第5話 臨死

 私の住処は都心から少し離れた郊外で駅までは遠いが、そこから電車で少し出れば主要都市へのアクセスは良い。 郊外ということで周辺には商業施設の類はないが、若者が少ないことから派手な出来事が起こることなどなく、閑静な住宅街は私の性に合っていた。 皆とりたてて変わったところのない生活を送っているような穏やかな土地で、死だのあの世だの、奇天烈なことを考えているのは私くらいなものだろう。


 八月も終わり、それでも残暑の厳しい九月の初旬──。


「暑い……死ぬ……」


 私は自らの弱々しさに辟易としながら、炎天下をフラフラと歩いていた。


 なぜ私がこうして外に出ているかというと、ついに引き篭もりが許されなくなったからだ。


「堅洲来未め、貧弱に育ちやがって……」


 駅までの道のりは遠く、不平ばかりが湧き上がる。 そして吹き出す汗が後悔の念を強くする。 どうやら私は出発する時間を間違えたらしい。 出るならもっと朝早くか、夕方にするべきだった。 私は真上の太陽を睨みつけながら、自らの行動の浅はかさにため息を吐いた。


 今日は久しぶりの遠出だ、と楽しげに言えるほど私は元気な人間ではない。 そしてすでに、準備してきたはずの元気の大半が失われつつある。


 ここ数ヶ月はバイト先と住居を行き来する日々が続いており、仕事や食事、睡眠以外の時間は全てあの世界を具現化させる作業に没頭していた。 作業にあたって準備する資材があったため、そこに関しては流石に街へ出たが、それ以外はこの年齢にしては非常に非健康的な日々を過ごしていた。 もとより外出を好まない性質──これも他人から聞いただけの情報だが──も相まって、私の身体は引き篭もりに相応しいものに仕上がってしまっていた。 それが急に街へ繰り出すのだから、こう無理が出るのも当然だろう。


 電車を乗り継ぎ、目的の場所へ。 そこは郊外とは違ってビルや商業施設が立ち並び、若者を受け入れるに十分な華やかさを放っていた。 ビルに反射する太陽光が更に私の体力を削るが、周囲の若者はそんなものなどお構いなしに喧騒を吐き出しながら生を謳歌する。 その活力が羨ましい。


 私にショッピングを楽しみたいという気持ちや遊びたいなどという欲はあまり無く、必要最低限の生活ができればそれ以上望むものは無い。 唯一あるとすれば、もう一度あの世界へ至りたいという願望くらいだ。


「居ないな……」


 私は呟きながら意味もなく街をぶらつく。 現在はとある人物──死期が近しい者を探しているのだが、そうそうそんな人物には巡り合えない。 以前出会った女性は、相当珍しい確率によるものだったのだろう。 あれは惜しいことをした。


 どこかの調べによると、日本では29秒間隔で子供が生まれ、26秒間隔で誰かが亡くなっているそうだ。 しかしそれは日本全土での統計であり、今まさに死のうとしている者が目の前に現れるかといえばそんなはずもない。 だって、外で死ぬ人間なんて大体事故によるものだろうし、そんなものは極々一部のはずだ。 一日の平均交通事故死者数が10人程度で、二時間強で一人が亡くなっていると考えると、こんな場所で出くわすはずもない。 死にかけている者の大半が病気や老衰によるものだということを考えると、それは在宅だったり院内で生じていると考えるのが自然だしな。


「ふぅ、同じところばかり回っても仕方がないな」


 私は気分転換に喫茶店へ入ると、外の見えるガラス窓の付近を陣取って人間観察を始めた。 歩き回って疲れたということもあるし、私の行動は側から見れば不審以外のなにものでもなかったため、ごく自然に振る舞える場所としてここを選んだ。


 私は店内のひんやりとしたクーラー風を浴びながらアイスコーヒーを呷り、ぼーっと外を眺めた。 私の視界を行き来する人々は、自分がいつ死ぬかなんて考えずに生きていられて羨ましい。 私なんて、新しい人と会うたびに「こいつはあんまり寿命が長くないのか」だとか余計なことを考えてしまい、そんな思考が精神を苛む。 これは他人の人生の一部を覗いていることと同義であり、知らず知らずのうちに私は彼らの人生に当てられて疲れてしまうのだ。 知りたくもない情報が勝手に私の中に取り込まれることが原因なのだろうが、こうしてありありと見えていると無視するわけにもいかないのが困ったところだ。


 一方で、寿命が近い人間に関しては私は高い関心を持ってしまう。 その人がどんな最期を迎えるのか、どんな死に方をするのか、それは回避できない事象なのか等々、疑問は絶えない。


 私はあの世界をこちらに再現したことで次のステージに進んだと確信しており、私の現在の行動は次なる何かに繋がるものだという確信さえある。 それが一体どんなものを指しているのかまでは分からないが、外へ出て他人の死に触れることが必要な行為だというのは直感的に理解できている。


「臨死者探しとは、我ながら訳のわからない行動をしているな。 それにしても臨死者、か。 普通の人間が生涯で一回も発することのなさそうな言葉だな、ふふ……」


 そんなことを呟いて観察を続けていると、一組の母娘がガラスを隔てた向こう側をサッと通り過ぎた。 ぼんやりと過ごしていた私は思わずそれを見逃しそうになったが、それこそ私の待ち望んでいたもので間違いないので、私は慌ててコップとトレーを返却口に置くと、全力ダッシュを敢行した。


「ゼェ……ゼェ……!」


 慣れないことをするものではない。 私の身体は昔から芸術活動にばかり没頭していたということもあって運動耐用能が低く、また長期の寝たきりで筋力が極限まで下がっていたという事実も相まって、すぐに限界を迎えた。 あとは長期の引き篭もり生活も原因だな。


 鼓動は爆音で鳴り響き、喉の奥から血の味がする。


「だ、大丈夫ですか……?」


 そんな私を見かねて声を掛けてくれる女性がいる。 先程の二人──その母親だ。


 私は一度彼女らを見失ったが、必死のダッシュが功を奏した。 結果から言うと、横断歩道で信号待ちをしている彼女らを発見し、その背後まで迫ることに成功した。 そして現在、ターゲットの近くで無様を晒しているというわけだ。


「ゼェ……お……お気遣い、なく……」


 見知らぬ他人に心配されるほど、今の私は惨めに息を荒げているらしい。 人間らしい感情をあまり表出させない私だが、これに関しては流石に羞恥心が勝った。 私に好奇の視線を向けるんじゃない。


 母親に手を引かれた娘──歳は恐らく五、六歳くらいの少女も私を見て怪訝な視線を向けてくる。 そんな彼女の頭上には、かなり短くなってしまった白い木の根が伸びている。


 私は調息しながら周辺を見渡した。


「大丈夫、か……」


 息を荒げたかと思いきや独り言を漏らす私は不審者以外の何者でもないが、今はそんなことを気にしている場合ではない。


 死が近い人間──臨死者がその場にいる場合、まずは周辺の人間の寿命を確認しなければならない。 もし複数の人間の寿命が一様に短いという事態が生じていれば、そこは恐らく危険地帯ということになるからだ。 天変地異なのか人災なのか、大量に人間が死が迫っているということは私も巻き込まれる可能性が高い。 だから私は自分の身の安全を確保するため、必死で周囲を確認する。 私とて、死を恐れる気持ちを僅かにだが持ち合わせているしな。


 聞き慣れた音楽が流れ、歩行者用の信号機が青を示した。 例の親娘は私など最初から居なかったように歩き出している。 私がこれだけあんたたちの人生に興味を持っているというのに冷た過ぎではないか、などとは思っていても口には出さない。 これは私が勝手にやっていることであり、彼女らからすれば無用な干渉だ。 しかし私の目的──自己満足かもしれない感情を埋めるために、関わらせていただこう。


 私は親娘を追って歩き出した。 彼女らの向かう方角は駅の方面だが、さてどこへ向かうのか。 私は彼女らと距離を保ちつつ、その関係性を背後から推測する。


 親娘は仲良さそうに手を繋ぎ、娘の方が派手に繋いだ腕を振り回している。 娘はもう一つの手に買ってもらったばかりであろう物の入った袋を大事そうに抱えている。 見たところ親娘仲は良好そうで、娘が虐待で死ぬわけではなさそうなことが窺える。


「なんだ、同じ方面か」


 親娘は、私がここにやって来るまでに利用してきた路線で移動するらしい。 まだ夕方には早いが、帰宅するというのなら着いて行くまでだ。 この時私はストーカーへと完全にジョブチェンジした。


 親娘が下車したのは、私が電車の乗り換えに利用した少し大きな駅。 私はさも「この駅を普段から利用しているんだぞ」という顔をしながら彼女らの後に続いた。


 時刻はそろそろ日差しも弱まりを見せてきた夕方4時過ぎ。 親娘の後をつけながら周囲を見渡せば、マンションが遠くに立ち並んでいる。 駅の周辺はあまり栄えているような印象を受けないが、行き交う学生の制服にいくつか種類が見られるため、この辺りは学校が多いというのが分かる。 だとすれば、ここはある程度治安の良い場所ということだろう。


 それから親娘は、駅から15分ほど歩いた場所にあるマンション──15階建ての同系統のものがいくつか並んでいる中の一棟に姿を消していった。 私は急いで彼女らを追うと、エレベーターの停まる階層を確認した。


「9階か。 それにしても、今時9の付くフロアがあるんだな」


 私はそれだけ確認すると、マンションの近くに設置されている小さな公園へ向かい、ベンチに腰を下ろした。 そのマンションは両端以外全ての部屋が同じ方向にベランダを設置しているため観察が容易で助かる。 だから私はカバンから双眼鏡を取り出し、不審がられることもお構いなしに只管9階のベランダを覗き、例の親娘が見える瞬間を探す。


 それからしばらく、動きはなかった。


「まったく……一体私は何をやってるんだ?」


 私はここにきて自分の行動に違和感を覚え始めてしまった。 わざわざ知らない土地まで来て目的のはっきりしない活動をしていることもそうだし、あの娘にだけ拘ることに対してもそう。 だけど、ここで引くべきかといえば違う気がする。 自分の行動が正解しているとは思わないが、間違っているとは到底思えないのだ。 私があの娘を気になったのだから、自分の感覚は信じるべきだ。 そう思ったからだろうか、私の物語に動きがあった。


「ねぇ君、こんなところで何をやっているんだい?」


 陽が沈みかけた夕焼け空の中、私に声をかける者がいた。 双眼鏡を顔から離せば、男女二人の警官が神妙な顔つきで私を見下ろしている。


 私はしっかり通報されてしまっていた。

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