4-5.気まずいディナー

 正直慣れていない店に入るのは敷居が高すぎて気遅れする。


 スーツの上着を預けて、席に案内されて、二人は白のクロスが引かれているテーブル席に座った。

 食前酒にシャンパン。あとはコース料理となっているようだった。


「楽しみですねえ」

「そうだな」

「ほんとに美味しいって評判なんですよ。ここ!」


 食前酒を口に含み、前菜へと口をつける。

 食材の旨みが調味料により引き立ち、料理に深みを与えていた。

 今まで食べたこともなかったそれに舌鼓をうち、自然と「おいしい」と声が出ていた。

「でしょうでしょう」

 ヨルの反応に、ツグミは満足気だ。


 スープが運ばれてきて、あっという間に空になる。名残惜しいと思いながらも次の料理が楽しみでもある。

 料理の世界は奥が深いなあと、水を口にしてしみじみとした。


「そういえばさ」

「はあい?」

「あ、食べ終えたらでいいよ。待ってるから」

 ツグミはありがとうございますと頭を下げてから、喉を鳴らして口内にあった料理を飲み込んだ。


「なんですか?」

「ツグミさんはなんでうちの会社入ったの? 他の内定蹴ってまでさ」

 ツグミは「うーんとね」と記憶を思い起こしてから。

「決め手はマサさんの人柄ですね。社長がいい人なら職場環境もいいだろう、と考えてのことだったんですけど……」

 ツグミはそう答えた。言い淀んだのはこの前のヨルに対する嫌がらせを思い出したからだろう。


「嫌な奴はどの職場でもいるものだし、この業界にしては残業少ないから割とホワイトだと思うよ」

「それもそうですね。ヨルさんみたいな人がいたなら就職ガチャは成功だったってことかな」

「就職ガチャ?」

 また知らない言葉が出てきた。


「あはは。そこはスルーしてください」

「理由はそれだけなのか? マサさんがいるからってだけじゃ入社の動機になるとは思えない」

「ああ……」とツグミはひとつ考えたあと。


「井の中の蛙でいたかったからですかね」

 と、本当の理由を答えた。


「どういうこと?」


「ほら、私よりもすごい人とか頭のいい人、仕事ができる人って沢山いると思うんです。それに大企業ってしがらみとか年功序列とか残ってて正直めんどくさそうだし。あとあと、会社としての腰が重そうで個人の意見が通りづらそうで仕事がしにくそうだなあと思ったから。そういう点で言えばベンチャーは能力主義そうだし、やりがいがあって悪くないなって。そういう、小さな世界の小さな幸せで満足できればいいや。っていう諦めみたいな気持ちが本当の理由」


 あははとツグミは笑う。その顔は諦めではなく、理想と現実に折り合いをつけた割り切りに見えた。


「へえ。若いのに堅実的だな」


「ヨルさんはそういうふうな目指す生き方みたいなのないんですか?」


「仕事の話とは離れるけど、俺は生きれるだけの最低限のお金があって、喧騒から離れた程よい場所で世間とは一歩距離を置いて暮らして。年老いたら昔あったことを懐かしんだり、今生きてることを幸せに思ったり、明日のことを少しは考えたみたり。四季の節目を感じながらいつか来る死をゆっくりと待つ。それが理想の生き方……いや、死に方、かな」


 ツグミは「ヨルさんもちゃんとそういう考えあるんじゃん」と笑った。


「でも。やっぱり、おじいちゃんみたい」

「馬鹿にしてるだろ。それ」

「いえいえ。優しくて安心する雰囲気を持ってるってことですよ」

 それならそれでいいかと、ヨルは思考を放棄した。


 おじいちゃんだろうと自分らしく生きることができて、自分なりの幸せが見えていて、それで満足できるならいいと思っているからだ。

 以前はこんな考えが浮かぶことはなかったのだから、成長したということなのだろうか、とヨルは思考に耽った。


「ヨルさん彼女作らないんですか?」

「何回その話を持ちかけるんだよ」

「何回でも、です」

 いい加減うんざりする。

「作る気はないよ」

「かわいい後輩が目の前にいますよ」

 ほらほらとあざとい笑顔をして見つめてくる。

「自分で自分のこと可愛いって言うのか」

「可愛いのに、かわいくないですよぅ〜。とか否定してる人の方がいいですか?」

「それは嫌だな」

「で、どうです? 私は」

「俺より他にいい人なんていくらでもいるだろ」

 ヨルはツグミの誘いを暗に断った。

「先輩のばーか」

 ツグミは頬を膨らませて、ぷいとした。


 メインディッシュを平らげ、デザートを口にして、食後のコーヒーをいただいた。

 コーヒーに口をつけると、やはり誰かのことを思い出したような気がしたが、今は目の前のツグミとの会話のことが大切だと頭の隅へ置いておいた。


「そういえば、ツグミさんは俺の身長のこと聞かないんだな」

 こんな時、ヨルの口から出るのは決まりきった質問だ。

 話題がないときには人の容姿だったり学歴だったり経歴を話せば場の空気が冷えることもない。それと似たことでヨルも無難な話を振った。


「え、だってそれがコンプレックスの人だっているじゃないですか。初めて見たときから二、三回くらいはおっきい人だなあとは思ったけど、もう慣れました」

 それを聞いて、ヨルは少し驚いた。


「別に気にしてないから聞かれても構わないんだけどな。ただ、聞かれなかったのが珍しくて」

「何センチなの、って?」

「ああ。聞かれなかったのはこれで三人目だ」

 そこで妙な違和感が頭に引っかかった。

「へえ、他は誰なんですか?」

「マサさんと……。あれ? マサさんとツグミさんの二人か」

「で、何センチなんですか?」

「192センチだ」

「うわ、思ってたより大っきくてびっくり」


 違和感は次第に大きくなり、疑念に変わる。

 前も、なんだか同じような会話を誰かとしたような気がした。


「……え? え? ヨ、ヨルさん?」

「……なに?」

「どうしたんですか?」

「どうしたもなにもないよ」

「でも……」


 ツグミはヨルの顔を見て驚いている。

 取り止めのない話をしているだけなのに。

 何か変だろうか。


「また、泣いてるよ……?」

「……え?」


 半拍遅れて返事が出た。

 手で顔に触れる。左頬が少し、濡れている。


「まだ体調よくないんですか? あの小太りの社長のこと気にしちゃうんですか?」

「いや、そんなんじゃない。ただ……」

「ただ……?」


 悲しい? 嬉しい? 楽しい? 寂しい? 

 言葉を並べてもどれもが違うと思う。

 なぜ、涙が流れたのだろう。

 考えても分からない。


「つかれてるんだ。きっと」

 ヨルは愛想笑いをして誤魔化した。

「もう。普段から無理ばっかしてるからですよ」

 ツグミも突然のことに戸惑いながらも、笑顔を繕った。

 けれど心までは繕うことができなかったのか、「でも……」と、いつもよりワントーン下がった音で、本音が漏れてしまった。


「最近、ヨルさん、ずっと上の空です。それに、なんか無理して笑ってる」

「……え?」

「心ここに在らずって感じです」

「そんなことは……」

「ありますよ」

 ツグミはヨルの反論を切った。


「だって、仕事中だって普段やらないようなコーディングのミスをするし、ふと見てみたらぼーっとしてるし、さっきからヨルさん、時々別のこと考えてるでしょ。私といるの楽しくないですか?」

「いや、楽しい。楽しいよ」

「……じゃあ。どうして?」

「楽しいはずなんだ。けどさ、何かが足りない気がして引っかかってるんだ」

「それ。気にしない方がいいんじゃないですか? 楽しいなら、きっとヨルさんの勘違いですよ」

「勘違いなんかじゃ、ないはずなんだ」

「……私ね、なんか、ヨルさんが今にも消えてしまいそうで怖いんです」

 ツグミは唐突にヨルの話も聞かずにそう言い、「変ですよね」と空笑いした。

 ヨルは何も返せない。いなくなる予定なんてないのに。


「……どこにも、行かないですよね?」

 潤んだ声でツグミは言った。

「……」

「ヨル、さん?」

 今にも涙が溢れそうなツグミの瞳を直視できない。


「……ああ。どこにも行かない。行くわけないだろ」

 ヨルは目を逸らしたまま無理矢理言葉を絞り出した。

 すぐに答えられなかったのは疑念があるから。探している何かが見つかれば、もしかしたら……。

 そう考えてしまった。


「……なあんだ、よかった」

 ツグミは今度はケロッと笑った。それはどこかぎごちなく見えた。

「ちょっとお手洗い行ってきますね」

 ヨルが声をかける前にそう言って、ツグミは席を立って離れてしまった。

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