室内からでも楽しめる!

 まあ正確にはベランダからでも……ですかね。別にベランダじゃなくて窓際とかでもOKです。要するに外が見えればいいのです。

 つまり空と星ですね。


 撮るべきは上にあり。間違ってもカメラを正面に向けちゃいけません。

 高倍率ズーム機だとお隣さん家からちょいと遠くのビルの窓までかなり鮮明に写せちまいますけど、そういう隠し撮りは御法度です。ご注意を。エドガー・ドガを気取るならモデルを雇って気分を味わうべき。

 自宅からカメラを向ける場合は、基本は空に向けましょう。ヘタにカメラをあちこちに構えていると誤解されちゃいますからね。李下に冠を正さずというやつです。


 まあ注意はこれくらいにして本題を。

 星といえばなんといっても月ですよね。

 毎月の満月を狙うもよし、逆に新月のダークさを取るもよし、三日月なんかも難易度高いけど狙い目です。月と火星やらが大接近したときなんかもお空を見上げたいですね。


 で、満月を光学40倍ズームで狙うと、さすがに手ぶれ補正が付いていても画面がブレてしまうものです(80倍ズームにするならなおさら)。

 そういう場合は腋を締めてパワー系手ぶれ補正してもいいんですが、素直に三脚を使うのも手です。


 ちっこい三脚なら1000円前後でも売ってますからね。趣味の出費なら安いもんです。そうそう壊れるもんでもありませんし。

 こういうデジカメには、大抵『三脚用のネジ穴』ってのがあいてます。そこに三脚をくるくるセットして、それをベランダの手すりやらエアコン室外機の上になんか置く。そして慎重に角度、倍率を調整して、シャッター押す時に本体がズレないように気をつけて。


 そして手に入るは画面からはみ出るほどの満月。まあ別にアップで撮らんでもいいんですけどね。風景とセットの地域性あふれる満月写真でも。


 ◆ ◆ ◆


 とまあ、一般的に家の中から外を取るっていえば星で、星といえば月ですが、自分としちゃもっと別の楽しみ方があるのです。

 それは『普段見慣れた家からの風景を、高倍率ズームで撮影する』というもの。


 最初にも言ったとおり、隠し撮りやら盗み撮りに該当する行為は厳禁です。

 そうじゃなくて、ベランダから見える近所の公園とか、川べりとか、遠くの高層ビルとか——そういう普段なら気にも留めないただの風景ってやつを、アップで撮るのです。


 そうするとなにが起こるか?

 自分にとっては何でもない見飽きた景色が、なにやら妙な存在感をもって感じられるのです。


 いやホントに。

 目の前いっぱいに広がる風景の一部なら、それは意識することすらないでしょう。

 ですがその一部を高倍率ズーム機で拡大して切り取ると、それは全く違う印象を受けます。


 例えるなら、アイドルグループ50人が勢揃いしている写真を撮っても、ひとりひとりに存在感はあまり感じられない。それはあくまで『グループ』という大きなまとまりの中のひとりだから。

 ではその中からひとりを選び出して、そのひとりだけを撮影したならどうでしょう。それは50分の1ではなく、カメラの前に面と向かったただひとりのオンリーワンなのです。


 ベランダからの見慣れた風景でも、それと同じことが起こります。

 自分からすりゃ、あまりにも見飽きたただの日常風景。

 そこから高倍率ズームで一部分を切り取ると、それは不思議とオンリーワンの風景写真に見えてきます。


 これは言葉だけじゃ伝わるものじゃないんで、実際にやってもらわないと実感できないんですよね。なにしろ日常風景というのは人それぞれ。それを意外な形で切り取ったときになにを思うかも人それぞれ。


 ◆ ◆ ◆


 それともうひとつ、高倍率ズーム機デジカメならではの、室内で楽しめる撮影法としては。


 室内にあるものを——見飽きるくらい見慣れたものを、ひたすら撮ることです。


 おっと、ここでブラウザバック、あるいは戻るなんてしようと思ってはいけません。

 ありふれたものをひたすら撮る。同じものをひたすら撮る。

 これは美術界では結構ポピュラーなやり方なんですよ。


 ジョルジョ・モランディという画家がいます。


 この人はですね、ひたすら同じものを描きまくった画家として知られています。

 モデルはなにも特別なものじゃない。どのご家庭にでもある、ありふれたものです。

 ジャンルでいえば【静物画】ですね。

 コップや皿や花瓶や漏斗ろうとなどをテーブル上にバラバラと置き、1枚描き終えては配置を変え、また1枚描き終えては微妙に配置を変え——似たような絵をひたすら描きまくったのです。


 これ、言葉で聞いただけではなにが凄いのかさっぱりわからないでしょう。

 自分もそうでしたから。

『ひたすら似たような静物画だけが並んでて、なにが面白いの?』と。

 しかしですね、かつて美術館で行われた【ジョルジョ・モランディ展】を見たらその考えは完全に覆されました。


 ただ同じような静物画がひたすら並んでいるだけの展覧会で。

 今までの常識というやつがぶっ飛ばされたのです。


 同じものでも、微妙に配置を換えるだけで全く違って見える。

 同じものでも、画角や距離感を変えるだけで全く違って見える。


 で、その同じようで微妙に違う画をずらーっと並べると、そこには一種の小宇宙的な世界が展開されているのです(絵や写真を合わせて【】と表記します)。

 何でこの程度のことで凄いと思うの?

 理屈ではそんなことが頭をよぎるのですが、自分の直感は『こりゃスゴい』と思ってしまっているのです。

 人間の感覚ってスゴい。


 同じような画をずらっと並べても、そのひとつひとつは別物なんだと瞬時に認識しちゃうのです。

 そして、同じような画をひたすら描き(撮り)続けた人間の執念というものを目の前にすると、そこに凄味を感じてしまうのです。


 何でそんなふうに感じるのか?

 このへん次章で詳しく書きますが、広角レンズと望遠レンズの特性の違いが関係してるんじゃないかと思うのです。


 まあ理屈はこの辺で、実際にやってみましょう。

 自宅の中にある、見慣れすぎて見飽きてしまったであろう家具・調度品・本棚・置物・洋服・テーブルの上なんかを、高倍率ズーム機デジカメで撮りまくるのです。

 標準倍率から最高倍率まで、すこーしずつズーム率を変えながら。


 そして撮れた写真を1枚1枚パラパラと順番に見ていくのです。

 不思議なことに、見飽きたはずの被写体が、なにか全く別の物体であるかのように見えてくるはずです。

 何も特別な技術はいりません。ただ同じものを、ズーム倍率を変えながら撮るだけ。

 たったそれだけで、家の中にいながら別世界が垣間見えてくるのです。


 ◆ ◆ ◆


 このように、高倍率ズーム機デジカメで室内から撮影しても、楽しさはそこらに転がっているのです。

 世界の解像度が上がること間違いナシ!

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