ロシュ国(6) 鬼火の繁殖とクラウ

 赤みがかった葉を持つホークヴィルが多く生える森の中を進む。この樹は火の魔力マナが満ちる場所でも育つ数少ない種類で、火山の周りで森を形成することが多い。この近くには火山がなかったはずだが、いったいどこから火の魔力マナが供給されているのだろうか。そんなことを考えながら、私は先生の後ろをついて歩いていた。


「先生、どこまで行かれるのですか」

「クラウを見に行くといっただろう。今行かなくていつ行くんだ」


 鬼火の森では、非常に多くの鬼火種が確認された。葉陰で休む親指ほどの大きさの赤火ピルヴィー、木のうろで眠る鬼火最大種の緑火アイヴィー、木の間を元気よく飛び回る青火ウィルヴィー。森の中には鬼火の光がぽつぽつと灯り、ランタンがなくとも歩けるほどの明るさだ。一晩に一、二体ほど見かける機会は時々あるものの、こんなにたくさんの鬼火種を見たのは初めてだった。


「この森にはクラウがいるというのに、あまりどの鬼火種も警戒していませんね」

「良い目の付け所だ。もう少しでウィルヴィーの繁殖場につくぞ」


 アシュティ先生の厳しい表情が少しばかり緩む。見つめる先には、真っ黒な沼があった。


「この沼は……?」

「鬼火種の繁殖は特殊で、『燃焼沼』と呼ばれる場所でしか見られない。その理由はこの水にある――Gilatte燃えよ


 先生は懐から取り出した試験管に黒い沼の水を少し入れ、火をつける呪文を唱える。一瞬で炎は手のひらよりも大きくなり、試験管の上で勢いよく燃えた。


「森に満ちる火の魔力マナはこの沼が源ですか」

「そうだ。この魔力マナの力を使って鬼火たちは命火を生む。左手の……少し木の枝が張り出したところを見てみろ」


 言われた場所へ視線を向けると、ちょうど木の影から二匹のウィルヴィーがくるくる踊りながら出てきた。青火たちはときに身を絡め合い、ときに離れながら沼の中央へ進んでいく。ポコポコと気泡が湧く沼の真ん中で止まったウィルヴィーは向かい合い、沼の表面に向かって小さな青い火を吐いた。


「あれが命火だよ」


 握りこぶしほどの二つの青い火は沼の上で一つになった。風に漂う綿毛のように命火は沼の上を転がっていく。アシュティ先生によると、生まれてから一昼夜ほど黒い水の沼の上にいないと火が消えてしまうそうだ。


 その後、五組ほどのウィルヴィーが命火を生むのを見届けた頃にはすっかり日が暮れていた。私達が見に来る前に生まれたものも合わせて十匹ほどの命火が沼の上に転がっている。アシュティ先生が異変に気づいたのは、日暮れから一時間ほどたった頃だった。


「そろそろがくるぞ」


 耳を澄ませると、沼の奥から風の鳴くような声が聞こえてきた。荒野を吹き抜ける風のような、物悲しい声だ。


「命火を呼んでいる……?」


 なぜそう思ったのかはわからない。けれどもクラウの声は確かに命火たちを呼び集めているように聞こえた。生まれ落ちたばかりの命火たちは声に誘われ、ふよふよと沼の上を転がっていく。その方向に行けばクラウに喰われてしまうというのに。


「先生っ、クラウに喰われるまえに命火たちを助けなければ!」

「黙ってみておけ。決して手出しはするな」


 木の陰から飛び出そうとした私を制して、先生はじっと沼の奥を見つめていた。黒いモヤのような影が沼の上に滑り出る。中でも火が弱い命火から順番にひとつ、ふたつと吸い込まれるようにモヤに飲み込まれていった。


「命火が……」

「喰ったな。追うぞ」


 クラウが森の奥に消えていくのを見て、先生は素早く走り出した。慌てておいていかれないように私も後を追う。鬼火の明かりがあったので、暗視魔法を習得していない私でもなんとかその背を追いかけることができた。


 森を走って十五分ほどしたところで崖がそそり立つ場所に出た。必死に目を凝らして見れば、中腹にぽっかり穴が空いている。どうやらここがクラウの巣穴のようだ。


「ルルイ、中を覗いてこい」

「この崖を登るんですか?!」

「お前の手と足はなんのために付いてるんだ。さっさと登って中を確認しろ」


 有無を言わさぬ命令に、私はリュックをおろして素早く手に滑り止めの粉をつけた。岩肌を登る用の柔らかくてフラットな靴に履き替え、登りやすそうな場所を選んで岩に手をかける。幸い明るく輝く半月の光のおかげで何とか崖の全貌は見渡せる状態だ。巣穴まではざっと見積もって約三十メートルほど。慎重に手や足をかける場所を選びながら、私は岩を登っていった。


 こまめに穴の場所を確認しながら上を目指し、とうとう巣穴の入り口へとたどり着いた。息を潜めてそうっと穴を覗いてみる。

 まず見えたのは、岩陰にぽわぽわと転がるたくさんの青い命火だった。その中心で黒いモヤが渦を巻く。時折あらぬ方向へ転がっていこうとする命火を引き戻したり、火の勢いが弱い命火にマナを分け与えたりと大忙しだ。どう見ても、喰うためにさらってきたとは思えない行動だった。


(クラウが命火を喰ってたんじゃなかったのか?!)


 思わず息を呑んで、もっとよく見ようと身を乗り出す。その瞬間手が滑ってバランスを崩した。


「あっ!」


 落ちる、と思ったときにはもう空中へ身が投げ出されていた。必死で手を伸ばすが、いたずらに岩肌をひっかくばかりで何も掴めない。こうなれば手足を広げて体勢を整え、ゆとりのある衣服をパラシュート替わりにして着地の衝撃を和らげるしかない。そう覚悟した時だった。


Yuet浮け


 凛とした声が響く。下に引っ張られる力がぐぅっと押し上げる浮力に相殺され、落下が止まった。足を下にして地面に着地する。なんとか地面への激突を免れて、私はほっと息を吐いた。


「判断が遅い。落ちてる最中にとっかかりの少ない岩なんか掴めるわけ無いだろう。落ちたらすぐ着地のことを考えろ」

「はい、先生」

「手足の広げ方も甘い。すぐ落下速度を緩めないと、魔法を使う前に地面へ激突するぞ」


 まだまだ一人前の狩人リエレには遠いな。そう言って先生はくるりと背を向け、森の中へと戻っていく。先生ならきっとバランスを崩して落ちるようなヘマはしないし、万が一落ちたとしても美しく着地するだろう。目指すべき背中は程遠く、一向に近づける気がしなかった。それでも、先生の弟子は私だけなのだ。アシュティ先生の名に恥じないようにしなければ、私が弟子である資格はない。そう思い直して顔を上げる。


「ルルイ、ボケっと突っ立ってないで早く来い」

「はい、すぐ行きます!」


 先生の呼ぶ声に私は急いで立ち上がり、その姿を見失わないように追った。ルルホゥ、ルルホゥとワタドリの鳴く声が森に響く。森に集う鬼火たちに見送られながら、先生と私は森を抜けてリリアーリの家へ戻ったのだった。


◆ ◆ ◆


「クラウは見れましたか?」

「ああ、五匹ほど喰ってるのを見たよ。逃げ足が素早くて、巣穴までは追えなかったが」

「そうですか。巣穴が見つけられれば駆除も楽になるのですが。全く忌々しい……」


 眉根を寄せて吐き捨てるリリアーリは苛ついた様子でため息をついた。小さなテーブルに載せられたシチューの皿を引き寄せて、私は出来るだけ自分の表情が見えないようにうつむく。先生のようなポーカーフェイスは苦手だった。


「もうあまり時間がありません。今年に入って、この家も含め森に近い家が三軒燃やされた上、何人か森に入ったものが怪我をしています。火祭りのために命火を採集できないどころか、このままでは街にも被害が及んでしまう」


 焦った様子でリリアーリは被害状況を先生へ説明していた。なんとかクラウを退治してほしいという一心なのだろう。その言葉を聞きながら、私は森で先生に言われたことを思い出していた。


『――いいかい、クラウの巣穴で見たことは決して口外してはいけないよ』

『リリアーリさんにもですか?』

『駄目だ。今日見たのはウィルヴィーの繁殖と命火を食べるクラウだけ。わかったな』


 森を出る前のこと。先生から念押しされ、私は理由がわからないまま頷いた。きっと何か考えがあるのだ。そう自分を納得させて、私はクラウの記憶を胸の奥深くへしまい込んだ。


『露店で買った懐中時計は持っているか?』

『はい、ここにあります』

『よろしい。寝るときも必ず身につけておけ。使えるときがあるかもしれないからな』


 満足げに笑って、アシュティ先生は私が差し出した時計にそっと触れた。すぐに離れていく指を引き止めるように一瞬青い石が煌めく。少しだけ、石に内包されたマナの力が大きくなった。


「――ですか、ルルイ」

「えっ?」

「食事は口に合わなかったですか、とお聞きしたのですが」


 リリアーリの声が私の意識を現実に引き戻す。考え事をしている間に二人はとっくに食事を終えていた。美味しいですと首を振り、慌てて冷めたシチューを口に運ぶ。私の様子を見ていた彼女はため息をつき、無言で自室の方へと行ってしまった。


「食事中に考え事とは行儀が悪いな」

「すみません」

「ルルイは顔に出過ぎる。もう少し腹芸が上手くできるよう修練せねば」


 よく変わる表情は可愛くて好きだけどね。何気なく付け加えられた言葉に私は思わずシチューを吹き出しそうになった。先生にそう思ってもらえるのはたいへん嬉しいが、腹芸ができなければ足手まといになってしまう。一体どちらが良いのだと百面相する私を見て、先生はおかしそうにケラケラと笑うばかりだった。

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