3

「本当に、安斉なのか?」

「お前は本物の黒井良樹くろいよしきだと、自己を証明できるのか?」


 安斉は頭を英李の手によって抱き起こされながら、良樹に語り掛ける。


「その口調、考え。まんま十年前を思い出すよ。本当に、安斉なんだな?」

「黒井のその思考の冷静さは、確かにあの頃のままだ。久しぶりだな」


 ――久しぶり。


 その言葉を発する頭部と上半身だけの男に対して、良樹は学生の頃のような気分では流石に対話できない。彼を持つ少女のこともあるが、その足元でだらりと両手を伸ばして倒れている汚れた熊のぬいぐるみのように、圧倒的な無力さを自覚して相手の雰囲気に呑み込まれてしまっている。


「美雪たちも、来ているんだろう?」

「あ、ああ」


 そう言えば、と窓の外を見やる。

 いつの間にか家の外側で響いていた物音は静まり、美雪たちの姿はすっかり見えなくなってしまっていた。


「あの時は黙ってこちら側に来てしまって、申し訳なかったな。みんな驚いただろう?」

「驚いたというか、誰も安斉が無事だとは思ってなかったし、君の親御さんは法的に死亡を認めたよ」

「黒井。生きているとは何だ? 死んでいるとは何だ?」

「急にそんな禅問答をされても困るよ」

「相手が目の前にいて、言葉を交わせる。それだけでいいじゃないか。そこには友情も、もっと言えば愛情だって存在する。人間と人間の関係は如何にお互いのことを深く理解し合えるかどうかだ。生きているか、そうでないか。そんなものは些末な問題だと、君もこちら側に来れば分かる」

「こちら側とは、何だ?」

「問いかけるまでもなく分かっているのに、わざわざ相手に言わせようとするのは君の悪い癖だ。そうだろう?」


 全て見抜かれている。

 学生時代から変わらない良樹と誠一郎の関係がそこにはあった。


「それじゃあ本当に君もホムンクルスになった、というのか?」

「ホムンクルスは人造人間のことだから、正確には異なっているな。ただ博士たちは彼女を生きた人形という意味でライブドールと呼んでいた。LD。けれどね、本来はこう呼ぶべきなんだ。ラシャール・ドール。君も少しは調べたから分かるだろう? この黒猫館がただのカラクリ拷問ごうもん館ではなく、彼の唯一の血のつながりをもった娘を生かす為に造った施設だということを」


 やはり安斉は知っていたのだ。建築家であり芸術家でもあるラシャールがここを建てた本当の意味を。そしてそれを利用し、里沙の父親たちの研究グループがホムンクルス計画を実現させ、それによって事故で亡くなった西雲寺の娘をよみがえらせていたことを、分かっていた。だからこそ、あの日、安斉誠一郎はこの黒猫館にやってきた。


「ここに来れば彼女に会える。それを知っていたから、あんな子供だましの黒電話の怪談に乗っかったのか?」

「黒電話はね、この地下室に下りる為のトリガーだったんだよ。俺にとってはあの世と繋がる黒電話という意味で、本当だった訳さ」

「深川さんをそれに巻き込もうとしたのは何故だ?」

「それは……」


 誠一郎が何か言いかけたところで、家に誰かが入ってきた。


「安斉君!」


 美雪だ。彼女は何故か水を髪から滴らせながら、肩で息をしている。


「おお、誰かと思えば美雪じゃないか。君なら必ず来てくれると思っていたよ」


 誠一郎は変わらない様子でにこやかにそう声を掛けたが、美雪の方はそうはいかなかった。


「安斉、君……なの?」

「どうしたんだ、美雪。俺のことはもう忘れてしまったのかい?」


 彼女も良樹と同じだった。あの頃と同じように喋っている彼と、目の前にいる安斉誠一郎の一部だけになっている存在が、頭の中で合致しない。美雪は何度も良樹を見て、助けを求めた。


「深川さん。彼は、ホムンクルスになった」


 良樹は諦めを含めてそう伝えた。けれど彼女は首を横に振り、


「違う」


 と言った。


「安斉君はそんなバケモノじゃない!」

「化け物とは酷いなあ。これでも立派に生きている、いや、死んでいないんだがな。ともかく、英李。ようやく揃ったよ。君との約束を果たせそうだ」

「そう? じゃあこの娘が、一番優れているのね?」

「ああ。君の、新しい体だ」


 誠一郎と英李は共に笑うと、涙を滲ませてそれを眺めていた深川美雪ふかがわみゆきに、英李が歩み寄り、良樹が見ている前で彼女は美雪の右腕に食いついた。


「きゃあぁぁ!」


 何をされたか分からない美雪はそれでも悲鳴を上げ、腕を振る。けれどそれでは英李は離れず、美雪の肉を食い千切ってしまった。口の回りに血が飛び散り、美雪の腕からは滝のように血が流れ落ちる。


「深川さん!」


 良樹は慌てて駆け寄ろうとしたが、何かに腕を掴まれた。振り返るとそこには安斉誠一郎の口があった。左手に噛み付いている。


「や、やめろ!」


 思い切り腕を振るが、それは離れない。

 そのうちにも深川美雪は西雲寺英李に押し倒され、上から首筋に噛みつかれた。彼女は声すら出せず、ひくひくと小刻みに痙攣している。


「深川さん!!」


 良樹は自分の左腕に噛み付いているものを地面に叩きつけ、なんとか引き剥がすと、英李を後ろから掴み、引き剥がそうとする。だが彼女の力は相当強く、何度も美雪に噛み付くのを止められない。


「なんでこんなことを!」

「ホムンクルスはな、失敗だったんだよ」


 それは安斉の声だった。


「人を永遠に生きさせることは不可能だった。普通はそこで研究は終わりになる。だが父たちはそうは考えなかった。永遠に生きることが無理なら、永遠に生き延びさせればいいと」


 彼の落ち着いた声が頭に入ってくるが、考えたくなかった。良樹はその間にも英李の首に左腕を回し、絞めるような形になって全体重を後ろに掛ける。


「ホムンクルス計画は他人の細胞を取り込んで、自分の体組織の一部にしてしまう。そういう研究だったんだ。俺は父のパソコンにその文書を見つけた時に、震えたよ。そんな非現実がまかり通っていいのかと。だがここに来て、彼女に出会い、それはすぐ確信に変わった」


 と、英李の首が明らかに可動域を超えて後ろ側へと反っていく。


「英李はちゃんと俺のことを覚えてくれていたよ。ホムンクルスが何だっていい。それだけで良かった。だから彼女が食べさせて欲しいと言ってきた時、俺は何の抵抗もなく自分を差し出した」


 骨が折れる音が、左腕を通して響いた。


「彼女に食われながら、俺はこの日の為に生きてきたんだと、そう思っていた。死んだと、思ったよ。けど、どれくらいだろう。ある時、目を開けることができたんだ。どうやら俺もホムンクルスになったらしい、と分かった。その感動。二人で永遠に生きていけるという感激。これが君らには分からんだろう?」

「わかりたくも、ないね」


 英李のくぐもった呻きが、何かの拍子に出来損ないの笛の音に変わった。


「永遠? そんなものの為に他人を犠牲にして生きていくなんて、僕には分からないよ!」


 英李の両手が彼女から離れる。それでも良樹は後ろに体重を掛け続け、遂には英李の頭が体からずるりと抜けた。

 そのまま強か後頭部を床に打ち付けたが構わない。すぐ体を起こして深川美雪を見たが、そこにはもう、血塗れになった元人間しか横たわっていなかった。


「美雪……さん」


 彼女の体の上で、自分の頭部を探して英李の体が手足をじたばたさせている。良樹はそれを蹴飛ばすと、美雪の上に重なり、彼女を抱いた。


「どうして、こんなことに……」

「おい! 黒井!」


 桐生の声がする。


「桐生さん! 深川さんが……深川さんがやられた!」

「こっちもどうしようもない。とにかくここを出るぞ」

「でも深川さんが!」

「置いていけ。俺たちまで、命が危ない」


 一瞬良樹は自分もここで死ねばいいとすら考えたが、それではただ安斉たちを生き永らえさせるえさになるだけだと思い直し、彼女の体を離れた。


「黒井」

「安斉」


 彼の頭が、良樹を見上げている。


「人を食わなかったら、どれくらいお前たちは生きられる?」

「さあな。死ぬまで生きてみたことはないから分からんな」

「そうか。じゃあ、死ぬまでがんばれよ」


 それだけ言い残すと、良樹は十年前の友人の頭部を思い切り蹴りつけ、その禍々まがまがしい家を出た。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る