西の風が吹く 後篇

 夕方になっていた。駅馬車が中継地点の宿に着いた。沈む太陽がやたらと朱い。町全体が焚火の中に突っ込まれて燃えているようだ。保安官補ゲイリーの見ている前でフェイは宿帖に記帳をすませると、俺の腕をとって二階の室に向かった。

「大丈夫よ。本名なんか書いていないわ」

 今までの宿でも、AltonをAnton、FayeをRayeのようにして、苗字も適当に記入してきたとフェイは打ち明けた。

「それにアルトン、これを見て」

  フェイはゲイリー保安官補から受け取った指名手配書を斜陽の差し込む窓辺で広げてみせた。駅馬車の中でも見たが、指名手配書の似顔絵は俺とは似ても似つかぬ別人で、さらに似顔絵の下に書かれてある男の名も俺の名ではなく、別の州での出来事だった。

「東部から西部に逃げてくるお尋ね者は大勢いるわ。それが女連れであっても、手配書の似顔絵も名も違うのなら、まったく心配することはないわ」

「その手配書をどうするんだ、フェイ」

「これから行く先々でこの指名手配書を先に見せるのよ。私たちは遺族の関係者で、西部に旅立つことになった私たちは遺族に頼まれて、この男を捜していると訊いて回ることにするの。先に捜す側だと云ってしまえば、追手がかかったとしても私たちは疑いの眼から外れるのではないかしら」

「一時しのぎにしかならないよ、フェイ」

「いいのよ」

 フェイは自信満々だったが、それは強がりで、すぐに力なく椅子に座り込んだ。

「フェイ」

「ごめんなさいアル。ダグラス兄さんと貴方があんなことになるなんて」

 フェイのせいではない。もう一度同じ状況になっても俺はやっぱり同じことをしただろう。

 俺たちは疲れていた。旅の疲労が積み重なっていた。馬車を乗り継ぐ旅も疲れるのだ。最大の理由は、目的地が定まっていないことだった。なんとなく西へ、果てへ、金や鉱石の埋まった鉱脈採掘地へと向かって、あちらで三日、こちらで十日と、あてもなく流浪しているだけなのだ。終着地もまるで分からぬまま、東部から出来る限り離れるようにして逃げているだけだった。

 眠るつもりが眼が冴えていた。通りを挟んだ向かいの酒場からピアノの伴奏に合わせて歌っている女の唄声が聴こえる。哀愁を帯びたいい声だった。そのうち女の唄が終わると、別の音が外から聴こえてきた。俺もフェイも気が付いた。窓に小石を投げて、誰かが俺たちを呼んでいる。

 俺とフェイは暗闇の中で同時に起き上がり、衣服をひっつかむと、窓を開けた。

「ダグラス兄さん」フェイが息を呑んだ。

「よお」

 建物の下から馬に乗ったフェイの兄貴が俺たちに挨拶を寄こしてきた。目抜き通りは夜遅くまで店を開いており、外に洩れている灯りのせいで夜でも明るかった。

「明日の正午になったら向かいの酒場に来な。話し合おうじゃないか」

 顔をこちに向けたまま、ダグラスは牧童が牛を縄で捕らえる時のように腕を回してみせた。ダグラスは嗤っていた。

「逃げようとしても無駄だぜ。この宿も町の外も、仲間が囲んでいるからな」


 フェイをお前にやるから、俺からの頼み事を断らないでくれるよな。

 ダグラスはそう云った。俺は断った。交換条件など出されなくともフェイは俺のものだという自負があった。交際を反対していたご婦人が他界した今、障害は何もない。

「俺はフェイと結婚する」

 しかしダグラスに向かってはっきりそう云えなかった。養い親を失ったフェイは養女として少なくない額の遺産を受け取っていた。今それを云うと、フェイの財産目当ての男のように見做されてしまう。意地と誇りが邪魔をした。

 ダグラスは引き下がらなかった。アルトン、お前はこっちがかなり使えるそうじゃないか。銃を撃つ真似をしてダグラスは俺になおも云った。一度きりでいいんだ。手伝ってくれよ。

 俺は港湾の倉庫で荷運びをしていた。ダグラスは悪党仲間とその倉庫の一つを襲撃する計画を立てていた。狙っているのは英国から届く荷だ。俺を味方に引き入れることが叶えば、倉庫の警備がゆるむ時間帯や内部の詳しい様子が全て分かるのだ。

「盗んだ荷は陸ではなく水路に停めておいた船で分割して運び、河を遡って行方をくらませる」

 ダグラスは俺にその航路も詳しく教えてきた。聴きたくないのだが、「最後まで話を聴かないとフェイが困ったことになるだろうな」と脅された。

「ここまで打ち明けた以上、お前はもう組織に加わるしかないんだアルトン。嫌だと抜かしやがったら今度はお前が丸太に括り付けられてハドソン河に沈む番になるぜ」

 加担することなど出来るわけがなかった。俺はフェイに全て打ち明けた。俺ひとりで街を離れて行方知れずになるつもりだった。

 フェイは「逃げましょう」と云った。

「受け取った遺産も家も何も要らない。あなた一人で行かせない。アルトンがいないなら生きていくつもりもない。二人で西部に行きましょう」

「待ちやがれ」

 駆け落ちはダグラスにばれた。ひと目を避けて隣町まで逃げたところで追いつかれた。発砲されたのでフェイを背中に庇って振り返りざまに撃ち返した。ダグラスの連れて来た手下どもが片端から倒れていった。最初の一人が倒れるより前に、早撃ちを終えた俺はすでにもう指で回転させた銃身を腰の拳銃嚢に納め終わっていた。

「アルトン、今のなに」

 俺が銃を扱えることなどまったく知らなかったフェイが仰天して震えながら訊いてきたが、説明は後回しにしてちょうど通りかかった辻馬車にフェイを押し込むようにして乗せた。俺たちは育った東部の街を捨てた。俺の銃で全員殺ったのかどうかも確認していない。


「殺ったのは正しいが、全員は死んでない」

 誰かの声がする。気が付くと俺の周りには駅馬車の同乗人の山師と公証人と保安官補がいた。宿の受付の天井がなぜか見えている。

「水を持ってこい」

 保安官補のゲイリーが宿屋の亭主に命じた。俺は頭から水を浴びせられた。

「やはりお前がアルトンか」

 ゲイリーが床に横たわっている俺の身体を跨いで真上から睨んでいた。ものすごい眼力だった。

「まあ待ってやってくれ保安官補。こいつはまだ頭が回ってない」

「一緒にいた女はフェイだな」

 なぜか首と顎が痛い。フェイは何処だ。

「フェイと、馬車に一緒にいた酒場の歌姫マデリーン。二人とも連れ去られたぞ」

 山師が暗い顔で俺に云った。

「明日になったら酒場に来いと云っておきながら、あいつら明日まで待つ気なんか最初からなかったんだ。お前たちが二階の窓から顔を出した時には、真上の屋根の上にすでにあいつらの仲間がいたんだ。お前の首に環になった縄がかかったのを覚えていないか。お前は吊るされて、その間にフェイは屋根から綱を伝って降りてきた男たちの手で下に引きずり降ろされて連れ去られたんだ」

「フェイ」

 俺は叫び声をあげて跳ね起きようとした。その俺の肩を長靴で踏みつけて、ゲイリー保安官補が「黙れ」と云った。

「静かにしろ。まずお前に訊きたいことがある。お前は州の湾岸倉庫で窃盗をはたらこうとしていた一味なのか」

 俺は首をふった。

「前科はあるか。あるならガキの頃の林檎泥棒から洗いざらい全て吐け」

「フェイを追わないと」

「お前の持っている銃は何処で手に入れた。ごまかしても無駄だ。お前の荷物は調べさせてもらった。この銃はSAAだ。民間用ではない。民間用コルトにはある刻印がない。俺の質問に順に答えろ」

「一はさっき応えたように違う、二は子どもの頃に林檎くらいは盗んだ、三は、賭け事に勝って手に入れたものだから出処は不明。陸軍用であることは承知。勝手に俺の銃に触るな、返せよ」早口で俺はまくし立てた。

「よかろう」

 ようやくゲイリーは俺を解放してくれた。俺は大急ぎで二階の室に戻ると拳銃嚢を腰に巻き付けた。階段を駈け降りると、保安官から銃を奪い取って行こうとした。

「明るくなるまで待て」

 宿の扉の前にゲイリーが立ち塞がった。

「外壁に首を吊られてぶら下っていた貴方が助かったのは、マデリーンさんのお蔭なんですよ」

 公証人まで俺を押し止める。

「あのままだと縛り首です。貴方は死んでいましたよ」

「向かいの酒場で唄を歌って日銭を稼いでいたマデリーンは、何をするのその人のお腹には赤ちゃんがいるんだよとフェイを攫っていこうとする男たちにしがみついたんだ。手を離さないのでマデリーンもフェイと一緒に連れて行かれた」

 マデリーンのことが心配で泣いていたのか山師の眼が赤い。

「人攫い人殺しとマデリーンが悲鳴を上げているから、何の騒ぎだと外に出てみたらあんたが二階からぶら下がっていた。ここにいる保安官補が銃の一発で綱を断ち切って、俺たちが下であんたを受け止めた」

「朝まで待てるものか」

 早く跡を追わないと。俺が怒鳴ると、

「倉庫襲撃の計画を知るお前を殺害し、妹のフェイを取り戻すのがダグラスの目的だ。しかしダグラスは西部どころかこの町からも出て行けない。今頃は町外れで包囲網にぶちあたり立ち往生しているはずだ。奴らこそ朝を待っている」

 ゲイリーは云い切った。

「何故そんなことが分かる」

「教えてやろう。俺がここに居る目的は、駆け落ちした莫迦を追うことではなく、お前たちを追いかけてきたダグラス達を捕獲することだからだ」

 俺と公証人と山師はゲイリーを見た。ゲイリーは背広の内側を少し開いてみせた。そこには銀色の星の徽章が光っていた。見慣れた保安官のものにしては少々かたちが違う気がした。

「俺は保安官補だ」

 ゲイリーは氷のような顔つきで俺たちを眺めまわした。

「正式には東部連邦保安局特別捜査官上級保安官補だ」

 何を云っているのか分からず俺と山師は立ち尽くしていたが、公証人だけは口を開けていた。やがて公証人は、「そのお若さで連邦特別捜査官の上級保安官補とは。この方は大出世、間違いなしです」とゲイリーを前にして唸った。

 つかつかとゲイリーは窓に向かうと、半身を外に出して、俺とフェイがやっていたような何かの手信号を出した。

「朝を待て」

 もう一度、ゲイリーは俺に向かってそう云った。



 戦争でも始まるのかと想った。西部の朝の光にずらりと並んだウィンチェスターライフル。宿の前に馬首を揃えているのは州騎兵だ。

「上級保安官補どの、あの、わたしも銃なら護身用に持っております。もちろん民間型です。ほらほら。シックス・シューターです」

 公証人も捕り物に参加したかったようだが、「帰れ」とゲイリーに云われて未練たらしい顔をしながら山師に慰められて引き下がっていった。同じ民間人なのだが俺はいいのだろうか。

「お前の早撃ちを見ていた証人がいる」

 州騎兵を従えたゲイリーは表通りを堂々と俺を連れて歩いた。いまは隠すことなく星の徽章を上着の表に付けている。金属板の星が朝日に眩しい。いったい何事が始まるのかと町の人々が道を開けて見送っている。こんな大事になったのは上陸した水兵と荷運び男がもめ事を起こし、それぞれが仲間を連れて来て港の埠頭で大乱闘になった時以来だ。

「アルトン」

「なんだよ」

 前を向いたままゲイリーは俺に云った。

「見ておけ。俺のやることを。見ておくんだ。そして憶えておけ」

 どういう意味だ。

 ゲイリーの横顔をちらりと見遣った。冷血漢らしいいつもの顔だったが鋭い両眼には何かが燃えていた。東部連邦保安局の特別捜査官の保安官補の上級というのは、それほどの職位らしい。後で知ったがゲイリーは警察組織を動かせるほどの権限を持っていた。

 町外れになると急に視界が倍に広がったような気がした。遠い山々が薄い色にけむり、人の手が入らない原野が何処までも続いている。人間など、天地に押し潰されそうだ。ゲイリーは少し向こうにある町はずれの離れ農家を顎で指し示した。ダグラスたちは昨晩のうちにあの農家に逃げ込んで立て籠っていた。

 向こうから撃ってきた。始まった。俺たちは近くの岩や、崩れたまま放置されている廃屋の基礎煉瓦の陰に身をひそめて、農家に近寄りながら威嚇目的で発砲した。顔を出してきた一人を俺が撃った。州騎兵を揃えてきたあたりで結末はもう分かっていたが、いくら悪党とはいえ袋の鼠になった男たちを一方的に撃つのだ。しかも相手は昔からよく知るダグラスだ。実戦の高揚感の中には幾分か後ろめたい嫌な感じも混じっていた。

 背後では物見高い町の住人が遠巻きにしている。すぐにゲイリーが指示を出して流れ弾に当たらないように遠ざけていた。

「前に行くぞ」

 ゲイリーが俺より先に飛び出した。砂が銃弾で跳ねる。騎兵の援護を受けながらゲイリーに続いて俺も身を低くして走った。ゲイリーと俺は長方形の飼い葉入れの後ろに滑り込んだ。岩に当たった銃弾が跳弾する。州騎兵は間を空けて農家を取り囲み、裏口から逃げようとする者を撃っていた。

 ゲイリーが落ち着いた声で俺に告げた。アルトン、俺と賭けよう。

「賭ける」耳を疑った。

「俺が勝てばお前は俺の依頼を引き受ける。お前が勝つことはないだろうからつまり俺が勝つわけだが、お前が勝ったら、陸軍の銃を不当所持していることは不問にしてやろう」

 こんな時に賭け事に誘う公僕が他にいるのだろうか。

「ちょうど真ん中だ。正面の農家には左右に同じかたちの窓がある。大きい窓は枠で仕切られた数だけ撃つ。此処からあの窓を一つずつ撃っていく」

 五枠あるから五発だ。

「的を外せばそこで終わりだ。窓を撃ち終えたら、玄関の上に飾られている牛の骨を撃ち落とす。骨を落とした者が勝ちだ。次の銃声が合図だ。いいか」

 勝負はすぐについた。ゲイリーは神業にしか想えないような正確無比の早撃ちだった。煙がまだ出ている銃口に息を吹きかけ新しい弾を込めながら、ゲイリーは「俺の勝ちだ」と淡々と弾倉を回転させた。俺は完敗のしるしに両手を上げてみせた。なんだよ今の。同時に全部割れたように見えたぞ。

「悔しがることはない。場数が違う」

 勝敗が分かっている賭けを持ち掛けるとはどういうつもりだろう。俺に依頼したいこととは何だろう。

 弾切れなのか農家からの銃声は止んでいた。ゲイリーは砕け落ちた牛の骨を踏み越えて足蹴りで扉をぶち破り、家の中に一発発砲した。

「東部連邦保安局特別捜査官上級保安官補ゲイリーだ。投降しろ」

 多分それを云われてすぐに頭で理解する者はそういないと想うのだが、長たらしい役職名よりもゲイリーの胸に燦然と耀く銀の星のほうがものを云った。ゲイリーはすぐに扉の陰に身を寄せた。中から返事の代わりに撃ち返されてきたからだ。

「ダグラス、降伏しろ」

 俺は叫んだ。最後に見たダグラスは血を流していた。不敵な笑みを浮かべたダグラスはまだ何も諦めてはいないようだった。

 身を翻したダグラスは農家の裏手から荒野に走り出した。外で待ち構えていた州騎兵から一斉に撃たれた。ダグラスは飛び立ちかけた黒い鳥が落ちるようにして前につんのめり、地面に転がって倒れた。


 フェイは農家の裏手の納屋から俺の許に走ってきた。俺はフェイを抱きしめたが、フェイが俺を抱きしめる方が先だったかもしれない。

「アル、生きていたのね」

「良かったフェイ。マデリーンは」

「あたしは大丈夫」

 フェイに続いてマデリーンが農家の夫婦と一緒に閉じ込められていた納屋から出てきた。歌姫の恰好のままのマデリーンは片手に鉄の農具を握っていた。フェイを連れ出して盾にしようとしたダグラスの仲間を、マデリーンと農夫が農具を振り回して撃退してくれたそうだ。

「ダグラス兄さんは」

 フェイが兄を探した。

 乾いた土の上に両手両足を投げ出してダグラスは死んでいた。遺体のそばに片膝をついていたゲイリー保安官補が立ち上った。ゲイリーは膝についた砂を片手で払うと、軽く帽子を下げて哀悼の意をフェイに寄こした。フェイは泣かなかった。

 妹として苦労させられてきたフェイには別の想いがあるのだろうが、俺は、こうして死んでみるとダグラスのことがそんなに嫌いではなかった。悪党に生まれて悪党として死ぬ人生を短く生きた。ダグラスには迷いも悩みもなければ、裏も表もなかった。人生に苦悩や後悔を抱えて死ぬ人間が多い中ですっぱりきっぱりやりたいように生きて西部の原野の上で笑って命を終えた。野生の獣のようだった。埋葬するより、このまま太陽に照らされて風葬しておくのがこの男には相応しく想えた。東部のじめついた街中で死ぬよりも、この男にはこれが一ばん相応しい死にざまに想えた。


 「アルトン保安官」

 この星の徽章を俺が胸につける日が来るとは。

 ゲイリーは俺にこの町の保安官になることを依頼してきた。それが賭けの代償だった。ならず者を取り締り、無法者を追い払い、泥棒をはたらく夜盗を荒野に追いかけて監獄にぶちこむ。男なら子どもの頃に誰もが一度は夢見る憧れの職だ。

 俺の胸に徽章をつけ終わると、ゲイリーは一歩退き、保安官事務所の前に集まった町の連中に新任保安官の姿をご披露した。

「前任者が老齢で引退した。空きがある。正義感が強くて銃が巧い。現地調達だがお前以外に適任はいない」

 今日の午後には東部に帰っていくゲイリーはどうやらそれで褒めているようだ。俺の腰には取り上げられたSAAの代わりに、ゲイリーから贈られた新しい銃があった。

「アル」

 フェイがすぐ傍にいた。微笑んで眼に嬉し涙を浮かべている。明けの明星みたいな俺のフェイ。まだ実感がないがフェイの腹には本当に俺の子がいるらしい。

 西から風が吹いている。陸地の果ての海から吹いているのか。それとも遠くのあの青い山脈からなのか。町を巡る山岳にはまだ誰も採掘していないお宝が眠っている。渓流でその欠片が時々みつかる。探しに行ってみたが、どれがそれなのか全く分からなかった。水の中の宝石はもっときらきらしているのかと想っていた。子どもの頃に見たフェイの小さな足の爪のように。

 公証人が正式に俺とフェイの結婚を証明してくれた。山師とマデリーンが俺たちに笑顔を向けている。「赤子が生まれたら毎日あたしが子守歌を唄ってあげる」マデリーンはフェイにそう約束した。

 東部のような歴史ある立派な建物はない。何かと野生味が強いし砂埃のせいで何もかもが粉をまぶしたように薄汚れている。吹き付ける熱風は乾いてざらついて眼に痛い。しかし意外と緑も水も豊富にあるし、新天地を求めて人がどんどんやって来る。薄曇りに閉ざされて雪の降っていた東部の寒い冬とは違い、西部はいつも明るくて空が真っ青だ。

 役得として町の中に庭つきの家までもらった。生活の糧に庭で野菜を育て、牛追いも兼任してみよう。俺は新品の帽子の鍔を少し上げた。フェイと顔を見合わせた。フェイのことだけをずっと見てきた。これだけは子どもの頃から変わらない。俺は風を胸に吸い込んだ。何処であっても構わない。

 フェイがいる処が俺の生きる大地だ。こういう際には何というのだったか。

「大団円だ」

 ゲイリー連邦保安官補がいつものあの無表情で云った。



[西の風が吹く 完]

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

西の風が吹く 朝吹 @asabuki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ