第22話:見える終わり


 それから数日、俺の周りは静かだった。

 瑠奈と出会う前はそうだった。いや、瑠奈と出会ってからだってこんなもんだった。アイツが関わらない限りはそうだった。

 なのに妙な喪失感がある。何も失っていないのに喪失とはいかがなものかと思うのだが、心が変なのだ。元々そんなに活発ではない俺の心が、一層動かなくなっている。


 隣の教室だというのに瑠奈の姿を見ることはなかった。山本さんには会った。だから聞いてみた。アイツは来てるのかと。

 山本さんは「はやちはどうしたいのよ」と大袈裟にため息を吐いて去っていった。


 俺は今までやりたいようにやってるつもりだった。だけどそれは少し違った。俺は受け身なのだと気付いてしまった。

 やりたいこと云々だけじゃない。それ以外も自ら何かを考えて行動することがない奴なのだ。

 だからどうしたいのかと問われ何も言えなかった。


 瑠奈のクラスに行く勇気はなかった。仮に姿を見つけたとしても、瑠奈がこちらに意識を向けてくれなかったら、と思うと恐ろしくもあった。

 田川がいちご牛乳をくれた。「元気出しなよ」と。相変わらず鋭い男である。いや、俺が分かり易い説もあるか。

 ありがとう、田川。いちご牛乳飲めないの知っててのプレゼント、ありがとう。



 だがそんな俺の心がようやく動く。それは金曜日の夜だった。

 瑠奈からメッセージが届いたのだ。『急なんだけど、土日のどちらか予定空いてる?』と。

 今までにないくらいの速さで即レスした。ろくに思案することもなく俺の指は返した。会いたいと。


 自分で打って送信したくせに後々愕然とした。俺はなんという言葉選びをしたのだと。

 だけども考えずに出てきたそれは、俺がずっと抱えていた想いだったのだと思う。


 あの時、山本さんに問われた時。

 俺が答えるべきはこれだったんだ。



 ***



 土曜日、午後六時。俺は瑠奈の家の最寄り駅に降り立った。

 改札を出るとすぐに瑠奈がいた。膝上まである白の襟付きのシャツにベージュのニットベストを重ね着している。肩にはコロンとした丸い形の小さなバッグ。

 二度、瑠奈の私服は見ているが今日は少しおとなしめのコーディネートに見えた。足元はショートブーツで相変わらず生足だけど。


「千早くーんっ!」


 最後に俺の顔を見て笑ってくれたのはトイレの前だったな。なんて思って大袈裟なと自嘲する。だけどこの数日見れなかったものが、向けられなかったものが眼前にあるのだ。向かう足取りのなんと軽やかなことか。


「なんか久々ぁ!」


 そう言うと瑠奈は目線を俺の鼻辺りに置いて「元気してた?」と、夏休み明けの教室で聞こえてくるようなことを言った。微妙に目が合わないのが少しもどかしい。


「背伸びた?」

「あれ、縮んだ?」

「ほーぅ、そういうこと言う」


 俺の返事に瑠奈は目を薄くさせて腰に手を当てる。それは怒ってるよを表したもので所謂茶番だ。

 だが一瞬目が合うと、俺たちは声を出して笑った。


「千早くんが笑ってるー」

「俺だってフツーに笑うわ」

「やー、いつもはもっとこう……クールぶってるっていうか」

「ぶってるって言うな、恥ずかしいだろ」

「今日はクールお留守番?」


 ぶってるつもりはない。ないけど、漏れ出た感情をそのまま見せることに些か抵抗がある。恥ずかしいと思ってしまう。豪快に笑い声をあげてる人を見ると、うるさいなと思う反面すげーなとも思う。そういえば斜に構えてる等と揶揄されたこともあったな。でもそれは間違いだ。悔しいが「クールぶってる」方が近い。

 何よ、お留守番って。めっちゃ可愛いやん。


「お腹は減らしてきた?」

「まぁ。でも食えっかな、緊張えぐい」


 どうして俺がここにいるのか。昨日瑠奈が送ってきたメッセージをここに抜粋しようと思う。『お母さん電話してたからご飯一緒に食べましょーって叫んだら、お母さんやっと彼氏認めたあしたやきにくいける?』

 明らかに終盤飽きているのは伝わるよな。


 まぁ要は瑠奈のお母さんがようやく彼氏がいることを認めたのだ。そして三人で食事に行くことになり、それならとお母さんが俺を誘ってくれたのだという。

 今向かってる店に二人は到着済みらしい。


「にしても急展開だな」

「ふっふっふ。娘の観察眼を舐めちゃあいけねぇ、大体私がお風呂に入ったくらいにお電話タイムだってことは調べがついてんだ!」


 推理ものを見たのか、刑事ものか。江戸っ子風なとこからすると時代劇の可能性もある。


「にしてもこんなにすぐに食事会とは」

「電話奪ってやった、優しい声してた! お母さん見る目あるね!」


 声だけで判断するのか、お前絶対イケボ配信とか見るなよ。


「私さー、実はちょっとさー、まだ千早くんとカレカノでいたいなぁって思ってたんだよね」


 カレカノ、という言葉にどきりとする。「あ、フリだけど」とご丁寧に修正を入れられた。分かってるよ。


「だからちょっとさ、目的放置してるとこあったかもなぁって」

「……ふーん」

「気持ちは変わってないんだよ?」


 瑠奈の足が横断歩道で止まり俺も隣に並ぶ。ここは交通量が多いな、車の音がうるさい。


「でもこれじゃダメだって、何のために千早くんに協力してもらってるかって考えたの。千早くんがうちに来てからお母さん、だいぶ恋バナとか乗ってくれるようになってたし、もう強引にでも尻尾捕まえてやる! って思いなおしたんだ」


 信号が青に変わる。瑠奈は俺の先を歩きくるりと振り返る。こら、横断歩道で後ろ向きに歩くんじゃありません。

 だけど俺はそんな注意どころか、言葉が出てこなかった。


「今日、お母さんに再婚の気持ちが少しでも見えたら、私たち終わりにしよう」


 後ろで両手を組み上体を微かに前屈みにしながら、それはまるで「早くおいでよー」と言われているのかと錯覚しそうな雰囲気で言われたから。


「……は」

「なーんつって! 別れ話みたいに言っちゃった。はい! とーうちゃーく」


 その言葉を自分の中に落とし込む暇もなく目的地に着いてしまった。横断歩道を渡ってすぐのお店の前でスーハーとわざとらしく深呼吸した瑠奈は、俺に振り返ることなくその扉に手を伸ばした。



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