弐拾壱:結界・前

 事件から一週間後、四月朔日わたぬきが博物館に復帰した。

「もっと休んでいてもよかったんですよ」

「働いている方が気がまぎれるんだ。一週間でも長すぎたくらいだよ」

 幾分やつれた顔で力なく微笑む四月朔日わたぬきの姿に、エレクトラムは胸が苦しくなった。

「私には一ヶ月も休めって言ったじゃないですか」

 月島が優しく微笑みながら出勤してきた。

「君は怖ろしい薬を盛られていたんだぞ? 本当なら、ご実家に帰って療養してほしいくらいだよ」

「二週間の入院で十分です。父も母も私の意思を尊重してくれましたから。安心してください」

「まったく。みんなタフすぎるよ。ラブラドル君もだよ」

「え、わたしもですか?」

 突然水を向けられ、食べようとしていたクッキーを落としそうになったエレクトラム。

「君は病状が悪化してしまったんだ。心配だよ」

「わたしはそれよりも、高価で貴重な遺物を身に着けている現状が不安です」

 エレクトラムが身に着けている遺物の中でも、髪にさしている簪は値段がつけられないほどの価値がある。

「はあ……。もう、困った子たちだなぁ」

 四月朔日の顔に、心なしか血色が戻ったようだ。

「そうだ、月島君。シャンバラからの遺物には古生物の化石を使って作られた装飾品や食器があるらしいんだ。目録を確認して、保管用にいろいろ機材を発注しておいてくれるかい?」

「わかりました」

 シャンバラの専門家であるニクスは、現在都内の大学で講演を行いながら助手の募集をしているところだ。

 二十一時の博物館の学芸員だけではやはり人員が足りず、短期アルバイトとして十人補充することになったのだ。

 四月朔日的には、もし希望者がいればそのまま就職してほしいと考えているようだが、シャンバラを専門としている学生の多くはすでにシャンバラへと留学しており日本に居る者は少ない。

 ニクスと共に頭を抱える状況が続いている。

「わたしは清掃員さんたちを手伝ってきますね」

「いつもありがとう。よろしくね」

 エレクトラムは次々と出勤してくる学芸員やスタッフたちに挨拶してから館内へ向かった。

 ひんやりとした空気が流れている。

 床を歩く靴音が響く。

「痛っ」

 何かが弾けるような音と共に、清掃員の声がこだました。

「大丈夫ですか?」

 煙が一筋立ち昇る腕を抑えていたのは、ベテラン結界師の岩隈だった。

 この二十一時の博物館創立からずっと勤めている四月朔日の親友で、霊能力を持つ特殊清掃員を束ねる結界師のまとめ役でもある。

「ああ、ラブラドル君か。最近、結界の効きが悪くてね。いくら清めても、何かが邪魔しているようなんだ」

「わたしが新しく集めてきた呪物たちのせいでしょうか……」

「いや、彼ら彼女らは大人しくしてくれているよ。それよりも、どうも……。まさか!」

 岩隈は博物館の屋上へと走って行ってしまった。

 エレクトラムもそれを追いかける。

「はあ、はあ……。やっぱり、そうか」

 屋上の一番見晴らしのいい場所に置いてある星見八卦台ほしみはっけだい

 それを見つめながら、岩隈が厳しい顔になった。

「ど、どうしたんですか」

「星の読み方はわかるかい?」

「授業で習った程度なら……」

「視てごらん」

 そう言われ、エレクトラムが星見八卦台を視ると、そこには不吉とされる星の並びが映されていた。

「闇が濃くなっている。こりゃ、都内の結界も緩むぞ」

「え、ど、どうすれば……」

八咫烏やたがらすの連中がどうにかするとは思うが……。主上おかみも寝られないかもしれないな」

「……その、もしかして、主上おかみって……」

「おお。陛下だ。世界で唯一、太陽の力をその身に宿す高貴な一族のおさだな」

 エレクトラムはそれ以上聞くのをやめた。

 知らなくてもいいような秘密を知ってしまいそうで怖くなったからだ。

「アヴァロンではこういう時どうしてるんだい?」

「聖域の守護神である九人の巫女ガリゼナエの皆さんが神殿から出てきて、老若男女関係なく九人のかんなぎを選んで受肉します。そして星の動きが鎮まるまで祈りをささげてくれます。わたしも一度選ばれたことがありますが、結構大変でした」

「どうだ、日本のにも参加してみるか」

「……え? え⁉」

「君ほどの力があれば、彼らも助かると思うよ」

 岩隈がそう言った瞬間、屋上にわずかな翼の羽ばたきが聞こえ、次の瞬間には二人の男性が立っていた。

 漆黒の武官束帯ぶかんそくたいに身を包み、一人は剣を、一人は弓を持っている。

月白宮つきしろのみや殿下、お力添えいただきたく、馳せ参じました」

「やはり来たか、八咫烏たちよ」

 エレクトラムは思わず開いた口が塞がらないほどの驚きで固まってしまった。

 剣を持っている方の男性が岩隈、改め、月白宮に純白の束帯を渡し、着替えを手伝い始めた。

 何が何だかわからず、呆けたエレクトラムへは、弓を持った男性が近づいてきた。

「ラブラドル様ですね」

「な、何故名前を……」

「理由は口に出来ませんが、我らはこの日出国ひいずるくにを護る者。大体のことは存じております」

「え、あ、そ、そうなんですか……」

 エレクトラムが動揺していると、それを和らげるように男性が微笑み、一つの包を渡してきた。

「御助力たまわりたく存じます」

 包を受け取り、中を開くと、漆黒の艶やかな布地に、同じ色の絹糸で鮮やかな刺繍が施された見事な束帯が入っていた。

「わ、わたし、着たことが無くて……」

「お任せください」

 男性はそう言うと、さっと手早く着付けを始めた。

 屋上という開けた場所で服を脱ぐよう言われるのは恥ずかしかったが、それほど一刻を争う出来事なのだろう。

 エレクトラムは素直にされるがまま従った。

「出来ました。お似合いですよ」

 鏡が無いのでよくわからなかったが、着心地は悪くない。

 それどころか、不思議な術がかかっているらしく、軽くて暖かく、動きやすい。

「似合っているな、ラブラドル君」

「い、岩隈さん……?」

 目の前にいるのは岩隈であるはずなのに、装束の輝きがそうさせるのか、全くの別人に思えた。

「では、参りましょう。殿下。ラブラドル様」

「あ、あの博物館は……」

「私の弟子たちが四方を囲み、結界を張り続けるから安心しておくれ」

「わ、わあ……」

「ラブラドル様はいつも通り飛行し、ついて来てください」

「みなさんは……、え」

 それはたしかに翼だった。

 濡れたように艶めく黒く大きな翼。

「い、岩隈さんも、と、飛べるんですね……」

「緊急時だけね。ほら、一般人として生きているから、普段は隠していないと」

 いよいよ、四月朔日の交友関係がわからなくなってきたエレクトラム。

「行くぞ、皆の者」

 岩隈がそう言った瞬間、周辺から二十人ほどの男性が飛び上がった。

「驚かれましたか。全員、八咫烏でございます、ラブラドル様」

 もう声も出なかった。

 エレクトラムは静かに頷き、杖に跨ると、岩隈の後ろを飛び進んだ。


 数分後、到着したのは、江戸総鎮守と呼ばれ親しまれている有名な神社だった。

「我々はここで結界を張り、闇を迎え撃つ。民を護るのだ」

 岩隈の言葉に、力強い声が上がった。

 すでに境内では篝火が焚かれ、神職の人々が祈祷を始めている。

 中心で舞うのは巫女たち。

 すぐに交代できるよう、側で待機している。

「近隣の方々は……」

「ご近所の皆さんは慣れていらっしゃいますからね。こういうときは一歩も外へ出ず、安全を確保してくださっています」

「すごいですね」

 エレクトラムが周囲を見回しながら本殿の屋根の上に降りたつと、そこにはすでに武器を構えた八咫烏の人々がいた。

「ラブラドル様には、攻撃に回っていただきたいと思っています」

「わかりました。その、皆さんに当たったりは……」

「ご心配なく。ここにいる者たちは皆猛者にございます。自由にお立ち回りください」

「それなら、安心です」

 エレクトラムは、くつに飛行の魔法陣を取り付け、空へと浮かび上がった。

「……視えた」

 黒い煙。

 それが次第に姿を現していく。

 岩隈が声を上げた。

「決して百鬼夜行にしてはならん! 皆の者、光の刃となりて闇を穿うがつのだ!」

 士気の高ぶりと咆哮。

 戦いが始まった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

二十一時の博物館 智郷めぐる @yoakenobannin

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ