第33話:祈られた方が良かった


 簡単に翻すのは如何なものかとは思うのだが、前言撤回する。訪問者に感謝出来ない。だって、


『まだ寝てたの? 寒いから早く開けてくれる?』


 インターフォンから響いてくる声は麗華なのだ。


 微かに重たくなった足でリビングを出ると瑠奈が立っていた。「麗華来た」と伝えれば表情が強張った。


「あ、約束あったの? ごめん、私」

「いや、アイツはいつも突然来る。約束なんかしてないよ」

「そ、そうなんだ……」


 瑠奈はそう言って長すぎる袖を口元に置くと視線を床に落とす。


「隠れた方がいいよね」

「え、なんで」

「だって、竹下さんにまた誤解されちゃう」


 そして俺の返事を待たず昨夜寝る筈だった客間へ入って行った。

 廊下に一瞬の静寂が流れる。


 あぁ、誤解か。そうだな、お前には迷惑な話だよな。ちょっとくっついてただけで注意されちゃったしな。

 ……でもさ、俺は麗華にどう思われてもいいんだけどな。元々、アイツの言葉を気にしないとこはあるけど、でもそういうの抜きにしても気にしないよ。どう捉えられても構わない。


 でもそれは俺側の事情で、お前は違うよな。ここに泊まったことが麗華にバレたら困るよな。

 ぐしゃぐしゃと頭を掻きむしる。どうして「誤解されちゃう」という、たった一言がこんなにも気になるんだよ。何でこんなにもやもやしなきゃいけない。

 何で俺は、その一言を不満に思ってるんだ。


 ピンポーンと催促するかのようにチャイムが鳴らされて、俺は客間から玄関へ視線を動かすと深呼吸をする。


「……はいはい」


 誰にも届かない返事をしてようやく玄関へ向かった。


「……あいよ」

「開けるまでにどれだけ時間かけるのよ」

「へーへー、すいません」

「本当に起きたばっかりなのね、今何時だと思ってるの?」

「知らんよ、勝手に来といてうるさい」

「勝手? ちゃんと電話したわ」


 ドアを開けるや否や怒られた。あぁ、あの着信はお前だったか。一応連絡はしたってか? 着信からチャイムまでの時間は然程なかったけどな。

 にしてもよく口が動く。対峙してまだ一分と経っていないだろうに。


 外の空気は冷たかった。そりゃ部屋が冷えてるわけだ、思わずぶるっと体が震える。麗華が着ているネイビーのノーカラーコートが風に揺れた。おぉ、風まで強い。


「おばさんたちがいなくなってからずっとそうじゃない、休みだからっていつまでもダラダラ」

「あー、ねぇ、何? 用事は?」


 よっぽど苛立たせてしまったようだ、寒いしな今日。だけどもこんな説教を玄関先、しかもドアを開けた状態のまま長々とくらうのはごめんである。

 かといって家にあげるつもりはない。終わらせるべく説教に口を挟んだ。すると、


「私がここに来るのに理由が必要かしら」

「いるだろ」

「何で?」


 驚くようなことを言ってくる。え、普通にいるよね。いや、確かに何の用もないのに来てたよ、お前は。だけども「何で?」はおかしくないか。俺の方がまともなこと言ってると思う。


 何でもだ、と答えれば麗華は俺の胸をトンと押してくる。それは退きなさいよということだ。そうだよな、今のままじゃ入ってこれないもんな。

 だがそれは出来ない。俺は左手でドアノブを握り右肘を壁についた。所謂、通せんぼだ。


「……なに? なんで上がらせないの?」

「えっ、あー、今日は散らかってるし」

「別に気にしないわ」


 そう言われても動こうとしない俺に、麗華は眉間に薄くシワを作る。


「それに俺、あーっと、出掛けるし」

「……何時から? 誰と会うの?」

「んー」

「また水城さんなの?」


 それはこっちの台詞だ。「また」それかよ。まぁ合ってるっちゃ合ってるけど。

 てかコイツの中で俺の予定は瑠奈しかないんかよ。そんな呆れた息が出て行くけど、考えてみるとここ最近の予定は瑠奈しかなかったと気付いて苦笑する。

 と、麗華が目を細めて何かを見ていた。


「……誰かいるの?」


 麗華の視線は俺の奥、地面に近いところに向けられていてハッとした。あ、靴……!

 俺のものと言うには無理があり過ぎるサイズのローファーはきちんと揃えられていた記憶がある。辿らずとも麗華がそれを見ているのは明らかだった。


「まさか、水城さん……」


 麗華の頭には瑠奈しかいないのだろうかと思ってしまうくらい、コイツは水城さんを連呼するな。

 俺は隠すつもりないよ、別にコイツにバレたって構わないのだ。だけど瑠奈が、バレることを良しとしない。それならば隠してやらなければならないじゃないか。


 ……のだけど、どうしようか。どう説明したらいいのやら。足ちっさくなっちゃった、とか言ったら静かになってくれるかな。その場合の静寂はとても辛いけど。


「えー、あー、これはだな」


 まさにしどろもどろ。言い訳は何も浮かばない。ドアと俺の間に麗華が体を入れてこようとするのを阻止するので精一杯だ。


 と、背後で物音がした。バタン、とそれはドアの閉まる音だった。

 振り返れば瑠奈がこちらに向かってきた。相変わらずウエスト部分を引っ張りながら。


 え、何で出てきた?


「瑠奈、何で――」

「ごめんね、何かもう無理かなって思って、出てきちゃった」

「俺はいいけど、お前……」


 体を瑠奈へ向けてしまったからドアを支える力が抜けてしまった。麗華は軽くなったドアを引いて幅を広げる。玄関から廊下へ外の光が道を作った。

 麗華の目が瑠奈の姿を捉えたのは、言うまでもない。


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