第13話


 リコリスの言葉に、両親はギョッとしたようだった。

 狼狽えながら、父はもごもごと口を動かす。


「なんでって……家族なんだから……」

「そうでしたか? 私はずっと自分のことを、あなた方の家族ではないと思っていました」

「リコリス……?」

「それに、昔はあなた方の家族になりたいと思っていましたが、いまはそんなことまったく思っていません」


 両親は呆気に取られたように目を丸くして、リコリスを見ている。リコリスの言葉の意味がよく理解できていないようだった。


「リコリス、その……」

「家族ではないので、あなた方を助けなければならない理由がありません。あなた方のかわいい娘さんからはいつも嫌がらせを受けていましたし、あなた方は私を助けてはくれませんでしたよね、十八年間も」


 リコリスはにっこりと綺麗に笑い、そして言葉を続ける。


「ああ、責めてるわけじゃないんですよ。仕方ありません。だって、私は家族じゃないんですから。いままでも、これからも」

「り、りこりす……」


 父の顔面は蒼白だった。

 それとは対照的に、母の顔は見る見るうちに赤くなっていく。


「リコリス! あなたなにを訳の分からないことを言ってるの!? あなたはこの家の長女なのよ!? まさか、自分だけフリーデル侯爵家に嫁いで、私たちを見捨てる気じゃないでしょうね!?」

「そうだと言ったら?」

「っ……許すわけないでしょ! そんなことになるくらいなら、あなたとロベルトの婚約は解消よ!!」

「私とロベルトの婚約を破棄するということですか? それは大変ですね。婚約破棄の慰謝料を払わねばなりません。……この家に、そんな余裕があるとは思えませんけど」

「リコリス!!」


 怒号とともに、母が大きく片手を振り上げた。

 怒りに歪んだ母の顔と、表情を引き攣らせた父の顔。

 母の手が振り下ろされるのがまるでスローモーションのようにリコリスの目には映った。

 そして、パンッという頬を叩かれた音が廊下に響く。リコリスの頬がじんわりと熱を持ったように痛んだ。


「お、お前っ……」

「──いったい何の騒ぎですか」


 父が母を咎めるよりも早く、若い男の声がその場にいた全員の耳に届いた。

 リコリスはその声にほっと安堵した。

 しかし、両親の顔からはサッと血の気が引いていく。


「リコリス?」


 いつもより少しうれしそうな声だった……気がした。


「……ロベルト」


 リコリスはふわりと振り返る。

 すると、途端にロベルトの目が大きく見開かれた。その紫の目は、リコリスの赤く腫れかけている左頬に向けられている。


 ロベルトの目がスッと細められた。


「……これはどういうことですか?」

「ち、違うんだ。妻が少し感情的になってしまって……!」

「なるほど」


 ロベルトは大股でリコリスに歩み寄り、痛ましそうに顔を歪めた。そして、叩かれてない方の頬に手を添えながら言う。


「リコリス、大丈夫か?」

「ええ……少し痛いですが、すぐに冷やせば平気だと思います」

「なにか冷やすものを」


 ロベルトがすぐ近くでこちらの様子を見ていたメイドたちに声をかけると、彼女たちは慌ててどこかへと走っていった。

 それを見届けたロベルトの視線は、再びリコリスの両親へと向けられる。


「子どもに理不尽に手を上げるのは躾ではなくただの暴力ですよ」

「あ、ああ、よくないことだ、本当に……」


 父は目に見えて狼狽しているようだった。

 あの誕生日会の日からずっと顔色が悪い。それに、随分痩せてしまったように見えた。

 母は決まり悪そうな顔をして、不服そうに謝罪する。


「……ぶったのは悪かったわ……でも、リコリス、あなたが私たちを家族じゃないなんていうから……」

「なるほど、そういうことですか」


 ロベルトは納得したように頷いた。

 それから、無表情で父へと向き直る。


「リコリスをこのまま連れ帰って、準備が出来次第結婚しようと思います。こんな家にリコリスを置いてはおけないので」

「そんなっ…………いや、それは構わないのか……?」


 自問自答しながら、父はちらりとロベルトを見る。


「それはつまり……フリーデル侯爵家とウィンター伯爵家は姻戚関係になるということだろうか……?」

「そうなるかもしれませんね、

「か、形だけ……?」

「リコリスを妻にもらったからといって、あなた方と親しくするつもりは一切ありません。その気持ちは俺も両親も同じです」

「それは困る!! なんとかしてくれないか!?」

「自分の妻になるひとに暴力を振るった人間を助けるほど、俺は優しくはありません」


 メイドが持ってきてくれた水に濡らした冷たいタオルを頬に当てながら、リコリスはまるで他人事のようにふたりの会話を眺めていた。

 時折父が縋るような目で見つめてくることも、母が口惜しそうに睨んでくることも、リコリスにはどうでもよかった。


 父はあわあわと唇を震わせて、大きな声で叫ぶ。


「そっ、そんな結婚は認められない!」

「婚約を破棄するということですか? テランド伯爵家になかなかの額の慰謝料を払ったと風の噂で耳にしましたが、家に払う慰謝料ぶんのお金は残ってるんですか? 父に借金もあるのに」

「…………」

「そもそもリコリスは成人しているので、自分の意思で好きに結婚できるんですよ。あなた方の許可は必要ありません」

「しかし、そんな……っ」

「父は、『持参金もいらない。借金もチャラにしてやる。代わりに金輪際フリーデル侯爵家に関わるな』と……いまの状況を考えれば、それほど悪い条件ではないと思いますが」


 父は呆然として、言葉が出てこないようだった。小さく震えながら、だらりと項垂れる。


「どうしてこんなことに……」

「それは、あなたの娘さんに尋ねてみては?」


 ロベルトの視線はリコリスに向けられてはいなかった。代わりに、廊下の向こうをじっと見つめている。

 リコリスがその視線の先を追うと、曲がり角から金色の髪をしたなにかがこちらを覗いているのがわかった。


 それがなにかなんて、考えなくてもわかる。

 ずっと部屋に閉じこもっていた、諸悪の根源──リコリスの双子の妹のマーガレットだ。

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