2-4.ヨルの過去

 ヨルは泡の減ったカプチーノに口をつけた。同じタイミングでユカもエスプレッソを口にした。


「ヨルくんの家族はどんな人だった?」

「俺の家族は……」

 ユカもヨルの隣に腰掛け「どうぞ」と話を促した。


「俺は4人家族の長男でした。家族構成は母、父、俺、妹」

 思い出しながら言葉にするが、感情は湧かなかった。

 腹立たしかったはずの人。それは時間が過ぎ、記憶が風化したことにより、無関心に変わっていることに気がついた。


「最初にいなくなったのは昔気質の硬派な父親。男なら堂々と、誠実であれ、なんて言葉を残しておきながら母親に愛想をつかせて、浮気をして出て行った」

 ヨルの言葉は選ぶような間があったり、遠い過去を思い返す分、途切れ途切れだった。


「母親はそれからパートで働いたり、住んでいた一軒家を売ったりしてお金を得ていたけれど、結局それっぽちのお金なんかじゃ足りなくて借金苦になって。アルコールにはまって、どんどん落ちぶれていった」

 話すヨルの目には少しの哀しみと憎しみがあった。

 ヨルは続きをこれ以上話すことを一瞬躊躇った。あまりにも気軽に話すには場違いな内容だから。

 でも、ユカは包み隠さず話してくれた。

 だからヨルも話すことに決めた。


「とても弱い人だったから。きっと、とうに限界だったんだ。……情緒不安定で、アルコールと精神薬に頼ってなんとか生活して、それでも義務教育まではなんとか通わせてくれて、俺が高校を卒業したその日、母親は力尽きたのかもしれません」

 ヨルの胸にはユカが話してくれたことに答えたいという思いと、諦めが半分ずつある。


「次にいなくなったのが母親と妹。本当は俺もその日になくなる予定だったんです」

「なくなる?」

「ええ。『亡くなる』予定でした。母親はその日、覚醒剤を摂取した朦朧とした状態で家族全員での無理心中を図った。結果は妹だけが死んで、母親は覚醒剤を使ったことから拘置所に収容されて、俺はひとりになった。これがもしもお話の中だったら、母親も俺も妹も死んでいて、少しはドラマチックだったんでしょうけど……」

 現実は泥臭くて、ただただ無慈悲だ。


「その後は、俺は犯罪者の息子ってだけで大学の入学が取り消されて、大した経歴も持たないまま、社会に放り出された」

 ヨルはそこで「まあ、それだけの話です」と無理矢理話を切った。


「それから俺は惰性で生きていた。それが俺の一生です」

 ユカはひとつ呼吸してからため息のようにして吐いた。

「お互い壮絶だね」

 それを言う以外は、ヨルのことに触れようとはしなかった。

「そうですね」

「私たちの人生って、おかしいね」

 と言って、ふたりは見合い、静かに笑った。


 沈黙の空気になっても気まずさはなかった。

 ただ、それだけで心地よかった。

 たかが数日の付き合いという間柄のふたりには、ずっと昔から知り合いだったかのような馴染み深さがあり、親和性があった。だからこんな深い話を明け透けに話すことができる。


「私あんまり人といるの得意じゃないんだけどさ。顔色伺ったりとか疲れるじゃない? でも、なんだか不思議とヨルくんなら大丈夫なんだ」

「おかしいね」とユカは笑った。

「袖振り合うも多生の縁って言いますから、きっとどこかで会っていたんですよ」

「遠い昔とか?」

「そうですね。前世とか」

 ヨルがそう言うと、あははとユカは笑った。

「それこそおかしい。忘却のおまじないよりもオカルト話だよ」

「ですね」ヨルも笑ってそれを肯定した。

「でも、なんだか不思議とそんな気もしてくる。おかしな『おまじない』があるくらいだもん」


 近しい二人の話は、いろんな方向へと飛んだ。

「父親も母親も妹も、今となってはどうでもいい存在です」

「あぁ、それわかるなあ」

 ユカが笑った。

「ええ。例え家族だったとしても、離れてしまえばどうでもよくなる」

「私たちにとって家族なんて、所詮血が繋がってるだけの他人だよね。一緒に住まなければいけないわけじゃないし、愛がなければいけないわけじゃない。ましてや忘れてしまっても問題なんてない。私はそう思ってる」

 カプチーノに口をつける。


「……でも、最後だとしたら少しは会いに行ってみてもいいかもしれないな」

 それはヨルの独り言。

 それにユカは反応した。

「ヨルくんは嫌なんでしょう?」

「ええ」とヨルは頷く。

「でも、最後ですから」

 ユカは「そっか」と優しく言った。

「じゃあ、忘却のおまじないをしよっか」

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