信じた手紙は花の香り

加藤ゆたか

信じた手紙は花の香り

 それは月の無いよるのことであった。

 もちろんわざわざこの日を選んだのだ。

 俺が目の前の男の提灯ちょうちんを切り落とすと、あたりはすっかり暗闇くらやみに染まる。

 さけびながら逃げようとする男の声で居場所いばしょがよくわかった。

 俺は男の背中せなかをめがけてかたなを振り下ろした。

 まよいが無かったわけではない。しかし、これもそれも二人の将来のため。

 俺は男のいきが止まっていることを確認すると、人が来ないうちにとその場をはなれた。

 なんだ、簡単なことだ。

 やみは俺の顔も姿もかくしている。だれにも見られてはいない。

 そして、闇はすっかり俺の心も染めてしまっていた。


     *


 時はさかのぼる。

 それは薬売りのおなつ故郷こきょうより俺のもとに届けた一通の手紙が問題であった。

 手紙があること自体は問題ではない。その中身である。



 俺、山本一之進いちのしんかぞえで十九。江戸に出てもう三年になる。

 今の俺は情けないことに江戸の長屋ながやまいをいられている浪人ろうにんであった。

 俺の家は武家ぶけであったが、父の失態しったいにより家は取りつぶされた。義母ぎぼとまだ幼かった弟は義母の実家にあずけられたが、元服げんぷくをして父の手伝いとしてしろづとめを始めていた俺は家を継承けいしょうできず行き場を失った。

 叔父おじの佐々木忠右衛門ちゅうえもんが父の潔白けっぱくうったえ、俺の家の再興さいこうを目指しはたらきかけてくれているが、はんを追われた俺はそれを待つあいだ、こうして江戸に流れつき日銭ひぜにかせぐ生活をしている。

 薬売りのお夏が定期的に持ってきてくれる手紙はその叔父のむすめうめからであった。お梅は俺の従兄弟いとこで幼なじみであり、俺の許婚いいなづけでもあった。

 俺はこの苦汁くじゅうちた日々を、お梅からの手紙だけをたよりに暮らしていた。もちろん、返事はすぐに書いてお夏に持たせている。



「一之進様、いらっしゃいますか?」

「ああ、いる。お夏か、待ちわびたぞ。」


 夏の強い日差しをけるため、昼間の俺は長屋の奥でておりがちであったが、の向こうの声を聞いて飛び起きた。

 えりかさね合わせ、かたちばかりぎれいにした後、俺は戸を開けてお夏をむかえ入れた。


「寝ていたのですか?」

「ん? まあ、そんなところだ。この暑さではな。」

「そんなで刀はびてしまいませんか?」

「何を言うか。これだけはおこたってはおらんよ。いずれ俺は家を再興せねばならないのだから。それより……。」

「はい、これですね。預かっていますよ。」


 お夏はおっていた薬箱くすりばこを降ろすと、小さくりたたまれた手紙を薬箱から取り出して俺に手渡した。

 ほのかに花のかおりがする。お梅からの手紙にはいつも花の香りが付けられていた。毎回違うのだ。俺にはそれがどのような花なのかはわからなかったが。


「何か買ってくださいますか?」

「そうだな、適当に胃腸いちょうの薬と、二日酔いにくものがあればそれを。」

「はいはい、かしこまりました。」


 俺はお夏の問いには適当に答えつつ、お梅から手紙を広げた。いつものようにすぐに返事を書いてお夏にわたさねばならなかった。

 叔父の訴えは相変わらず藩に相手にされていない、俺の家の再興の話はとんと進んでいないようだ。まあ、それはここ二年くらい同じ内容である。お梅からは、俺がこいしい、俺に会いたいという言葉がつづられている。俺だってお梅に会いたい。早々にこの状況から抜け出したい。それは何度も手紙に書いてきたことだった。

 しかし、叔父の方で結果が出ないことには……。それも何度も書いてお梅に伝えてきた。今、俺が故郷に帰れば命もあやういと叔父には言われている。

 またいつもと同じやり取りか……。

 俺は気落ちしつつもお梅の手紙を読み進めて、ふと手を止めた。

 これは、何が書いてある?


「どうなさいました、一之進様?」


 お夏が俺に声をかけた。

 いつもなら、俺が早々に返事のためのふでを取り、お夏にしばし待つように言うところ、いつまでっても声がかからないのを不審ふしんに思ったのかもしれなかった。


「いや、何もない。待ってくれ、すぐ返事を書くから。」


 俺は筆を取って目の前の手紙に向かったものの、さてどう返事を書いたものかと思案しあんした。

 お梅からの手紙には、ある男を殺してほしいと書いてあったのである。



 その男は、菊屋きくや小五郎。俺の故郷の国出身の商人であるらしい。いや、菊屋の名前は聞いたことがある。かなりの大店おおだなだ。

 手紙には、小五郎が江戸に来ていること、小五郎を殺せば俺の家の再興につながるとだけ書いてあった。いったいどう繋がるというのか? この手紙だけでは何もわからなかった。

 だが、子細しさいを手紙でうたところで、お梅が返答を書いてよこすだろうか? この殺人の依頼でさえ、誰かの耳に入れば大事おおごとである。


「お夏、次に江戸に来るのはいつだったかな?」

一月ひとつき後になりますが……。」

「では、その時にまた手紙の返事を取りにきてくれ。何、たいしたことではない。すみが切れてしまっていて返事を書けないことに気付いたのだ。お梅にもそう伝えてくれ。」

「わかりました。それではまた一月後……。」

「ああ、達者たっしゃでな。」


 俺はお夏を送り出した後、またお梅からの手紙の前に座り、うーむと唸った。どうしたものか……。



 結局のところ、俺はお梅を信じ、菊屋小五郎を殺すことにしたのである。


     *


 俺は小五郎を斬った刀の血を洗い、あぶらをぬぐったが、人を殺すとは案外こんなものかと冷静でいた。よし、刃こぼれは無いな。我が剣術もおとろえてはいないようだった。

 それからの日々もあっけないほど何もなく過ぎた。

 小五郎が殺されたこと、うわさとしても聞こえてこない。いや、おそらく町では事件として扱われただろうが、この長屋まで届いていないのだ。

 俺はつくづくこの町では存在感がないのだとわかり苦笑くしょうした。これならば、下手人げしゅにんとして俺まで手が伸びることもないだろう。この町では、誰も俺のことなど知りはしない。

 俺は、さすがに直接的な表現は避けたが、小五郎殺しの成功の報告をお梅あての返事の手紙にしたため、お夏の来訪らいほうを待った。



「一之進様、いらっしゃいますか?」

「ああ、お夏。待っていたぞ。手紙は、ここに。」


 季節は秋に入ろうとしている。少し肌寒い風が開けた戸から吹き込む。

 お夏は戸の前に立ちながらも、なぜか長屋の中には入ってこようとはしなかった。


「一之進様。それはもういいのです。」

「もういい? それとは?」

「手紙です。」

「どういうことだ?」


 お夏の言うことは要領ようりょうを得なかった。

 もういいとは。お梅は俺の返事を心待ちにしているはずなのだ。


「菊屋小五郎を見事お斬り捨てになられた。」

「……なぜそれを知っている?」

 

 お夏は俺を見据みすえて言う。


「あの手紙は私が書いたのです。いえ、これまでの手紙もすべて。」

「……なんだと?」

「一之進様の叔父、佐々木忠右衛門殿は元より、あなたのお家再興のための働きかけなどしておりません。お梅さんもあなたのことなど忘れて、別の方のところにとついで子をしておいででした。」

「お夏、何を言っているのだ?」


 俺はお夏の言ったことを頭では理解していても、理解したくなかった。お夏だけではない、叔父上もお梅も俺のことをだましていたというのか。


「……では、なぜこんなことを? 菊屋小五郎を殺すためか?」

「いいえ、すべては復讐ふくしゅうのためです。そのために一之進様を利用しました。」

「復讐……。」

「菊屋小五郎はお梅さんの旦那だんなです。先日、菊屋は潰れ、お梅さんも心労しんろうで亡くなりましたよ。菊屋とあなたの叔父殿は共謀きょうぼうして藩の金を横領おうりょうしていました。その証拠しょうこを知ってしまったあなたのお父上は、叔父殿にはめられたのです。そして、私の父も同様に殺されました。」


 父が不正の罪で捕らえられた時、父の共犯として一緒に捕らえられた商家しょうかがあった。あれは確か……。


「桜屋か。」

「そうです。父は罪を着せられ殺される前に、私にすべてを話してくれました。私は薬売りに身をやつし、復讐の機会をうかがっていたのです。」

「そうだったのか。」


 俺は父のことを信じていなかった。バカなことをして家を潰したとうらんでさえいた。


「なぜ、俺に話した? 目的をげたなら、もうここには用は無かっただろう。」

「それは、一之進様の手紙が、あまりに切実だったから。そのおもいの向かう先が私であったらと……。」

「それを聞かされて、そのような気持ちになるはずがない。」

「そうでしょうね……。」


 俺は刀を手に取った。


「お夏、ここに来たということは、こうなることも覚悟かくごの上だな?」

「……はい。」


 俺は刀を抜いて、お夏に刃を向ける。

 もう俺は一人殺している。あと何人斬ろうとも心が動くことはないだろう。

 お夏は目をつむり、俺に斬られるのを待っていた。

 ……いや、待てよ。


「最後の手紙は用意していなかったのか?」

「……いいえ。」


 お夏はそっと小さく折りたたまれた手紙を俺に差し出した。

 その手紙には、以前と変わらない字でお梅を名乗る者が、お家再興の目途めどが立ったと書いていた。手紙にはいつものように花の香りが付けられている。今までのお夏の話がすべて真実であるなら、こんなものを用意する意味などないはずだ。


「……俺はもう、自分の目で見たものしか信じない。」


 俺は刀をさやに収めると、お夏をその場に残してすぐさま故郷に旅立った。

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信じた手紙は花の香り 加藤ゆたか @yutaka_kato

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