第14話 『馬鹿、鈍感、ヘタレ』

 ——昼休み

 いつものように四時間目が終わると同時に教室を飛び出して俺は屋上へ向かう。

 まだ沙耶乃は来ていないようだ。 日直と言ってたし、きっと授業の片付けなどで忙しいのだろう。

 俺が言えた義理ではないけど、沙耶乃に助けを求める事が出来る友達が居るとは思えない。 本当に大丈夫だろうか。

 二人で座ると窮屈に感じる小さなベンチに俺は一人で座ると屋上の入り口に視線を向けて沙耶乃を待つ。 

 「今日は忙し過ぎて来れないのかもな……」

 数分おきに何度も時間を確認していた俺も今日の昼は会えないかもしれないと諦めかけた頃、沙耶乃は姿を見せた。

 「日直の仕事多過ぎない……? 普通に考えて一人で出来る仕事量じゃないわよ……」

 いつものお淑やかな微笑みは消えて疲れ果てた表情の沙耶乃はブツブツと独り言を溢しながら俺の方へ歩いてくる。

 「待ってたぜ。 かなりお疲れの様子だが大丈夫か……?」

 「わたくし少々、日直のお仕事を甘く見ていました……先輩の言葉通り地獄でしたわ……」

 重そうな足取りで俺の座るベンチまで辿り着いた沙耶乃は大きく息を吐きながら隣に座ると弁当箱の包を広げる。

 「ようやく昼飯が食えるぜ……腹減ったなあ……」

 沙耶乃は隣で同じように弁当箱を広げ始める俺を驚いたような表情で見ると、すぐに悪戯っぽく笑う。

 「先輩、ちゃんとわたくしが来るまで食べずに待てたのですわね? えらいえらい」

 「うるせえよ撫でんな! あと、せめて待っててくれてありがとうじゃね!?」

 先ほどの疲れ果てた様子はどこへ行ったのやら普段通りの様子に戻った沙耶乃に俺は呆れ半分、安心半分でツッコミを入れた。

 「遊んでないで早く食わねえと昼休み終わるぞ? 日直が授業に遅刻とかマジで笑えないぜ?」

 「はいはい、分かっていますわよ。 もう、先輩は心配性なのですから……」

 普段のお前を見ていたらそりゃ心配になるだろ。 少しは俺の気持ちも察してくれよ……

 結局、普段通りのペースで食べ進めた俺たちは予鈴とほぼ同時に弁当を食べ終えてギリギリ授業には間に合ったのだった。


 ——放課後

 普段ならすぐに帰宅するはずの俺は日直の仕事を手伝うと約束していたので、沙耶乃の教室から他の生徒が居なくなる頃合まで時間を潰していた。

 そろそろいい頃合だな……さてお手伝いに行ってあげますか……

 一年生の教室前まで来た俺は開けっぱなしのドアから中を覗くと、夕日に照らされ赤く染まった教室で一人黙々と机に向かう沙耶乃の姿があった。

 窓から吹き込む風にひらりと長い黒髪を靡かせる沙耶乃は普段よりも美しく見え、でもどこか寂しげな雰囲気も感じるその光景に見惚れてしまう。

 なぜ俺は沙耶乃をこんなにも美しいと感じているのだろうか。 なぜ沙耶乃から目が離せないのだろうか。

 心のうちから溢れ出た気持ちに蓋をするように考えるのをやめた俺は教室の中へ声をかける。

 「順調か? 手伝いに来てやったぞ」

 俺に気付いた沙耶乃はこちらを振り向くと笑顔を見せて小さく手招きをして俺を呼ぶ。

 「今のところ順調ですわ。 手伝いに来てくださってありがとうございます、先輩」

 沙耶乃から真っ直ぐ見つめられていると先ほど考えるのをやめた気持ちが何かを訴えかけてくるのを感じて俺は視線を逸らし、まだ授業の跡が残った黒板に視線を向ける。

 「母さんに置いて帰られたとか告げ口されても困るからな……掃除は俺がやるから沙耶乃は日誌をさっさと終わらせな?」

 沙耶乃は俺の珍しく能動的な発言に少し驚いたような表情を見せるがすぐに小さく頷く。

 「承知しましたわ。 では、お掃除はお願いしますわね」

 俺は沙耶乃の返事を聞き終わるとすぐに教室の前方へ移動すると黒板消しを手に取り、余計なことは考えないように黒板に書かれた数式を暗算しながら黙々と掃除を始めた。

 黒板掃除に床掃除も慣れてしまえばあまり時間は掛からないもので十五分足らずで終わってしまい、他にすることもないので日誌を書き込む沙耶乃の隣の席に腰を下ろして待つことにした。

 「わたくしをじっと見つめないでくださる……? そんなに見られていては集中できませんわ……」

 「えっ……ああ、悪い……」

 どうやら無意識に沙耶乃をずっと見てしまっていたらしい。 本当にどうしてしまったんだよ俺……

 その答えはきっと蓋をした気持ちが知っている事は分っている。 でも俺はまだ沙耶乃と知り合ったばかりだぞ……

 「おーい、先輩。 聞いていますの? 終わりましたわよ!」

 俺が頭を抱えて悩み事をしている間に仕事を終えたらしい沙耶乃がバンと机を叩いた音でふと我に返った。

 「おう、終わったか。 他の仕事は片付けておいたから帰ろうぜ?」

 「そうですわね。 今日は先輩のおかげで助かりましたわ」

 「お礼はもう良いって、気恥ずかしいから……」 

 俺は鞄を手に取り沙耶乃に背を向けて立ち上がると、背後で沙耶乃も立ち上がる音が聞こえる。

 「真面目にお仕事をしているわたくしを見つめて邪魔する程の先輩が気恥ずかしいだなんて……お礼にわたくしを満足するまで見ていても良いのですわよ?」

 「見つめたつもりは無い! お礼も別に気にしなくて良いから!」

 いつの間にか一歩詰め寄っていた沙耶乃に背後から耳元で囁かれすぐに振り返ったので当然ではあるが視線の数センチ先には沙耶乃が居た。 傍から見たらキスする瞬間にしか見えないその距離に俺も沙耶乃もフリーズした。

 おい沙耶乃、なんで頬を赤く染めて目を閉じる!? 俺にどうしろと!?

 このまま一線を越えるのは容易に思える。 沙耶乃もきっと俺を受け入れてくれる。 そんな気はしたが俺にはまだその覚悟はない……

 そんな事を考えていると沙耶乃は一歩後ろへ下がって目を開けると大きく溜息をついた。

 「時間切れですわ。 わたくし待っていましたのに……」

 待っていたって何をだよ……まあ、流石に俺でも察しが付くけど。 お前は俺の事が好きなのか……?

 沙耶乃はプイッと俺に背を向けると足早に教室を出て行った。

 「おいおい、待てよ。 もう遅い時間だし送ってやるから……」

 急いで追いついた俺が沙耶乃を送る帰り道には一言の会話もないままの時間が過ぎた。

 「じゃあ、また明日だな……」

 沙耶乃がマンションに入って行くのを見届けた直後にスマホの通知が鳴り、沙耶乃からのメッセージが一件届いていた。

 『馬鹿 鈍感 ヘタレ』

 さっきのは俺をからかっている訳ではなくて沙耶乃なりに頑張ってみた行動だったのだろう。 きっと、本当に俺を好きになってくれたのだと流石に俺にも理解できた。

 さあ、俺はどうするべきなのかな……

 一人になった帰り道で俺は頭を抱えるのだった。

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