第五話「明日があるとはかぎらない」
――朝。
体温計の数値は、無情にも「38.5度」を指していた。
「……参ったな。まったく動けないぞ、これ」
自室のベッドにぐったりと寝転がりながら、俺は自分のふがいなさに打ちひしがれていた。
冬華のソロデビューのお披露目ライブは、予想外の大成功に終わった。
注目されなくて当たり前という状況の中、冬華は多くの人々の心を掴み、歓声を浴びた。
「アークエンジェル」には既に、各所からのオファーが殺到してさえいる。
スケジュール管理担当の千歳さん等は、嬉しい悲鳴を上げていたくらいだ。
もちろん、注目しているのは外部の人々ばかりではない。
「ミカエル・グループ」本体からも、冬華を全面的にバックアップして売り出すべく、新たなスケジュールが提示されていた。
二曲目以降の作成や各種イベントへの出演。動画サイトでのプロモーションビデオの公開、各種番組への出演。
デビューシングルのCD発売や配信開始に向けての準備も、並行して進めなければならない。鉄は熱い内に打つものなのだ。
これら全てを「次の一ヶ月の間にやれ」というのが、本社からの指示だった。
間違いなく強行軍だ。デビューイベントまでの二倍はきつい。
(それでも、やらなくちゃな!)
けれども、俺はその強行軍を前にして、むしろ燃えていた。
言わずもがな、冬華の中にトップアイドルになれる素質を見たからだ。
「彼女をトップまで押し上げるためなら、命を懸けてやる」と意気込んで――見事に過労で倒れたのが、今現在の状況だった。
『無理はせず、二日間くらいは休みを取りなさい。スケジュールには響かないから』
スマホの画面には、万里江からのそんなメッセージが表示されていた。
実際、俺が二日程度休んだところで、全体のスケジュールには影響がない。
――というのも、俺にはそもそも、どんな作業も「前倒し」してやる癖があるのだ。締め切りを破ったことが無いばかりか、依頼人がドン引きするくらいの早さで納品することで有名なくらいだ。ちょっと自慢でもある。
今回も、その癖が発動した。それも、今まで以上に、だ。
結果として俺は、二週間程度で冬華の次なる楽曲を作成し、関係各所への提案書を完成・送付。全てをこれ以上ないくらいに前倒して進めていた。
だが、それがいけなかった。
明らかなオーバーワークの結果、体調を崩し、こうして倒れてしまっていた。
本当なら休んでなどいたくはないのだが、残念ながら体も頭も全く働いてくれない。
千歳さんが医者を手配してくれて、既に自宅で診察も受けていた。医者が言うには「重度の過労なので、休息すべし」ということだった。
(実際、こんなにフラフラじゃ完璧な仕事なんて望めないしな……)
体は殆ど動いてくれない。寝返りを打つのも大変なくらいだ。
頭は熱に浮かされてろくに働きやしない。――考えてみれば、高熱なんて出すのは子供の時以来だ。
熱って、こんなにきついものだったか。
(こんなんじゃ、プロ失格だよな……)
自己嫌悪で潰されそうになる。
「体調管理も仕事の内」等とよく言うが、それでいったら今の俺はまるっきり駄目の駄目駄目だった。
いくらスケジュールに影響がないとはいえ、プロデューサーである俺が倒れてしまっては、周囲にいらぬ心配をかけることにもなる。
冬華は本物だ。本物の逸材だ。きっと俺以外の誰かがプロデュースしても、素晴らしいステージを見せることだろう。
もし万が一、冬華が「売れない」なんて結果になったら、それは十中八九プロデューサーである俺のせいだ。そんな最悪の事態は避けたかったのだ。
冬華のように年若いアイドルの旬は短い。今のように可愛らしさを全面に押し出した売り方が出来るのは、あと一、二年が限度だ。やり直しはきかない。
『残念ながら、バンドは解散だ』
いつかマイケルのオッサンに告げられた、死刑宣告の言葉が脳裏に蘇る。後にも先にも、オッサンのあんなに申し訳なさそうな顔を見たのは、あの一度だけだ。
あの時の俺は、一体どんな顔をしてその言葉を聞いていただろうか。
俺は既に一度、大きな失敗をしてしまっている。もしまた何かをやらかせば、二度と音楽業界に関わることは出来ないだろう。
それはそれで仕方がない。だが、それに冬華を巻き込む訳にはいかない。
俺が倒れてしまったのは、俺自身の中にある焦りの気持ちのせいだ。不甲斐ないこと、この上なかった。
――駄目だ。
熱のせいか、起きているとネガティブなことばかり考えてしまう。大人しく寝よう。
何か楽しいことや、美しいもの思い浮かべながら寝よう。そうしないと、悪夢を見てしまいそうだ。
……そうだな。この間の冬華のステージでも思い返しながら、寝よう。
あのステージは本当に美しかった。グループ活動という前歴があったとはいえ、ソロデビューの、しかも注目されにくいステージであのパフォーマンス。
冬華は紛れもない逸材だ。アイドルに最も必要な、度胸やカリスマを持ち合わせている。
もちろん、歌も踊りも素晴らしい。レッスンに挑む姿もひたむきだ。
まだ十六歳の少女だとは思えないくらいに、仕事に対する姿勢もしっかりしている。
……しかし、分からない。
どうして、あんなにいい娘が、俺なんかに一途とも呼べるような想いを向けてくれるのだろうか?
最初は「何か裏があるのでは?」と勘繰ったものだが、冬華の気持ちは純粋そのものだった。
くすぐったいくらいにひたむきな、少女らしい恋愛感情だ。
もちろん、悪い気はしない。冬華は掛け値なしの美少女だ。
性格も――時々暴走気味になるが、基本的にはおっとりしていて気立ても良い。
だが、同時にまだ十六歳の女の子だ。二十五歳の俺が手を出していい相手じゃない。そこはきちんと一線を引かなくてはならない。
そもそも、年齢のことがなくとも、担当アイドルに手を出すようでは、プロデューサー失格だろう。
かといって、彼女の気持ちを邪険にも出来ない。
大切に大切に、細心の注意を払って。蝶のように花のように、優しく優しく接してあげねば。
「冬華……」
そんなふうに、彼女のことばかりを考えていたら、知らず知らずに名前を呼んでしまっていた。
これでは、どちらが恋焦がれているのか分かったものではない。
一人ぼっちで高熱に浮かされながら、口元だけが自嘲に歪む。
――と、その時。
「はい、春太さん。冬華はここにいますよ」
そこにはいないはずの少女の声が、俺の部屋に響いた。
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