三日目


 触手怪獣イトコンチャク爆誕から三日目。


 昨日ですぐに分かる範囲の生態は調べ尽くしてしまった為、さて今日はどうしたものかと寝起きの頭で考える。


 千蔓の心にはまだ、不安や焦燥感が巣食ってはいるだろう。とはいえ、現時点でそれを根本的に解消する手段はないわけで。となれば、まあ。


「……食べ物買ってこなきゃ」


 週末の飲みと昨日で冷蔵庫の中はあらかた使い尽くしてしまった。千蔓と違って食物を摂取しないと生きていけない私としては、どうしたって買い出しには行かざるを得ない。

 あと、千蔓用のお茶とかジュースとか。アルコール類も摂取できるのか、したら酔うのか、その辺りも気になる所ではある。勿論、本人の気が乗らないようなら、無理強いはしないけれども。


 酔えるのなら、ひとまずそれで現実を忘れるのだって良いだろう。「酒に逃げるな」だなんて良く言うけれど、そうせざるを得ないほどに辛い目に遭ったのなら、少なくとも私は、千蔓がその選択をすることを止めはしない。ずっと隣で見ているだけ。


 まあ、なんにせよ。今日も隣で私に触手を握られたまま寝ている千蔓が起きてから、動き出そう。

 肺呼吸はしていないだろうに、寝ていてもなだらかに揺れ蠢く幼馴染。カーテンの隙間から指す日が、灰色の身体を僅かに透かしていて。とても綺麗だった。




 ◆ ◆ ◆




「――ただいま」


「っ、いつか。おかえり」


「うん、ただいま」


 細く弱った声音に、思わずただいまを重ねてしまう。


 目を覚ました千蔓と、軽く話をして。諸々の買い出しの為に家を出たその時には、割合平気そうな雰囲気だったけど。


 明らかに待ち構えていただろう、玄関先で縮こまる触手塊を見て、胸がきゅうっと縮こまるのを感じる。半分は、罪悪感で。もう半分は、後ろ暗い喜びから。


「ごめんね。でも、たくさん買い込んできたから。しばらくは外に出なくても平気だと思う」


 両手に二つずつの袋を下ろしながら言えば、千蔓は無数の触手でそれらを一気に持ち上げた。同時に、触手を私の右手に絡めてくる。中々にパワフルだ。


「……ごめん。大丈夫だと思ったんだけど。一人でいるとやっぱり、考えが悪い方向にばっかり行っちゃって……」


 もにょにょにょにょにょ……と慣れてきた動きで床を這い、冷蔵庫に手際良く物を詰めていく。同時進行でインスタント類や入りきらない飲み物は備蓄棚に。勝手知ったるとばかりの振る舞いに、思わず「同棲」という言葉が脳裏を過った。


「ううん」


 振り払うように頭を震わせながらだったから、短い返事になってしまったけれど。やはり今の千蔓の精神状態を鑑みれば、私も極力……いや、できることなら一切、外には出ないようにした方が良いかもしれない。少なくとも数日分は確保できたのだから、今後は食料も日用品も通販で補充していけば良いだろう。


 ひとまず朝食、というにはもう昼の方が近いけれど……とにかく、腹ごなし用のサンドイッチとお茶を手に取り、リビングの方へ。ソファに腰かけて、そこでようやく、テレビとの間に敷きっぱなしだった布団が畳まれているのに気付いた。脇に避けていた折り畳みのテーブルも、ソファの前に戻されている。


「千蔓。布団、ありがと」


「あ、ううん。外に干そうかとも思ったんだけど……」


 隣に這い上がってきた千蔓の声音は、まだ少し弱々しい。

 

「取り合えず、ファ○リーズだけしておいた」


「ん。ありがとう」


 マンションの三階とはいえ、ベランダに出てしまえば人目に付かないとも限らない。窓の前で項垂れる千蔓を想像して改めて、一人で置いて出てしまったことを後悔した。この時ばかりは純粋に、申し訳ない気持ちだけが胸を苛む。


「もう一生外に出ない」


「それは……無理があるでしょ」


 衝動的に非現実的なことを口走ったら、千蔓に笑われてしまった。

 人間みたいな表情は浮かべられないけど、声音や触手の動きなんかで察することはできる。伊達に幼馴染はやっていない。


「じゃあ……千蔓が大丈夫になるまで。何年でも」


「ありがたいけど重いわ」


 これは本気で言ったつもりだったんだけど、やっぱり笑われてしまった。現実的には一年どころか一か月そこらが限界だろうから、冗談と思われるのも当然だけども。

 夏季休暇が終われば、少なくとも私は大学に行かなくちゃならない。気持ちの面で言えば別に、辞めてしまっても良い。でもそれは、学費を払って貰っている両親に申し訳が立たない。勿論、いざとなれば躊躇いはしないけれども。言葉にすれば、千蔓は親不孝と笑うだろうか。


 そしてその千蔓自身は……夏休み中に戻れなければ、芸大も退学するしかないだろう。人生、という点においてはまさしく、お先真っ暗な現状だ。


「…………」


「…………」


 左手でサンドイッチを食べながら、気が付けば右手はまた、千蔓の手を掴んでいた。テレビを付ける気分にもなれず、静かなリビングで黙々と、胃に食べ物を詰めていく。


「……あのさ」


「うん?」


「あたしの触手、どんな感触なの?」


 聞かれてはたと、そう言えば昨日は聞かれなかったなと思い出す。どちらかというと生態とか、生活する上、生きる上で必要な部分にばかり注目していたからだろうか。まあとにかく、思った通りのことを返す。


「ぷにぷにしてて気持ちいいよ」


「そっか」


「あと、最初はひんやりしてるんだけど、握ってると段々温くなってくる」


「変温動物なのかな、あたし」


「かもねぇ」


 イソギンチャクの系譜だと考えれば、変温動物なのは当然といえば当然なのだろう。その前提が正しいかは不明だけれど。


「…………」


「…………」


 会話が途切れ、再びの沈黙。

 横目に見やれば、千蔓は自分のペットボトルを手に取り、お茶を飲んでいた。正直なところ、テーブルに置いたまま触手を指し込んで吸い上げればいいのにとも思う。

 わざわざ持ち上げて、少し傾けて触手を指し込むその姿は、まるでストローで飲んでいるかのようなとても人間らしい所作だった。千蔓は缶チューハイすらストローで飲む女だから、その習慣からくるものなのかもしれない。


「…………」


「…………」


 結局、その後も会話はあまり弾まず。

 きっと色々考えこんでいるであろう千蔓に、気のきいた言葉をかけることもできないまま、気が付けばお昼も過ぎていて。適当にそうめんでも茹でて済ませた遅めの昼食の後も、やっぱりリビングは静かなままだった。


「…………」


「…………」


「……千蔓」


「……うん?」


「ゲームしよう」


 何故そんなことを言いだしたのか、明確な理由は自分でも分からない。千蔓を元気付けたかったのか、或いは私自身、気付かないうちに滅入ってしまっていたのか。もしくは、食後で頭が回っていなかっただけか。


「ゲーム?」


 当然、急にそんなことを言われてはイトコンチャクも困惑せざるを得ないだろう。


「うん。今の千蔓、音ゲーとかすごく上手そう」


「……そう……いや、うん。確かに。そうかも」


 それでも触手を縦に揺らしながら、スマホを手繰り寄せてゲームを起動しだした辺り、気を害した様子はなさそうだった。


 戻れるかも分からないならせめて、今の体に少しでも慣れられるように。なんていうのは、言ってから思いついたそれらしい理由。恐らく私は、本当に口にしたままのことを思っただけなのだろう。


「よし、じゃあこの、今まで一度もフルコンできてないやつを……」


 千蔓の触手にスマホが反応するのは、昨日で確認済みだ。

 すぐに起動する可愛らしいタイトルコールに、ポップなホーム画面、しかし癒し要素はここまで。曲と難易度を選べばもう化けの皮が剝がれ、人の指を破壊するノーツの暴力が待ち構えている。

 私は音ゲーはやらないけれど、千蔓がやっているのを横で見ていたりはするから、何となく難しいということくらいは分かる。


 何本もの触手でがっちりとスマホを支え、画面に敷き詰められた六つのレーンそれぞれに触手を一本……いや、二本ずつ構えて。

 スタートを告げる明滅の後には、画面の奥から、大量のノーツが降り注ぐ。


「――お、おぉっ、おぉぉっ?」


 えらくハイテンポでサイケデリックな曲。音ゲーで使われることを前提に作られた、鬼譜面を構築するための音の連なり。

 人間にクリアできるのかよなんて揶揄されていたその高難度曲を、千蔓は戸惑いの声を上げながら叩いて見せた。


 私には目で追うことすらできないノーツの雨あられを、十二の触手ゆびさきがリズミカルに処理していく。


「わぁお」


 中盤、いつも千蔓がミスしていた難所も危なげなくクリアしてしまい、予想以上の凄まじさに口を半開きにしているうちに。ほんの二分足らずの曲はあっという間に、本当にあっという間に終わってしまった。


 そして画面に燦然と輝く、「FULL COMBO!」の文字。


「…………」


「…………」


 さっきとは明らかに気色の違う沈黙の中、しばらく二人でスマホを見つめて。


「――これは……正直、ズルいね」


「……かもね」


「でも……楽しい」


「うん。楽しそうだった」


 スマホを置き、二人してペットボトルを持ち上げる。

 選曲画面に戻ったスマホからは、今しがた千蔓が完全勝利した楽曲が悔しそうに鳴っていた。


「……よし。もっかいやっちゃお」


「うん、うん。もっかいと言わず、好きなだけ」



 ――それからこの日は一日中、ひたすら音ゲーで遊んだ。

 元々やってたものだけでなく、未プレイの、難しいと噂のタイトルも片っ端からダウンロードして。文字通り人間をやめている触手ゆび捌きで、千蔓は高難度曲をどんどん攻略していった。


 こんなんチートや!って声がどこからか聞こえてきそうだったけれど。でも千蔓は、この身体になってから初めて、楽しいことを見つけられたんだから。許せとは言わないけど、止めるつもりは毛頭なかった。そもそも私が勧めた訳だし。


「――逸束っ、ヤバいっ、ズルしてる感じでちょー楽しいっ!」


「うん。私も見てて、すっごい面白いよ」


 正直、スマホの画面上で何が起こってるのか半分くらい理解できずにいるけれど。

 でも、千蔓が楽しそうにしているだけで、どうしようもなく嬉しくなってしまう。


「っしゃぁ、フルコンボ!」


「いぇーい」


 勢いのままに両手を差し出してみたら、スマホにたくさんの触手を宛がったまま、それでも千蔓は確かにそので、ハイタッチに応じてくれた。


「ぅへへ」


「千蔓、笑い方キモいよ」


「だってぇ」


 ダウナーな千蔓がヒートアップした時に見せる、だらしのない笑み。灰色の糸こんにゃくの塊のどこかに、確かにそれが見えた気がして。


「もう一曲……いや、もう一タイトル」


「うん。いくらでも」


 そう言ってズルズルと、随分と夜更かししてしまった今日は、昨日よりも一昨日よりも、ずっとずっとよく眠れた。


 私も。きっと、千蔓も。

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