1-3 白い花

「すみません、これは売り物ではないんです」

「花屋、だろ?」

 少年が視線を店先に泳がせた。入口脇には「ことの花」という看板をかけたイーゼルが置かれてある。「ことの花」の文字は多肉植物で作られている。看板の足元には鉢植えの花が日の光を浴びて並んでいる。

「花屋ですよ」

「じゃあ、その花、売って」

「私物なんです」

 断りを入れ、店の中に戻ると、少年も後をついて入ってきた。少年はきょろきょろと店内を見回している。高校生にしては体格がよく、顔も整っていて、ティーン雑誌から抜け出してきたような容貌と身なりだ。母の日のカーネーションを買いに来たものの、カーネーションという名前は知っていてもどんな花だかわからずに戸惑っているのかもしれない。

「もしかして、カーネーションをお探しですか?」

「カーネーション?」

 樹が声をかけると、少年は首を傾げてみせた。

「母の日に贈る花です。さっき、僕が持っていた花を売ってくれと言っていたので」

「ああ、あれ、カーネーションっていうんだ。じゃあ、それ、ちょうだい」

「亡くなられたお母さんにですか?」

「はあ? 何いってんの、生きてるに決まってんじゃん」

 少年は人を小馬鹿にしたような表情を浮かべてみせた。

 母の日は、普段、花とは縁のない生活をしている客も店を訪れる。花をよく知らない客は、とりあえずカーネーションなら何でもいいだろうと目についたものから買っていこうとする。一口に母の日に贈るカーネーションといっても、贈る相手によって色が異なってくる。母親が生きていれば赤かまたは色のついたカーネーション、亡くなった母親には白いカーネーション。花を贈られて嬉しくはない母親はいないだろうが、母親なら色の意味を知っているだろうから、いくら美しいとはいっても白いカーネーションを贈られたらいい気はしないだろう。白いカーネーションを買いたいという客には樹はそれとなく白でいいのかと確認している。

「そうですか。それなら、赤か色のついたカーネーションをお勧めします。白いカーネーションは亡くなった母親に感謝の気持ちを伝える花とされていますので」

「別に、カーネーションっていう花が欲しいわけじゃない。白い花でいいんだ」

「白い花が好きなお母さんなんですね? でしたら、どんな花でも喜んでもらえると思います。ただ、カーネーションは先ほども言った理由で避けた方がいいかと」

「白い花が好きなのかは知らない。けど、あの花ならいつも家に飾ってある」

 少年が指さした方角には胡蝶蘭があった。母の日といえばカーネーションが定番だが、最近ではカーネーション以外の花を選ぶ客も多い。

「でしたら、胡蝶蘭にしますか?」

「高いんだろ? 高いのよ、っていつも言って喜んでっから」

「お値段は張りますけど、喜んでもらえるならそれが一番の母の日の贈り物ですよ」

「花屋、だもんな。高い花を売りつけてくるよな、そりゃ」

 少年はつばを吐くような勢いで笑い声を押し出した。 

「勘違いすんなよな。金が惜しくて言ってんじゃないんだ。小遣いなら腐るほどもらってっから」

 腐っているのは小遣いだけではないようだ。臭気がますます強くなり、吐き気が抑えきれない。腐った根性から生まれる言霊の臭気に気づくはずのない普通の人間の客ですら、眉根を寄せ、嫌悪感をあらわにしている。なかには店を出ていってしまう客もいた。

「そうですか。では、値段を気にしないで、お母さんの好きな花を選んでください」

「なんで、あの女の好きな花を買わないといけないの?」

 少年があまりにも無邪気に尋ねるものだから、母親を「あの女」呼ばわりした少年に対する不愉快な気分よりも、母の日を知らないような常識のなさに樹は不安を感じた。

「今日は母の日ですから。母親に感謝の気持ちを伝えて花を贈る日なんです。別に、今日でなくても、いつだっていいんですよ。母親に感謝の気持ちを伝えるのは」

 少年はふーんと鼻息ともつかない感想を述べた。

「今日は墓に供える花を買いに来たんだ。墓に供える花って白ければ何でもいいんだよね?」

「白い花でなくても、どんな花でも構わないと思いますよ。亡くなった方の好きな花でしたら、その方は喜ばれるのではないでしょうか」

「死んでいるんだから、喜んだりしないよね」

「あの人の好きだった花だなあと思うこと、それ自体が亡くなった方を偲び、ご供養になるのではありませんか? 喜ぶだろうなと思って心を尽くすことに意味があると思います」

 決して強い口調ではなく、やんわりと少年を制したつもりだった。自分の考えにおもねらない大人に出会ったことがなかったのか、少年は珍しい動物でも見るかのように樹を凝視していた。言い返したそうに唇を動かすが、言葉は出てこなかった。やや右上がりに曲がった唇だけが端正な顔立ちの玉に瑕だった。

「なんかさあ、もっとこう、気持ち悪い感じで、臭い花とかないの? 贈ったら嫌がられるようなさあ」

「そんな花を贈ったら、嫌われませんか?」

「別に。そいつが嫌いなのはこっちの方だし」

「嫌いなのに、わざわざ選んだ花を贈るんですか? 好きと言わないまでも、その人が気にかかっているんですね」

「はあ?」

 少年が素っ頓狂な声をあげた。店内にいた客の数人が一斉に振り返った。

「何言ってんの? 変なこと言ってないでさ、花屋なんだから、さっさと花を売ってよ」

「それなら、バラはいかがですか?」

 堪忍袋のほつれかけた緒を結びなおし、樹は笑顔を浮かべてみせた。

「バラ? なんでよ?」

「棘があります」

「でも、きれいな花じゃんか。あいつにはきったねえ花でいいっての。でもさ、よく考えたら、花屋にきったねえ花なんか売ってるわけないんだよな。あいつには道端の雑草で十分だわ」

 少年はそう言い捨て、店を出ていった。

 吐き気をこらえつつ、樹は後始末を始めた。

 宙にむかって手をのばす。普通の人間には宙をつかんでいるとみえるその仕草で樹は言霊の花を摘む。

 少年の口から生まれた言霊たちは、彼の望んだ通り、いびつな形の花で、鼻をつまみたくなるほどの悪臭を放っていた。

 十代半ばの年頃にしては言葉を覚えたてのような子供のような口の利き方で、彼の生んだ言霊は未成熟だった。花の形すら成していなかったり、かろうじて花にはなっていても花びらが足りない、形、大きさが不ぞろいである。悪意のこめられた言霊は瘴気を放ち、朝に摘んだ花たちは瘴気にあてられ、しおれたり、花びらを散らしたりしまっている。

 言霊のみすぼらしい姿を目にすることが出来たなら、少年も口の利き方、言葉を選んで口にする大切さを学べるのだが……。

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