第19話 保護者たち

 本棚を一瞥し、彼女は俺を眺める。どうやら子どものころのイメージがお互いに抜けていないようで、何だか変な気分だ。


「一応は俺も軍にいるからね」

「そうだったな。お前の鎧は……残念だったな。あれでは修理も無理だ」

「縁生曰く、根性のあるやつだったってさ」


 そう言うと、彼女は笑う。


「それはいい。確かにあの壊れ方であれほど動けたのは、お前と縁生の力量以外のなにかがあったのかもしれないな」


 量産機にもそんなことがあるのだな。そう結んだ。


「それって」

「腕のある職人が造れば、そこには技術だけでなく感情も入り込むことがあるのさ」

「あれはただの機械じゃないの?」

「もちろんそうだとも。でも鎧だって生きている。付喪神みたいに物にも命があると考えれば、大事に扱えるだろう。それを忘れてはいけない」


 饒舌さは変わらないが、写真に比べるとそれほど熱量を込めることをしなかった。


「私の赤い魂鎧。名前を覚えているか」

叢雨むらさめ


 即答すると、彼女は驚いたようで、


「褒めなければいけないな」


 とやはり俺を昔のままだと思っているのか、小さく拍手をした。


「それがどうしたんだよ」


 気恥ずかしく、ぶっきらぼうに返すと、彼女はそれすらも楽しんでいるようだった。


「ほら、昔に格納庫で叢雨を見ただろう? あの時、もう一機いたはずだ」


 クイズでも出すように答えを求めた。とても無邪気で、熱烈な友好関係を欲していることがが透けて見える。それが嬉しい。


「神供だろ。覚えているよ」


 私のことは忘れていたのにか。そう言って笑う。コノミコに似た、喉を鳴らす笑い方だった。


『あんなのと一緒にするなよ』


 お前もしているよ。クックって笑い方。

 それからひとしきり思い出話で盛り上がった。たまに俺は疑問や不思議を投げかけた。それは鎧のことや、彼女自身についてのことだ。

 戦術を学べ。己を鍛えろ。魂鎧戦のアドバイスはこれに尽きたが、虎帯ちゃんはなかなかに壮絶な生活を送ってきたようだ。

 俺に会わなくなった理由は、幼いながらも軍に入り、それで時間が取れなくなったらしい。彼女もまた軍人の一族で、仄暗い青春を過ごしたそうだ。

 高校から軍属となった三等陸兵の俺とは違い、彼女はすでに中尉だった。


「祖父から軍人だもの。七光りだからそれほどの苦労はなかった」


 そうは言うが、これは謙遜に過ぎない。幾度も防衛の任に就き、ある時は前線へ、ある時は小隊や中隊の指揮をとり、戦場を走り抜けたのだ。

 小隊とは作戦の際に用いられる最小単位である。主に数機から十数機で編成され、その上が中隊となる。これは三十まで、大隊となると五十前後である。

 その上は連隊となり、大中小それぞれの隊の複合だ。ここまでくると指揮官の階級も高くなり責任も増すが、今の俺には現実味が薄い。

 軍で過ごしていながら、どうして突然俺に会いにきたのだろうか。

 その疑問には、


「もちろん用があって来た、だが今日はもういい時間だ。帰りなさい」


 と、保護者のような態度ではぐらかされ、追い出された。

 石畳さんの運転で家まで送り届けられると、彼から大変に感謝された。


「お付き合いいただき恐悦です。これからもどうか仲良くしてください」


 彼は深く頭を下げ、


「お嬢様が何かしでかしましたら、厳しく叱ってくださって構いませんから」


 などと厳しいことを言う。ただの運転手ではなく、お目付役のようなこともしているのだろうか。

 俺も必要以上に頭を下げて別れた。家の居間では祖父と見知らぬ誰かが静かにビールを飲んでいた。


「ただいま戻りました」


 手をついて挨拶すると、祖父はおうと一声。


「お邪魔しているよ」


 これが天狼、たった今別れてきた旧友の祖父なのだろう。白髪を短く切りそろえ、ゆったりとした和服姿の老人だ。どこにも威厳のようなものはなく、縁側が似合うような古ぼけた人だった。


「こいつが天狼だ。俺の古いダチだ」

「若松天狼です。孫が世話になっているようだね」


 俺は手を伏しながら頭を上げて答える。


「虎帯……さんのことでしょうか」


 天狼さんの肯定の声が降り注ぐ。つまりこの老人も元軍人なのだ。柔らかい雰囲気からは想像もつかない。


「アレは気難しいところがあるから、君も大変だとは思うが、よろしく頼むよ」

「は、はい」


 石畳さんもこの人も、虎帯ちゃんをどう思っているかよくわかる。愛を持ちながらも彼女の悪い部分を認めているのだ。もっとも、俺はすでにその悪い部分を全身に受けている。


「お前、飯は食ったか」

「……はい」

『食ってないだろ』


 うるさい。これから飯を作って、食って、風呂に入ると寝る時間がなくなってしまう。この調子だと爺さんたちはまだ飲むつもりだろうし、一緒に遅刻なんてしてもつまらないだろう。


「じゃあ風呂入って寝ろ。俺たちはもう少し呑むからよ」


 長いような短いような一日だった。最近は怪我に見舞われる日が続いたが、今日は特に疲れた。


『昔から苦労していたんだな』

「友達だから別に苦労なんて思わないさ。昔は多分乱暴じゃなかったし」


 父の日記を見るには少々時間が遅すぎた。思うより若松邸にいた時間は長かったのだ。

 空腹を紛らわせるために、引き出しにしまってある包みを取り出す。


『げ。それはやめろと言っただろう』


 包みの中身は豆が入っている。乾燥させた大豆だ。それ以上でもそれ以下でもなく、味付けもしていない。

 ひとつかみだけ口に放り込んで寝た。歯を磨いた後でものを食うことはしたくはないが、空腹には勝てないし、ちょっとだけこの行儀の悪さを気に入っている。


『バカだねぇ』


 コノミコはため息をつく。


『……あの女の呼び出しはまだまだありそうだなあ』


 この縁生は俺が寝る瞬間にこういうことを言う。

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