4-3.僅かな手がかり

 季節は秋になり、また中秋の名月がやってきた。


 空気はすっかり秋で満ちている。

 休みの日になると、ヨルは魔女からの助言通り、気になる場所を訪れることを繰り返していた。


 初めは夜の新宿の繁華街。ヨルがずぶ濡れになり、絶望の底へ沈んでいた場所だ。

 相変わらずガラの悪い人たちがいて、ヨルのことをひとつ見ただけで興味は失せたと去っていく。


 次に訪れたのは、東京拘置所だった。

 ここには母親が収監されているだけだろうと思っていたが、歩いていると、河原沿いの道が気になった。


 ひとりでゆっくり地面を確かめるように歩き、あたりを見回してみる。

 いつか、誰かと虹を見ながら歩いたような感覚がした。

 けれど虹が出ることもなく、隣に誰かがいるということもない。

 何も変わらない普通の景色だった。


 結局、手掛かりは掴めず、なにも思い出すことはなかった。

 そして、ヨルは一番望みがあるだろうと思われる、最後に目を覚ましたタワーマンションの前へと立った。


 オートロックのため、住人が入る後ろについて行って、侵入する。

 僅かな記憶を探り、エレベーターで最上階のボタンを押す。

 最上階へ着くと、内廊下があり、ひとつ玄関があった。


 たしかに最後の日に目覚めた部屋であることは間違いなさそうだ。

 だが、待ち受けていたのはヨルの希望とは反対のものだった。

 最上階の部屋の玄関が開くことはなかった。


「誰もいない? もしかしたらもう引き払われた後なのか?」

 部屋へ入れば鮮明に記憶を思い出すことができたかもしれないが、それは諦め、ヨルは一階にある管理人室へと向かった。


 そこでなら、いつ引き払ったのか、どんな人が住んでいたのかを聞き出せるかもしれない。

 管理人室の窓をノックする。「どうされましたか?」と老齢なおじさんが顔を出した。


「探している人がいるんです」

「探している人?」

「はい。とても大切な人で、会わないといけないんです」

「そうは言われてもねえ。君、ここに住んでた人の親族とか婚約者とか?」

「いえ、そういうわけでは……」

「じゃあ、教えることはできないねえ」

「どうしても駄目ですか?」

「重要なこととお見受けしますが、立場上、一切話せないんです」

「……わかりました。ありがとうございます」

「力になれなくてすみませんねえ」

 と言いおじさんは奥へと戻っていった。

「手がかりなしか……」


 確信したと思っていたものはすぐモヤのように掴めなくなっていった。

 違和感を確かなことにすることも、きっかけがなければ叶わない。思い出すことすらできない。

 ヨルは落胆を背にしてマンションを出た。

 スマホをポケットから出そうとしたところで、そこに無いことに気がついた。


 たしかリュックにしまったのだ。

 リュックを漁っていると、スマホを見つけた。

 取り出した拍子になにか一枚の紙がひらりと落ちた。

 ヨルはそれを拾い、見てみるとお店の名刺だった。

 まんまるのお月様の上に店名の記載がある。


 ガールズバー『yorube』


 ユカという名前の記載があり、隣にカトレアのマークがプリントされていた。

 なぜ行ったこともない店の名刺が入っているのかは分からなかったが、『ユカ』という名前が気になった。

「ユカ。ユカ……さん?」

 ヨルはユカの名前を繰り返す。繰り返すたび、何かが頭の片隅で引っかかった。

 それを確かめるため、ヨルはそのガールズバーへと向かうことに決めた。

 

 ・・・

 

 電車を乗り継いて着いたのは、居酒屋や水商売のお店がひしめく繁華街。

 昼だからかひと通りはほとんどなく、閑散としている。


 いくつかの店は開店に向けて看板を出したり、店内で仕込み作業をしている。

 名刺に記載されている住所はもうすぐそこだ。

 繁華街から少し外れた場所に位置しているらしい。

 細い路地を通り、角を曲がると、ひとつの小さな雑居ビルが目に止まった。


 タイル貼りの壁にまんまるお月様みたいな小さな丸看板。

 秘密の小洒落たお店。知る人ぞ知る店。そんな雰囲気があった。


 ヨルが手掛かりになるかもしれないと、スマホのカメラを呼び出して店の外観を撮っていると、お店からひとりの女性が看板を出しに現れた。


 その女性は昼間なのに泥酔していて、千鳥足で危なげだ。「よいしょっと」と看板を置いて顔を上げ、ヨルを見つけた。


「あれえ? きみぃ、お客さん?」

 赤らんだ顔を近づけてきてヨルの顔をマジマジと見て、酒臭い息で「私はここのオーナーだよん」と自称した。

 呂律が回っていないから相当呑んでいるのだろう。

 ヨルを見て、オーナーはお客だと勘違いしたのか、さらに声をかけて来た。


「お兄さん。飲んでいきますぅ?」

 甘ったるい声で耳元で囁く。

「え。いや、まだ昼ですし。開店してないんでしょう?」

「うちは年中無休で、昼〜翌朝まで営業してる珍しいガールズバーなんですよ。ささ入って入って」


 拒否する間もなく、半ば強制的にお店へと連れ込まれた。

 店内は細長で、カウンター席しかない。

 仕方なく一番奥の席に座る。


「ご注文は?」

 どうやらもうヨルは飲みに来た客だと認識されているようだ。

 休みだしお酒を飲むくらいならいいかと、ヨルはおすすめのカクテルを頼んだ。

「はあい」

 のんびりした口調でオーナーは手際良くカクテルを作っていく。

「はい、どーぞ。ジントニックです」

「どうも」


 ヨルは流石に一口も飲まないのは失礼かと思い、口をつけてみるも、アルコール臭がきつく、味がわかったものではなかった。

 グラスはそのまま置いた。


 店内を見渡してみると、薄暗い照明と、灯りのともったアロマキャンドル。小さく流れるジャズの音楽が落ち着いた雰囲気を演出していた。


 その割にはキッチンスペースの奥に見える居住空間と散らかった布団が見え、残念さが隠しきれていない。ヨルはそれを見なかったことにした。


「お兄さん。ほんとはお酒を飲みに来たんじゃないんでしょう?」

「どうしてわかったんですか?」

「だって、ほとんど口をつけてないじゃないですかあ」

 しまった、失礼だったかと思ったが、オーナーは気にした風でもなかった。

「まあ、私が作るお酒はこの店随一の不味さを誇るから、呑めないのもしょうがないよお」

 あははとオーナーは笑っている。


「それでえ、本題はなんですか〜? あたなは今、聞きたいことがあるって顔してまーす!」

 酔っ払いのテンションのまま、オーナーはヨルに絡む。

 夜の職業をしているとそういう人の心の機微に敏感になるものらしく、オーナーはヨルの思考を言い当てて来た。

 両手で頬杖をついてヨルの顔を真正面から見てくる。


「えっと……」

 と、ヨルはリュックからこの店の名刺を取り出した。

「この人を探しているんですけど、知りませんか?」

 名刺を渡した途端に、女性の声がワントーン上がり、はしゃぎ始めた。

「え! うそお!? これ、この店のNo.1の名刺じゃない!」

「No.1?」

「そお。このカトレアのマークがその証なんだあ。売り上げ成績トップで、指名率最多だけじゃなくて、お客さんからのアンケートで評判1位を取らないともらえない称号なんだよ!」

 オーナーは矢継ぎ早に称賛の言葉を並べる。


「でも、このユカって人、誰だろう。知らないなあ」

 返って来た回答はヨルの望むものではなかった。

「知らない? 最近働いていた人じゃないってことですか?」

「いやいや、カトレアの花のマークは一昨年と去年のものだから、最近働いていた人のはず……。って、あれ? なんで私、この人のこと覚えていないんだろう。とうとうボケたか?」


 ここも手掛かりなしかとヨルは落胆した。

 そもそも簡単に解決への糸口が見つかるものでもないと理解してはいても、落胆は大きい。

 やけになり、残っていたお酒を一気飲みして、急激に酔いの回った頭が出来上がる。

「あれ、でも」とオーナー。


「なにか、思い出しました!?」

 ヨルは暗がりに見える光に縋るようオーナーに迫った。

「なんだか君が言っていた人がいたような気するかも。記憶にないってことはいなかったんだろうけど。でも、私ドジだからさあ。その人に何度も助けられたような気がするんだあ」

「……そう、ですか。すみません。俺もこの人のことよくわかっていないので」

「ううん。期待させちゃったみたいでごめんねえ」

「いえ、俺も力になれなくてすみません」

 店を出ようと席を立つと、ふらりと体がバランスを失い、カウンターに手をついた。


「ちょっと、大丈夫?」

「……いえ。久しく飲んでなかったので、お酒苦手なの忘れてました」

「あはは。面白い子だねえ」

 なんとか会計を済ませて、オーナーの肩を借りて、お店を出た。

「ジントニックのカクテル言葉はね、『強い意志』『希望を捨てない貴方へ』って言うんですよ」


 一杯しか飲んでいないのに、オーナーは律儀に店外まで出て来てヨルを見送るようだ。


「応援してます。探し人、見つかるといいですね」

「ありがとうございます」

「はあい。今度はちゃんとお客さんとして来てくださいねえ」

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