2-3 みえるひと

 犬吠埼灯台から帰宅し、夕食を済ませて少し間休憩を取る。部屋で持参した望遠鏡を手入れする生徒、犬吠埼灯台で貰ったパンフレットを眺める生徒、大広間で談笑をする女子生徒。休憩時間の取り方は各自バラバラだ。

 当の僕は、大昼間にあるソファーに座りスマートフォンを片手にテレビをぼーっと眺めていた。


 視界の隅には沢口先輩と二年生の女子生徒が椅子に座り談笑を繰り返していた。

 テレビは特に面白い番組などやっていない。けれど部屋にいてもやる事は無いし、天体観測の用意も僕には無い。


 佐々木先生が持参している大型の望遠鏡を借りる予定だ。望遠鏡は単体だけなら持参していても良かったが三脚や架台という鏡筒(望遠鏡の本体をこう呼ぶ)を動かす架台が必要だ。全部持って来ると10㎏近くになるという。

 ちなみに僕は天体望遠鏡を持っていない。初心者でも一万円から二万円程度で買えるらしいが、可愛い妹千夏への散財の為、未だに買えていない。


 つまり僕は天体観測の時間まで暇なのだ。僕はただボーッとテレビを観る。映画でもやっていれば絶好の暇つぶしになるのだが、そこまでゆっくりできる時間も無い。

 テレビでは夜のニュース番組をやっていた。ニュースキャスターが原稿と画面の前の僕へ視線を送り、淡々を全国で起きたニュースを読み上げている。

 先程は天気予報もやっていて、幸い今日明日は晴れだ。絶好の天体観測日和と言える。


『今日の特集はこちらです。『精神病か、超能力か、人の死が見える能力を持った人間』についてです』


 僕は我が耳を疑った。テレビのキャスターが驚くべき事を口にした。

 画面は切り替わりどこかの病院が映し出された。看板には『田沼精神病院』と書かれている。


『ここは千葉県にあるとある精神病院です。こちらの院長である『田沼雄二』さんが驚くべき内容の本を出版されたとして、今精神病界は賑わいを見せています。今回はここの院長にお話を伺ってみたいと思います』


 続けて画面が切り替わり、細い中年の男性が画面に現れた。


『田沼先生、あなたが出版された著書『みえるひと』についてお話を伺えますか?』

『はい、これは私が若い頃、アメリカで体験した話を本にまとめたものです』

『具体的にどのような体験をされたのでしょうか?』


 僕は片手で操作していたスマートフォンを閉じ、テレビの画面を食い入るように凝視した。


『今から十年程前の事ですが、アメリカのコロラド州に住む一人の男性が交通事故に遭い、脳に深刻な損傷を負いました。それから彼は不思議な体験をするようになったと言う事です』


 すると画面が切り替わり、また別の男性の写真が画面に現れた。そしてナレーションが始まる。


『彼の名前は『アルバート・バーレン』享年四十歳。2010年に交通事故に遭い脳に損傷。一時期は植物人間となるが奇跡の復活を遂げた。そして目覚めた彼の身体には特殊な能力が備わったと言う』


 アメリカ人の紹介などどうでもいい、僕は先程言った『人の死が見える能力』を知りたい。まさか僕と同じ能力を持っていると言うのか。


『彼曰く、人の寿命が見えると言う。それは人の頭上に現れその時間が経過したとき、その人間は死を迎えると言う。周囲からはそれを信じてもらえず、彼は精神病と診断された』


 これは、僕と同じ能力だ。このアルバート・バーレンという人間は後天的にこの能力を得たと言うのか。いや良く考えてみれば僕もある日を境にカウントダウンが見えるようになった。しかしこれはどういうことか、彼は交通事故、僕にはそれらしいきっかけはない。


『先生の著書『みえるひと』はどのような本なのでしょうか?』

『人の死をみえるようになった人間の苦悩を綴った本です。当初私は彼の話を一種の被害妄想のようなものだと思っておりました。しかし良く話を聞いてみると違ったのです』

『どう違われたのですか?』

『彼が言った人間が自然死や事故死などすべて彼は言い当てたのです。当初彼は殺人の容疑者としても話題となりましたが、すべてにおいてアリバイがあり彼がやることは不可能だったのです』


「織部くん、隣座ってもいい?」

「⁉」


 僕は突然、声をかけられ驚きのあまり少し変な声を上げた。振り返るとそこには沢口先輩が立っていた。テレビに集中するあまり先輩が近づいて来る事に気づけなかった。


「あ、は、はい」

「じゃ、失礼して」


 沢口先輩が僕の隣に腰かける。ソファーから先輩の体重が感じられる。本来なら先輩が隣に座るという嬉しい出来事なのだが、僕の興味はそちらには向かない。

 僕と同じ能力を持った人間の話をテレビでやっているからだ。


「何見てるの? えらく真剣にみているけど……」

「こ、これは……」


 やめてくれ、もしかしたら僕の能力の真実がわかるのかもしれない。彼はどうなったのだ、それに彼を著書した田沼という精神科医は何を話すと言うのだ。


「おい、沢口。そんな奴と何を話ししているんだよ」


 僕の集中力を削ぐようにまた誰かに話しかけられた。僕はテレビから視線を逸らし声の方向を向く。そこには三年の佐藤先輩がラフな格好で片手にコーラ缶を持って立っていた。


「佐藤先輩……私が誰と話しようと私の勝手じゃありませんか」

「そんな事ねえよ。なァ? 天体観測が終わったら二人でどっかいかないか?」


 何を言っているのだ、この男は。沢口先輩はあなたなんかに興味は無い。何故それがわからない。先輩はそんな尻軽な女性じゃないんだ。


「お断りします」

「へへ、そういうなよ。二人で星空でも見ようぜ」

「星空ならこの後見に行きます。それだけで十分です。それに私は先輩に興味はありません」

「おいおい、言ってくれるじゃないか。お前が部長になったらちゃんとサポートしてやろうと思っているのによ」

「結構です。それに私は部長になる気はありません」

「なァ。そんな奴と話しても面白くないだろ。ちょっとあっちで話そうぜ」


 佐藤先輩が沢口先輩の腕を掴み無理矢理立たせる、僕は静観を保っていたが、我慢の限界だった。この佐藤の振る舞いはさすがに頭に来てしまった。

 本当はテレビに集中したい、けれどもダメだ。今ここで止めなければ一生後悔する事になる。


「やめろ!」

「お、織部……くん……」


 僕は佐藤の手を払い、沢口先輩と佐藤の間に身体を入り込ませた。こんな男を先輩扱いしていた自分が情けなくなる。


「なんだ、織部。やる気か?」

「そ、そうじゃない……けど。い、嫌がっているじゃないですか……!」


 僕は生まれてからこの方、人と喧嘩をしたことが無い。喧嘩をするぐらいなら自分が引いて事を収めた方が良いと思っているからだ。けれどこの時は自然と身体が動いた。


 守らなきゃ、沢口先輩を守らなきゃと思った。


「へ、お前カッコいい事言ってるけど、足震えてるじゃねぇかよ」

「だ、誰か、佐々木先生を呼んできて!」


 佐藤が口を開くと同時に沢口先輩が周りの二年生の助けを求めた。佐々木先生や部長が来れば佐藤は大人しくなると思ったのだろう。有難い、早く呼んできてくれ。

 ただ二人の間に立っただけだと言うのに、僕は脚が震えて口の中がカラカラだ。


「ちっまた佐々木かよ……。ふん、織部。てめえ覚えてろよ」


 佐藤はそういうとコーラ缶を一気に飲み干し、片手で缶を潰し僕の足元に投げた。佐藤が去って少しして佐々木先生と久坂部長が大広間にやってきた。


「どうした、何かトラブルか?」

「いえ……何でもありません」


 沢口先輩が少し驚いた表情を浮かべた、佐藤は憎いが何も暴力をふるわれた訳でも無い。余計なトラブルで逆恨みを買っても面倒な事になるだけだ。

 僕らはその場をやり過ごし、佐々木先生には佐藤がまた暴走したと言う事だけを告げた。先生は佐藤には『私から注意しておく』とだけ言われその場は治まった。


 僕は一連の騒ぎが治まった時、テレビを観た。その時には既に先程のニュースは終わっており別の番組が始まっていた。結局、『みえるひと』の話は聞けなかった。

 とりあえず名前は覚えた。仕方が無い、後ほどスマートフォンで検索してみるとしよう。


 そして天体観測の時間となり僕らは再び大広間に集合した。先程の騒ぎの張本人佐藤の姿は無かった。

 それから僕らは佐々木先生がいうおすすめの場所へと移動し、天体観測を始める。久坂部長はじめ三年生と二年生が天体望遠鏡を担ぎ、そして設置を始める。


 そこは民宿から歩いて五分程の高台の公園。佐々木先生が子供の頃、天体観測をしていたと言う思い出の場所らしい。

 周りには街灯も少なく、真っ暗な空間が広がり、眼下には犬吠埼の街、少し離れて銚子港の灯り。そして昼に行った犬吠埼灯台が太平洋に向かって光を伸ばしていた。


 僕らはその幻想的な光景と満天の夜空に、言葉を失った。


「……」


 そこに現れた星空は僕らを包んだ。優しく、そして神々しく。

 手を伸ばせば届きそうな程に夜空に輝く星。澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込む、本当に気持ちがいい。最高だ。それ以外でもそれ以下でもない。


 神は残酷だ、けれどもこのような感動も与えてくれる。嫌悪と感嘆の思いが入り乱れる。


 一等星は勿論の事、六等星まで肉眼でハッキリと見えるその絶景。まさに絶景以外の言葉で表現出来ない。鼻孔をくすぐる潮風、風に舞う公園の植物の香り。そのどれが僕らに言葉を失わせた。


 交代で佐々木先生の天体望遠鏡を覗き込む僕ら。目の前に広がる星空が一気に近づく。

 月の表面までくっきりと確認出来る。過去の人が月にウサギが居ると言われるクレーターも良く見える。こうしてみると本当にウサギのような形に見えなくもない。


 代わる代わる覗き込む僕ら。順番待ちが本当に辛くない。僕らの頭上には星が輝いているのだから。三年生の一人が持参した天体望遠鏡を使わせてくれた。同じ天体望遠鏡だというのに見える星は違ってみえる。


 初秋の夜空は筆舌に尽くし難い素晴らしさが、そこにある。


 未だに夜空を見上げる生徒、望遠鏡を必死に覗き込む生徒、順番待ちで談笑する生徒、そして既に飽きてスマートフォンを覗き込む生徒。

 僕は沢口先輩に視線を向ける。先程は佐藤との諍いで気付かなかったけれど、髪を下ろしてTシャツと短パンというラフな格好になっていた。その姿も本当に可愛らしい。

 その横顔に僕は見惚れた。少し切れ長の瞳、綺麗な鼻筋、お風呂上りなのか少し赤らんだ頬と唇。シャツと短パンからスラリと伸びた手足、少しこんもりとした胸元。そのどれもが僕を魅了した。


 我を忘れて先輩を見つめていると僕の視線に気づいたのか先輩が僕に視線を送って来た。ニヤっと意地悪そうに笑う先輩。学校や部活では見る事が出来ないその表情。ちょっとイタズラをした子供のような顔。それは決して愛想笑いなんかじゃない。

 あの笑顔は僕に向けられたものだ。僕だけにむけられたものだ。


 嬉しさのあまり飛び上がりそうな気持になる、高鳴る胸、早まる鼓動。

 僕は先輩が本当に好きなんだなと改めて知る。


 満天の夜空の絶景。そして大好きな先輩の視線、笑顔。そのどれもが本当に大切な僕の一部。かけがえないもの。


 神様、どうか時間を止めてください。

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