細身を、今は赤いイブニングドレスのような衣装が包んでいる。

 髪は明るい茶髪。脱色しているのではなく、これは地毛だった。ややウェーブのかかったゆるふわの髪はセミロング。背中の中ほどまで伸ばされている。

 瞳は明るい茶。どこか焦点が合っていないような印象を受ける、特徴的な輝きを持っている。

 抜けるように白く染み一つない肌には、一点だけ黒いポイントがあった。右目下の泣き黒子ぼくろだ。

 珍しいものでもないそれが、何故か一目見たら忘れられないインパクトを、周囲に与えてしまう。彼女が「神秘的」と呼ばれる所以だった。


 その彼女が、俺達の前まで来て静かに立ち止まった。

 冬華の緊張感が一気に増したのが伝わってくる。


「あ、あの! 初めまして! 村上冬華と申します」

「……ああ。貴女が、最近噂の」

「冬華のこと、ご存じなんですか?」

「もちろん。普段はあまり、他のアイドルさんのことは気にしない主義なんですけど、冬華さんのことは注目しているわ。とっても素敵な歌声だって」

「っ!? あ、ありがとうございます!」


 感激し深々と頭を下げる冬華。

 それもそうだろう。みのりは、冬華が小学生の頃から活躍しているアイドルだ。冬華にとってみれば、アイドルの象徴みたいな存在だろう。

 それが自分のことを知っていて、しかもべた褒めしてくれたのだ。感激しない理由が無かった。


 みのりは、そんな冬華の姿を微笑ましく眺めた後で、ようやく俺に視線を移した。


「……久しぶり、春太」

「……お久しぶりです、江藤さん」

「あらやだ。『江藤さん』とか、聞いたこともない呼び方はやめて? 敬語も。私、何か怒らせるようなことしたかしら」

「ああ、いや……すまん。久しぶりだし人前だしで、距離感がバグってた。相変わらずの活躍みたいだな、みのり」

「お陰様でね。そういう春太こそ、こんなところで会えるなんて。……嬉しいわ」


 俺達の間に和やかな空気が流れる。

 彼女と直接顔を合わせるのは、実は高校時代以来になる。最後に言葉を交わしたのも、それくらい前のことだ。


『うん、じゃあそういうことで。バイバイ、春太』


 それが、彼女から俺に向けられた最後の言葉。

 迷いなく背を向けて去っていくその姿を、昨日のことのように思い出せる。

 ――と。


「あ、あの~」


 冬華が何とも居心地の悪そうな表情で手を上げた。心なしか、その目は昏い色に染まっている。


「お二人は、お知り合いなんですか?」

「ああ、すまんすまん。実は、みのりとは高校の同級生なんだ」

「ええっ!?」


 珍しく、頓狂とんきょうな声を上げて驚く冬華。

 まあ、気持ちは分かる。憧れのアイドルの同級生が、まさかこんな身近にいたとは思わなかったのだろう。


「……もしかして、冬華さんの曲は、春太が? クレジットは『TT』だったと思うけど、あれは君?」

「ああ。ほら、俺は本名だと……な?」


 冬華が売れ始め、俺も作詞者や作曲者として世間に名前を公表しなければならなくなった。

 だが、俺の本名は「ハイ・クラス」の悪名と共に、一部業界に知れ渡っている。なので、ペンネームとして「TT」という名前を使っているのだ。


「そう。また、曲を書いているのね、春太。……良かった」

「なんだ、心配してくれてたのか?」

「当たり前でしょう? 最後が、あんな別れ方だったし。私達――」


 みのりの瞳がうれいに揺れる。

 ――と、その時。


『江藤さん~、セットの準備出来ました~! スタンバイ、お願いします!』

「っと、ごめんね。スタッフさんが呼んでるから。――冬華さん。良かったら私の歌、聴いていってね?」

「は、はい! ぜひ!」


 にっこりとした笑顔を冬華に残してから、みのりがゆっくりとステージへ向かう。

 まるで周囲を威圧しているかのように重くゆるやかな足取りだが、何のことはない。みのりはヒールで小走りでもしようものなら、すっ転んでしまうのだ。

 本人は転ばないように気を付けて歩いているだけなのに、周囲には優雅に見える。ちょっとずるいと思った。


「冬華は……彼女の歌を生で聴くのは、初めてかい?」

「はい! とっても楽しみです♪」

「そうか」


 冬華は無邪気に笑っているが、俺の胃は痛かった。

 みのりの歌は、放送や収録で聴くのと生で聴くのとでは、天地ほども差がある。

 恐らくだが、彼女の歌を聴いた後、冬華の顔からはだ。


 ――そして、江藤みのりの歌が始まった。


   ***


『……』


 テレビ局からの帰り道。千歳さんが運転するワゴン車の中は、無言に支配されていた。

 騒がしい夜の雑踏の音とエンジン音、そしてタイヤとアスファルトが奏でる不出来な旋律だけが、車内に響く。


 みのりの歌は圧倒的だった。

 低音から高音まで、満遍まんべんなく伸びる重層的な歌声。音の一つ一つに込められた精細なニュアンス。

 スタジオの隅から隅までに行き届くような声量。それでいて威圧的ではなく、心地よささえ感じてしまう。

 まるで、全身が耳になってしまったかのように、歌声に包まれる感覚――と言えば分かるだろうか。


 元の声が少し鼻にかかった特徴的な声であるのに、逆にそれが不思議な透明感となって伝わる。唯一無二の歌声が、そこにあった。


「やっぱり、凄いんですね、みのりさん」

「ああ……」


 ぽつりと、独り言のように漏らした冬華の言葉に首肯を返す。

 「冬華だって負けてないさ!」等という、軽薄な慰めの言葉はとてもかけられない。

 他ならぬ冬華本人が、みのりと自分自身の実力差を痛感しているのだから。


 冬華の歌唱力は、今のアイドル界の中でもトップクラスだとは思う。だが、上には上がいる。

 例えば、冬華の親友にしてライバルの万世橋ヤイコ。彼女の歌唱力は、間違いなく今の冬華よりも上だ。

 だが、みのりはその更に上を行く。


 冬華を「名器と呼ばれるヴァイオリン」だとするならば、ヤイコは「名器を揃えた弦楽四重奏」と言える。

 そしてみのりは、そんな二人の更に上を行く「名器ばかりのフルオーケストラ」だ。そのくらいに違う。

 

 もちろん、これはあくまでも現時点での実力の話だ。冬華もヤイコも、これからどんどんと成長していく余地がある。

 伸びしろで言ったら、最も若い冬華が一番だ。

 だが――。


「まだまだ、遠いんですね。トップの人達の背中は」


 圧倒的実力差を見せつけられながらそれを追いかけることは、苦行だ。

 一生懸命に走って差を縮めてみても、まだまだ相手の背中は遠い。そんな状況が長く続けば、自信もなくなっていく。

 「差は全く縮まっていないのではないか?」と、焦りが身を焦がしていく。そして、焦りはやがて恐怖に変わっていく。

 江藤みのりは、他のアイドル達にそんな恐怖感を植え付ける、魔王の如き歌姫なのだ。


「……それに、春太さんと、とってもとってもとっても親しい感じでしたね、みのりさん。……お二人は、本当にただの同級生だったんですか?」

「――っ。ああ。同時期にバンド活動もしてたし、『ただの同級生』ではないな。ライバルってやつだよ」

「……そうですか」


 内心の動揺を押し隠しつつ、当たりさわりのない答えを返す。

 嘘は言っていない。が、全部を言ってもいない。俺とみのりがどんな関係だったかなんて、冬華には絶対に伝えられない。


 ――それはともかくとして。今、冬華は完璧にみのりに「呑まれて」しまっている。

 まだまだ実力差があるのは仕方ない。上ばかり見ていても、足元がおろそかになるだけなのだ。冬華にはそのことを、はっきりと自覚させなければならない。

 

 俺は冬華に気付かれぬよう、万里江にメッセージを送った。

 あるアイドルの予定を押さえておいてほしい、と――。

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