第44話:やばい症状


 ♢♢♢



 今日ほど休んでやろうと思った日はない。寝不足で頭は痛いし体は重いし、かなりしんどい。

 何よりも同じ教室、隣の席には麗華がいる。


 だけど休むわけにはいかなかった。だって麗華はきっと登校してくる。なのに俺が休んだりしていたら、気に病むのは目に見えていた。


 どういう顔をすればいいだろう。

 普通にするのが一番だとは思うけど、あまりに普通なのは如何なものか。不自然じゃないか?

 かといってバチバチに意識するってのも、気まずい。


 というか、普通ってどんなんだっけ。

 俺どんな風に接してたっけ。


「……おはよう、千早」

「お、おぅ」


 当たり前に教室には麗華がいて、俺の顔を見た瞬間は表情が強張った気がしたけど、すぐにいつも通りの挨拶をされた。

 俺も同じように強張ってしまったけど、いつも通りそっけなく返す。


 ……これで合ってる? 俺いつもこんな感じだったよな?


 挨拶が終われば麗華は俺の方へ向くことはなかった。

 それは朝だけでなくずっとだった。無視をしているわけではないけど、極力こちらを見ないようにしている感じ。

 正直有難かった。長時間、いつもの自分を模索するのは大変だし、その態度が正しいのか自信もないから。



 そして休みたかった理由がもうひとつ。

 俺は昨日と決定的に違う部分がある。


「あ、小柴。水城さんだよ」


 昼休み、食堂から帰っていると田川が前方を指差した。その名前に心臓が飛び出たかと思った。

 そろりと見れば、山本さんと歩く瑠奈がいた。


「声かけ……。って、小柴?」


 その姿はこちらなど見ていなかったけど、俺は背後にあった自販機の影に隠れてしまった。


「え、何してんの」

「やべぇ」


 信じられないかもしれないが聞いてほしい。

 瑠奈が、瑠奈だけがキラキラして見えたんだ。


「何が」

「やべぇ……」

「だから何が。頭?」


 失礼な。いや、そうなのかも。俺頭おかしくなったのかも。

 え、太陽光? いやでも室内だし。山本さん普通だったし。


「え、まじで大丈夫? めっちゃ顔赤いけど」


 だろうな。めっちゃ顔熱いから。


 昨日までの俺との決定的な違いはこれだ。瑠奈への気持ちを自覚してしまったこと。こんな気持ちがあると分かって会ったら、どんな風になるか想像出来なかった。

 まぁ言っても? 俺だって人を好きになったことくらいはあるわけですよ。ちょっと緊張するかもしんないけど、麗華と対峙するよりは大丈夫だわ。

 クラスも違うしな。そう自分を鼓舞して来たのに。


 いま、現在。遠くから見えただけで動悸も体温も呼吸もバグってる。

 え、なんだこれ。こんなの知らない。こんなんなったことないんですけど。


 今まで普通に喋ってたじゃん。何なら触ったりとかしてたんだけど。こわ、俺こわっ。ひくわ……。


「あーあ、行っちゃったよ」


 良かった。これで教室に戻れる。


 ……世のカップルは皆こんな修行乗り越えてくっついてんだな。そりゃ独占欲くらい出てくるわ、私と仕事どっちが大事なのと言うわ。


 いや、待て。麗華もこんな気持ちで俺といたのか……?

 アイツの目には俺が光って見えてんの? うそ。

 それなのに昨日の今日で、あんないつも通りの態度をとれるのか。隣の席にいられるのか。


 ……麗華のことをこんな時にこんな風に考えるのはやめよう。


「えーっ、日曜デートなの? やったじゃん!」

「うんっありがとぉ。めっちゃ緊張するぅ」


 女子がきゃっきゃと嬉しそうに前を通過していく。

 へぇ、そりゃすげぇ緊張するだろうな……。あぁ俺は無理かも。デートどころか暫く瑠奈と向き合えない。頭も体も感情もバカになっちゃって泣いたりするかもしれん。


 んな大袈裟な。自嘲気味に笑ってようやく自販機とお別れをした。そしてふと思い出す。

 日曜……って、あ!


「小柴? 何か顔青いけど……、保健室行く?」


 やばい。



 ♢♢♢



 日曜日、午後六時。

 俺は三度目となる瑠奈宅の最寄り駅にいる。そう、今日は瑠奈のお母さんの誕生会だ。


 朝から俺は忙しかった。何度もファッションショーをしては「これ気合入り過ぎ」だの、「地味?」だの、悶々とし続けた。結局シンプルに白のカットソーとブラックデニムに落ち着き、次は髪だ。今まで適当にセットしていた毛先の遊び具合にどれだけの時間を費やしたか。


 何時間も前からそわそわし、家を出る時は鍵をかけ忘れてしまう始末。慌てて戻って、バタバタと走ったおかげか、駅に着いた今は少々冷静になれていた。

 相変わらずキラキラして見えたし、心臓が耳に移動してきたんじゃないかというくらいドキドキしているけど。


 改札を出れば迎えに来てくれていた姿がすぐに目に飛び込んで来た。アイボリー色したもこもこのボアコートを着た瑠奈は俺を見つけた瞬間笑った気がした。

 だが、すぐにきゅっと口を結んで、俺が前に立った時には頬が少し膨れていた。


「あのー、瑠奈さん?」

「……」


 コートのポケットに両手を突っ込んで、頬を膨らませたままじろじろと俺の顔を見る。

 しかしお前、相変わらずミニスカートなんだな。コートとスカートの長さ同じじゃね。タイツ履いてっけど、寒くないのか。……可愛いけども。


 可愛いと今まで何度も思ってきたくせに恥ずかしくなった。別に口にしたわけでもないのに咳払いで誤魔化す。


「えっとー、何か怒ってる?」

「千早氏、なんで私を避けてた?」


 俺の問いに食い気味に瑠奈の言葉が返ってきて思わず顔が引きつった。

 え、何故バレてる。いや、避けていたわけではない。ただ姿が見えると体が勝手に隠れてしまっていたというか。


 えー避けてねぇよー、と少々棒読みな台詞を口にすると、むぅと膨らんでいた頬を元に戻した瑠奈はあはっと噴き出した。


「なんてね! 怒ってないよ。でも最近そんな気がしててさぁ、ちょっと意地悪しちゃった。でも無理だぁ、久しぶりにまともに顔見たら嬉しくって意地悪続けらんない」


 痺れのようなものが頭の後ろから足の先まで走った。

 え、いま感電したの、俺。



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