岩槻雛人形のおしゃべり 🎎

上月くるを

岩槻雛人形のおしゃべり 🎎





 中秋の日付が変わるころ、古くから「人形のまち岩槻」として知られたさいたま市岩槻区にある某人形店では、灯りの消えた店内で雛人形のおしゃべりが始まります。


 お店の人がだれもいなくなったとたんに口を開いたのは、変わり雛のヤンキー姫。

🟡ねえ、ちょっと、いまごろになって入って来た新顔、あたしよりド金髪じゃん。


 それを聞いたオーソドックスな顔立ちの雌雛がさも呆れたというふうに答えます。🟤あたしよりってあなたねえ、あちらこそ本家本元の金髪よ、それも女王さまの。


🟡え、うそ~! あれって地毛? どおりで歳のわりに傷んでいないと思ったわ。

 そっか~、先日亡くなられたエリザベス女王と夫のフィリップ殿下の内裏雛ね。


🟤世界中から慕われた方ですもの、あなたたち変わり雛の象徴になるわねきっと。金髪は珍しいなんてことないわよ、半世紀前のダイアナ皇太子妃のときだって……。


🟡あ、そうだった、あのときは悲しい雛祭りになったよね、みなから惜しまれて。若くて美しくて、王子さんたちがまだ少年だったから、なお……。(´;ω;`)ウゥゥ


🟤当地の変わり雛にはその年の出来事にまつわる人物を取り上げるので、追体験というのか、みなさん、あの涙をもう一度的な感懐を抱かれるんじゃないのかしらね。


🟡でも、今年はほら、日本ではアレが一番なはずなのに、見当たらないよね……。

 そっか~、黒歴史はご法度なのね、三代家光公ゆかりの岩槻人形ですもの。💦




      🏯




 雛人形に変わって補足すれば、祖父の東照大権現(徳川家康)を深く敬愛していた家光は神となった祖父を祀る日光東照宮の造営にあたり全国から名工を集めました。


 室町時代、太田道灌が関八州の北の砦として岩槻城を築いたときに始まる城下町は日光御成街道の江戸に最も近い宿場だったので、その工匠たちが住み着いたのです。


 土地名産の桐材を使った箪笥職人が自然発生的に生まれ、その流れで人形づくりも始まり、「江戸木目込人形」や「岩槻人形」として広く知られるようになりました。


 ちなみに、古来、木、布、紙などでつくられ「ひとがた」と呼ばれて来た人形は、魔よけや厄払い、豊作や出産の祈りを託され雛祭りや端午の節句が生まれたのです。




      🌠




🟡でもさ、うちら、古びたからって流し雛にされたりしたら悲しいよね、持ち主の代わりに邪悪なものをみな背負わされて、川に流されるなんてサイアクじゃない?


🟤あ、でも、最近は少し下流に行政の職員さんたちが待ち構えていて、流れて行く雛を拾い上げてくれるらしいよ、といっても自然保護の観点からみたいだけど……。



     

      🌙




 空では月が傾き、星ぼしが奔り、草木も眠る丑三つどきになっても、雛人形たちのおしゃべりは、まだまだつづくようです。おやすみなさい、人間のみなさん。(˘ω˘)






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