第14話 藤森あやめは農家になる⑥

  若きイタリア人シェフベルナルド・ロッシーニは死んだ魚のような目でベルトコンベアの上を流れていく冷凍ピザを眺めていた。 

 ここは大手食品会社の経営するピザ加工工場だ。

 ゴウンゴウンと機械的な音を立てるコンベアの上を規則正しく並んだピザが進んでいく。ベルナルドの仕事は、このピザに異物が混入していないか確認することだった。

 どうしてこんなことになったのだろう。

 イタリアでアヤメ・フジモリに出会ったのは一年ほど前のことだ。彼女はまだ見習いだったベルナルドの焼くピッツァの味に非常に感動してくれ、流暢な英語で熱心に日本に来ないかと誘ってくれた。

 彼女はイタリアンレストランを経営する会社の社員で、自分が立ち上げに関わる新店舗のシェフをぜひベルナルドにやってほしいとのことだった。

 ベルナルドは迷った。何故なら彼は日本語が喋れない。しかしシェフをやるというのは非常に魅力的な提案だった。

 イタリアは本場ナポリの味を遠く離れた日本に伝えたい。結局アヤメの熱意と己の挑戦したいという気持ちが勝り日本に渡った。

 彼女の用意したヒビヤのレストランはまさに理想的で、しかも内装にはベルナルドの意見も反映されている。日本語が喋れないベルナルドのために英語に精通しているスタッフを雇ってくれた。

 連日行列を作るレストランでピッツァを作るベルナルド。


 日本での生活は順調だった。あの日が来るまでは。


 唐突に会社が倒産したと聞かされ、店のスタッフは全員が解雇となった。

 異国の路頭に一人放り出されたベルナルドは次の就職先を探そうと四苦八苦したが、日本語が喋れないせいでろくに相手をしてもらえなかった。流れ流れてたどり着いた先がこの冷凍ピザ工場だ。ここは喋らなくても仕事ができるため雇ってもらえた。


「ベルナルドさん、あがりの時間だよ。お疲れ様」


「オツカレサマデス」


 ここに来て覚えた数少ない日本語で挨拶をすると着替えを済ませてトボトボと帰路につく。陽が傾いて既に歩道には長い影が降りている。日本の夏は灼熱だ。夕方だというのにむわっとした熱気がまとわりついてくる。

 一体自分は何をやっているのだろう。

 輝かしくやりがいに満ち満ちていた日々はあっという間に過ぎ去って、夢の残り香だけがベルナルドの元にはくすぶっている。

 日本人は冷たい。どこへ行ってもマニュアル通りの対応しかせず、道で困っていても目を逸らして足早に通り過ぎる。アヤメのような人物は希少なのだと、今更になって思い知った。

 もうイタリアに帰りたい。

 工場を出てうつむき歩く自分の前に、誰かが立ちふさがる影が見えた。その影の人物は流暢な英語で話しかけて来る。


「久しぶり、ベルナルド」


「アヤメ!」


 前にあった時よりもいささか日に焼けたアヤメ・フジモリが立っていた。

 彼女もこの会社倒産の憂き目に会い、きっと苦労しているのだろう。顔は少々痩せていたが、それでも瞳には強い意志が輝いている。

 これだ。

 たいていの日本人が人生に諦めて適当に生きているというのに、彼女にはそんな部分が微塵も無い。生命力とやる気に満ち溢れたアヤメの顔を見ていると、こちらの力も奮い立たされる。

 ベルナルドはアヤメに英語で問う。


「どうしたんだい、こんなところで」


「実はベルナルドにお願いがあって来たの」


「お願い?」


「ええ、実は、私が新しくプロデュースするお店のシェフになってもらいたいのよ」


「アヤメのプロデュース?というか君は今、どこで何をやっているんだい?」


 アヤメはフッと笑い、答える。


「実は群馬で農業をやっていてね。そこの野菜を使ったレストランを開店しようと思ってるの」


「Oh」


 バリバリのcareer womanであったはずのアヤメがなぜ農業をやっているのかはわからないが、冗談の類では無いのだろう。アヤメはなおも言葉を続ける。


「ベルナルド、貴方の力が必要なの。私たちが作る野菜に命を吹き込んで」


 西日に照らされて神々しく輝くアヤメの姿は、まるで神話に出て来る女神のようだった。



+++


 シェフを確保した。

 店をやるというのは存外にやるべきこと、決めるべきことがあるのだがそこはあやめの得意とするところだ。

 何せ彼女は四年間で五つの店舗の立ち上げに関わって来た。この道のプロである。

 店の場所はあやめと実岡とベルナルドの三人で畑仕事の合間を縫って視察する。温泉街に向かう途中に元々イタリアンレストランをやっていた店が運よく売りに出されていたので、そこを買い取った。脱サラして田舎でレストランを初めてみたもののうまくいかずに店をたたむことにしたらしい。

 居抜きなのでほとんど何もせずともよく、ピザを焼くための石窯まであったので至れり尽くせりだった。田舎というだけあって駐車場も店の面積も大きい。

 テーブル席が三十は置けるだろう。

 内装は自分たちで手がけることにした。

 畑仕事が終わった後にホームセンターに出かけ、夜な夜な改装工事に従事する。ここでもあやめの花嫁修行の成果が遺憾なく発揮された。

 掃除業者でバイトをしていた経験が生かされ、店中を綺麗に清掃していく。高圧式洗浄機による外壁の清掃、フローリングにはワックスをかけてエアコンの内部までも綺麗にする。

 力のある実岡が大工仕事を請けおい、ベルナルドはキッチン廻りの清掃に励んだ。

 アルバイトは日本語があまりうまくないベルナルドのために英語がわかる人を雇いたかったが、そんな都合のいい人間はこんな人口の少ない町にはほとんどいない。仕方がないので普通のおばちゃんや若い女の子を雇い、ベルナルドに急ピッチで日本語を教え込む。最低限オーダーのやりとりができればいい。

 ベルナルドの指定する野菜以外の食材やワイン、ノンアルコールのドリンク類の発注。

 食器、グラス、カトラリー類の選定、購入。

 その全てをあやめは恐るべき速度でこなしていく。いちいち上に伺いを立てなくてもいいのでスピードは上がる一方だ。



 畑仕事も手を抜けない。

 この店の近所に住まうことになったベルナルドも畑仕事の手伝いを買って出て、いかにもイタリア人という濃ゆい顔のイケメン欧米人の登場に、パートの佐藤さん田中さん鈴木さんは黄色い声を上げた。イタリア人らしくハグとキスで挨拶をするベルナルドに、おばちゃん達は真夏の日差し以上に体温を上げて失神しかけた。そしてイケメン外人が登場したことによってやる気がアップし、作業スピードが格段に上がった。

 配達の田中さん息子もなかなか仕事ができる人だった。

 

 日々は急速に過ぎ去っていき、八月がやって来る。

 お盆にはきっと温泉目当ての都心住まいの人間が公道を埋め尽くすほどやって来るだろう。

 そして、オープンが間近に迫ったーー。

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