第34話:関与できない時間


「何その恰好。まさか泊まったの……」

「ち、違うの! 泊まったのはそうだけど、あの、千早くんは私を助けてくれて」

「一人暮らしになった途端コレ? 千早、そんな軽薄だった?」


 俺と揃いのスウェットを着た瑠奈の姿をまじまじと見て、麗華の表情はどんどんと険しくなる。途端って、もう半年は経ってるんですけど。

 しかし軽薄とは心外だな、昨夜俺がどんだけ耐えたと思ってんだ。今朝だってあれだぞ、頑張ってたんだぞ。お前来なかったら多分アレだけど。


 随分な言われ方をされたが、麗華はそれ以上続けなかった。ただ、ぽつりと独り言のように呟く。


「信じられない……」

「何がだよ」

「なんで、なんで水城さんなの」


 その呟きを拾うと麗華は俯いて微かに声を震わせた。

 なんで水城さんなの? とは。瑠奈でなければいいということか?


「おい、どうした……」


 震えていたのは声だけでなく頭もだった。その様子に顔を覗き込めば、ふいっと逸らされる。

 帰る。と麗華はエレベーターへ向かって行った。


「竹下さん、待って!」


 俺が声をかけるより早く、瑠奈の声が響く。


「千早くん、私が行く。話してくる!」


 思わず振り返れば瑠奈はぶかぶかのスウェットのまま、ローファーの踵を踏んで外に飛び出した。俺も、と言えば「来ちゃダメだから!」と強く言われて、足は動かせなかった。


 幾つかの扉の向こうにあるエレベーターの前に二人が並ぶ。

 麗華が何かを言っているようだったけど声が小さすぎて言葉は分からなかった。やがて二人が前へ進んだ。エレベーターが来たようだった。

 それに乗る直前、瑠奈はこちらを見た。右手を外側へ払う仕草はシッシッとでも言っているようだった。


 ぽつんと取り残された俺はとりあえずドアを閉める。

 ……瑠奈は二人で話したいのだろうか。一体何を話すというのか。ここに泊まった経緯?

 それならば俺がいたって支障ないと思うんだけど。あぁでも俺がいると麗華の気持ちを逆撫でするかもしれない。


 でも、瑠奈は大丈夫なのか?

 麗華の正論は時に人を傷つけることがある。本人も分かっているからあまり言わないようにしているけど、こと俺が絡むとアイツは優等生スイッチ全開になるからな……。プラスおかん。

 この前だってそうだ。アイツはちょっと様子がおかしかった。


 放っておけない。だけど来るなと言われた。

 でも、だけど、と頭の中がめちゃくちゃだけれど、瑠奈があんな風に言うのだ。玄関から離れてとりあえず顔を洗った。


 部屋に戻って息を吐きだす。瑠奈は布団を綺麗にしてくれていた。

 枕の下からスマホを取ってロック画面を見る。10:20と表示されるデジタル時計を確認した。

 どれくらいの時間が必要だろうか。5分、は短いだろうか。いや、でも玄関から戻ってきてそれくらいはゆうに経っていると思う。10分もあれば十分だろうか。


 ベッドに座るとじっとスマホを見つめた。アナログと違って秒針がないそれは時が進んでいるのか分からない。そんなにせっかちなタイプではないんだけどな、と自嘲する。

 俺は静かに数字が進むのを待った。



 ♢



 瑠奈が戻ってくることはなく、インターフォンが鳴ることもないまま、もう限界だと鍵だけを握って外へ出た。


「瑠奈っ」


 一階に着くとオートロックの向こう側に瑠奈の姿を見つけた。解除されないと動かない自動ドアを前にちょこんと座っている。


「あ、千早くん」

「何やってんだよ、お前」

「あはは、部屋番号分かんなくて。入れなくなっちゃってた」

「めっちゃ冷えてんじゃん」


 駆け寄って同じようにしゃがむと瑠奈のぺたんこの頭に触れた。ひんやりとしている。


「麗華は?」

「帰っちゃった」

「とにかく部屋戻ろう」


 エレベーターの中で瑠奈が謝ってきた。スウェットの裾が汚れてしまったと。そりゃズルズルだからな。

 気にすんなと言っても瑠奈の顔に笑顔はなかった。それ程に気にしてくれているのか、それとも麗華との話で何かあったのか。

 とりあえず何か温かいものを出そう。小さな体が震えている。



 ♢♢



 部屋に戻ると瑠奈は「トイレ!」と駆け込んでいった。俺はリビングに入りココアを作った。戻ってきた瑠奈は目をキラキラとさせてそれをゆっくり飲んだ。「あったかぁ」と笑う顔は俺の目尻も下げさせてしまう。


「気になってるよね」

「あ? あー、まぁ……」

「ごめんね、ガールズトークは男子禁制なのでお教えできません」

「そ、そうか」


 別に内容はどうでもいいよ。お前が何か言われたりしてないなら。お前が嫌な気持ちになってないのなら。


「心配だよね、……幼馴染だもんね」

「は? いや、俺が気にしてんのは」


 そりゃ麗華のことが全く気になっていないと言えば嘘だ、だけど心配? それはない。確かに様子はちょっと違ったけど、心配に思うようなことは何もなかったからな。

 それよりもお前だよ、そう続けようとすれば瑠奈が口を開くから言えなかった。


「喧嘩とかにはなってないから安心してね」

「……そうか」

「ごちそうさまでした!」


 ココアを全部飲み干すと瑠奈は立ち上がってそれをシンクに持っていく。洗わなくていいぞと声をかけると、ありがとうと言ってから振り返った。


「とりあえず! 帰ります!」


 そして突然の帰宅宣言。


「今私がここにいるのはフェアじゃないから」


 プラスされたのは謎の言葉だった。



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