第6話:好き? 好き!


 信号が変わり「じゃあ」と言って別れた。横断歩道を渡り切って何気なく振り返ると、こちらを見ながら歩いていた水城さんと目が合った。

 ひらりと手が振られるから振り返せば、彼女は見えなくなるまで何度もこちらを見た。

 そんな姿にニヤけてしまったのは不可抗力というものだ、きっと男なら誰でも頬が緩むだろ?


 それを見送って数分歩けば住宅街に入り緩やかな坂道が現れる。上り切れば八階建てのマンションがあって五階の一室が我が家だ。

 だがその坂道を上る前に人影に気付いた。


「水城さんと一緒だったわね」


 坂道の手前にある曲がり角に麗華がいた。一緒に帰る時はここが俺たちの分岐点である。俺は坂、麗華は曲がる。


「見てたのか」

「前の方にいたのよ。気付かなかった?」


 麗華はセーラー服のリボンを揺らしながら俺の前に立つと、両手で持っていた鞄を持ち直し、とんでもないことを言う。


「まさか付き合ってる?」

「はっ?」


 そんなことを聞かれるとは思ってもみなかった。だってコイツ、あれだぞ。学生は恋愛より勉強、とか言っちゃう奴なんだぞ。

 そんな思考があるのかと大袈裟だが驚いてしまった。


「付き合ってねぇけど」

「じゃあ……好き、とか?」


 おいおい、どうしたよ麗華。何か変なものでも食ったんじゃねぇのか?

 俺らの間で恋バナなんてほぼない。最後にしたのは中学二年だっけか。小学生の時に好きだった女子がどんどんと派手になっていくのを見て「清楚なあの子はどこへ」と嘆いた以来だ。

 ん、恋バナでもないな。


「……好み変わったのね」

「ちょっと待て。俺が好きという前提で話すのはやめろ」

「違うの?」


 深いため息を吐けば麗華は察したようで「そう」と一人で納得し、じっと俺の目を見てくる。

 さすがは幼馴染、嘘かどうかの判断が早くて助かるね。でも俺の方はお前のその目が意図するものを察せない。大方ただ見ているだけなのだろうけど。

 コイツは人と話す時嫌ってくらい目を見てくるからな。


「まぁ水城さんを好きになってもうまくいかないでしょうしね」

「何を根拠に」

「私は千早を分かってるもの。だから二人が合わないことも分かるわ」


 そりゃ確かに俺のことをよく分かってるだろうが、あっちのことは分かっていないだろう。なのにそんな断言されるとは。


「帰るわね」

「え、お前これが聞きたくて待ってたのか?」

「そうよ」


 家はすぐそこなのに、たかがこれだけの為に?


「好きじゃないならいいの。じゃあ、また明日」


 唖然とする俺を他所に麗華はそう言うと角を曲がっていった。

 暫くそこに留まってしまったが水城さんと違って振り返ることはなかった。



 ***



「おはよーん、千早っち!」

「……本当にそう呼ぶのか」


 教室へ続く廊下をのそのそと歩く俺を追い越したのは言わずもがな水城さんだ。

 朝から元気がいいな……。


 昨日連絡先を交換し初めてきたメッセージは『千早っちって呼ぶね』だった。夜中だったこともあり寝ぼけていた俺は返事をしなかったのだが、あの後やりとりをしていればこんな呼び名にならなかったのだろうか。


「だって彼氏なのに苗字ってのもねぇ」

「いや、いるんじゃないか」

「あー、そっち派?」


 なんだそっち派って。そういう派閥があるのか、知らんかった。

 ……しかし何だ、随分ナチュラルに「彼氏」と言うんだな。別に照れたわけじゃないが頬が熱い。今日も気温が高いんだっけ?


「じゃあ『しばち』?」

「……、え? どういった経緯で?」

「『はやこ』の方がよろしいか?」

「何故フルネームを略したがるんだ」


 突然出された呼び名の候補二つで、コイツの思考回路を読み解いた俺は凄くないか? 褒めてほしい。


「私のキャラじゃないじゃん? 彼氏を苗字呼びって。こ・し・ば・く・ん、五文字もあるし」

「お前、おかあさんも五文字だぞ」

「……。ほんとだ! あははっ! 長っ!」


 そう言って水城さんは体を折り曲げて笑う。分からん、何が面白かったんだろう。

 だけど彼女の笑顔は気持ちがいい。こちらまでつられてしまう。


「ちはやって名前綺麗だから、あんまり略したくないんだよねー」

「……そりゃどーも」


 なんなんだろうなぁこの子は。こんなに直球に言葉を出せるものか、普通。俺たちもう高校生だぞ。それとも俺が敏感に反応してるだけ?

 だがしかし、こんなこと言ってるくせに二つも略した候補を出していた数秒前はお忘れか。


「……とにかく、もっと普通に呼んでくれ」

「『千早くん』?」

「……。うん、それで」


 それは珍しくない呼ばれ方。小学生の時なんかはそう呼ぶ女子もいたさ。……なのに、どきっとしたのは秘密だ。

 あと、それが五文字であることもな。


「じゃ次、千早くんの番ね」

「は? 俺も?」

「そりゃそうだよー、水城さんって呼ぶの?」

「……えー」

「えーじゃない。まさか私の名前覚えてない説?」

「瑠奈だろ、覚えてるよ」

「嘘、よく覚えてたね! 千早くんってもしかして賢い人?」


 名前覚えてるだけで随分な褒められっぷりだ。


「何でもいいよー」

「……じゃあ、瑠奈で」

「おっ呼び捨てかー、いいねぇ。カレカノ感高まってきたね!」


 別に女子を名前で呼ぶのなんか大したことない。麗華だって名前呼びだ。そう思うのに「瑠奈」と口にするのは、めちゃくちゃに緊張した。

 大丈夫か、俺。これだけでドギマギしてるが、俺がやらなきゃいけないことはもっと凄いことなんだぞ。


「お前は楽しそうでいいな」

「うん、いつも楽しい。でも今が一番楽しいよ!」

「それはそれは。充実してるようで何より」

「うん! 千早くんとのお喋り好き!」


 俺は学校生活を満喫しているのだと思ったんだ。

 なのにそうではなく今、この瞬間のことを言われてさ。しかもさ満面の笑み向けられてさ。

 平常心でいられる奴、いますか。


 俺には無理だ。

 そうかよとそっけなく言うので精一杯だった。


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