第七話「いそがしい日々」

 どうにか復調し、俺は再び仕事に戻っていた。

 もちろん、万里江からも千歳さんからも冬華からも、がんばり過ぎないようにクギを刺されている。なので、ほどほどに、だが。


 打ち合わせなどの為に事務所に行く時以外、俺は自宅で仕事をしている。

 在宅ワークというのは楽に思われがちだが、実際のところ微妙な部分もある。仕事のオンとオフの区別をつけ辛いのだ。

 オフィスで働いていれば、同僚なり上司なりの目が最低限ある。オーバーワーク気味の時に、それとなく声をかけてもらうことも出来るだろう。だが、自宅で一人仕事をしていると、それは望めない。

 自分の気力と体力が続く限り、ズルズルと仕事をしてしまいがちなのだ。


 万里江などは、そういった点を危惧して「定期的に様子を見に行ってあげようか?」等と、似合わない優しい言葉をかけてきていたりもする。今回の件で、どれだけ心配をかけたか、という話でもあるのだろうが。


 ……ちなみに、冬華が俺の家へ看病に来てくれた件については、有耶無耶で終わらせていた。

 それとなく冬華に尋ねてもみたのだが、彼女はにっこりと微笑むだけで、何も言ってくれなかったのだ。

 深く追求しない方がいいことが、この世の中には、ある。


  ***


 そんなこんなで、時間はあっと言う間に流れていき――。


「さて、今後の予定だけど……。本社から提示された最初のイベントまで、いよいよあと一週間だ」


 いつもの「アークエンジェル」の会議室で、俺達は目前に迫った各種イベントの最終チェックを行っていた。

 本社から提示されたのは、いわゆる「地方営業」だ。

 ネット全盛の今の世の中にあっても、ファンと直接顔を合わせるイベントは効果が高い。物販なども、ただ通販で漫然と売るよりも、アイドルの「お渡し」があった方が抜群に売れる。

 そんな小規模な、ファンとの距離が近いイベントを全国行脚して行うのだ。


 場所は、地域のショッピングモールや大型CDショップが多い。変わったところでは、テーマパークなんてものもあるらしい。

 ミニライブも行う関係からか、ライブハウス等も会場に含まれている。


 既に冬華は、テレビやラジオ番組にいくつか出演し、有名音楽系動画チャンネルでも紹介してもらっている。

 SNS等ではじわじわとファンが増えていることが確認出来ていて、公式SNSアカウントのフォロワー数も着実に伸びている。

 各地イベントへの参加は事前申込制にしてあるのだが、順調に枠が埋まりつつあるらしい。


 グッズの類は、本社の専門の部門にお願いしてあり、既に一部が届き始めていた。

 デザインやグッズの種類については本社のデザイナーから提案してもらったものを、俺と冬華でチェックしてあった。

 定番の団扇、タオル、缶バッジ等など。今回は大人しめのラインナップだ。

 まだ、冬華のファンがどの辺りの層なのかははっきりしていない。少女アイドルの場合、十中八九男性比率が多くなる。が、女性ファンの多い少女アイドルも皆無ではない。

 年齢層などもまだ判明していないので、無難なラインナップにする必要があったらしい。


 冬華などは「オリジナルのヘアピンを作ってほしい」と提案までしてくれていたのだが、それは今後の流れ次第になりそうだった。


「うふふ。冬華、地方営業は初めてなので楽しみです」


 かなりの強行軍が予想されるにもかかわらず、我がアイドル殿は「楽しみ」と言ってくれていた。なんとも頼もしい。

 俺も出来れば全てのイベントに同行したいのだが、そこはそれ。先日の件もあるので、幾つかは千歳さんと万里江だけが同伴することになっていた。冬華も了承済みだ。

 『きちんと録画してもらうので、絶対に観てくださいね?』という圧もかけられたが……。


 ミニライブで歌う曲は、検討の結果「冬の星座を見上げて」の一曲だけになった。

 既に、冬華からせがまれていた、俺が作詞作曲した歌のプロトタイプも出来ている。だが、今から二曲目を完璧に仕上げるよりは、デビュー曲の完成度を上げた方がいい、と判断したのだ。

 もちろん、強行軍に挑む冬華の負担を減らす為でもある。なにせ、初めてのことなのだから。


「冬華ちゃんは度胸が座ってるわね! オバチャンが今までに担当したどの娘よりも、堂々としているわ!」

「千歳さんにも負担をかけるかと思いますが、どうかよろしくお願いします」

「なになに! こちとら慣れたモンだから! 春太くんは大船に乗った気持ちで、ド~ン! と構えておきなさい!」


 千歳さんには、冬華が学校と地方営業を両立する為の、綿密なスケジュール管理をお願いしていた。

 移動手段、宿泊先の確保、何かトラブルが起きた際の取り決め、エトセトラエトセトラ。

 流石は「ミカエル・グループ」の誇る敏腕マネージャーだった。全く頭が上がらない。


 その一方で――。


「ふふ~ん♪ 今回はちょっと、太っちゃうかも?」


 旅行雑誌を眺めながら、鼻歌など歌っている観光気分の社長バカが一人。

 頼りになるんだかならないんだか。我が従姉殿は、相変わらずよく分からない奴だった。


  ***


「冬華、もっと一音一音に気を配って! そんなでは、いざという時にミスりますよ!」

「はいっ!」


 更に翌日。冬華は事務所のレッスンルームで、ヴォーカルの先生から歌唱指導を受けていた。

 先日のライブでは、完璧な歌唱をみせた冬華。だが、先生から言わせれば、あれでもまだ百点満点の出来ではないらしい。


 発声というものは、その時々の体調に容易く左右されるものだ。

 だが、アイドルたるもの、どんなステージでも常に最高のパフォーマンスを披露しなければならない。

 アイドルにとってはいくつもあるステージの一つでも、ファンにとっては「その時にしかない、ただ一度」だからだ。一期一会の精神、と言えば分かりやすいか。


 とはいえ、アイドルも人間だ。体調を完璧にコントロール出来る訳ではない。

 どうしてもいつも通りの発声が出来なかったり、乱れてしまったりする時はある。

 それを極力ゼロに近付けるには、正しいメソッドでブレない歌唱力を身に付けるしかない、らしい。


「そう! その感じ! きちんと歌詞に寄り添って、感情を聴いてる人に伝えて! ――よし、今日はこのくらいにしましょうか」


 冬華が、何度目かの「冬の星座を見上げて」を歌い終わった後、ようやくレッスンは終了となった。


「お疲れ様、冬華」

「はいっ! うふふ、春太さんが聴いてると思ったら、ちょっとはりきっちゃいました」


 レッスンで上気した表情のまま、そんな嬉しいことを言ってくれる冬華。

 ――やだ、俺の担当アイドル可愛すぎない!?

 等と密かに思っていたら、レッスンルームのドアが開き千歳さんが顔を出した。どうやら、レッスンが終わるのを待っていたらしい。


「あ、冬華ちゃん。レッスン終わったところで悪いんだけど、ちょっと明日のスケジュールを打合せさせて」

「は~い。じゃあ、ちょっと行ってきますね春太さん」


 ペコリとお辞儀してから、冬華がレッスンルームを後にする。

 そんな仕草の一つ一つが可愛らしいのだから、もう反則だ。


「――可愛いわよね、彼女」

「っ!? っと、先生……お疲れ様です」


 突然、俺の内心を見透かされたような言葉をかけられ、ギョッとしてしまった。

 気付けば、ヴォーカルの先生がニヤニヤとした表情で俺の横に立っていた。


「冬華、君がいる時といない時とで、歌のデキが全然違うのよ。ホント、一途というかなんというか。モテる男は辛いわね、このこの!」

「ははは、よしてくださいよ。冬華とは、全然そういうのじゃないんで」


 どうやら、冬華の俺に対する好意は、先生にも伝わってしまっているようだった。

 流石に少し、自重するように伝えないと、いずれ関係者全員に知れ渡ってしまうかもしれない。

 彼女の気持ちは嬉しいが、それではお互いの為にはならない。


「まあ、そういうムラッ気がある内は、まだまだ半人前だけどね。恋心は内に秘めて、それでいていつでも変わらぬように燃やせないと、歌い手としての安定感には欠けるから」

「そういう、ものですか。俺なんかから見ると、冬華は既に一流の域に達してるように思えますが」

「もちろん、才能だけで言えば既にトップレベルよ? でも、プロとしてやっていくには、それだけじゃ駄目です。春太だって、分かっているでしょう?」


 突然、真剣な表情を見せた先生の姿に、思わず固まってしまった。

 この先生とは、実は長い付き合いだ。元々、この人はポップスの実力派歌手で、様々な有名アイドルのバックコーラスも務めていたことがある。

 教える側に転身してからは、幾多の歌手・アイドルを大成させてきた。

 それだけに、この人の言葉は重いのだ。


「冬華がトップアイドルになるには、もっと自分自身をコントロール出来なければ駄目よ。でなきゃ、化け物揃いのランキング上位のアイドル達には、太刀打ちできないわ。そう、例えばあの『江藤みのり』みたいな怪物には」

「――っ」


 先生の口から出た名前に、思わず言葉が詰まる。

 「江藤みのり」というのは、俺と同い年にして、現在「アイドル・ランキング」の上位にいる、トップアイドルの一人だ。

 やや鼻にかかった独特の歌声。低音から高音まで満遍なく伸びる抜群の音域。そして、聴いた者全てを魅了する圧倒的な歌唱力。

 冬華のように歌って踊れるアイドルとは違って、歌唱力一本でのし上がった、文字通りの怪物だった。

 そして――。


『うん、じゃあそういうことで。バイバイ、春太』


 振り向きもせず、ずんずんと遠ざかる誰かの制服の後ろ姿がフラッシュバックする。

 あの頃はまさか、彼女との差がこんなに広がるなんて想像もしていなかったのに――。


「――ちょっと、春太。大丈夫?」

「ああ、いえ。大丈夫です。まだまだ先は長いなって、考えてたもので」


 どうやら、大分ぼうっとしていたらしく、先生に心配されてしまった。

 いかんいかん。昔のことを思い出して固まるなんて、センチメンタルにも程があるぞ、俺。


「そうよ。先は短いようで長いんだから。冬華の才能を生かすも殺すも、君……ううん、アタクシ達周りの大人次第なんだから。気張ってよ? プロデューサーさん」

「ははっ。が、頑張りますので、どうか今後もご助力お願いします」


 先生の言う通りだった。冬華の才能にかまけて、俺達がサボっていてはいけない。

 冬華をトップアイドルに押し上げる為には、彼女自身の頑張りだけでは足りないのだ。俺達が、いや、俺がしっかりしなければ!


「もちろんよ。アタクシだって、冬華には期待しているし、全力を尽くすわ。でも、そうねぇ。あと一押し、欲しいのよねぇ」

「あと一押し? 何がですか」

「技術はいくらだってアタクシ達が教えてあげられるけど、それだけじゃ駄目なのよね。冬華が今後、ぐんと伸びるには、競争相手が必要よ。つまり、ライバル」

「ライバル、ですか……? ライバルなら、アイドル業界の全員がライバルみたいなものじゃないんですか?」


 そう言うと、先生は「チッチッチ」と指を振って否定した。

 どうやらそういう意味ではなかったらしい。


「そういう有象無象じゃなくてね。常に追い付き追い越しの関係で、お互いに切磋琢磨する、強敵と書いて『友』と読むような相手よ。アタクシが言ってるライバルは」

「ああ、なるほど」


 それならばよく分かる話だった。

 普通なら、同期デビューのアイドル辺りが競争相手になるだろう。だが、冬華は見事なスタートダッシュを決めてしまったので、既に同期デビュー組を突き放した感がある。

 年齢やデビュー時期が近くて、自分と比較出来るような同等の相手となると、確かに見当たらない。


「トップの背中ばかり見ていても、ね? 見つかるといいわね、冬華のライバル。こればっかりは、アタクシ達にはどうしようもないことだけれども」


  ――けれど、先生のこの危惧は結果として杞憂に終わった。

 まだ見ぬ冬華のライバルは、意外なことにその冬華自身の周囲にいたのだ。

 色々な意味で「規格外」のヤツが。

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