第二章 魔女の困惑 ②

 連日早くに帰宅して屋敷中の者を震撼させていたエルヴィンだったが、さらにおののくことがその朝起こった。

 その日、エルヴィンは仕事に行かなかった。休みをとったのだ。


 これは、事件といえることだった。屋敷内はざわつき、本格的に体が悪いのかと心配する者もいた。

 エルヴィンは、ほとんど書斎にこもっていたが一度中庭の扉付近にふらりと出没して、ネリと使用人達が楽しそうにお茶をしているのをぎょっとした顔で見て戻っていった。

 ネリがそれに気づき振り返った時、エルヴィンはすでに身を翻して消えようとしているところだったが、ぎょっとしたのはネリのほうだった。


「い、今いたの……旦那様よね」

「悪魔のような形相でこちらを見ていたけど……何かあったかしら」

「お仕事に行ってらっしゃらないし……もしかしたら心を病んでおかしくなってしまったのかも……」

「ま、まさか……仕事に行かなかったくらいで……休みくらいとるでしょう」


 ネリはそう答えつつも、エルヴィンの奇行を恐れずにはいられなかった。



 お茶の時間を終え、使用人達が仕事に戻ったあとも、ネリはひとりで中庭にいた。

 植物を育てるのは慣れていると思っていたが、母が作った畑の世話をするのと一度荒れてしまった庭を一から整えるのは勝手が違った。森とは土質も違う。使える肥料も限られている。思いのほかうまく育たない苗が多く、苦労していた。


 ふとそこに視線を感じる。

 振り向くとまた、用もなくエルヴィンが中庭を覗いていた。

 ───観察されている。

 緊張してネリの動きがぎこちなくなった。彼は話しかけるでもなく、ただ景色を目に入れているかのように、ネリを遠くから見ていた。


 気のせいかもしれないと、樹の陰になる位置に移動してみる。

 気にしつつも、うっかり土いじりに没頭してしまう。根止めとなっていた石が一か所緩んでいるのに気づき、足で思い切り押し込んで顔を上げると、エルヴィンがすぐ後ろに移動していた。ネリは思わず小さく「ヒッ」と声を上げた。


「…………っ、旦那様、何か?」


 声が裏返った。まさか……ネリが魔女であることに勘付いているのだろうか。心臓がばくばくと音を立てる。


「何か御用でも……?」


 ネリが強く睨みつけると、エルヴィンはフンと鼻を鳴らしてどこかに行った。

 よかった。追い払えた。そう思った直後に、間違いに気づく。

 とっさの接近に追い払うことでいっぱいになってしまっていたが、ネリは彼から情報を得ようとしているのだ。そのために、機会があればなるべく話したほうがいいのに。


 ネリはずっと長く人に興味を持たず過ごしていたが、最近では屋敷の使用人達と話すことで人と関わる楽しさを覚えていた。しかし、情報を聞き出さねばならないエルヴィン相手にだけは過去の記憶から来る怯えと共に構えてしまう。



          *          *



 今日もエルヴィンがネリを見ている。

 いつの間に帰宅したのだろうか。今日はまた一段と早い。エルヴィンの様子を窺いつつ、なんとか情報を聞き出そうとしていたネリは気がつくと逆に観察されるようになってしまい、すっかり調子を狂わされていた。エルヴィンは話をしようとか、仲良くなろうとか、そんな友好的な感じではなく、ただ見ている。これではこちらもおいそれと動けない。

 この状態はさすがに落ち着かない。ネリは思い切って立ち上がり、そちらに行って声をかけた。


「最近帰りがお早いけれど、お仕事はいいのかしら」

「俺の仕事は秘薬犯罪の取締りだ。そう頻繁に仕事があったらそのほうが問題だろう」


 エルヴィンはしれっと答えた。その、相変わらずの感じの悪さに逆に安心した。


「そうよね。魔女自体そうたくさんいないのに……そんな仕事必要かしら?」


 ネリの皮肉にエルヴィンはすかさず返してくる。


「確かに人間よりは少ないが……残念ながらすべて把握できるほど少なくもないんだ」

「でも、悪い魔女はごく一部よ。もう全員あなたが捕まえたんじゃないの?」

「君はなぜ魔女の肩ばかり持つ」


 しまった。また、つい余計なことを言ってしまった。

 ネリは魔女であることに誇りを持っている。だから隠さなければならないのはわかっていても、魔女に対する侮蔑的な態度にはつい感情的になってしまう。本当は一緒になって魔女の悪口を言ったほうがいいのかもしれない。だが、それはネリには絶対にできそうになかった。

 ネリは内心ぎくりとしながらも平然と答える。


「仕事としてやるのはわかるけど、あなたは魔女を憎んでいるように見えるからよ」


 エルヴィンはまた鼻で笑って答えるかと思っていたが、意外にもまじめくさった顔でネリを見た。


 それから、地面を見て、ぽつりとこぼした。


「魔女を憎んでいるか……俺はこれ以上ないくらい憎んでいるよ」


 ネリはちょっとびっくりしてエルヴィンの顔を見た。


「……化石病を知っているか?」


 ネリ達魔女を苦しめる元凶だ。知らないはずがない。ネリは苦い想いを噛み殺して「多少は知ってるわ」とだけ答えた。


「あれの、最初の被害者は俺の父だった」


 驚いてエルヴィンの顔を見る。彼は中庭の先を見ているかのようだったが、そこに視点は定まっていなかった。


「父は終戦の翌年、化石病で亡くなった」

「…………」

「知っているだろうが俺は幼い頃母を亡くしている。戦場でも多くの仲間を失った。そして、やっとそれが終わった直後だ。もう誰も失わなくてすむと思った矢先に、たった一人の父を失い……しばらくは立ち直れなかった」


 化石病はエルヴィンの父を倒れさせたあとも貴族の間でまたたくまに広がっていき、どんどんと犠牲者が出ていた。それでもエルヴィンは、しばらく何をする気にもならず、呆然としていたという。

 立ち直るきっかけは、ある医師との出会いだったという。

 クロエという名の彼女は能力のある医師で、過去に何度かは化石病を治したこともあるということだった。エルヴィンは化石病について研究しているという彼女と会って話をした。

 そこで知ったのは、彼女は先の戦争で夫を亡くしているということだった。彼女は夫を亡くしながらも自分のできることを探し、同じように大切な者をなくす人間がこれ以上生まれないよう闘っていた。エルヴィンがただショックを受けていた間も、化石病で亡くなる人間を少しでも減らそうと孤軍奮闘していた。エルヴィンはそれを見て彼にできることを考えた時、自分が重要な情報を持っていることを思い出した。


「父は戦前には魔術庁にいた。魔術について、当時俺よりよほど知っていた。その父が亡くなる直前に言い残していた。化石病はただの病気ではなく……魔女の秘薬の呪いだと」


 ネリは息を呑んだ。

 エルヴィンの顔を見たが、その表情に変化はなかった。


 エルヴィンは亡き父の持つ威信と、自身が戦場で得た武勲を最大限に使い、秘薬の取締りに特化した組織をみずから設立し、魔女と人との秘薬の取引を全面的に禁止した。そうすることで怪しい動きをする魔女の情報があれば、自身に入ってくるようにした。


「せっかく戦争が終わったというのに、これ以上人が死ぬなんてたくさんだ……俺は化石病を終わらせようと、そのためだけに生きることにしたんだ」


 ネリは息が詰まったような感覚で、エルヴィンをただじっと見ていた。

 ネリがよく知らずに頭の中で作り上げていたエルヴィン・ロイシュタインという人間像は、私利私欲やなんらかの利益のためだけに秘薬を取締る冷酷な男だった。彼の魔女嫌いは職務の延長線上のもので、ただの偏見だとばかり思っていた。ネリはずっとそう思いたかったのかもしれない。


 実際はエルヴィンもまた、魔女と化石病に父親を奪われた被害者だった。

 化石病の犯人をつきとめ、終わらせたとしても、彼の父はもう戻らない。そしてそれを知りながらも彼は化石病を倒すことを選んだ。

 ───これ以上大切な者を失う人間がなくなるように。


 けれどそれはやはり、表面的に掲げた善性に彩られたものではなく、黒く濁った憎しみを糧とした、仇討ちとしかいいようのないものに感じられた。彼はきっと、怒りや憎しみ、そんなものだけを原動力にして今ここに立ち、生命を持続させている。

 魔女を苦しめ、目的のためだけに生きるエルヴィンは、苦しいだけで何も得ていない。その存在理由はうつろで、ネリには悲しいだけの復讐に思えた。


 話を聞いたからといって、母を奪われたネリにとって、エルヴィンのやり方はとても賛同できるものではない。

 それでも、ネリはもう彼を以前のようにまっすぐには憎めなくなっていた。

ネリの心にあった彼への単純な憎しみは霧のように散らばり、やり場のない大きな悲しみとなって胸に広がった。

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