二話⑨

「そろそろかなとは思ってたんだよ」

 そう言った方丈の声のトーンは、相変わらず平坦なままだった。

 ほかのひきこもりたちが帰ったあと、俺と方丈だけ団地の離れの小屋に残った。二人きりになった途端、扇風機の羽音がぶぅんぶぅんと、ひどくうるさく耳に響きだし、あの甘い香りも強く感じられてきた。

「浅宮くんが、来るのはわかってたよ」

 俺の緊張などまるで気にすることもなく、方丈はその場に、無造作に立っていた。暗がりのなか、白地のセーラー服それ自体が輝いているかのように、ぼんやりと光って見えた。

「聞きたいことがあるから、ここに来たんだよね」

 相手のペースに巻き込まれないよう、頭巾を畳の上に投げ捨て、方丈に顔を向ける。問いただしたいことはいろいろあるけれど、まずはましろのことだ。

「俺の妹……、ましろのことを方丈は知ってるのか?」

「知ってるよ」

 そうだろうとは予想しつつも、想像どおりの言葉が返ってくると、体がこわばった。

「どうして! どこで知り合ったんだ?」

「ゲーム」

「え?」

「ゲームで知り合った」

 あまりにも単純なことに、一瞬ぽかんとしてしまった。そうだ、ましろもゲームが好きで、方丈もゲームばっかりやっている。そんな簡単なことに、今の今まで思いいたらなかった。

「対戦相手のやりとりをしてて、そこで知り合った。ましろちゃんと実際に会って、話したこともあるよ。初めては確か……、去年の冬だったかな」

「なんで、俺にそのこと言わなかったんだよ!」

 友達だと思っていたのに、方丈は俺を騙していたのか? その怒りと失望で、声が荒ぶった。

「それは謝るけど、二人のためだと思ったから」

「訳わかんねぇ!」

 あぁ、もう、なんなんだ。今度は悲鳴のような声が口から出てしまう。

「それで、今、ましろがどこにいるか知ってるのか!」

 うん、と方丈が頭巾のなかで答えた。

「どこだよ、どこにいるんだよ」

「言えない」

「どうして?」

「浅宮くんに会わせていいのかわからないから」

 こいつ、ぶん殴ってやろうか。その気持ちを必死にこらえて、言葉をつづける。

「なんでだよ。お前がそんなこと決めるなよ」

「浅宮くん、すごい目してるね」

「…………」

「良くも悪くも、気性が激しいんだよね、聞いたよ、その頬の傷もましろちゃんを助ける……」

「どうでもいいだろ、そんなこと!」

 叫ぶと、方丈が一度言葉を止めた。

「ましろちゃんに会って、どうするの?」

「どうするって、お前には関係ないだろ」

「あるよ」

「さっきから方丈、お前、何のつもりだよ」

「少なくとも、私は浅宮くんよりはましろちゃんのことをわかってるつもりだけど」

 俺を挑発するような言葉。いつの間にか、方丈の声の調子もわずかにあがっていた。

「ましろのことをわかってる?」

「そう。ましろちゃんの苦しさ気持ちも、浅宮くんよりは私のほうがわかってる」

「…………」

「私はましろちゃんを助けてあげたいの」

「助けるって、どういう意味だよ」

「しんらんさまに、たまごもりをしてもらうの」

 安藤の姉から聞いていたこと、また、ついさっきひきこもりに対して投げかけられた言葉を方丈が繰り返す。

「この世界には生きていることが向いてない子っているんだよ。私やましろちゃんやほかのひきこもりの人たちみたいにね」

「…………」

「そんな人たちを卵にしてあげる。こんな嫌な世界のことなんか忘れて、ずっと卵のなかで、何からも苦しめられることもなく、一人でこもりつづけるの」

 ここが我慢の限界だった。訳のわからないことばかり言いやがって。方丈のセーラー服の胸元をつかんで引き寄せ、頭巾を被った顔にこぶしを振るう。

「ふざけるなよ!」

 殴られた衝撃に、きゃっ、と小さな声をあげて、方丈が畳の上に転がった。

「お前なんかに、ましろを助けてもらいたくもない」

 体を起きあげ、床に座りなおした方丈が頭巾をとり、口の端に浮かんだ血をぬぐう。

 そのとき、俺は初めて方丈の素顔を見た。髪の毛は肩ほどで切りそろえられ、鼻も唇も薄く、顔のつくりは小さい。長く走る眉、その下にある二つの瞳は大きいけれど、その声や態度と同じように暗く、生気はない。

「浅宮くんは、本当に殻が固いね。ましろちゃん以上だよ」

 たった今、殴られたというのに、方丈は少しも怒りを見せず、どんよりと沈んだ両のまなこで俺を見返す。

「殻?」

「そう。浅宮くんもいい卵になるかもね。しんらんさまに気に入られてもいるし」

「お前、何言ってるんだよ?」

「どうもこうも、浅宮くんだって、見たでしょう?」

「見たって……」

「浅宮くんのところにも来たはずだよ」

 あの夜、俺の前に現れた半人半蛇の異形の化物のことを方丈は言っているのか。

「あれが……、あれがしんらんさまだって?」

 素顔の方丈をじっと見つめる。

 あれは蛇の化物や憑きもの――ましろがつかわしたかもしれないとも思っていた――ではなく、しんらんさまだっていうのか? しんらんさまは卵の神さまだったはずじゃないか。

 胸に浮かんだ疑問をそのまま方丈にぶつけると、

「ましろちゃんが、浅宮くんを呪った?」

 感情の乏しい目を丸くし、方丈は手のひらで口を押さえた。

「ふ、ふふ……」

 そうして、声を立てて笑いはじめる。体を折り曲げ、心底おかしそうな笑い声を立てる方丈。こんなに感情のこもった方丈の姿を見るのは、今このときが初めてだった。

「何がおかしいんだよ」

「そんな、そんなわけないからさ」

「…………」

「私、二人のことうらやましいって思ってた。世の中の兄妹、全部が全部そうじゃないだろうけれど、兄妹ってこんなに絆が強いのかなって」

「…………」

「ましろちゃんだって、そんな気持ちを持ったかもしれないけど、それとこれとは全然別」

「じゃあ、どうしてあんなやつが俺の前に現れたんだ?」

「だから、さっきも言ったとおり、浅宮くんがしんらんさまに気に入られているの」

「お前、本当に何言ってるんだよ……」

 もう訳の分からない話に、これ以上、付き合っている暇はない。そう、俺の目的はましろを連れ戻すことだ。方丈の真意やあの化物の正体を知ることではない。

 ましろが方丈の元にいるとわかっただけで十分だった。

「ましろ! いるのか、ましろ!」

 小屋のなかだけでなく、外にも届くように大声をあげる。

「こんなところにいたら、おかしくなる! 帰ろう、ましろ!」

 ましろはこの小屋の外にいるか、もしかすると、俺と入れ替わりに、方丈の家に隠れなおしたのかもしれない。

「あっ……?」

 小屋を出て、方丈の部屋に戻ろうとした足が崩れた。そのまま立ちあがることもできず、畳の上に体を横たえてしまう。おかしい、体の調子だって悪くはなかったのに……。

 ――まさか、この匂いか?

 お香におかしなものが混ざっていたのだろうか。悔しさに顔をゆがめる俺を、方丈はじっと見下ろした。

「急がないでも、すぐ会わせてあげるよ。……ましろちゃんにも、しんらんさまにもね」

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