跳べ!
クロノヒョウ
第1話
日曜日の午後。
気持ちいい秋晴れ。
あまり外に出たがらない俺ですらこの爽やかな天気に負けた。
散歩がてらふらふらと近所を歩いてみた。
一本二本と裏道を入って行くと、新しく出来たのか都会の真ん中とは思えないほど広々とした公園を見つけた。
眩しいほどの緑色をした綺麗な芝生には、さすがに日曜日だけあってたくさんの家族連れがビニールシートに座っていた。
何も考えずに俺は人が少ない場所を探して芝生の上に寝転んだ。
久しぶりに見る空は綺麗だった。
小さな薄い雲がいくつか浮かんでいた。
雲を眺めるのもいつぶりだろう。
大人になっても雲って綿菓子に見えるんだな。
そんなことを思いながら静かに目を閉じた。
都会に飛び出して一年。
何ひとつ上手くいかない日々だった。
地元でほんの少し名が知れたミュージシャンだった俺はよくある勘違いで都会に移り住んだ。
もっとビッグになる、自分なら通用する。
何の根拠もなくそう思い込んでいた自分が恥ずかしかった。
田舎でちやほやされていても都会ではただただちっぽけな存在でしかなかった。
俺みたいなやつはごまんといる。
それどころか生活するので精一杯だった。
ワンルームのくせにバカみたいに高い家賃のために昼も夜もバイトしないと食っていけない。
それでもたまに演るライヴは楽しかった。
だがそれさえも今は止めてしまった。
疲れていた。
慌ただしい毎日と人の多さに心底疲れていた。
疲れはてた俺は昨日でバイトも全部辞めた。
二、三ヶ月ならなんとか食っていけるだろう。
少し休むだけ。
そう自分を甘やかしていた。
少し背中がチクチクするのを感じていると周りの話し声がそれとなく耳に入ってくる。
「こらぁ、まーくん遠くに行っちゃだめよ」
「はーい」
俺のすぐ近くでガサガサとビニールシートを広げる音がした。
せっかく静かでいい気持ちだったのにな。
俺はゆっくりと目を開け体を起こした。
「ママ、それなに?」
母親らしい人がポットからカップに何かを注いでいた。
「これはママのコーヒーよ」
「コーヒー? ねえそれおいしいの?」
小学生になるかならないかくらいの可愛らしい男の子がシートに座ってママのカップを覗き込んでいる。
「美味しいけどこれはまーくんは飲めないの。とっても苦いからね」
「ふーん」
男の子は少し考えるとシートから出てぴょんぴょんと跳びはね出した。
なにやら両手を上に上げて、何かをつかもうとしているようだった。
首が疲れないのかと心配になるくらいに一所懸命に上を見て跳びはねている。
「えいっ……それっ……」
かけ声まで出し始めた。
何をやっているのだろうか。
男の子から目が離せなかった。
「まーくん何してるの?」
ママが笑いながら男の子に聞いた。
「わたがしをとってるの」
「綿菓子?」
「うん」
「ああ本当、あの雲ね」
ママは空を見上げた。
俺もつられて空を見上げてしまった。
なるほど。
ひとつだけ、本当に綿菓子そっくりの雲が浮かんでいた。
男の子はさらに必死でジャンプして雲をつかもうとしている。
「あのわたがしをね、ママのコーヒーにいれてあげるからね」
「コーヒーに?」
「うん、そしたらにがくなくなるでしょ? ママうれしいでしょ?」
「あは、うん。ママ嬉しい」
俺の目頭が熱くなった。
涙がにじんできた。
男の子の純粋な優しさに俺は感動していた。
あんな小さな男の子がママのために必死になって雲をつかもうとしているその姿。
なんて素晴らしいんだろう。
「がんばれまーくん」
(がんばれ! がんばれ!)
ママと一緒に俺も心の中で応援していた。
しばらくして疲れたのか男の子はママの隣に座り込んだ。
「ママとれなかった」
明らかに落ち込んでいる。
「取れなかった? でもママ嬉しかった。ありがとうねまーくん」
ママがそう言って抱きしめると男の子は笑顔になった。
「さあ、お弁当食べよっか」
「うん!」
(ありがとう)
俺は心の中でお礼を言いながら立ち上がり、ゆっくりとその場から離れた。
完全に心を動かされていた。
雲はつかめないかもしれないけど、俺はつかもうとする努力はしたのか?
あの男の子のように必死で挑んだか?
いや、俺はまだ何もしていない。
そうだ、せっかくこんな都会にまで出てきたんだ。
俺も死ぬ気で必死になって頑張ってみるか。
カップ一杯のコーヒーで胸いっぱいになったこの想い。
俺は空を見上げ、手を伸ばしてから思いっきりジャンプした。
完
跳べ! クロノヒョウ @kurono-hyo
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