第41話:ぷんすこ瑠奈


 えっとー、と瑠奈は眉尻を下げて笑顔を作ると俺の顔を見上げてくる。それは戸惑っているようだった。当然だ。


「頭、撫でられてないよ?」

「……」


 そう、未遂。だけど俺は見てしまった。あのキノコはお前の頭に手を伸ばしていたんだよ。


「千早くんは盛り髪が好きなの?」

「好きくない」

「じゃあ嫌だなぁ」


 そう言うと瑠奈は体を揺らして笑う。何よそれ、俺が好きならするの? じゃあ好きと言えばいいのか、そうしたら少なくともキノコの手の平をダイレクトに頭皮に感じることはなくなる。でも嘘はつけない、好きくない。今のふんわりの方が好きだ。


「とにかくね、瑠奈はちょっと無防備が過ぎる」

「簡単に頭を撫でさせてはいけない、と」

「そう、イケナイ」

「じゃあ千早くんにも警戒しなきゃいけないの?」

「ん?」


 瑠奈はじっと俺を見てそんなことを聞いてきた。え、何で俺にも警戒?


「俺はそんな、しないから」

「この前いっぱいした」

「この前って」

「一緒に寝た時」

「!」


 瑠奈の言葉に思わず教室を見回した。……ほっ、良かった。数人残ってはいるけど、誰の耳にも届いていないようだ。こちらに注目している人はいなかった。

 びっくりするわこの子、何でそんな誤解を招くような言い方を……いや、事実なんだけど。


 と、今更気付いた。俺はなんて大胆なことをしているのだろうと。別のクラスの人間を教室に連れ込むなんて。

 もしかしたら連れ込んだ瞬間は注目されていたのではないか? あまりに考えがなさ過ぎだ俺。


 とりあえず返事を、と喉を鳴らす。


「あれはーなんつーか、寝かしつけ? みたいな。そばで誰か寝てたら自然にというか」

「……へぇ、じゃあ私じゃなくてもするんだ、隣に女の子寝てたら誰にでもポンポンなでなでするんだ?」


 あの時のことを思い出すのは心と体、共によろしくないので極力記憶に蓋をする。ぽりぽりと頬を掻きながら答えれば、それまでくりんくりんしていた瑠奈の大きな目が突如として細くなった。


「え、瑠奈さん……?」

「ふーん、そっかぁ。千早くんは優しいもんね、お世話するのが生業だもんね!」

「はっ?」

「竹下さん言ってたもんね、優しいって。聞いたもん、千早くんは面倒を見るのが好きなんだって」

「いやいや、そんなことねぇし」


 瑠奈は頬を膨らませるとガラリと扉を開けた。


「急に変なこと言ってきたから、ヤキモチでも妬かれたのかと思っちゃったじゃん。でもあれだね、注意喚起してくれたんだね、あざました!」


 そう言って、涙袋を下に引っ張り舌を思いっきり出す。ここまで見事なあっかんべーをされたのは一体いつぶりか。


「わっちくん! 千早くん帰るって!」


 唖然とする俺を残して瑠奈は廊下に出ると田川に声をかけていた。

 すぐに現れた田川の顔には苦笑いがあった。


「水城さんと喧嘩したのー?」

「え、いや」

「何かぷんすこしてたけど」

「俺にも分からん……」


 くしゃくしゃと髪を掻いて考えてみるけど、瑠奈の様子が変化した理由は分からなかった。廊下に出てちらりと隣の教室に目をやると山本さんがいた。

 こちらへバイバイと手を振る顔は田川同様、苦笑いだった。



 ♢♢♢



 瑠奈のぷんすこ事件はその後触れることもないまま時が流れて行った。

 というのも期末テスト期間に突入したからだ。麗華ではないが、俺ら学生の本文は勉強である。


 姿を見れば声をかけたりしたが、ぷんすこ瑠奈は勉強の鬼と化していて、とてもじゃないが世間話も出来ない空気だった。

 山本さん曰くテスト前は毎度こうなるらしい。「瑠奈ママはテストに厳しい」ようで、二週間前から一週間前と近付くにつれて、瑠奈のふわふわショートカットは元気をなくしていった。

 初日なんて気合なのかちょんまげをしていたのだが、そのウサギさえ疲労困憊しているように見えた。



 だがそんな日々も永遠ではない。


「どっか寄るー?」

「終わったー!」


 放課後を迎えた昇降口はいつにも増してざわざわしていた。そこかしこで歓喜と安堵の声があがっている。そう、本日無事に期末試験が終了したのだ。


「千早くんっ」

「……おー、お疲れ」

「終わったね! 解放!」


 靴を履き替える俺に声をかけてきたのは瑠奈。

 この前の出来事など忘れてしまったのだろうか、ハイタッチを求められそれに応じればなんとも嬉しそうな顔をしている。


「いやぁ勉強頑張った! もうこれで後は冬休みを迎えるのみ!」


 浮かれている。分かり易く、絵に描いたようなまでの浮かれっぷりである。


「でねでね、千早くんっ」

「うん?」

「日曜日、うち来れる?」

「おー、いいけど。何かあんの?」

「お母さんの誕生日なの!」


 そうか、瑠奈の浮かれた様子は期末終了なだけではなかったか。そりゃお母さん大好き瑠奈が浮かれるには十分な理由である。


「福間さんはもう誘っててね、四人でお祝いしたいなーって」

「うん、いいよ。行く」

「当日は私ご飯作るからね!」

「ほぅ」


 瑠奈はいろいろと楽しそうに喋ってくれた。例えば福間さんとやり取りをしていることなど。

 気が付けば一緒に学校を出ていた。


 久しぶりに瑠奈が隣を歩いている。たったそれだけなのに妙に気持ちが高揚している気がした。

 何だか離れ難くて駅まで送った。

 バイバイと手を振る瑠奈はやっぱり何度も振り返るから、姿が見えなくなるまで俺はそこにいた。


 うん、あの出来事は何でもないことだったのだろう。あの瞬間は唖然としてしまったけど、でもぷんすこ瑠奈は可愛かったな。

 思い出すと笑ってしまった。だって全然怖くない、迫力もない。怒っているという言葉が当てはまらない、まさに「ぷん」程度だった。


「ふ、可愛い」


 一人で思い出し笑いなど、傍から見たら気持ち悪いことこの上ない。俺は足早にその場を離れた。



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