ロシュ国(9) ふたりの母

 青空の下、崖の石を削る音が響く。切り出された石は次々と森の外へと運ばれていた。先程まで私も混ざって働いていた作業場をぼんやり眺めて、ゆっくりと息を吐く。身体の奥にくすぶる疲労感は先日獣化したときのものだ。大量に魔力マナを受け取り、消費する獣化は何度経験してもまだ慣れなかった。


 クラウの巣穴がある崖の近くの石は、燃焼沼の水と同じ成分を含んでいるという。この石と燃焼沼の水、粘土と混ぜて命火の養育場を作る。それがアシュティ先生の提案だった。


 クラウがわざわざ火の勢いの弱い小さな命火だけを巣穴に連れて行った理由。それは風雨にさらされない安全なところでゆっくりとマナを摂取させ、そのままでは死んでしまう命火を保護するためだった。


 命火が成体のウィルヴィーになれる確率は約三割ほど。七割は成長過程で別の魔法生物に喰われたり、激しい風雨に耐えきれずに死んでしまう。そこでまずは数匹の命火を捕まえて養育場にいれ、ウィルヴィーになるまで約一年育てる。成体になったウィルヴィーが命火を生んだら半分は育成用に分け、残りの半分でズッカ石を作るという算段だ。


 捕獲する命火の数が減り森にすむウィルヴィーが増えれば、自然にクラウは消滅するだろう。そうすればズッカの人はクラウの驚異に怯えて暮らすこともなくなる。それがアシュティ先生の描いた道筋だった。


「――ルルイ、ここにいたのですか」

「リリアーリさん」


 崖の上でズッカの人々の働く様子を眺めていた私に声をかけたリリアーリは深々と頭を下げた。薬を盛ったことへの謝罪らしい。


「気にしないでください。私もズッカの人を二人ぐらい殴ってしまったし」

「口さがないことを噂してあなたを怒らせたギーヴとレガが悪いのです。重ね重ね、申し訳ありませんでした」

「そのことですが……リリアーリさん、あなたは母に会ったことがあるんですよね?」


 どうしても聞きたかったことがあった。アシュティ先生が多くを語らないひと――自分の母である「五ツ星狩人ファルカ・リエレのヴェリスカ」と呼ばれる人のことを。


「ありますよ。最初にズッカ石の作り方を考案してくださったのが他でもないヴェリスカ様ですから」

「ズッカ石を?!」

「それまで、ズッカ石は火祭りの際に偶然できるものでしかありませんでした。ですがヴェリスカ様はその仕組みを解明して、私たちに作り方を教えて下さいました。私たちズッカの街に住む人にとって、あなたのお母様は救世主のような存在なのですよ」


 リリアーリの言葉を聞いて、私は胸が苦しくなった。確かに母はズッカの人々を救ったかもしれない。けれどもその行為はウィルヴィーの数を大きく減らし、破滅クラウを呼び寄せた。今回アシュティ先生が新たな方法を提案してくださらなければ、いずれはクラウが街を焼き尽くしていたかもしれないのだ。そう考えるとリリアーリのように手放しで母の功績をたたえる気分にはなれなかった。


「ルルイ。確かに、ヴェリスカ様の教えて下さった方法に欠点はあったかもしれません。それでも、今までろくに特産品もなく貧しく暮らしていた私たちにとっては、空から金が降ってきたくらいにありがたいことだったのです」

「そんなに……」

「大げさに聞こえますか? 私はズッカ石を売ったお金で学校に行き、国一番の研究所である王立研究所へ入ることができました。ズッカ石がなかったら、私は口減らしのために娼館へ売られるか、生まれてすぐに殺されてしまっていたでしょう」


 にっこりと笑うリリアーリに、私は何も言えなくなった。生まれてこの方食うに困るほど貧しくなったことはないし、まだ自分で金を稼いだこともない。アシュティ先生の庇護下でぬくぬくと暮らしてきた私が言えることは何もないが、心の奥にあった罪悪感はほんの少しだけ軽くなった。


「アシュティの言うやり方では、しばらく私たちの収入は半分以下に減ります。生育して増やすというのは非常に手間もかかりますし、自然のものを捕まえるよりも効率が悪い。けれども私たちはズッカ石にすがって生きていくしかないのです。このやせ細った地では作物もろくに育たず、家畜も肥育できませんから」

「鬼火の森はあんなに豊かなのに?」

「あなたも植物に関してはまだまだですね。鬼火の森には燃焼池の魔力マナを吸収して育つ木、ホークヴィルしか生えていません。火の魔力マナと植物は非常に相性が悪く、草がなければ家畜も育たない。それでもわずかに取れるズッカ石を頼って、先祖はここに街を築いたのです」


 森の向こうに見えるズッカの街を見つめてリリアーリは語る。夕日に照らされた街には、ぽつぽつと命火の青い光が灯り始めていた。


「命火の人工繁殖――必ず成功させてみせますよ」


 所々に灯された青火に祈るようにリリアーリが呟いた。あのランタンはアシュティ先生の力作である。燃焼沼の水を入れ、命火が燃え尽きないよう工夫されていた。


 今日、ランタンに入れられている命火たちは皆、ズッカ石になるのではなく次の命火を生み出すための種火となる。数年後、鬼火の森にウィルヴィーの青い火が満ち溢れるようになればクラウは姿を消すだろう。その光景が来ることを私も信じて、リリアーリの言葉に頷いた。


「リリアーリさんならきっとできると思います」

「ちび助のくせに生意気ですね。さっきまでべそをかいていたのに」

「なっ……そんな事ありませんから!」

「嘘おっしゃい。ヴェリスカ様のせいでズッカの街にクラウを招いてしまったのではと罪悪感を感じていたのでしょう」


 すべてを見透かしたような言葉に私は俯いた。森の燃焼沼に設置されたウィルヴィー捕獲機を見たとき、ひと目でそれが母の作ったものであると分かった。アシュティ先生の家に存在する魔具のいくつかに刻まれている紋章と同じもの――六芒星の中心に太陽と月が描かれたものが刻まれていたからである。


 紋章を見たとき一瞬全てを壊してしまおうかと考えた。捕獲機がなければ命火を捕まえることは難しく、元凶を経てばクラウはズッカの街を襲うことはなくなるだろうと思ったのだ。先生の思い描く計画と食い違うことを恐れた私は結局機械をそのままにしておいたが、私がどれだけ浅はかだったのか、リリアーリの話を聞いてようやく理解した。


「……母はどんなひとでしたか」

「太陽のように強い光を放っているひとでした。ヴェリスカ様がいるところはいつも明るくて、暖かかった」


 記憶を呼び起こすようにリリアーリは目をとじ、柔らかく微笑んだ。きっと、彼女にとってヴェリスカは今でもまばゆく光輝いている存在なのだろう。アシュティ先生も、母の事を「燃え盛る炎のようなひとだ」といっていた記憶がある。


 先生と一緒に他国へ出かけるたび、どこかで母の痕跡に出会う。生まれてからこのかた、一度も言葉を交わしたことがなく、姿を見た事もないひと。旅先で毎回消息不明の母が残したものに出会うのには理由がある。私に直接告げたことはないが、今でもアシュティ先生はヴェリスカの行方を追っていた。


 母がなぜ私をアシュティ先生に預け、姿を消したのかはわからない。先生はそのことを一切語らないし、私に母との昔話を語って聞かせたことはほとんどない。私が知っているのはただひとつ、先生に狩人リエレの技術を仕込んだのが母であること。それだけだった。


「多くの人は、ヴェリスカ様が居なくなったのは何処かで命を落としたからだと言っています。けれども、私は信じていますよ。ヴェリスカ様はどこかで私達のような人たちを救ってくれている、と」

「リリアーリさん……」

「顔を上げて歩きなさい、ルルイ。偉大なふたりの母に名を恥じぬように」


 ふたりの母、という言葉。それは思ったよりも私の心に深く響いた。何も覚えていない生みの母、ヴェリスカ。私を育ててくれたアシュティ先生。その二人の歩みはあまりにも遠く、追いつける気は全然しない。


 私が目指したいと思う人はアシュティ先生だ。ヴェリスカのようになりたい、と言えるほど生みの母のことを知ってはいないから。けれどもいつか、胸を張ってふたりのようになるのが目標だと言える日が来ればいいな、と思った。

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