1-2 『ごめんなさい』の花を生んだ彼

「口がきけないんだ?」

 静佳が店を立ち去った後、樹は梓に尋ねた。梓と静佳少年のやりとりは、梓はしゃべるが、静佳少年の発言はスマホを通してだった。

「うん。学校でもスマホのアプリでやり取りしている」

「便利な世の中になったね。誰でも、誰とでもつながれる」

「そうだね。あーでも……」

 梓が宙を仰いで口ごもった。

「森川が先生以外とやり取りしているところを見たことがないかも」

「授業でさされたらスマホで答えるんだ?」

「先生たちは森川は絶対にささないよ。親への連絡とか、そういうやり取りだと思うけど。とにかく、先生とはスマホでやり取りしてる。友達は……まだ出来てないみたい」

「耳は聞こえるんだろう? クラスの子たちは話しかけたりしないもの?」

「同じクラスになってまだ一か月ちょっとだから、みんな、様子見状態なんだ。僕もまだ話したことない生徒が何人かいるし。森川とも今日初めて話した」

 客の相手をしなくてはならず、梓との会話は切り上げざるを得なかった。

 接客をするかたわら、隙あらば梓はスマホをいじっている。集中してほしいものだと呆れる一方で、スマホをいじる器用さには感心せざるを得ない。今時の高校生にとってスマホは身近なツールで、息をするように自然に使いこなせるのだろう。

「スマホで話しかければいいんじゃないの?」

「ん-……そうだね……」

 上の空で適当な相槌を打って返した梓の指はスマホの上でスピーディーに動いている。

「そうだねって、何が?」

「え? 何がそうなの?」

 樹の皮肉に梓が問いで返してきた。

「森川くんという子にスマホを使って話しかければいいのにな、って思ったんだよ。梓たちにとってスマホは口のようなものだろう?」

「そういうこと? うん、まあ、確かに」

 そう言って梓は手元のスマホをじっと見た。

「口がきける友達同士でもやりとりはスマホがメインだもんね」

「昔は、『目は口ほどに物を言う』といったんだけど、今時は『スマホは口ほどに物を言う』なのかな」

「大したこと言ってないけどね。あ、あのさ、スマホに打ち込んだ言葉でも言霊って生まれるの?」

「人の目に触れたら生まれるよ」

「スマホに打ち込んだだけで、誰にも見られてなくても?」

「自分の目も『人の目』だよ」

「『ごめんなさい』の花を生んだのは彼?」

「多分ね。きれいに咲いた花だったから、心からの思いがこもった言葉だったんだろうね」

「すごく反省しているってことか。よっぽど怖いお母さんなのかな」

 子供っぽい発想だなと樹はくすりと笑った。

 静佳少年が生んだ言霊の花には深く濃い後悔の色がにじんでいた。単純な親子喧嘩ではないのかもしれない。彼の心からの言葉は美しい花を咲かせたからには思いは伝わるだろう。

「いっくんは、母さんと喧嘩したことある?」

「ない……なあ」

 記憶を探りながら、樹は答えた。

「御祖母さまとはあるけど」

「『ごめんなさい』はちゃんと言えた?」

「言いにくかったのは確かだな。だから、彼が花で『ごめんなさい』と伝えたいという気持ちはよくわかるよ」

「御祖母さま、怖かったからなあ」

「怖いというか……厳しい人ではあったね。でも、それは僕たちのことを思ってだったんだよ。甘やかそうと思えばいくらでもできたのに、そうしなかった。嫌われても、怖がられても、僕らがちゃんとした人間になるように育ててくれた」

「父さんで失敗したから、学んだのかな……」

 これには樹も返す言葉がなかった。藤野の家は風花(かざはな)流という華道流派の家元を代々務めている。祖母が亡くなった後、家元の座を継ぐはずだった父は家を出てしまっていたため、父を飛び越して長男の柊が継いでいる。

「おい、どこへ行こうっていうんだ?」

 梓が上着をはおり、店を出ていこうとしていた。

「今日は母の日で忙しいから店を手伝うって約束だったろ?」

「急にスタジオが使えることになったってさっき連絡があってさ。バンド仲間で集まって練習することにした。柊兄さんが来れば店は大丈夫だよね?」

 困ると言ったところで、梓は出かけるつもりでいるのだ。肩にはすでにギターケースをかけている。高校の入学祝いとしてせがまれて買ってやったギターだ。軽音学部に入った梓は暇さえあればギターをつまびいている。高校に入ってまだ一か月ほどだが、成績はどうやら期待しない方がよさそうだ。

「しょうがないなあ、行っておいで。でも、母さんに挨拶するのを忘れないで」

「うん、わかった!」

 口ではそう言いながら、梓は肝心のそれを持っていくのを忘れていった。

「おい、梓!」

 白いカーネーションを手に声をかけた時には梓は店の外へと駆け出してしまっていた。

「それ、ちょうだい」

 梓の背を追って店先から顔を出した樹の目の前に少年が立っていた。高校生ぐらいの年頃だろうか。その目が樹の手にした白いカーネーションに注がれていた。

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