玖:光

「一気に寒くなったなぁ」

 家で淹れてきた温かいカフェラテを手に、エレクトラムは博物館までの道をゆっくりと歩いている。

 都内にしては珍しいほどに緑豊かな公園そばの並木道。

「お姉ちゃん、大丈夫かな」

 姉、マグノリアは現在妊娠中だ。

 今朝方、突然その姉から電話がかかってきた。出産前に行う検査で、お腹の中の子供にとある先天性の病が見つかったのだという。

 マグノリアはひどく混乱しており、いつもなら口にしないような質問をしてきた。

 『あんたは、お母さんを恨んだことある⁉』と。

 その言葉を口にした後、我に返ったマグノリアは、『ご、ごめん』と言い、『仕事の後でいいから、その、電話して』と言って切ってしまった。

「恨む、ねぇ……。そういえば、一度だけ、考えたことはあるかもなぁ」

 エレクトラムは先天性の疾患である、魔力過剰生成症、通称〈タラニス症候群〉を患っている。

 魔法界では指定難病とされており、別名〈マガマニャ偉大な魔女〉とも呼ばれている。

 この疾患は、名前の通り、魔力が過剰生成される病で、それにより、許容量を超えた時にまるで雷に打たれたような痛みが全身に走ることから、いかずちの神であるタラニスの名がついている。

 現在有効な治療法はなく、対処療法として魔力を吸い取ってくれるような魔道具を身に着けるしかない。

 エレクトラムはいくつかのバングルと指輪、ピアスで対処している。

 そんな疾患がなぜ〈マガマニャ偉大な魔女〉などと呼ばれているかと言うと、それは古代にまでさかのぼることになる。

 まだ魔法族や魔女族といった魔法が使える種族と人間が互いを憎み合い、戦争をしていた頃。

 前線で活躍していたのは、無尽蔵に魔力を生み出し続け戦い続けることのできる、タラニス症候群の魔法使いたちだった。

 彼らは紛れもなく、存在そのものが兵器だった。

 当時は疾患だとは思われていなかったのだ。

 魔力の過剰生成は英雄に与えられしギフト。

 身体に走る痛みは『戦え』という世界からの啓示。

 そういった背景から、今でもこの病気を『ギフテッド』だと言う魔法使いたちもいる。

 エレクトラムは、学生時代、この疾患を羨む一部の生徒たちから嫌がらせを受けていたことがあるのだ。

 治るものなら治ってほしい、無くせるものなら無くしたい、重荷でしかない病なのに。

 だからこそ、両親を、母親を恨んだことはないが、『もし、健康な身体に生まれていたら』と考えたことはある。

「心配なんだろうな。子供になんて思われるのかが……」

 息を吐く。

 白く雲のように昇って行く。

「大丈夫だと思うけどなぁ」

 姉は夏のような快活さと激しさをもっているひとだが、心は焼けつく暑さというよりは、夏に吹く海風のように爽やかで優しい。

 そんなマグノリアが親なのだから、子供はきっと幸せに生きられると思うのは、兄弟姉妹きょうだいのひいき目だろうか。

 仕事までにはまだ時間がある。

 エレクトラムは、マグノリアに電話をかけることにした。

 コール音一回で繋がった。

『エリー、あの、さっきは……』

「あのさ、大丈夫だと思うよ」

 一瞬の沈黙。姉が感情を抑えようと深呼吸する音が聞こえる。

『……どうしてそう言えるの? あんたも苦しんでた時期があったじゃない!』

「学生の時ね。それも、十五年以上ある学生期間のうちの、たった三年間だよ」

『でも!』

「嘘はつかないよ。あの三年間は本当に辛かった。精神科にも通ったし。でもさ、それ以外のわたしはどう見えた?」

 姉は言葉に詰まり、『でも……』と声を落とした。

「当時のわたしには、わたしの代わりに怒ってくれるお姉ちゃんがいたし、わざわざ学校に迎えに来てくれるお兄ちゃんもいた。友達もずっと励ましてくれていたし、なにより、帰ったら両親がいつもと変わらない居場所でいてくれた。だから、これまでもこれからも、生きていけるんだよ」

『私は……、私はお母さんみたいな母親には……、なれそうにない』

「同じじゃなくていいでしょ。だって、おばあちゃん見てみなよ。今も世界中を飛び回ってて、お母さんですら一年に一回会えるかどうかなんだよ? お母さんとか叔父さんを育てたのは実質おじいちゃんだよ」

『それは、……そうだけど』

「お姉ちゃんなら大丈夫だよ。根拠なんていらないくらい、わたしは信じてる」

 電話の向こうで、鼻をすする音がした。

「まさか、泣いてるの? お姉ちゃんが?」

『うるさいわねぇ……。妊娠して涙腺が緩いのよ』

「また不安になったらいつでも連絡してね。わたしの体験談でよければいくらでも話すから。もちろん、幸せなやつをね」

『……ありがとう。私、最強のお母さんになるよ』

「うんうん。応援してる」

『エリーはちゃんとみつぎ物用意しておくのよ』

「はいはい。叔父さんになるからねぇ。まだ若いのになぁ」

『ふふふ。覚悟しなさい』

「はぁい。じゃぁ、仕事行ってくる」

『うん。気を付けてね』

 少しの名残惜しさを感じながら、そっと通話終了をタップする。

 気付けば、博物館の前まで来ていたようだ。

 冬の香りが、冷たい空気と共に肺を満たす。

 生きていれば、良いことも、いことも、悪いことも、嫌なことも、なんだって起きる。

 それの多くは自分のせいかもしれないし、環境のせいかもしれない。

 でも、たまに、どうしようもないことだってある。

 歴史のせいだったり、越えられない文化のせいだったり、治らない病のせいだったり。

 そんなの、空気を針と糸で縫うようなもので、どんなに繕おうとしてもそもそも無理だ。

 だから、生きてやるのだ。

 運命なんていう言葉で人生を片付けようとする、この世界に立ち向かうために。

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