拾伍:友人

「とっても楽しくて最高の体験ばかりだったよ、エリー!」

 一月五日、ニクスが関西寺社仏閣巡り旅行から帰ってきた。

 コンドミニアムに借りている部屋の中が、前に来た時よりもごちゃごちゃとしている。

 おそらく、旅行に行く前からほとんど整理整頓をしていなかったのだろう。

 悪臭がしていないだけましかもしれない。

「時間が足りないね! また行かなきゃ!」

「骨折してるの忘れてるの?」

「こんなの些細な怪我だよ。大学が休暇を取らせるための言い訳に大袈裟な態度をとってるだけ。全然大丈夫だよ」

「元気ならそれでいいけど」

「お土産は旅館の親切な日本人の人々に教えてもらったお菓子をたくさん買って来たんだ。エリーと博物館のみんなにね」

「それは嬉しい」

「自分へのお土産は仏像なんだけど、オーダーメイドだから届くのに数か月かかるらしい。楽しみ過ぎて毎日日付を眺めてしまいそうだよ」

「ぶ、仏像買ったの⁉」

「もちろん!」

 何かしらしでかすのではないかと思っていたが、まさか仏像を買うとは思わなかった。

「アヴァロン島に送ってもらうの?」

「いや、ロンドンの家に送ってもらう予定だ」

「ひえ……」

 いったい、送料だけでいくらかかるのだろうかと考えただけで背筋がぞくっとなってしまう。

「さぁ、今日からまた忙しいぞ! なんせ、借りられる国宝が増えたからな」

「シャンバラも太っ腹だよ。これもニクスくんの人徳だね」

「ふふふん! 嬉しいことを言ってくれるじゃないか!」

「じゃぁ、とりあえず洗濯物出して。このままじゃ、着る服無くなっちゃうよ」

「それくらい自分で……」

 ニクスは自身の部屋を見渡し、さすがにまずいと思ったのか、苦笑しながらつぶやいた。

「そ、そうだな。先に家事とか色々、片付けしないとな」

「その通り!」

 一時間ほどかけてすべての部屋を掃除し、洗濯物は三回分に分けて籠に放り込んだ。

「ロンドンの洗濯機と何かが違う……」

「ああ……、そうかも。教えるね」

「すまん」

 この部屋にある洗濯機はドラム式で、洗濯から乾燥まで自動で設定できる最新式のものだ。

 あらかじめ洗剤と柔軟剤を入れておけば、洗濯機が洗濯物の量からその必要量を計算し、注入までやってくれる。

 機械音痴に優しい仕様である。

「すすぎの水は注水にセットしておいた方がいいよ。それだけで室内干ししたときの生乾き臭が軽減されるから」

「なるほどな。ほうほう」

 ニクスはエレクトラムの説明を聞きながらメモを取っている。

 生活力には乏しいが、とても真面目なのだ。

「洗剤も柔軟剤もいっぱい入れておいたから、しばらくはこれで大丈夫だと思う。もし困ったらいつでも連絡してね」

「わかった。何から何までありがとう」

「いえいえ。もうすぐお昼ご飯の時間だけど、どうする? 一緒に食べる?」

「いや、エリーは少しでも寝たほうがいい。今日も仕事があるだろう?」

「そう? じゃぁ、そうさせてもらおうかな」

「朝食を一緒に食べようじゃないか。仕事終わりくらいに迎えに行くよ」

「わかった。楽しみにしてるね」

「うむ!」

 エリーは「じゃぁ行くね」と部屋を後にした。

 たしかに、ここ数日睡眠が足りていない。

 もともと寝つきが良い方ではないのだが、艶兎えんととの戦闘が心に傷を残したらしい。

 不眠の症状が続いている。

七五三しめ先生に診察してもらった方がいいかな」

 精神科に行くのは学生の時以来だ。

「そういえば、元気かなぁ」

 エレクトラムには、七五三先生の所へ通っている友人が一人いる。

 病状が重いのでスマホでのやり取りしかないが、わりと話の合ういい友人だ。

「久しぶりに連絡してみようかな」

 そう思った時、突然スマホが鳴った。

「え⁉」

 表示された名前は、今まさに頭に思い浮かべていた友人のものだった。



「僕が死んだ」

 ある日、仕事から帰ってきて、部屋着に着替えたあと、テレビを見ていたら、頭の中で音がした……、気がした。

 乾いた破裂音。

 それは確かに死んだ音だった。

 情緒が。

 気持ちが。

 心が。

 その日からは地獄のような毎日だった。

 働いている意味が解らない。

 笑えない。

 夜になると、明日が来てしまうのが怖くて泣いてしまう。

 このままでは本当に死んでしまうと思ったので、病院へ行くことにした。

 診断結果は『社会性不安障害』。

 今は『不安症』と言うらしい。

 仕事を辞めた。

 でも、金銭的な不安から、症状は全くよくならず、一人暮らしの家を引き払い、実家で暮らすことになった。

 二十四歳の秋。

 家族は優しかった。

 むしろ、こうなったことに心底驚いている様子だった。

 それもそうかもしれない。

 友達も多く、運動部では主将をし、営業成績は新人の中ではトップだったのだから。

 実家に住むことになった日の夜、スマホの連絡先から家族以外のデータをすべて消去した。

 家族からは、「生きていてくれるだけでいいから、ゆっくり休みなさい」と言ってもらった。

 ありがたい。

 ただ、その「生きている」ことがつらい現状、精神的な地獄は相変わらずのしかかっていた。

 一人で外出できない。

 家族以外の人間と話せない。

 話そうとすると、以前の自分の癖でつい笑顔を作ってしまう。

 しんどい。

 月に二回、診察に通うためだけに朝起きる。

 その他の日は基本的に昼過ぎ位にのそのそと起き上がるくらい。

 トイレと風呂以外はずっとテレビかパソコンを眺めて過ごす。

 いや、テレビは嘘。

 ニュースを見ていると気分が悪くなるから見ていない。

 そうこうしているうちに、三か月が経ったある日のこと。

 新年を迎え、勇気を出して近くのコンビニまで行ったら、見慣れない飲み物を見つけた。

 ラスト一本。

 レジに持っていったら、店員も不思議そうな顔をしている。

「すみません。ちょっと確認してきますね」

 そう言ってバックヤードに下がってしまった。

 待つこと五分。体感三十分。

「おまたせしました。お会計しますね」

 何の説明もなく、淡々と会計が始まり、終わった。

「あ、ありがとうございました」

 と、出せるギリギリの声で告げ、そそくさと家に帰った。

 自室へ入ると、すぐに買った飲み物を袋から取り出し、飲んでみた。

「うぇ、甘すぎる」

 遅かった。

 缶からドアの方へと目を移すと、そこには死んだはずの祖母が半透明の姿で立っており、心配そうにこちらを見ているところだった。

「……え?」

 祖母は見られていることに気づいていないのか、溜息をついた後、ふっと消えてしまった。

「え、え、え?」

 どういうことかとパニックになりながら、缶を見ようと自分の手に視線を移したら、もう何も持っていなかった。

 手から缶の感触も消えている。

「嘘、でしょ⁉」

 抗不安薬は一日に飲む量が決まっている。

 非常事態かもしれないが、身体のことを考えたら飲むわけにはいかない。

「こ、コンビニ行った方が良いのかな……」

 買い忘れたものがあるふりをして、もう一度コンビニへ向かうと、あの店員はいなくなっていた。

「え、え、な、なんなんだよ……」

 もうわけがわからなかった。

 半透明の人間が、そこら中を歩いている。

 これは所謂いわゆる、あれなのだろうか。

「ゆ、幽霊……」

 その時だった。

 腕を強くひかれたのは。

「ちょ……、あああ! さっきの店員さん!」

「あははっ。やっぱり僕の予感は当たってたんだ!」

「え、な、何のことですか」

「君には霊視の才能がある! つまり、霊能力者ってことだよ!」

「……はあ⁉」

 店員は「じゃぁ、行こうか」と言い、なおも手を引っ張ろうとするので、振り払ってやった。

「ど、どこに連れて行こうって言うんですか!」

「あ、そうか。まだ自己紹介してなかったね。僕の名前は慈琅じろう。祓い屋をやってるんだけど、最近色々あって助手を探してたんだ。そこに、ちょうどよく君を見つけたってわけ。名前教えてくれる?」

 心臓がバクバクと激しく脈打っている。

 家族以外の他人とこんなにも会話するのがそもそも久しぶりだ。

 だが、不思議と嫌な感じはしない。

 よくわからないが、何故か目の前にいる人物に対して信頼感が芽生えている。

「……烏良うら 紅太こうたですけど」

紅太こうた君ね! よろしく!」

「え、いや、誰も働くなんて……」

「大丈夫、大丈夫。簡単だから。まずは週二日から始めてみない?」

 正直、そろそろ外に出るきっかけは欲しいと思っていたところだ。

 いくら家族が優しくても、働いていない自分への自己嫌悪と罪悪感で今にも死んでしまいそうだったから。

「じゃ、じゃぁ、週二日から……」

「うんうん! 日当は三万でいいかな?」

「え、さ、三万⁉」

「簡単だけど危険な仕事だからね。それくらいは払うよ」

「……よ、よろしくお願いします」

「いいお返事だね! こちらこそ、よろしくね!」

 紅太こうたは仕事内容を聞かないうちに、働くことを決めてしまったという事実に、まだ気づいていない。

 ただ、数か月ぶりに気持ちは幾分晴れやかだった。

 心が壊れてから初めての進展。

 嬉しくないはずもなく。

「うちの事務所に案内したいところなんだけど、今日は仕事が入ってるから、明日またこの時間にここで待ち合わせしてもらってもいい? 契約書とか書いてもらいたいからさ」

「わかりました。同じ時間ですね」

「じゃぁ、よろしく! また明日ね!」

 そう言うと、慈琅は爽やかな笑みを浮かべ去って行った。


 そして次の日。

「……あの、なんでそんなことに……」

「ああ、そうそう。死んだんだ! 僕!」

「いやいやいやいや! え⁉」

 待ちゆく人々が慈琅の身体を通り抜けていく。

 昨日は確かに生きていたのに。

「実は期限だったんだよね、昨日が。僕さぁ、呪われてたの! いやぁ、防ぎきれなくて案の定成仏しちゃった。本当、ギリギリのところで紅太くんに出会えてよかったよぉ」

「は、はあ⁉」

「じゃぁ、さっそく事務所にでも行こうか!」

「えええええ」

 こんなことってあるのだろうか。

 まさか、雇い主が〈死人〉で〈幽霊〉だなんて。

「い、いったい誰に相談すれば……。あああ!」

 紅太はある人物のことを思い出した。

 精神を病んでからも、唯一連絡を取っている友人。

 彼は人間じゃない。

 東京に住む、唯一の〈魔女〉だ。

「すみませんが、ちょっとあの、会ってほしい人がいるんですけど!」

「え、なになに? 彼女とか?」

「そんな大層なものいません。その……、ゆ、友人で」

「ふうん……。その、友人とやらに会ったら働いてくれるの?」

「どうでしょう……。でも、昨日とまるで違う状況に動揺したままでは、僕、きっとすぐ辞めちゃうと思うんです」

「それは困る。……よし! わかった。会おうじゃないか!」

「では、二十一時にここで……」

 そう言うと、紅太は地図アプリでとある博物館を表示した。

「へぇ、なんだか素敵なところだね! じゃぁ、二十一時にそこで!」

「はい。よろしくお願いします」

 紅太はひとまず安堵した。

 まさか幽霊に雇用されるなど、夢にも思わなかった。

 どうなるかはわからないが、きっと、友人ならば何か良いアドバイスをくれるだろう。

 そして、今の自分の体質のことも、どうにかしてくれるかもしれない。

 期待を込めて、紅太は夜まで待つことにした。

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