機械の嘘





紫垣しがき製菓工場での今日の操業が終了した。

誰もいなくなった機械のそばに紫垣が立っていた。

会社は連休でしばらく休みだ。

工場内は静まり返っている。


彼は老舗製菓の御曹司だ。


それほど大きくない会社だが、

製品の質の良さで安定した売り上げがあった。


だが、いつからおかしくなったのだろう。


彼は家訓で工場の下働きから働き出した。

大学は出たが下の下からだ。


だがそれが嫌だったのではない。

もし自分が上に立った時に

従業員の事を理解するのは自分の使命だと思っていたからだ。


「それが人生勉強だ。」


と自分の父が言った。

祖父も叔父も言った。


古くからの従業員もそれを知っているからか、

社長の息子だろうが遠慮がなかった。

そして物を作るのは本当に楽しかった。


それが小さいながらも長続きし、

質の良いものを作れる要因だったのだろう。


それが、ある時自分はいきなり常務にされた。


そして皆の目つきがおかしくなる。

優しかった家族が自分を人前でも𠮟りつけるようになった。

従業員も皆刺々しい。

小さな事故が頻発して起きたりする。


そして自分自身も怒りが抑えられなくなった。

子供の頃からどれほど自分が我慢して来たか。

そればかりが頭に浮かぶ。


だが、ゆかりが会社に来た。


あの定食屋の紫だ。


あの店の親父は気持ちのいい男だ。

おかみもおおざっぱだがほっとする。

そして紫は……。


少し影のある女性だった。


引っ込み思案で大人しい女性だった。

定食屋で一生懸命働いている姿を見ると自分に重なった。

彼はその店に行くのが密かな楽しみだった。


しかし、いつから行かなくなったのだろう。

会社に赭丹導あかにどうと名乗る奴らがやって来たのはいつからだっただろう。


そして鬼が自分の会社に入り込むとは。


それに自分は近寄ってかんざしを抜いた。


今思い出すとぞっとする話だが、

その時はそれすら快楽に近かった。


自分の様子の変わり方に

ついにたまりかねて紫に会いに行ったのだ。

彼女の顔が見たかった。

あの頃に戻りたいと彼は強く思った。


工場の機械に彼は触れる。


彼は知っていた。

昔とは違う質の悪い豆を使っているのを。


美味しい製品を作っていた機械は、

今は延々と嘘をつかされているのだ。


だがその時、あかぎりのようなものが静かに彼を包んだ。


霧に包まれると彼はふらふらと歩き出した。

それには彼の意思は無いようだった。










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