4-10 悪い芽

 吉元潔はむしゃくしゃしていた。病気だろうかというほど胃がギシギシ痛むが、病気でないことは確かだ。病気ならとっくに死んでいていいはずだ。

 胃がむかつく原因は森川静佳だ。大雨の日、増水した川に流されて意識を失って入院していたが、無事に退院したと聞いた。浜尾と松田の情報網によると、森川静佳は今はしゃべることができるようにすらなっているという。

 気にくわないと吉元潔は舌打ちした。目ざわりだった森川静佳がクラスからいなくなってせいせいしていたというのに、生き延びたうえに話せるようになっている。森川静佳本人にとっては良いこと尽くめではないか。

 話せるようになっているということは、これまでのいじめについて口を開くだろうか。吉元潔は不安にかられた。しかし、その不安は長続きしなかった。

 そうなったらそうなったで、言い訳を考えればいい。体に危害を加えるといった証拠が残るようなへまはしてこなかった。何とでも言いくるめてしまえる。大人は面倒な事に関わりたくないから、森川静佳からのいじめ告発をまともにはとりあわないだろう。

 そう考えると気持ちが軽くなった。吉元潔はベッドに寝転がり、スマホで動画を楽しみ始めた。

「起きろ」

 男の声で目が覚めた。いつの間にか眠ってしまっていたらしい。声のする方に顔を向けると、男がいた。全身黒ずくめ、二十代ぐらいの男だ。男は椅子に腰かけ、ベッドの吉元潔を見下ろしていた。

「誰だっ?!」

 叫びながらベッドの上を勢いよく後ずさった。勢いあまって背中と後頭部を思い切り壁に叩きつけてしまった。

「強盗か? 金が欲しいなら、あの女から盗ってこいよ。いくらでもあんぞ」

「君に渡す物があって来た」

「渡す物?」

 吉元潔は男の視線を追った。暗闇の中、目を凝らしてみる。男の視線の先、机の上には植木鉢があった。両手のうちに抱えられるほどの大きさで、十五センチぐらいの苗木が植えられている。芽が出てあまり時間が経っていないらしく、ほんの二、三枚の葉しかついていない。

「思い出した。あんた、藤野梓の兄貴だろ」

「僕が誰であるかはどうでもいいことだ」

「はあ? 藤野の兄貴で間違いないだろうが。植木鉢で思い出したよ。あんた、花屋をやっている藤野の兄貴だ。店に行ったことがあるから覚えてるぜ。その藤野の兄貴が俺の部屋で何してんだよ? てか、どうやって入ったんだ?」

「隙というものはどこにでもある。警備の隙……悪の入り込んでしまえる心の隙だとか」

「何わけわかんねえこと言ってんだ? さっさと出ていけよ。出ていかないと人を呼ぶからな」

「呼べるものなら呼ぶといい」

 男は不敵な笑みを浮かべてみせた。挑発するような言い方に吉元潔は腹を立てた。警報アラーム並みの大声を出してやる。吉元潔は大きく息を吸い込んだ。

 腹の底から声を出したつもりだった。しかし、部屋はしんとしている。男は両腕を組み、足も組んで椅子の上で悠長に構えている。

 吉元潔は再び息を吸い込んだ。喉のあたりを意識しながら息を吐きだす。息は出たものの、声は出なかった。

 喉を押さえながら、吉元潔はゼーゼーと荒い息を吐き続けた。声は一向に出る気配がなく、抜ける息の音がするだけだった。

「少しの間、声を奪わせてもらった」

 男は薄気味悪い笑みを浮かべた。

「さっきも言った通り、僕は君に渡したい物があって来ただけだ。そう、植木鉢だよ。僕は言うなれば植木鉢に添えられたメッセージカードのような存在だ。メッセージを届ける間、君には黙っていてもらう。さてと。なぜ植木鉢?、何の植木鉢かと君は疑問に思っていることだろう。そう、頷いたり、首を横に振ったりして、『はい』か『いいえ』ぐらいは伝えられるね。本題に戻ろう。植木鉢だ。君は、言霊というものを知っているか?」

 首を横に振ってみせると、男はふうと小さなため息をついた。

「そうだろうね。知っていたら、そもそもあんなことを口走ったりはしないだろうから。ではまず、言霊の話から。言霊とは、読んで字のごとく、言葉に宿る霊のことだ。僕らが発した言葉は霊力を宿し、発せられた言葉を現実化させる。わかりやすく例をあげよう。『雨が降る』と言えば雨が降る。バカげている、そう思っている顔をしているな。現実化についてはいろいろ複雑な要素があるが今は省く。口にした言葉が現実のものになるとだけ知っておけばいい。僕は――」

 男はやおら立ち上がり、右手を掲げた。手を開いて宙を掻くような仕草をしたかと思うと、その手に花が握られていた。

「人の目には見えない言霊を花として摘むことができる。この花はリュウキンカ。『金ならいくらでもある』と言った君の言葉が生んだ言霊だ」

 男は手にした花を差し出して見せた。コインを彷彿とさせる黄色い小さな花だ。男は吉元潔の目の前で花を握りつぶした。花は跡形もなく消え去った。

「君は今、疑問を抱いているね?」

 男にそう尋ねられ、吉元潔は頷いた。

「口にした言葉が霊力をもつ言霊となり、言ったことが現実化するのなら、どうして森川静佳は死ななかったのか?」

 声が出せない以上、吉元潔は頷くしかなかった。

「それはね、死をひっくり返したからだ。死は生きているものにしか起こらない。存在が消えるにはまず存在していなければならない。死は生と一心同体の身ということだ。僕らは、死の言霊の裏――表といってもいい生の面にひっくり返した。君が生み出した『死ね』の言霊の花を使ってね。その言霊の花は実を結んだ。実からは種がとれた。その種は……」

 男は言葉を切り、足を組みかえた。

「発芽した。『死ね』と言って人の死を願ったというのに君が反省しなかったからだ」

 男は吉元潔の顔を射抜くようにみつめた。まるで何かを待つように男は黙ってしまった。

 待つって何を? 吉元潔は男を見つめ返した。どうやら男は吉元潔の言葉を待っているらしかった。声を奪っておいて何かを言えとはどういうつもりだと吉元潔は首をひねった。男はひどく落胆した様子で小さなため息をついた。

「僕が持ってきた植木鉢に植えられている植物がそうだ。君が発した『死ね』という言霊から生まれた」

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