エピローグ

旅立ちの季節

 出発の時間が迫っているというのに、立華だけがなかなかやってこなかった。やきもきしながら、梓は何度も立華がくるはずの方向に顔をむけていた。

「立華さん、遅いなあ」

 梓がぼやくと、静佳が「急ぐ旅でもないから」と笑った。

 静佳は高校を中退し、全国一周の旅に出ると決めた。歌を歌いながら各地を旅していくつもりだという。この日は静佳の出発の日だった。

 出発の日とおおよその時間は立華にもあらかじめ知らせてあった。立華からは必ず見送りに行くから待っていろと返事があった。

「行く先は決めた?」

 鈴が尋ねる。

「とりあえず、海の見える街を目指そうかなあと。その後は気のむくまま――」

「風の吹くまま」と、響が後を継いだ。

「何を歌うかは決めてる?」

「ううん」と静佳は首を横に振った。

「気分次第。いろんな歌を歌おうとは思ってる。昔の曲から今流行っているものまで、僕が歌いたい歌と、聞きたいと言ってもらえた歌を歌う」

「リクエストに応えるってこと? すごいことやるじゃん! じゃあ、たーくさんの歌を覚えないと!」

 響がキラキラと目を輝かせた。

「そうだ、肩慣らしに、一曲、歌ってみようかな」

 そう言うなり、静佳はいそいそと支度を始めた。とはいえ、たいした準備は必要ない。マイクもない。必要なものは静佳という楽器だけだ。

 大きく息を吸い込み、静佳は歌いだした。曲は「フィールド・オブ・サウンド」の「風の街」。

 駅前の雑踏の喧騒の中、静佳の歌声が力強く響いた。駅へと向かう人々が何事かと足は止めずに顔だけを静佳の方に向けた。サビの部分では、口ずさみながら駅へと向かう人もいた。

 遠くからアコースティックギターの音色が聞こえてきた。誰かがギターで「風の街」を弾いている。梓は音の聞こえてきた方を振り返った。ギターをかき鳴らしていたのは立華だった。

 ギターを弾きながら、立華は静佳の横に立ち、一緒になって歌い始めた。歌い終わると、パチパチと拍手があがった。

「立華さん! 来ないんじゃないかと思ってひやひやしてました!」

「必ず見送りには行くと言っただろう?」

 立華が梓にむかって茶目っ気たっぷりに片目をつぶってみせた。

「いろいろと手間取ってな」

 そう言うなり、立華はギターを肩から外し、静佳に差し出した。

「俺が使っていたギター。餞別にお前にやる。元気で行ってこい」

「え? そんな大事なギターを、いいんですか?」

「俺がお前にやると言っているんだから、いいに決まっている」

「あ、ありがとうございます」

 礼を言い、ギターを受け取った静佳だが、少し戸惑っていた。

「僕、ギター、弾けないんですけど」

「知ってるよ」

 立華はにこりと笑った。

「抱えているだけでも歌っている時には形になるだろうと思ってだ。それにお守りがわりでもあるんだ」

 立華はギターをくるりとひっくり返した。背の部分にはサインペンで何から文字が書きつけられてあった。読める文字もあれば読めない文字もある。読めない文字はサインのようだった。

 

 「music is magic」

 「若き旅人に幸あれ」

 「千里の道も一歩から」

 「君の行く先に笑顔の花が咲き誇らんことを」


「メンバーに書いてもらった。なかなか都合がつかないでぎりぎり今日まで全員の分が揃わなかったんだ。何かあったら、ギターのこの言葉を見て、気持ちを奮いたたせるんだ」

 「ありがとうございます。大事にします」と涙声で静佳は言い、ギターを胸に力強く抱きしめた。

「ねえ、僕らも何か書かかせてもらわない?」

 梓はぐるりと回りを見渡した。響と鈴は書くのが待ちきれないとばかりに頭を振っている。柊と樹もこくりと頷き、森川氏も賛成の意を表した。

 寄せ書きのメッセージをギターの背に書き終えてしまうと、いよいよ出発の時となった。いつかは旅を終えてまた会えるとわかっていながら、ひと時の別れの寂しさはぬぐえない。

「元気で行っておいで」

 森川氏が、ギターを抱えた静佳ごと抱きしめた。

「いってきます!」

 静佳はふりかえりざま、手を振ってみせた。

 小さな背からのびる手は、やがて雑踏の波にのまれ、消えていった。



「いっくん。僕、思うんだけど、静佳は一度死んだんだね」

 駅からの帰り道、前に長くのびた影を踏みながら梓は言った。

「何でそう思うの?」

「だって、もう前の静佳じゃないもの。肉体は静佳だけど、中身の魂が前とは別人だよ。前の静佳は滅んでなくなったんだ。『死ね』の言霊の通りにさ」

 静佳が声を取り戻したことは喜ばしい。だが、梓は吉元に対して感謝の気持ちなどみじんも持っていない。「死ね」と言われた静佳が別人になるためにたどった道のりは平たんではなかった。声を取り戻す別の道があったかもしれないのに、吉元の心無い一言はその道をつぶしたのだから。

 その吉元だが、静佳と時期を同じくして高校を中退した。モデルとしてスカウトされ、本格的な芸能活動をするために芸能活動に理解のある学校へと転校していった。さっそくモデルとしてトントン拍子に売れているらしく、母親のコネなのか、政府関係のポスターに起用されている。

 順風満帆にみえる吉元だが、ネットの世界ではよくない噂が流されていた。性格が悪く、いじめっ子だという噂だ。「告発」は、吉元にいじめられた生徒がしているという体になっているが、静佳がそんなことをするはずがない。

 静佳の他にもいじめられた生徒がいるのかもしれない。それにしては内容が「した」いじめの詳細に特化していて、された側からの告発というよりはした側の近くで見ていた人間の視点のようだ。

 吉元がいなくなり、浜尾と松田はおとなしくしている。吉元としかつるんでいなかったため、誰からも相手にされず、いつ二人でいる。悪い噂の源泉は案外と身近な人間なのかもしれない。


「静佳はもう大丈夫だよね」

 梓は、樹と柊とに確認した。柊は微笑みを浮かべながら頷き、樹は「彼には、みんなで贈ったメッセージの言霊がついているよ」と言った。

「梓には音として聞こえるんだろう? どんな風に聞こえたの?」

「うーんとね……」

 梓は、言霊の浮かんでいた位置を記憶の中で確かめた。ギターがあれば弾いているところだが、あいにくギターどころか何の楽器も持っていない。

 音の出るものはないかと考えているうちに唇が突き出ていた。そうか、その手があった。

 突き出した唇をすぼめ、梓は口笛を吹いた。自分でも驚くほどうっとりする美しいメロディが流れ出た。

 樹や柊だけでなく、空飛ぶ鳥も翼を休め、梓の口笛に聞き惚れていた。

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言の葉きらり あじろ けい @ajiro_kei

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