二話⑧

「集まりがあるのは、夜だからね」

 安藤の姉に言われたとおり、辺りの暗さが増した時間、方丈たまきの家に向かう。そこで、ひきこもりやその家族を集めて集会が催されているという。

 その道々に、今までの出来事を思い出す。これまでおかしなことがたくさんあった。俺自身、いまだ信じられないような目にもあってきた。

 でも、それらいくつかのことは、その意味がおぼろげにわかりかけていたり、つながりが見えはじめたりもしている。

 仮に、方丈たまきがましろのノートに書かれていたたまひめだとする。出会いの形は置くとして、だとすれば、方丈はましろを知っていたことになる。

 そのことを、方丈は今まで一言も口にはしなかった。単純にましろと俺が兄妹だと知らなかったのか、それとも知っていて隠していたのか。

 そのどちらだとしても、親らしき人ですら、その姿を見ない方丈の家は、ましろをかくまうにはうってつけの場所だ。ましろが方丈の元にいると考えても、それはけして無理な推測ではない。

 二つ目にわかったことは、方丈たまきとしんらんさまの関係だ。

 もともとしんらんさまは市女先輩の実家、尾形家でまつられている卵の神さまだ。方丈の家は尾形家の分家というので、その信仰が伝わっていても不思議はない。

 ただ、その形が同じものとして、保たれたとは限らない。

 安藤の姉の言葉をそのまま受け取るならば、方丈の家で信仰されているらしい、しんらんさまは、その家に幸福を招くものではなく、ひきこもりを卵にしているというのだ。

 もちろん、安藤の姉の話が、全て嘘か妄想だったということも充分ありえる。

 ただ、安藤の姉が俺をかついだとして、どうしてそんなことをしたのか、その理由がわからない……。

 いくらか見通しがついたものがある一方、まだわからないこと、はっきりとその関係が見えないものも多くあった。

 一つに、たまひめとは何か。

 方丈がそのたまひめだとして、ひきこもりたちを集めて、何をしているのか。ひきこもりの支援団体を運営しているわけはないだろうし、安藤の口ぶりからすると、まるで宗教めいたことをしているように感じられた。

 また、卵の神さまであるというしんらんさまが、どのようにして、そして、なぜひきこもりを卵にするのか。

 この町で起こっているという、ひきこもりたちの失踪にも関係があるのか。

 そして、俺の前に姿を現したあの異形の怪物の正体は結局、何なのか。

 以前、聞いた怪談話のように、この町には、元々、おかしなものが存在するのかもしれない。その怪談に出てきたものと、俺が遭遇した怪物は同じものなのか……。

 ましろを探し、一つの場所をぐるぐる輪をかいてまわりつづけているように思えたけれど、

 それは違った。

 今まで俺が通ってきたのは、うずまきの形をした道だ。その道を進み、俺は自分でも気づかないうちに、ずいぶんと深みに入り込んでいた。

 いや……、それも違うのかもしれない。

 怪異と怪異は引かれあっていて、俺は自分の意志で進んでいるようで、そのうずに巻き込まれ、翻弄されているだけじゃないのか。

「……違うだろ」

 左右に首を振り、悪い流れに傾いた思考を断ち切ろうとする。

 方丈の目的や化物の正体だのは、どうでもいいことだ。俺のやるべきことは、ましろを見つけだすこと。今、方丈の家に向かうのも、そんなことを確かめるためでなく、そこにましろがいないか探すためだ。

 気持ちを確かに歩く道は、あの夜ほどではないけれど、暗く、闇も粘り気を持つかのように濃い。こんなに暗い夜を、どこでも、どんな時間でも、明かりが絶えない東京にいたころは経験しなかった。

 本当は市女先輩に助けを求めたかった。けれど、おかしなことを言って、これ以上迷惑をかけたくもなかったし、おかしなことに巻き込みたくもなかった。

 夜道を進みながらも、背後の様子が気になって仕方がない。小さな物音がしただけでも、体がびくりと震えてしまう。

 方丈の元で、あの化物に出くわしたらどうしようか。いや、まさに今、この道で、またあいつが俺を追いかけてくるかもしれない。

 恐怖を抱きつつも、引き返す気はなかった。俺はましろを助けなきゃいけない。それだけを念じて、方丈の家を目指す。

 夢幻の世界に迷いこんだような気分で足を進め、方丈の家がある団地にたどり着いたときは、夜もだいぶ遅い時間になっていた。暗さのなか、ぬっとそびえたつ団地から、共用部分にともる電灯の光がけぶったように広がっている。

 そんな団地のほとんどの部屋ですでに明かりは消え、すん、と湿ったような気配に満ちた廊下を進んで、方丈の家の前に立つ。

「方丈……、いるのか?」

 部屋の前に立ってノックをし、声をかけてみても反応はない。

「方丈!」

 部屋の戸をこぶしで叩くも返事はない。くそ、とドアの引手に手をかけたとき、鍵かかかっていないことがわかった。

 初めてこの部屋を訪れたときのような遠慮も今はなかった。なかに入り、部屋の電気をつけて、あちこちを探してみるも、方丈もましろもいない。

 俺の思い違いだったろうか。ましろはここにいないとしても、ただ、方丈までいないのはどういうわけだ。

 こんな夜中に外に出かけているのか。だとしたら、ここで待つのがよいか、それとも外へ探しに行くべきか。とりあえずもう一度、居間から台所に風呂場、トイレまでも方丈がいないか探してもみたものの、やはりその姿はなかった。

 どうしたらよいだろう。居間に戻り、思案を重ねていると、方丈と初めて出会ったときのことを思い出した。

 あのときのように、巨大な卵の模像のなかに方丈が隠れているんじゃないか。そう思った途端に、模像のなかから濃密な気配を感じてしまう。

「まさか……」

 ひきつった笑いを口元に、卵の模像の前に近づく。

 そんなわけないだろうと思いながらも、模像についてある取っ手を握り、上へとひきあげた瞬間、反射的に模像の蓋を閉めて、飛びずさるようにして、その場から身を引く。

 なかには白目をひんむき、苦しみに満ちた表情をした女がいた――ように俺には見えた。

 一瞬だったとはいえ、生きた人間には見えなかった。あの表情はまさに、苦しみの末、死にいたった人間のものだった……。

 一方、そんなことがあるわけないだろうと理性は声をあげる。死体など、あのなかには入っていない。ましてや、幽霊なんかではあるはずない、確かめてみろと指示を出す。

「あ、あの……」

 再び閉じた模像に向かい声をかけてみるも、返事はない。

「誰か、いますか……」

 その場に立ったまま、もう一度、卵の模像に声かけてみるが、やはり、返事などはない。さんざん、部屋のあちこちを見てまわったのだ。この家には、今、俺しかいない。先ほど見たのは、気のせいか見間違いか何かに違いない。

「…………」

 こうして馬鹿のように突っ立っていても、仕方なかった。気持ちを決め、卵の模像へと歩み寄る。そうして、もう一度、取っ手に手を伸ばし、一気に模像の蓋を開く。

「何もないじゃんか……」

 思わず、目の前の様子を口にする。なかには、女の死体も霊の姿もなかった。

「はは……」

 女がいたように見えたのは、気のせいだった。

 卵の模像の前、今の今までひとり相撲を演じていた自分を笑い飛ばそうとしたけれど、出てきたのはひどく乾いた笑いだった。

 俺は何度もこの部屋に来たことあっただろう。そのときに、おかしなものなど見なかったじゃないか。そんなふうに自分へ言い聞かせても、心のなかの薄ら寒いものは消えやしない。

「あぁ、もう……」

 もう、自分でも何がなんだかわからない。

 頭がぐらぐらと、視界もぐにゃりと曲がったようになり、その場に立っていられなくなった。ふらふらと窓辺に近づき、壁を支えにしていると、窓の外に光が見えた。

 団地の離れにある小屋に、小さな明かりがともっていた。

 もしやという直感が、俺の気をなんとかとりなおさせた。方丈の部屋を出て、明かりのともる場所へと急いで向かう。

「…………」

 そこは団地の集会所か何か使われていたらしい小屋で、カーテンの隙間からぼんやりとした黄色い光がもれていた。

 勇んでやってきたものの、いざとなると二の足を踏んでしまった。

 ここに方丈とましろがいるかどうかはわからない。仮にいたとしても、こんな場所で、しかもこんな夜遅くに何をやっているのか、見当もつかない。

 明らかに普通ではないということを理由に、方丈に対し、ねじくれた親近感を覚えていたけれど、今の俺にとって、方丈たまきはただの友達ではなく、得体のしれない存在へと変貌していた。

 そんなやつとはもうかかわれない。そんなふうに思いながらも、ここまで来たからには、しっぽを巻いて帰るわけにはいかなかった。

 身のすくむような不気味さに抗いながら、ゆっくりと小屋の扉に近づいていくと、

「あの……」

 突然に聞こえた細い声に、体が大きく震えた。

 周囲の暗さとあまりの気配のなさに、声をかけられるまで、人――幽霊のようではあったけれど――がいることにまったく気づかなかった。

「これ……」

 入り口に入ってすぐの死角に、方丈と同じような頭巾を被った女が立っていて、俺に向かい手を伸ばしている。

「…………」

 女が手にしていたのは一枚の白頭巾だった。

 少なくとも方丈はここにいるわけだ。何をするつもりなのかはわからないけれど、ここにいれば方丈は絶対に現れる。

 頭巾を受け取ろうとしたとき、ふと女の腕の白さに覚えを感じた。

「間違ってたら、すみません……、花咲さんですか? 俺、何日か前に話しさせてもらった浅宮です」

「…………」

「ここで、何があるんですか?」

 待っても、答えは返ってこなかった。花咲かもしれない女は、黙って頭巾を差し出しつづける。こうしていても、おそらく返事はないだろう。仕方なしに頭巾だけを受け取り、小屋の奥に進む。

 十畳ほどの広さの部屋にはすでに、頭巾を被った男女三人の姿があった。それぞれに距離をとり、みな誰とも言葉を交わすことなく、じっと石のように座っている。

 ――ましろはいないな。

 見る感じ、十代の女の子はいない。はっきりわからないけれど、みな、二十より上くらいだろうか。

 気落ちしながら、俺も壁際に腰をおろした。小さな電球が一つともる部屋で、ぶうんと首振りの扇風機が音を立てる。お香でも焚いているのか、蒸し暑い空気のなかに、ほんのりと甘い香りが漂っていた。

 暑い。頭巾を被っているために、素顔でいるより汗をかく。額にたまった汗が顔へと流れ落ちていくけれど、この場の参加証明となっている頭巾を脱いでしまうわけにはいかない。

 それにしても、この頭巾はどういう意味を持つのだろう。単に顔を隠すためのものだとは思えない。

 ただ、わからないなりに頭巾を被っていると、暑さとともに、奇妙な安心感を覚えた。

 頭巾を一枚通しただけで、見える世界はあいまいなものへと変わる。また頭巾を被ることで、自分の表情を他人に見られないでに済む。

 ――きっと、これで世界から自分のことを守っていたのか。

 これは世界から自分を遮断ための膜……、いや、これは卵の殻の役割を果たしているのだ。

 ……ましろもここに来て、これを被ったのか。

 こんなふうに、俺と同じ気持ちになったのだろうか。そんなことを思い座っていると、背後に人の通る気配があった。

 ――やっぱり、方丈だ。

 想像していたとおり、方丈たまきが俺の前に姿を現した。それしか持っていないというわけでもないだろうに、方丈はいつもと同じように、学校の制服である夏用のセーラーを身にまとっている。

「こんばんは……」

 小屋の上座部に立ち、方丈が小さく挨拶をした。

「今日も暑いですね」

 少しもそんなことを感じていなそうな、いつものか細い声で、方丈が言葉をつづけていく。行動を起こすべきかどうかわからず、とりえあえず、俺は様子を見ることにした。

「ここに、はじめて来た人は?」

 方丈の問いかけに、おずおずと手があがる。見れば、三人いるひきこもりたちのなか、二人が初参加のようだった。

「じゃあ、今日はたまみがきをしましょう」

 そう言うなり、方丈は一番前に座る男のひきこもりのそばまで近寄った。

「体を横にして……、そう、ぐっと体を抱いて」

 突然の指示に、はじめは戸惑うようにしていたひきこもりも、方丈の言葉に従い、床に体を横たえる。

「どうして、あなたは部屋にひきこもるようになったの?」

 胎児のように体を丸めたひきこもりに、方丈はそう聞いた。しかし、問いの返事は返ってこない。どうして、そんなことを聞くのか、男の動揺が見ている俺にも伝わってくる。

「どうして、あなたは部屋にこもるようになったの?」

 答えないそのひきこもりに、方丈は同じ問いを繰り返した。

「それは……」

 重ねられた問いに、ぼそぼそとした言葉をそのひきこもりが返す。そいつの声がもともと小さいことに加え、頭巾を被っているせいで、言葉はひどくくぐもって聞こえてくる。

「が、学校で、ち、中学校のとき……」

 それでも、もれ聞こえてくるところによると、そのひきこもりは中学生のとき、人間関係のつまずきから不登校になり、部屋にひきこもってしまって、もう年齢は三〇半ほどに近づいているという。

「あ、あんまりみんなと感じが合わなくなって、学校もだんだんと行けなくなって……」

 普段、誰かと話すこともほとんどないのだろう。喉にはりついたかのように、声は出てこず、言葉もすぐにつかえた。

「こんな田舎だから、お、俺のこと近所で噂になって今よりずっと、か、肩身も狭くて……」

 方丈はその内容を肯定するでも、否定するでもなくただ黙って聞いている。

 話はひきこもっているわけだから、実のところあまり中身のない、どこでもすぐ見つかるような――それでも、当人にとっては自分だけの苦しみのつまった――ものだった。

「大変だったね」

 そんなつたない語りの長い話を聞きおえると、方丈が一言口にした。そうして、体を丸めるひきこもりの背中を、ゆっくりと優しい手つきでなでていく。

「苦しかったね、辛かったよね」

「…………」

「でも、大丈夫」

 方丈はひきこもりに、そっとささやきをつづける。

「しんらんさまが、たまごもりをしてくれるから」

 はじめは驚いたような様子を見せるも、だんだんと男の体からそれは消えていき、果てには、体を震わせ、すすり泣きすらはじめた。

 その後も方丈はひきこもりたちから話を聞いていき、最後には、その体をなでさすり、あの奇妙な言葉をささやく。

 傍目にはただそれだけのことをしているのに、みな口から嗚咽をもらして泣きはじめる。

 ――まるで、宗教の教祖みたいだな。

 しかも、カルト宗教かなにかのだ。

 そんな非現実的な光景を前に動揺しながら、その場から立ち去ることもできず、とうとう俺の前へと、方丈が立ってしまった。

「あなたはあとにしようか……、ね、浅宮くん」

 いつから気づいてきたのか、方丈は小さく俺の名を呼んだ。

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