ミディアムレアのヒトデ

@dai2022

ミディアムレアのヒトデ

 当時、タカシは22歳で、20歳のミサキと交際していた。二人は大学のサークルで出会い、何度かの飲み会とデートを経て、タカシの方から告白した。ミサキもまあ、そんなに悪くはないかなという感じでそれをオーケーして、二人の交際が始まった。

 二人が付き合い始めて半年が経った。その日は秋の夜で、雨が降っていた。タカシのスマートフォンに着信がはいった。ミサキだ。タカシはテレビゲームで遊んでいたから、電話に出るのが少し遅くなった。5コールほど聞き過ごしてから、通話を開始した。

 その時タカシは、少しだけ不吉な雰囲気を感じ取っていた。前回ミサキと会ったときのことを思い出したからだ。三日前に遡る。

 その日二人はディズニーランドに遊びに行った。ミサキが行きたがっていたのだ。そのために3か月くらい前からミサキが予定を立てて、チケットまで取ってくれていた。ミサキは髪を後ろで結んでいて、くるぶしまであるスカートとスニーカーをはいていた。どちらかというと、動きやすさを重視した服装なのだろうとタカシは判断した。あまり気合いの入った服装に見えなかったからだ。二人は朝に駅で待ち合わせて、一緒に電車に乗った。電車がディズニーランドに近づくにつれて、電車に乗り込む男女はどんどん都会的に洗練された服装、もしくは流行りを敏感に取り入れた服装を身につけるようになっていった。例えば、センターパートの黒髪に銀色の大ぶりのピアスを垂らした男と、学校の制服かもしくは制服のように見えるセーラー服を身に纏った女が楽しそうに身を寄せ合いながら電車に乗り込んできた。タカシからして、二人の容姿のレベルは自分達よりずっと高かった。タカシは自然とその男に対して敵対心を持ち、女に対して敵対心と欲望を抱いた。長いスカートを履いていたミサキと比べて、制服を着た女のスカートは圧倒的に短くて、太腿も魅力的だったのだ。ほとんど無意識に、女の方をチラチラ見てしまったことを記憶している。

 それがまずかったのかもしれない。もしくは、そういったよくないことの無意識の積み重ねがあったのかもしれない。電車から降りる頃には目に見えてミサキが不機嫌になっていた。失敗した。とタカシは思った。これから一日中ディズニーランドで遊ぶのに、この調子ではどうしようもない。タカシは気合を入れて、ミサキの機嫌をとることに決めた。まずミサキの服装を誉めた。出会った時にしておけばよかったな、と少し反省した。まあ、次回のデートで活かすことにしよう。それからディズニーランドの中でも評判の良いレストランで食事をした。二人でピザを食べたが、これはお世辞抜きで美味しかった。ミサキの話もいつも以上にしっかりと聞いた。努力の甲斐あってか、ミサキの機嫌は少しずつ回復していったように感じられた。しかし、何かがタカシの心に引っかかっていた。ミサキは心の底からデートを楽しんではいない。笑顔がひきつって見えた。しかしそれはただの気のせいかもしれない。アトラクションの乗り物には4回も乗れたし、二人で並んでチュロスだって食べた。上出来じゃないかとタカシは思った。そして二人は帰りの電車に乗り、楽しかったねと言って別れた。タカシは帰りの途中でホテルに誘ったけど、やんわりと断られてしまった。まあ、ちょっと残念だけどそういう日もあるだろうと思った。これが三日前の出来事だ。

 通話が始まって、真っ先にミサキが別れ話を切り出してきた時、嫌な予感が当たってしまったなとタカシは思った。ミサキは別れる理由について、自分からは詳しく話そうとしなかった。ただ、「ちょっと二人の相性に疑問がある」みたいな、当たり障りのないようなことを言っただけだった。当然タカシは納得できなかった。タカシはミサキのことが本当に好きだったし、実は結婚すら考えていたのだ。タカシはミサキの気を逆撫でしないように注意しながら、僕は別れたくない、というようなことを言った。しかしミサキの決心は固いようだった。タカシは半ば観念して、僕のどういうところが悪かったんだろう? と聞いた。ミサキは答えたくなさそうだったが、タカシはしぶとく食い下がった。ミサキも観念して、別れ話を切り出した理由について話し始めた。

「あなたの耳の形がどうしようもなく嫌だったのよ」

とミサキが言った。耳か、とタカシは思った。

「耳って、今電話に押し付けているこの耳のこと?」

「そう、その耳」

「ちなみに、どういうふうに嫌だったの?」

ミサキはまた言い淀んだ。正直に言ってほしいとタカシは促した。

「その、なんというかごめんなさい、気持ち悪いと思っちゃったのよ。あんまり気を悪くしないでほしいんだけど」

「どんなふうに気持ち悪いと思った?」

 タカシは追求するのをやめられなかった。実は、その耳はタカシの昔からのコンプレックスでもあったのだ。鏡を見るたびに、自分でもなぜか不快に感じるほどに耳の形や色が気に入らなかった。子供の頃、クラスメイトたちの耳と自分の耳を何度も見比べたことがある。前の席の女の子の耳をこっそりと何十分も観察したこともあった。しかし、自分の耳と他人の耳の決定的な違いはわからなかっら。なぜか自分のは気持ち悪いのだ。

「なんと言うか、気分が悪くなるのよ。ごめんなさい、嫌な例えだけど、あなたの耳は干からびたヒトデみたいに見えるのよ。それで、なんだか生臭い匂いすら漂ってくる気がして、ごめんなさい、ちょっと吐きそうになったこともあったのよ」

 ああ、そうかとタカシは思った、自分でも気づいていたのだ。自分の耳は、なんだか干からびた海産物に見えるのだ。いや、干からびたと言う表現は少し間違っている。僕の耳は言うなればミディアムレアの干物なのだ。表面は乾いているが、中は生っぽい。釣り人が堤防に投げ捨てたヒトデみたいに。ジリジリとした夏の日差しとコンクリートに焼かれ、ヒトデは死んでしまう。死んだヒトデは表面から乾いていき、いずれ完全に干からびるだろう。その過渡期にある、ミディアムレアのヒトデの干物が、ぼくの耳なのだ。

 タカシは耳が気持ち悪いと言われて、少なからずショックを受けた。決して軽く受け流すことはできなかった。しかしこれは受け入れなければならないことだ。だって彼女と僕が同じような感想を僕の耳に対して抱いているのだから、それはもうほとんど一般的視点からの評価と言っていいのだろう。他の人もきっと、僕の耳を見てミディアムレアのヒトデみたいだと思っているに違いない。気を取り直そうとタカシは思った。僕はミサキと別れたくない。もっと他に原因があるのかもしれない。直せるところがあったら、直せるかもしれない。耳のことはどうしようもないけれど……。

「ちなみにさ、他に嫌だったところはある?」

「実はね」とミサキが言った。「あなたの嫌なところをランキングにしてあるの」

「ランキング?」と言って、タカシは怯んだ。メモ用紙にでも僕の嫌なところを書き連ねているのだろうか。彼女の決心はやはり固いのかもしれない。確実に僕との関係にケリをつけるために、しっかり準備して臨んだのだろう。しかしここで引くわけにはいかなかった。半ばヤケクソだった。

「ちなみに、僕の耳はそのランキングで何位なの?」

「四位よ」

 四位か。とタカシは思った。耳の件で、少なからず衝撃を受けたのだ。これ以上のネタがあと3つもあるのだと思うと、気が遠くなる。

「私だって、人の嫌なところをぐちぐちと本人に言い聞かせたりしたくないんだけど」

 確かになとタカシも心の中で同意した。彼女のそういうところも好きだった。

「だから、何も聞かずに別れてくれると助かるわ」

 彼女がそういうと、二人の間に沈黙が訪れた。それから先のことはタカシはほとんど覚えていない。何かくだらないことを話して、お互い幸せになろうぜみたいなことを言って、電話を切ったんだと思う。唯一、電話を切る直前にミサキが言ったことを強く覚えている。

「男の人は、こうやってフラれて少しずつ大人になっていくんだって、昔読んだ少女漫画に書いてあったわ。きっと良い人にすぐ出会えるわよ」

 電話を切った時には雨はあがっていた。

 その後は、二人は一度も会っていないし、一切連絡も取っていない。

 

 ミサキと別れてから10年経った。タカシはあの後しばらくしてから失恋のショックから立ち直り、一人の女(ヒカリという)と交際し、そしてめでたく結婚した。ミサキとの経験は、間違いなくタカシの血肉になっていた。痛い目を見たおかげか、女性との付き合い方も少し身につけた気がしたのだ。今の妻であるヒカリと結婚できたのも、ひょっとしたらミサキにフラれたおかげかもしれないとすら思う。

 タカシとヒカリは結婚から5年が経過していた。もうとっくに恋は終わり、愛を深めていく段階にあった。しかし二人の関係は微妙な局面を迎えていた。タカシはあのディズニーランドに言った日を思い出した。あの独特の煮え切らない雰囲気をさらに何倍も増幅させたものが二人の間に漂っていた。

 ヒカリがリビングのソファで横になっていた。タカシが前を横切っても顔を上げようとすらしない。タカシは家を出て、しばらくあてもなく歩いた。頭の中で考えがぐるぐるとループしていた。ヒカリは僕のことどう思っているのだろう? このままでうまくいくのだろうか?

 いつの間にかタカシは駅にいた。そういえば、あの日この駅でミサキと待ち合わせたんだったなと思った。そしてふと、ミサキに電話をかけたい衝動に駆られた。

 例のランキングの三位から上を聞けば、ひょっとしたら現状を打開するヒントになるかもしれないとタカシは思った。幸い、ミサキの電話番号はまだ電話帳に残っていた。かけようと思えばいつでもかけられる。着信拒否されているかもしれない。でもきっとミサキはそんなことしないだろう。

 ミサキは何をしているだろうか?結婚したのか、まだ独身なのか? 既婚の男性が、昔付き合っていた女に電話をかけるのは、一般的にマズイ行為なのだろうか? 面倒は避けたいし、女はそういったことに敏感なのだ。ヒカリにバレたら大変かもしれない。ミサキが電話に出たら、なんと話を切り出せば良いだろうか。例のランキングについて、全部教えてくれないかと言って、ミサキはすぐにわかってくれるだろうか。ミサキなら、待ってましたと言わんばかりに全部話してくれるんじゃないだろうか。

 タカシは悩みに悩んだ。そして震える指で電話番号をタップした。

「おかけになった電話番号は……」

 冷たいアナウンスが聞こえた。そしてタカシは心の底からホッとした気持ちになった。これでミサキとの繋がりは完全に断ち切れたのだ。ランキングのトップ3は、きっと死ぬまで不明のままだろう。僕は自分の力で目の前の問題をどうにかしなくてはならない。どうにか乗り切ってやろう。タカシは決意した。

 

 そういえば、ヒカリは僕の耳をどう思っているんだろう? とタカシは思った。やっぱりミディアムレアのヒトデみたいだと思っているんだろうか。タカシは苦笑いして、自宅に向けて歩き出した。そして冗談のふりをして、ヒカリに「僕の耳、どう思う?」と聞いてみようと決めた。

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