拾:ちょっとしたピンチ

「と、いうことで、うちで特別展を開くことになりました!」

 閉館後のミーティング。四月朔日わたぬきの嬉しそうな顔。学芸員やその他スタッフたちの歓声。

 しかし、それは三分後には「……ど、どうしよう」という困惑へと変わって行った。

「うち、シャンバラの専門家がいないですよね……」

 月島のその一言に、その場にいた全員が溜息をついた。

 時は数か月前にさかのぼる。

 何年かに一度行われる仏教の祭典が、今年はここ日本で開催された。

 ラマ、座主、長者、門主、管長、阿闍梨、高僧など、仏教のトップたちが集まる大きな会合。

 そのとき、仏教の総本山であるシャンバラから訪れた一団が開いたパーティーに四月朔日も招待された。

 そこで会話が弾みに弾み、もしシャンバラの国宝展をするのなら〈二十一時の博物館〉で行いたいと言われ、少し酒に酔っていた四月朔日は二つ返事で了承してしまったのである。

 その約束を果たすべく、ついこの間シャンバラの担当者から連絡があり、あれよあれよという間に開催期間の仮決めが行われたというわけだ。

「ま、まぁ、まだ半年あるから……」

「それまでにシャンバラの専門家を雇える目途は立っているんですか?」

 笹野の言葉に、さらに困った顔をする四月朔日は、小さくため息をつきながら答えた。

「……い、いろんな大学に問い合わせてはいるんだけど、なかなか……」

 シャンバラはキリスト教でいう所のヴァチカンのようなもの。

 研究者の多くはすでにその土地に入り、日本国内にタイミング良く居残っている専門家を探すのは困難だ。

 シャンバラは霧深い山中に突如として現れる半地底国。

 そのため、遺物がとても良好な状態で発掘されることも多く、周辺地域もあわせて世界各国から専門家が缶詰め状態で常に研究が行われている。

「シャンバラの聖遺物は凝ったギミックがほどこされているものが多いです。少しでも扱いを間違えれば、元の形に戻せない可能性もありますよ」

 星山の容赦ない指摘に、場の空気は完全にしょんぼりとしてしまった。

「あ、あの……」

 悲しい空気感に堪えられなくなったエレクトラムは、遠慮がちに手を挙げた。

「なんだい、ラブラドル君」

「その、アヴァロンにシャンバラの研究者が一人住んでるんです。というか、まぁ、わたしの従兄弟いとこなんですけど……。ちょうど、というか、その、発掘中に足を骨折して、今アヴァロンで療養しながら論文を書いているらしいんです。博物館の監修だったら骨折していても出来ると思うので、その、声をかけてみましょうか?」

 全員の目に、気力と喜びの光が戻った。

 ふらふらとした足取りで近づいてきた四月朔日に、手をがちっと握られた。

「是非! 是非お願いしたい! さすがラブラドル君!」

 エレクトラムはみんなが明るい表情に戻ったことに安堵した。

 雑務を終わらせ、退勤した後、帰宅してすぐに手紙を書き、杖を取り出して空中に転送用の魔法陣を描くと、手紙をアヴァロン島へと飛ばした。

 お風呂に湯を溜め、その間に朝食を済ませると、部屋がふわりと青く光り、魔法陣が現れて手紙が床へポトリと落ちた。

「相変わらず、返事が早い」

 封蝋を開け、中に入っているメッセージを読むと、そこにはとても好意的な返事が入っていた。

 『もちろん、協力させてもらおう。すぐに日本へ向かう。エリーに会えるのも楽しみだ』と。

「四月朔日さんに連絡しておこう」

 四月朔日には文明の利器であるスマホのメッセージアプリで報告すると、一分と経たずに返事が返ってきた。

 感謝感激といった様相の全力の文章に加え、『滞在中の生活費は全額私が出すと伝えてね! 研究費の援助も際限なくします、というのも契約書に書いておくから!』と、目の前にいたらハグされていたのではないかと思うほどの熱量が伝わってきた。

「研究費はいいかもしれないけど、生活費……。ものすごい額になるんじゃないかな……」

 アヴァロン島で生まれ育った魔女族はお金に無頓着であるがゆえに、その使い方もあまり上手とは言えない。

 借金こそしないものの、価値があまりわかっていないふしがある。

 そのため、提示される金額を疑いもなく払うといった、まさに詐欺師にとってはいいカモなのである。

 アヴァロン島では魔法や魔術で完全な自給自足の生活のため、お金が無くても生きて行ける環境で暮らしている。

 だからこそ、手持ちのお金が無くなったところで痛くもかゆくもないのだ。

 もしお金が必要な状況になったら、人間相手に魔法薬や魔導具を作って売ればいいのだから。

 エレクトラムも日本に来た当初は本当に苦労をした。

 スマホの契約だけで提示される必要もないプランを次々に承諾してしまい、気づけば月々の支払いが一万円を超えるなんてこともあった。

 使いもしないクレジットカードも十枚を超え、ポイントカードは数えきれないほどあった。

 今では格安プランで賢く契約することが出来ているが。

「日本でのお金の使い方を教えなくちゃ! 四月朔日さんのお金が無くなっちゃう」

 とりあえず、ホテルに泊めるのは危ない。ルームサービスを頼みまくってしまいそうだ。

 うちに泊めても、インターネットやらなんやらの訪問販売がきたら危ない。

 ということは、警備が手厚いちょっと高級なコンドミニアムが一番いいだろう。

 マンション型の宿泊施設なら、訪問販売は来ないし、ルームサービスなんてないし、エレベーターに乗るのもルームキーが無いといけないくらいセキュリティはばっちりだ。

「よし! 四月朔日さんにはそうしてもらうように言っておこう」

 エレクトラムは服を脱いで洗濯カゴへ放り込み、お風呂場で身体を洗いながら従兄弟の取扱説明書を頭の中であれこれ考えた。

 従兄弟の、というよりも、世間知らずな魔女族の取扱説明書だ。

 同じ魔法が使える種族でも、人間に交じって生きることを早々に選択した魔法族には本当に感心してしまう。

 その分、差別に苦しんできた歴史もあるわけだが。

「用意しておくものも書き出しておかなきゃ……」

 アヴァロン島から日本までは最速でも三日はかかる。

 それまでに、色々と四月朔日に説明しておこうと、熱いシャワーを浴びながら少し眠たい頭でエレクトラムはうとうとしつつ思った。

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