第15話
「まあ、リコリス。よく来たわね」
フリーデル侯爵家に着くと、ロベルトの母が笑顔でリコリスたちを出迎えてくれた。
「あの、フリーデル夫人……私……」
「こんなところで立ち話もなんでしょ。ほら、客室に行きましょ。……あら、リコリス、その頬はどうしたの?」
「これは……」
「リコリスの母がぶってきたそうです」
言い淀むリコリスの代わりにロベルトが答えると、ロベルトの母は「まあ!」と目を丸くした。
「彼女がマーガレットをひいきしている噂を聞いたことはあったけど、まさかリコリスに手まで上げているなんて……!」
「これ以上あの家にリコリスを置いておくのは危険だと思い、連れて帰った次第です」
「そう。正しい判断ね」
頷いて、ロベルトの母はリコリスに優しく話しかける。
「リコリス、もう大丈夫よ。これからはここがあなたの家だから。さぁ、あっちの部屋に行きましょう。温かいミルクティーを用意するわ」
「ありがとうございます……」
リコリスは軽く頭を下げた。
そして、ロベルトとロベルトの母とともに、客室へと向かう。
「早めにリコリスと結婚しようと思います」
ロベルトはなんでもないことのように言った。そして、ロベルトの母も当然のように頷く。
「そうね、それがいいわ。ロベルト、リコリスのことを誰よりも大切にするのよ。あなたみたいな変わり者と結婚してくれる人なんて、なかなかいないんだから」
(そんなことはないと思うけど……)
実際、マーガレットはロベルトと結婚したがっていたし、社交界の令嬢たちもロベルトに憧れていたような気がする。
濡れたように黒い髪に、紫の瞳。
幼いマーガレットが不気味だと評した顔は、気付けば伶俐で端麗なものになっていた。それに、まるで女の子のように華奢だった体も、すらりとした男らしい肉体へと成長を遂げている。
(あまり考えたことなかったけど、本当にカッコいいのね……)
リコリスが横目でちらちらとロベルトを見ていると、ふいにその紫の目がリコリスへと向けられた。
「どうした?」
「い、いえ、なにも……」
リコリスはあわてて目を逸らす。
今更カッコいいと思っていたなんて、恥ずかしくて言いたくなかった。
僅かに頬を赤らめたリコリスを、ロベルトは不思議そうに見つめている。
そんなふたりを見て、ロベルトの母はくすくすと笑った。
「仲が良いことで」
「ふ、フリーデル夫人っ」
「あら、もうこんな時間なのね。少し用事があるから、私はもう行くわね。あとはお若いおふたりでごゆっくり」
ロベルトの母はたおやかに微笑んで、優雅に客室を出ていった。
室内にはリコリスとロベルトだけが残される。
(な、なにを話せば……)
なんともいえない沈黙が落ち、リコリスは気まずさを誤魔化すようにミルクティーに口を付ける。
温かなミルクティーにリコリスの心がホッとするが、それでも状況は変わらない。
リコリスは隣のロベルトと目を合わせないまま、おそるおそる唇を開く。
「あの、その……」
「君が俺に会ってくれてよかった」
リコリスが意味のある言葉を発するよりも早く、ロベルトが淡々とした声でそう言った。
パッと弾かれたようにリコリスはロベルトを見上げる。
ロベルトは僅かに頬を緩めてリコリスを見つめていた。
ふたりきりでいるときに見せるこの微かな笑みが、リコリスは好きだった。
マーガレットの方が良かったと思っているのではないかという不安が少し薄れたから。
この少年は自分を愛してくれているのではないかと希望を持てたから。
「……ずっと避けていてごめんなさい。色んなことがあって、自分がどうしたいのか、どうすればいいのかわからなくなってしまって……」
「いや、いいんだ。元はといえば、俺とヒューゴが君を困らせてしまった」
そこで、ロベルトが目を逸らした。
少し神妙な顔で俯いている。
「ロベルト?」
「君は、ヒューゴを選ぶと思っていた。幼い頃の君たちは、思い合っていたようだったから」
「…………」
「……君が俺と結婚すると言ってくれてうれしい」
もう一度、ロベルトがリコリスを見て、本当にうれしそうに微笑んだ。
リコリスは迷いながら、意を決して口を開く。
「──実は、さっきまでヒューゴと話してたの」
すると、途端にロベルトは少しショックを受けたような顔をした。
リコリスはあわてて、「違うの!」と声を上げる。
「会ったというよりは、私がマリーナの家にいるときに彼が来て……それで少し話をしたの」
「……なんの話を?」
「そ、それは……」
リコリスは狼狽える。
頬にカッと熱が灯った気がするのはたぶん気のせいじゃない。
「昔のことを話して、それから、それから……」
「それから?」
「…………私があなたのことを好きだという話を」
厳密には少し違うが、ヒューゴにはちゃんとそう伝わっていたので嘘でもない。
ロベルトの紫の瞳が見たこともないほど丸くなって、狼狽えるリコリスを映している。
恥ずかしくてたまらないリコリスは、それを誤魔化すよう矢継ぎ早に言葉を続けた。
「あなたも知ってると思うけど、昔は確かにヒューゴのことが好きだったわ。本当に大切なひとだった。でも、いまはあなたのことが好き。物知りで、優しいあなたが好きなの。だから、あなたがマーガレットを好きじゃないとわかって、結婚しようと言ってくれて、本当に──きゃ!」
リコリスは短い悲鳴をあげ、硬直した。
喋っている途中で、突然ロベルトに抱きしめられたのだ。
自分のものなのか、ロベルトのものなのかわからない心臓の音が聞こえる。
ロベルトの腕の中でリコリスは目を白黒とさせた。
「ろ、ろべると……??」
「リコリス、愛してる」
耳元で囁かれた言葉に、リコリスは一瞬頭の中が真っ白になった。なにを言われたのか、理解が追いつかなかったのだ。
しかし、数秒、数十秒たつにつれ、じわじわと熱が全身に広がっていく。頬など火傷しそうなほど熱かった。
「……ロ、ロベルト……突然どうしたの……?」
「リコリス、君の方がマーガレットよりずっと素敵なひとだ。綺麗で優しくて……子どもの頃からずっと君と結婚したいと思ってた」
(子どもの頃から……?)
リコリスはロベルトの言葉に驚いた。
しかし、今は状況が状況なのでそれどころではない。
「……ロベルト、そろそろ放してもらえるかしら……?」
「もう少し、こうしていたい」
「わ、かりました……」
鈍い返事をして、リコリスはロベルトの腕の中でじっとしていた。
その後もリコリスが声をかけるたびに「もう少し」と、ロベルトが繰り返すものだから、結局ロベルトの母が様子を見に来るまでふたりは抱き合っていた。
(ロベルトを好きになって、ロベルトが私のことを好きになってくれて、本当によかった)
恥ずかしくて、でもロベルトの腕の中は温かくて、幸せだった。
ロベルトと家族になれることが本当にうれしかった。
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