第9話 一方通行

 左右で長さが違う赤髪が、肩に触れたり触れなかったりしている……――アンジェリカ・レッドルーム、十九歳である。

 なのでジオとはちょうど十つも年齢差があるわけで――つまり現在、彼女と抱き合っているジオは、通報されたら捕まる可能性がある……。


「このロリコンが」


「ちょ、社長!? 一部始終を見てただろうが! こいつの方から抱き着いてきたんだ! しかも俺の脇の下に足を差し込んで、頭をお腹で抱え込むような抱き方だぞ!?

 犯罪的なあれよりも子供が懐いている印象の方が強いだろ……ッッ、んの、重いんだよ! お前もっ、ガキの時みたいな抱き着き方してんじゃねえ!!」


 ジオの頭をお腹で抱え込むように抱きしめていると、随分とまあ成長した彼女の胸がジオの頭頂部に当たってしまっている……、柔らかいそれが何度もバウンドするのは、彼女が抱き着きながらぎゅうぎゅうと力を入れているからだった。


 愛情表現なのだろうけど。


 嫌でも向いてしまう意識が、さらに集中してしまうのでやめてほしい……。


「ま、ジオ犯罪予備軍がロリコンなのは以前からだから、今更な話よねー」


「ロリコンと犯罪予備軍を一緒の文章に混ぜないでくれますかね……っ!」


 それに、聞き捨てならないのはロリコンであるという部分である。

 ジオは自覚して言えるが、自分はロリコンではない。どちらかと言えば子供は苦手だし、年下でも恋愛の許容範囲になるのはアイニールよりも上である。

 できれば差は三つ四つに抑えたい……、

 ちなみに上であれば制限はしていないので、際限なくいける。


「だってジオ容疑者はさ」


「犯罪者になってんじゃねえか!」


「――ジオ隊員はさ、アタシのこと、気に入ってるでしょ?」

「…………」


「この見た目だぜ? おいおい、言い逃れができるなら言ってみなー?」


 翼王族のネムランド……、見た目はアンジェリカよりも幼く見える……。

 決めつけてしまえば十六歳程度だろうか? 腰まで伸ばした青髪だが、今は正装をしているので頭の後ろで束ねている……。普段は見られない首裏のうなじがちらりと見えているので、ジオの視線はそこに引き寄せられがちである。


 ……分かっていながら隙を見せているネムランドも悪いと言えるが……。


「見た目はそうだが、あんた、俺より年上じゃねえか」


「年齢なんてただの書類上の数字だ! 見た目こそ真実!

 アタシに熱視線を送るジオ下僕は、確実にロリコンに決まっているの!!」


 それで言うと、実年齢が十歳でも、見た目が大人であればロリコンじゃない……?


「……なんかもうどっちでもいいわ。俺がロリコンだろうがどうだろうが、別にガキを相手に襲ったわけでも襲うわけでもないんだ――被害を出さなければ捕まることはねえわけだし」


「……なによ、あっさりと引き下がるわね。

 もうちょっと食い下がって、この言い合いを楽しんでも良かったんだけど」


、誤魔化しておいてよく言うぜ……ロリコンだって言って嫉妬するなら、返事をしてくれてもいいだろうが――」


「アンジェリカくーん、ジオ隊長から降りてくれるー? 仕事のお話をしましょうね」


「逃げたか」


 子供のようにむすっとしたジオである。相手が年上であれば、たとえ二十九歳のジオでも童心に帰って、唇を尖らせたりすることもあるのだ。


 そして同じように、むすっとしたのはジオに張り付くアンジェリカである。


「……ジオくんは、あの人が――……へえ」


 下唇を噛んで、ぅうう、とやり場のない感情を押し殺した後……、目を細めて算段を立てた。……具体案はないが、とにかく方法は一つしかないと決めつけたらしい。


「おい、アンジェリカ、降りろ」

「はーい」


 やけに素直に降りたな、とジオは意外に思う。地に足をつけたアンジェリカは、ソファに飛び乗って大きく一度跳ねてから、ネムランドに向き合った。


「社長さま」


「さまはいらない。社長とお呼び」


 ネムランドはかけていないメガネを、くい、と上げる仕草を見せる……、

 いつも呼ばれているはずだが、未だに「社長」と呼ばれることが嬉しいようだ。


 実際、社長だし、会社を立ち上げた本人である。

 尊敬され、憧れて然るべき人ではあるのだ。知れば知るほどに『ここまでなら踏み込んでもいいのか』と分かってきて、気づけば友達のような距離感になっているのだが……、それが彼女の良さでもある。


「ネム社長」

「なんでしょう」


「ジオくんと同室を希望します。

 あと、ジオくんと二人でお仕事がしたいです……あ、二人きりで!!」


「んん?」


「待て、アンジェリカ。仕事に関してはまあ、覚えるまでは一緒でもいいが、部屋が一緒ってのはどういうことだ?

 俺は社長が用意してくれた部屋だし、一人暮らしだし……、部屋だって狭いんだ。年頃の女の子が住むような場所じゃ……」


「狭い汚い臭いは分かってるもん。どうせ男の人の一人暮らしなんてそういうものでしょ? ジオくんだったら気にしないし……(汗だらけのシャツとか床に落ちてそうでちょっと楽しみだし……)、それに、どうせあたし、こっちで住む家、探してなかったから。

 しばらくはジオくんの部屋に泊まるよ?」


「……聞いてないぞ」


「うん、だっていま言ったんだもん」


 仮に。

 ……ジオを頼ってここまできたとして、ジオがある事情でいなかった場合はどうするつもりだったのだろうか……。

 その場合は宿に泊まりながら、部屋探しをするつもりだった……か。

 困っていたら、ネムランドに言えば、ジオのように部屋をあてがってもらえるだろうから、いらない心配ではあるのだが。


 実際、ネムランドも彼女の家は決めてあるのだろう。……彼女の現在の住所は遠い地区の施設である。さすがに毎日、遠い距離を往復させるわけにはいかないし、効率も悪い……。寝る時間がなければ仕事は苦痛に感じるものだ。


 そしてすぐに辞められては困る。

 だから部屋くらいは見つけているだろうが……、アンジェリカの希望はジオと同室である。


 正直なところ、ネムランドからすれば支払う家賃が浮くので、社員二人をまとめて一つの部屋に押し込めてしまえるのは願ったり叶ったりである……。


「ダメだ。俺の部屋には――」


「いいじゃないか、ジオ先輩。後輩に仕事含め、プライベートの過ごし方を教えるのも先輩としての務めだぞ。

 酒の飲み方、煙草の吸い方、仕事以外で教えることは山ほどある。同室の方が都合が良いんじゃないか……、ねえ?」


 ちらり、ネムランドがアンジェリカを見る。


 アンジェリカはその視線に戸惑いながらも――「そうですよ!」と同調した。


「…………男の部屋に、女の子がいることになりますけど……」


「なにか問題でも?」


「ッ、あんたは……ッッ!!」


「ジオ先輩にとってその子はガキなんだろう? なら、間違いが起こることもない。まあ、初体験を指導するのも、同郷で距離が近い君がしてもいいんじゃないか?

 酒と一緒さ、あとで苦しまないように仕込んでおいても、」


「社長」


 ジオの低い声に、ネムランドも言い過ぎたと自覚したらしい。


 初体験、という言葉に顔を真っ赤にしたアンジェリカは、さっきの勢いをなくしてジオから少し距離を取っている……。

 そんなことを言われてしまえば、短期間とは言え同居なんてできるはずがない、と表情で語っていた。


 ネムランドは肩をすくめて、


「ま、どっち道、アンジェリカちゃんの部屋はまだ見つけてないから、時間はかかるよ。それまではジオ先輩の部屋に泊まるのが一番楽かな……。

 短期の宿を紹介してもいいけど、お金はかかるからねえ……、できれば避けたい出費だ。もちろん、強く望むのであれば宿を借りるけど……どうする? ジオ先輩の部屋か、宿か」


「あ、ジオくんの部屋で」


 さっきまでの戸惑いはどこへやら、素へ戻ったアンジェリカがあっさりと決めた。


「じゃ、そういうことで」

「…………マジで俺んちにくるのか……」


「ジオくん、嫌なの……?」

「……、そういうわけじゃ、」


「嫌な顔を隠そうともしないね……」


 ジオの本音を知っても、アンジェリカは諦めない。

 単純に同じ場所で長時間、共に過ごせば絶対に距離が縮まると分かっていたからだ。


 今はなんとも思われていないだろうけど、あの時とは見せている景色が違うのだ……、小さな子供が言う『結婚して』と、成長した女の子ではなく、女性が言う『結婚して』は、意味が変わる。本人からすれば同じ熱量でも、時間を経て体が追いつけば、言葉に力が宿る……あとは距離の問題だ。


 心の距離。

 もっと打ち解ければ……きっとジオくんも揺らいでくれる。


 揺れてくれれば、アンジェリカからすれば、大きな前進なのだ。


「言っておくけど、あたしは家事全般できるからね?

 手料理だって作れるんだから毎日振る舞うこともできるけど、それでも嫌なの?」


「あ、それはありがたいな。弁当ばっかりじゃ飽きてきたところだからな……、そういうことなら泊まっていけよ。いつまでいてもいいからな」


「げ、現金っっ!! でも嬉しい、ありがとう!!」


 ジオの腕にしがみついたアンジェリカが、ちら、とネムランドを見て――


 べー、と、舌を出した。

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